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Circle≪ゆ〜ぽぴあ≫・遊歩記


   ≪白銀に輝く尾瀬の名峰至仏山
  と燧岳の山頂に立つ≫








  遊歩日:   2010年5月2日(日)・3日(月)・4日(火)
         2泊3日
  遊歩先:   至仏山(2228m)・燧ヶ岳(2356m)・尾瀬ヶ原
  参加社:   3名
  天 候:   3日間とも快晴


  5月2日(日)

 《行 程》

 上野(7:20発水上1号)⇒沼田(9:26着・9:35発)=バス⇒戸倉=関越観光バス⇒鳩待峠(11:50着・12:30発)=コレヨリ徒歩⇒1回目の休憩(13:40)⇒小至仏山トラバース(14:35)⇒至仏山山頂(15:35)⇒山の鼻・尾瀬ロッジ(16:40着) 宿泊


 ≪遊歩記≫


 今年は4月の天気が非常に悪く雨の日が続いていたが、その見返として天の神様も5月の連休は、お天気にしてあげようとのにくい計らいであろうか。この連休のお天気は、全く4日間共に雨の心配はなく絶好の行楽日和との実に嬉しくなるような天気予報であった。

そんな当に快晴の連休5月2日、私と和美そしてyuupolerの鴬谷のS,Mさんの3人が沼田駅で特急水上1号から降り立ち駅前に駐車してある大清水行きのバスに乗り込む。車内はさすがGolden weakだけに中高年のハイカーで相当な混み具合である。そんな車内を前方に進んで行くと「アラ、Kさん。」と女性から声が掛かるではないか。「誰ダンベイカ。」と鴬谷のS,Mさんに聞いてみると、老楽山岳会の会員でもあり、元、私が在席していた六つ星山の会のG,Hさんとのことであった。そして何とその他に老楽山岳会の重鎮、六つ星山の会の会員でもあるM,Kさんも乗り合わせているではないか。そこで「アー、お久しぶりですね。」とそんな奇遇に簡単な挨拶をお互いに交わす。何でもM,Hさんの話に寄れば、総勢22名の老楽山岳会の会員達が、これからこのバスの終点である大清水で下車し、三平峠を超えて、長蔵小屋に今夜は泊まり、明日は燧ヶ岳を登り、見晴らし新道を下山して、見晴らし小屋に泊まり4日は余り登山者が登らないというケイツル山を登って更にもう一泊するという3泊4日の行程だとのことだ。

 いつもながらのお元気印の皆さん方には、全く感心させられる。そんな老楽山岳会の方々に負けずに私達も頑張って、雪の至仏山そして燧ヶ岳を登らねばと決意を新たにする。今回のこの尾瀬の山行遊歩は、先日の鷹ノ巣山の山行の際に鴬谷のS,Mさんと相談しての計画であった。この尾瀬に入るのは実に久しぶりで、モウ、かれこれ12年は経っているであろうか。それだけに雪の尾瀬に寄せる思いはまた、格別である。

 やがてバスは沼田駅前から約、1時間あまりで、戸倉野バス停に到着した。この戸倉から鳩待峠へ行くためにバスが出ており、それに乗り換えて尾瀬の登山口でもある鳩待峠へ行くのだ。老楽山岳会の方々とお別れをして、そのバスを下車し既に駐車してあるやや小さめのバスに乗り込む。そのバスには、スキーを持った方や、大きめのザックを持ったハイカーがそれぞれ押し黙り乗車していた。バスが登り進むに連れ窓外の景色が段々と白く変わり、まだかなりの積雪があるのには驚いた。

 そして鳩待峠で、昼食を採り、山支度をすっかり済ませこれから雪の至仏山へアタックするため先頭は和美、次が私そして鴬谷のS,Mさん、そんな順列でイザ至仏山の山頂目指し元気よく、出発だ。最初は樹林帯の緩やかな斜面をザックザックと雪を踏みながら快適に歩を進めて行く。5月とは言えまだかなりの積雪があり、それだけに雪山気分は最高で、身体も躍動し、見上げれば真っ青な空、吹く風は誠に清々しく実に心が洗われるようなそんな久しぶりの尾瀬ハイクだ。

