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Circle≪ゆ〜ぽぴあ≫・遊歩記

       第119回遊歩
 “ぶらり東京Walk”
≪寺町と昭和レトロの町
   ・谷中・根津の散策遊歩≫









  遊歩日:   2011年2月6日(日) 日帰り
  遊歩先:   谷中、根津界隈
  参加者:   総勢22名
  天 候:   晴れ



行 程》
 日暮里駅 ⇒羽二重団子⇒寛永寺⇒上野公園(昼食)⇒東京芸術大学(構内巨木あり)⇒旧吉田酒店⇒玉林寺(境内に推定樹齢600年の椎の老木あり)⇒全生庵⇒谷中霊園(園内にいちょうの巨木あり)⇒築地壁⇒初音の森⇒よみせ通り⇒谷中銀座商店街・夕焼けだんだん⇒富士見坂⇒日暮里駅  解散


 ≪遊歩記≫

 参加者22名が日暮里駅前のロータリーで、勢揃いしRooNavの鴬谷のS,Mさんからコースの様子などが紹介された。ついで22名が声出しをする。その22名の中には初参加となった4名の女性が加わっている。RooNavを先頭に4班編制で日暮里駅を後にしてゾロゾロと歩いて行く。すると歩いたと思ったら直ぐにお店に入るではないか。ここが食べ物での最初の目的地「羽二重団子の店」であった。22名が開店間近なお店に入ってきたから、店の方達も少々驚いたらしく顔が少し緊張していた。大枚525円をそれぞれ支払って、漉し餡の甘い団子、お醤油味の団子と2本セットを注文する。ハッハーン、この甘い団子が羽二重団子と言うんだな。早速その甘い団子を食べる。なるほど甘みがしっとりしていてとてもきめ細かな味だ。そしてその甘い団子を食べた後で、今度は醤油味の団子を食べる。すると口の中がサッパリしており、実に二つの団子のハーモニーが良いではないか。更に渋いお茶も喉ごしも良く私は3杯も飲んでしまった。 エッヘヘヘ (^^)

 この「羽二重団子」は、文政二年にここ音無川のほとり芋坂の現在地に「藤の木茶屋」を開業し、街道往来の人々に団子を供した。この団子が、きめ細かく羽二重のようだと賞され、それがそのまま菓名となって、いつしか商号も「羽二重団子」となった。
正岡子規をはじめ多く文豪たちが訪れた店であるとのことだ。

 そんな「羽二重団子」を食しまた、日暮里駅傍の山手線が通る高架橋を渡り、下方にはゴーゴーと山手線の電車が通る小高くなった谷中霊園の端から谷中霊園の中を通り抜ける。さすがは谷中墓地だけにその一つ一つの墓石と区劃が広く立派で、どうだとばかりに辺りを睥睨し威圧するように立っている。亡くなってからもそんなに虚勢を張らなくても良いと思うのは、私のようなPoorな物の考えることか。 (;_;)

 ところで今回の「ぶらり東京Walk」「谷中遊歩」の谷中であるが、谷中という地名は江戸時代前からあり、その由来は上野台と本郷台の谷間に位置していることから名付けられたと言われている。かつて谷中は農村であり、生姜の名産地として有名だった。江戸時代の都市計画で多くの寺院が集められて門前町として発展し、その後"寺と坂のある町"として親しまれるようになったとのことだ。

 両側に桜が植栽されている谷中霊園の道を通り、そしてここが都心とは思われないほどの静寂で、車も余り通らない広い道をの歩道を歩き、「子供図書博物館」と言う白亜の立派な3階建ての館内に入る。館内は歴史を感じさせる重厚なる大理石の石組みが配置された建築様式で、各、部屋には子供向けの珍しい各国の絵本、図書等々がガラスケースの中に納められている。

