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Circle≪ゆ〜ぽぴあ≫・遊歩記

     第104回遊歩
  ≪〜春うらら〜好展望の低山歩き≫













  遊歩日:   2010年4月25日(日) 日帰り
  遊歩先:   脳岳(542.7m)〜八重山(530.7m)
  参加社:   11名
  天 候:   晴れ


  <行 程>

 ●新宿{07:52発・中央線中央特快(高尾行)(特別快速)}⇒▲三鷹(8:05)⇒■立川(8:17)⇒●八王子(8:27)○高尾{08:35着・08:44発中央本線(東日本)(小淵沢行)(各停)}⇒■上野原(09:06着・9:20発)=バス20分⇒荒井バス停⇒登山口⇒尾根⇒能岳⇒八重山(東屋・昼食休憩)⇒展望台⇒八重山登山口⇒大堀バス停または本町三丁目バス停=バス⇒上野原⇒新宿方面へ



  ≪遊歩記≫

 この4月は天候が定まらず春のようなポカポカとした日があったと思えば翌日は急に温度が下がり真冬に逆戻りをしたような寒い日となったりし、お負けに雨の日も多く荒れ模様のお天気が続くので、この4月25日の「能岳〜八重山遊歩」もそのお天気が心配されたが、担当者のO,Aさんの普段の行いがよいためであろうか。今日は久しぶりの見事な晴天の遊歩日和となった。上野原駅前で、バスに乗り込むが、車内はハイカーでかなり込んでいる。それにしても私達もそうであるが、ハイカーのほとんどが、中高年で、皆さん意気揚々としてとても元気がよい。

 終点の荒井バス停で下車し、山支度を済ませ担当者のO,Aさんから挨拶とコースの説明を受けた後、恒例の参加社11名、声出しをする。今回はミスターウクレレマン、H,Gさんの有人で、O,Sさんという女性の方が、Circle《ゆーぽぴあ》に初参加としてこの「能岳〜八重山遊歩」に登場した。何でも山歩きが大好きで暇があったら毎日でも山歩きをしていたいという元気印のパワー溢れるyuupolerで、それだけにこれからこのCircle《ゆーぽぴあ》の遊歩に是非、参加して頂きたいものだ。RooNavのO,Aさんを先頭に3班編制で、「能岳〜八重山遊歩」の登山開始である。

 私は第2班で北区のS,Mさんをサポートして歩いて行く。先ずは余り日とも車も通らない車道歩きでお互い談笑しながら吹く風もさわやかな陽春の陽射しを浴びて、意気軒昂に大股で歩いて行く。途中やはり、能岳〜八重山へ行くのであろうか。中高年のハイカーのグループを追い抜き私達の方が、まだ多少は若いとばかり内心優越感に浸りながら颯爽と歩いて行く。

 やがてそんな車道歩きも終わり、能岳の登山口に到達した。コンクリートで鋪装された急な登山道を上り詰めると今度は緩やかな土道となり、やっと山へ来た感じでホッとする。そんな私達を歓迎するかのようにウグイスが「ホーホケキョ、ケキョケキョヨクキタケキョケキョ」と鳴いて春の息吹を否が応でも感じる心和むハーモーにだ。路傍には小さな山野草が、これもまた「ネエ、ウグチャンの声ばかり聴いていないで、私もみてよね。とても綺麗でしょう。」とその可憐な花びらを誇るが如く咲いている。

 この能岳は余り地元の方の手が入っていないのか、結構山道には木が倒れており、それらを跨ぎながらグングンと高度を稼いで行く。先頭を見れば久しぶりの山歩きで、O,Sさんが、サポーターのA,Sさんにやや引っ張られながら急登をチャレンジしている。一方こちらの北区のS,Mさんは、少々今日は余裕がありそうだ。その余裕については八重山の山頂に行って判明するのだが、彼もまた山歩きが楽しくてならないという感じで、私の後から着いてくる。