 それではこの至仏山について少し述べてみよう。

  至仏山


  標高   2,228.1m
  位置   北緯36度54分12.5秒
  東経   139度10分23.7秒
 所在地   群馬県みなかみ町、利根郡片品村
  山系   越後山脈

 至仏山(しぶつさん)は、群馬県の北東部、みなかみ町と片品村との境界に位置する標高2,228.1mの山。二等三角点「至仏山」が設置されている。日本百名山の1つに数えられており、尾瀬国立公園(旧日光国立公園尾瀬地区)に属する。

概要

 至仏山は、オゼソウ・ホソバヒナウスユキソウ・タカネバラ等の高山植物が有名で、尾瀬一帯を眼下に見下ろすことができる。山体が蛇紋岩で出来ているため、特殊な蛇紋岩植物と呼ばれる植物群が生育することで植物ファンに名高い。同様に蛇紋岩植物が多い花の山として、北海道のアポイ岳や岩手県の早池峰山などがある。

 平ヶ岳と同様、利根川と只見川の源流付近に位置する分水嶺であり、元々アプローチの困難な山であったが、坤六峠や鳩待峠への車道開通により、容易に登れる山の一つになった。但し、山自身日本海側と太平洋側との風の通り道となっているため、しばしば天候が悪化し、安易な登山に因る遭難が後を絶たない。また、尾瀬ヶ原から直接登る道は、急坂の上に滑りやすく、道も荒れていることから、事故が多数発生している。

位置的には、分水嶺ではあるが、尾瀬の西側の殆どは、群馬県にスッポリと入る様に県境が北側を走っているため、至仏山自身もスッポリと群馬県に収まっている。

入山規制

蛇紋岩は崩壊しやすく、風化が早いため、大量の観光客が訪れる登山道沿いの浸食が激しくなり、一時期入山が禁止されていた。入山が解禁された現在でも、5月から6月にかけては植生の保護を目的とした入山規制が行われており、登山が可能になるのは7月1日前後の山開き以降となる。尾瀬ヶ原から直接登る登山道(東面登山道)は、現在でも浸食が激しい。下りの方が植生荒廃・土壌流出の影響が大きく、また滑りやすい蛇紋岩のために下りは危険ということで、2008年より東面登山道の森林限界〜山頂間は登り専用となった(山ノ鼻〜森林限界までは往復可能)。

 
 まだ芽吹きのされていない樹林帯をザックザックと登って行く。傾斜は登るに連れて段々と増してきた。無雪期の頃であれば、この至仏山はオゼソウ・ホソバヒナウスユキソウ・タカネバラ等の蛇紋岩植物群が生育するため登りながらもそれらの可憐なる高山植物が見られるので、疲れ方も違うのであるが、このようにただただ白銀の雪道では、直登するため傾斜もきつく一歩一歩確実に足を出し登るしかない。時たま下山してくるハイカーと「こんにちは」と挨拶を交わしながら黙々と登って行く。まだまだ至仏山山頂は見えてこず更に斜度が増してきた。

 それでも鳩待峠を出発してから1時間は経っただろうか。ここで1本立てて休憩をする。水分補給、飴玉等を口に入れ登山靴にアイゼンを着けビシッと気持ちを引き締めこれから更に高度を増しそれに連れて斜度もきつくなる雪山アタックの挑戦がいよいよ本番だ。そんな気持ちに活を入れ更に進むと小至仏山の山頂を巻き込むようにトラバースの細い雪道が延々と続いているショッパイ箇所に差し掛かった。道幅は50cm位であろうか。その右側はスッパリと切れ込んだ斜面になっている。そんな箇所を神経を使いながらトラバースして行く。途中下山するハイカーとすれ違うときは、お互い慎重に足を踏みしめ緊張し別れて行く。

 やがてそんなトラバースも終えこれからいよいよ至仏山に向かう急斜面の直登が開始された。雪の斜面をうつむき和美を先頭にピッタリと後について私、そして少し遅れて鴬谷のS,Mさん、このペースで「フーー」登るに登る。そしてそんな悪戦苦闘の後、ついに来ました。至仏山山頂へ・・・ ヤッホー  (^o^)
山頂を示す道標は、立派な石で出来ており、思わずこれを運ぶのは大変だったろうなと思案を巡らすが、今はヘリコプターであっという間に運んでしまうから昔のような剛力、ボッカ、などは必要がなく文明のリキで感嘆になったものだ。この立派な道標をバックにそれぞれハイカーが記念写真を撮っている。私達も笑顔でパチリ・・・ (^^)