 そんな「子供図書博物館」を見学し、今度は寛永寺へと向かった。この谷中の寛永寺だが、江戸時代は上野にある寛永寺と広大な境内を一緒で、こちらの寛永寺は、言わば別院という趣だ。この上野寛永寺は、東京都台東区上野桜木一丁目にある天台宗関東総本山の寺院。山号は東叡山(とうえいざん)。東叡山寛永寺円頓院と号する。開基(創立者)は徳川家光、開山(初代住職)は天海、本尊は薬師如来である。
徳川将軍家の祈祷所・菩提寺であり、徳川歴代将軍15人のうち6人が寛永寺に眠る。17世紀半ばからは皇族が歴代住職を務め、日光山、比叡山をも管轄する天台宗の本山として近世には強大な権勢を誇ったが、慶応4年(1868年)の上野戦争で主要伽藍を焼失した。

 谷中寛永寺は根本中道の別院とは言え、その本堂の建物は堂々たるもので広い甍の波がとても美しい。それぞれ善男善女、お賽銭を上げ鐘を鳴らし参拝をする。 合掌
そして参拝を済ませ上野公園の端に当たる広場で昼食タイムを採り各人、ご持参のお弁当を美味しそうに食べる。誰でも食べているときのお顔はとても無邪気で可愛らしい物だ。
そんな私のお弁当を物欲しそうに「ネエ、何を食べているの、良かったらちょっと食べさせてよ。」とばかりに鳩ポッポが歩いてきた。そこで慈悲深い私はご飯粒の塊を投げてやったら、イヤー、数多くの鳩が飛んできてご飯の争奪戦が展開されてしまった。

 そしてすっかりと腹ごしらえをし、芸術大学の校門を入り、直ぐ芸大を抜け更に歩いて、旧吉田酒店を見学する。現在は商売はしておらず当時のまま店の様子が展示してある。デトロ風景だ。そんな酒店で酒を一杯引っかけたつもりになって意気揚々と歩き、玉林寺へ行く。この境内には推定樹齢600年の椎の老木がある。更に全生庵へ向かう。この全生庵は 明治13年、山岡鉄舟によって創建。山岡鉄舟・三遊亭円朝の墓をそれぞれ参拝する。さすがは山岡鉄舟が創建しただけに自分の墓は実に立派で見事なものだ。

 更に歩を進め谷中霊園のメインの場所へと来た。この谷中霊園は、東京都台東区谷中1丁目にある都立霊園。旧称の谷中墓地と呼ばれることも多い。面積は約10万u、およそ7,000基の墓がある。徳川家15代目将軍慶喜や鳩山一郎・横山大観・渋沢栄一・長谷川一夫などの著名人が眠る。その鳩山家の墓所と横山大観の墓所を参拝する。

 谷中霊園で休憩した後、更に歩を進め狭い道を歩いて行く。するとその道路の右側の塀になっているところが、築地壁と呼ばれ独特な紋様を刻みこれも見事なものだ。そして文京区と台東区の境界の道を歩き初音の森と言う広場に着いた。この広場の斜面にシートを敷き暫しの休憩を採る。
 
 そして最後の目的地、谷中銀座と夕焼けだんだんに着いた。 これぞ下町の商店街といった風情。細い道幅の両脇に小さなお店が並んでいる。肉屋さん、八百屋さん、総菜屋さん、雑貨屋さん、いろいろ並んでいるので歩いているだけでも楽しい。ついつい買いたくなる。和美は予め調べて於いたメンチカツを買い求めるために早足になって歩き出す。私達男性諸氏は、別段買い物には余り興味が無いので、日暮里側に大きな階段の夕焼けだんだんという所で買い物軍団を待つこととした。実に夕焼けだんだんとは、言い得て妙で、きっとここからの石段からは素晴らしい夕焼け空が見えることであろう。

 それにしても今日は実にお寺、墓石と随分巡り歩いた物だ。また、「ぶらり東京Walk」で、東京の良さを再発見した。再び日暮里駅へも戻り、ここで宴会組とそのままお帰り組と別れ、当然私は宴会組の組員として、飲み放題一本勝負に加わり、時事(ジジー)放談に口角泡を飛ばし各、論客と挑んだのであった。 (^^;)

                          《オシマイ》