 やがて何度か登り下りを繰り返しながら、能岳山頂に到達した。山頂は木々に囲まれ展望は無く、この能岳は別名・・・能竹山・向風山とよばれている。たいがい山頂では一本立てて休憩をするのだが、展望もないためか。担当者のO,Aさんから休憩の指示がないのでそのままあっさり通過する。そしてその山頂を過ぎると何と視界も開け急に登山道も良くなり、その登山道の路傍にはまだ背丈の低い桜の木が植林されており、その桜の木が桜花爛漫春の陽光にピンク色に輝いている。その花びらを北区のS,Mさんに触れさせてやると「ハーン、山は今が春なんですね。それにしても実に柔らかなふんわりとした肌触りだ。」とゴツイ手でその花びらをさも嬉しそうに触っている。その姿に私も思わずジーンと目頭が熱くなってきた。

 そんな歩きやすい山道を景色に見とれながら歩いていたら何ともう、八重山山頂に着いてしまった。時に11時30分、ここで少々早いが昼食タイムを採ることとした。それではこの八重山について少し述べてみよう。

 「水越八重さんの心が息づく八重山」


 1929年(昭和4年)に地元の水越八重さんが、お世話になった故郷や子供達のために役立てて欲しいとの思いから30ヘクタールの山林を寄付された事にちなんで「八重山」と名づけられました。今では八重山は、上野原小学校の学校林として、市民に愛される山として、八重さんの想いを後世に伝え続けています。

 何とマア、実に立派なお方ではないか。私なんか絶対に寄付なんかしないで、別荘地として売り出し、一つ、金儲けをするのだが、やはり、偉人ははなから考え方が違っているものだ。最も私なんかには、そんな土地など逆立ちしたって、取得は出来ないからその点、良いのだが、自分の名前がついた山が郷里にあるのは子々孫々まで、鼻が高いことであろう。そんなことを考えて、北区のS,Mさんと影でこっそり缶ビールで乾杯していたら、彼が「今日は私は実に嬉しいんですよ。今4月25日、日は私の誕生日なんです。そして息子も大学に入学できまして、モウ、モウ、最近私は足をケガしてから着いていなかったんですが、こうして今日偶然にも能岳〜八重山遊歩が出来て、皆さんと誕生日に歩くことが出来て最高です。」と満面の笑みで離すではないか。

 「そうだったのか。」何故か麓の山道を歩いていても嬉しそうにしていたのは、彼の今日は誕生日だったのか。それで早速、Happy Birthdayの歌をyuupolerの皆さんで合唱し、彼の誕生日を大いにお祝いしてあげた。そして彼が持参した銘酒「久保田」もしっかりと飲んで、春の陽光に照らされお酒で真っ赤になった顔が余計に真っ赤になり、心もハイテンションになってきた。そんな楽しい昼食タイムを1時間ばかり取り、この八重山とお別れをして、下山開始となる。

 途中の八重山展望所では、多くのハイカーの皆さん、ここで宴会をしており、とても楽しそうだ。この 八重山展望所は、 八重山そして上野原市のシンボルとして親しまれている。標高は低いが、丹沢山塊・御坂山塊・道志の山並み先に富士山・北側には笹尾根・三国山から陣馬山が見渡せる別天地だ。そして良く整備された登山道を一気に駆け下り、後ろを振り向いたら後方の4、5名のyuupolerが着いてきていないではないか。マア、好きな道から来るのであろうから余り気にしないで歩いて行く。そうしたら下の方で彼らと合流し、あっという間に上野原の街並みに到達した。時に13時30分、あまりに早い下山であった。

 そうして本町三丁目バス停から、バスを少し待ち、上野原駅に到着し、JRの電車に乗り込む。そしてまだかなり時間も早いので、私と北区のS,Mさんとで、彼の誕生日のお祝いをするべく吉祥寺で下車し、天狗岳に登りそこで大ジョッキーの生ビールで改めて彼のHappyBirthdayの祝杯を挙げた。

 それから何故か酔いも手伝い、野郎二人で暮色に染まった「井之頭公園」を散策したのであった。  (^^;)    (^_^)