 そんな山頂から四顧を見渡せば、明日、登る尾瀬のもう一つの名峰、燧ヶ岳の双耳峰が白銀にキラキラ輝いている。平ヶ岳、上州武尊等々の峰嶺、その下には真っ白くなった広大な尾瀬ヶ原が延々と続いている。見事なる白銀に輝く尾瀬の雄大なる大パノラマだ。私はこの至仏山は始めて登ったので、それだけに顧みれば左アキレス腱断裂で負傷してからこうして雪山へ再び登ることが出来その感激でモウ、ジーンと目頭が熱くなってきた。

 そんな感動の至仏山山頂を後にし、これから一気に雪の大斜面を山の鼻目指し急下降の開始だ。そんな長く続く急斜面を見ていたら、もう、アッという間に和美が駆け下って行くではないか。「マテーエイ。」負けてなるかとその後に懸命に私もストックをブレーキにして駆け下る。下る。ビュンビュンと下る。まるで天に舞い踊るが如く身体が宙に浮くような実にスリルに富み面白くグングンと駆け下って行く。途中遅れた鴬谷のS,Mさんを待ち後ろを振り向くと午後の陽射しが白銀を染め、それが金色の光となって一筋の光りの帯のように照り輝いている。この神々しい荘厳なる光景にただ見とれるばかりだ。しかし、モウ、無我夢中で駆け下ってきたが、その斜度を改めてみると優に50度は有るのではないか。もし、途中アイゼンがからんで転倒し滑落したらモウ、コロコロコロと加速度がつき山の鼻まで滑り落ちて行くと思うとギクッと背筋が寒くなってきた。

 そんな急下降もやがて終わり樹林帯に入ると今度は積雪のためツボ足となり歩く旅に足が雪に埋没し、その足を抜きながら歩いて行くので、疲れも酷くモウ、ヨレヨレしながら雪道を歩いて行く。そして平坦なる尾瀬ヶ原にようやく到達し、今日のお宿「尾瀬ロッジ」の玄関に入る。宿の方に菊と今日の泊まり客は、何と7名だけとのことで、やはり、雪の時期は空いているものだ。着替をするとモウ、夕食タイムなので、食堂に行き缶ビールで無事到着した喜びを神に感謝し乾杯をする。飲みながら改めて今日の日程を振り返れば、鳩待峠を出発したのが12時30分、そして尾瀬ロッジに着いたのが16時40分、何と4時間で至仏山を登ったことになる。ウーン、雪山の至仏山を4時間で登るとは、我々も大したものだと自画自賛し、持参した銘酒澤野井を鮎の塩焼きを肴に快く飲み干す。

 そんな満足した夕食を採り、お風呂に入ると直ぐ床に着き「ひと夜を憩う。山男」とばかり3人まくらを並べ疲れも手伝ってか。爆睡モードで眠りに着いた。
  (-.-)Zzz  グーグー


  5月3日(月)


 《行 程》


 尾瀬ロッジ(7:10発)⇒竜宮小屋(8:10)⇒十字路見晴小屋(8:50〜9:20)=コレヨリ見晴新道を歩き燧ヶ岳山頂へ行く⇒登り1本目の休憩(10:20)⇒登り2本目の休憩⇒登り3本目休憩(12:05)⇒燧ヶ岳山頂(13:05〜13:45)⇒下り1本目休憩(14:55)⇒尾瀬沼ヒュッテ(16:45着) 宿泊


  ≪遊歩記≫

 早朝、鳥の声で目を覚まし朝食を済ませ身支度を調え、我ら3人尾瀬ロッジの係りの方にお礼とお別れを告げ尾瀬ヶ原の大雪原をざっくざくと靴音も軽やかに歩いて行く。無雪期であればこの尾瀬ヶ原は、木道が延円と敷設してあり、環境自然保護からもその木道の上を歩かなければならないが、この有雪期は、尾瀬ヶ原のどこを大胆に歩いてもお構いなしで、歩くことが出来るからこれもまた、この有雪期でなければ味わえない醍醐味とも言える。振り返れば昨日登った至仏山がその白い雄姿を見せて「昨日はサッと来て、サッと降りてしまったね。」とニコッと微笑みかけているようだ。

 白い雪原に出来た池塘には、そんな至仏山が、逆さ至仏として、水面に映っている。早速、その逆さ至仏をデジカメでパチリ。今日の予定としては、当初の計画であった4日に燧ヶ岳へ登ることにしていたのだが、今日一気に燧ヶ岳にアタックしてしまおうということになり、その為、今日の行程はこの尾瀬山行遊歩では、一番の長時間になることであろう。雪原の周辺を見れば同方向へ行くハイカーが、4、5名のグループで歩いている。とにかくただ雪原を短調に歩いて行くのであるから、少々厭きが来てしまう。そんな気持を吹き飛ばすように辺りを見回すのだが、白く輝く雪原がただ続くだけで、改めてこの尾瀬ヶ原の広さを実感した。

 そんな雪原を尾瀬ロッジから、丁度1時間も歩いただろうか。「竜宮小屋」という山小屋に到着した。ここで最初の休憩の1本建てて一息入れる。前方を見ればこれから登る燧ヶ岳が、白く輝き威風堂々と屹立している。さすがは東北随一の高い山だけにその山容も実に貴賓のある双耳峰だ。そして一息入れ更に雪原を淡々と歩いて行く。雪原歩きはどうしても積雪のために登山靴が雪に埋まりそれを抜きながら歩くので、かなり疲れる。そんな雪原歩きが50分も続いたであろうか。この尾瀬ヶ原の交差点とも言える「見晴らし十字路」にようやく到達した。ここには3軒の大きな小屋が建っている。ここで大休止を採り燧ヶ岳の登山に備えた。

 それではこれから登る燧ヶ岳について少し述べてみよう。

   燧ヶ岳

標高 2,356m
位置 北緯36度57分18秒
東経139度17分07秒
所在地 福島県南会津郡檜枝岐村
山系 独立峰
種類 火山

燧ヶ岳(ひうちがたけ)は福島県にある火山。山頂は南会津郡檜枝岐村に属する。尾瀬国立公園内にあり、至仏山とともに尾瀬を代表する山でもある。東北地方最高峰 (2,356m)であり日本百名山に選定されている。

火口付近には柴安ー(しばやすぐら・2,356m)、俎ー(まないたぐら・2,346.0m)、ミノブチ岳、赤ナグレ岳、御池岳の5つのピークがある。尾瀬ヶ原から見ると、左から柴安ー、御池岳、赤ナグレ岳がよく見える。登山道があって行くことのできるのは、柴安ー、俎ー、ミノブチ岳の3つである。俎ーには二等三角点「燧ヶ岳」がある。燧ヶ岳は、2,300m以上の山として日本で最も北に位置する。日本国内では、燧ヶ岳より北にそれより高い地点はない。

噴火
噴火が記された文献はないが、約500年前に噴火したと見られる。噴出物の調査及び文献から、約8,000年前に山体崩壊を起こして尾瀬沼ができ、1544年頃に溶岩ドームが出現した際に水蒸気爆発が起きて白い粘土が噴出した(直後の同年7月28日に「白ヒケ水」と呼ばれる洪水が起きた)ことが分かっている。
登山
登山道は4方向から計5本が存在したが、うち、温泉小屋道が2008年に廃道になった。現在使用できる登山道は4方向から4本である。燧ヶ岳には頂上付近に小屋が無いため、登頂を試みる場合には、早朝出発、早期下山が必要になる。また、雨天、雨後には道が荒れる事から注意が必要である。
沼尻口、長英新道
距離的には沼尻からのナデッ窪の道が最短であるが、急登であることと、道が荒れておりしばしば閉鎖になることから、二番目に短い長蔵小屋付近からの長英新道が一般的に使われる。
御池口
燧ヶ岳のみを目的とする場合には、各交通機関の要所から長蔵小屋までもある程度の時間を要するため、直接御池から登る道も使用される。この道は、前者に比べて少し距離があるが途中、広沢田代、熊沢田代などの美しい湿原を通過するため人気がある。
見晴新道
尾瀬ヶ原の見晴とを結ぶ見晴新道は、登山口の標高が他者と比べ低い事から、上りに使用する場合には長丁場となる。
記録に残る最初の登頂者は平野長蔵で、1889年に仲間らとともに登頂に成功している。


 十分休憩を取った後、登山靴にアイゼンを着けバッシッと気を引き締めいよいよこの尾瀬山行では、ハイライトとも言える燧ヶ岳アタックの始まりだ。 「サアー、行こうぜ。」 (^^)
燧ヶ岳の登山コースとしては、4箇所の登山コースがあり、その一つ、この見晴らし小屋からの見晴らし新道を歩き、山頂を目指すというコースである。先ずは積雪がかなりある樹林帯を雪に足を取られながら淡々と進んで行く。何の眺望もない樹林帯をただ機械的に足を運んで行くだけに歩いていても厭きてしまいそうだ。そんな退屈する箇所を延円と歩いて行く。

 そんな樹林帯の雪道を1時間ばかり歩きここで1本立てて休憩を取ることとした。ここからは、両側から山の急斜面が迫り、狭い雪が積もった沢筋で、それが延々と続いている。そんな沢を登るに連れ段々と傾斜もきつくなり、それに比例し、足取りも重くなってきた。そんな急登をアイゼンを効かせ上へ上へと登って行く。途中2回目の休憩を取り更に歩を進めて行くと集団で下山してくるグループと出会った。何とそのグループこそ2日に沼田からのバスの車中で遭遇した老楽山岳会の22名の集団でG,Hさん、M,Hさん達であった。

 そこで再会を喜び「ヤー、こんにちは・・・!!!」とお互い挨拶をする。リーダーのM,Hさんから山頂の様子などを聞きその元気印のご一行様と別れる。更にグングンと高度は増しそのため斜度もきつくなり、アイゼンを雪の斜面に蹴り込み一歩一歩登って行く。角度的には優に50度はあるだろうか。ここら辺りが一番の難所とも言える燧ヶ岳登山のクライマックス地点であろう。そんな急斜面をピッケルを突き立て、突き立てしっかりと登って行く。そして3回目の休憩を取りここで非常食のアンパンと水分を補給し、更に山頂を目指す。

 辛かった登りも山頂に近くなったせいか斜度もやや緩やかとなり、やがて岩がそのまま突出している山頂直下の岩場に出た。アイゼンの歯が岩に当たりギシギシと音を立てて、今までの積雪地帯と違いアイゼンで岩場を歩くので、非常に歩きづらいがそれを我慢して、更に登って行き、再び雪の斜面をクリアし、出ました。出ました。燧ヶ岳、双耳峰の一峰、柴安ー(2,356m)の山頂だ。「ウーン、実に長い道のりであった。」鴬谷のS,Mさんと燧ヶ岳登頂の感激の握手をお互いに交わす。すると鴬谷のS,Mさんが一枚の写真を撮りだし私達に見せるではないか。「この方と長年尾瀬に来ていたのですが、残念にも癌で亡くなってしまい今日は彼がこよなく愛した尾瀬の燧ヶ岳の山頂に持参したウィスキーを供養にかけて、この写真を埋めてあげるのですよ。」と何とも優しいことを目をシバつかせ言うではないか。

 思わぬそんな彼の優しい一面を見て、私もジーンと心が熱くなり、つい涙ぐんでしまった。きっとその方も尾瀬の燧ヶ岳に有人の鴬谷のS,Mさんと共に来られて御霊も安らいでいることであろう。そして感動の場面はそれまでと「腹が減っては戦が出来ぬ。」とばかり尾瀬ロッジで作って頂いた大きなオニギリを烏龍茶を飲み共に口にする。「ウーン、ウンメイヤ。」もう登りに相当体力を消耗したので、すっかり腹が空いており、それだけにその美味しさたるや最高の味覚である。

 昼食を採り四顧を見渡せば昨日登った至仏山が真っ白くドーント大迫力でその雄姿を見せている。それから日光白根、平ヶ岳、会津駒ケ岳等々の峰嶺が白く輝き眼下には尾瀬沼がこれまた、白く輝き見え、自然が織りなすこの雄大なる光景にただただ声もない。そんな神々しい峰嶺の頂を拝し、まだこれから先が長いので、早々に下山をすることとした。

 山頂を後に少し進み行くと、ガーン、その先が雪が積もったナイフリッチになっており、本当にナイフの刃先のように鋭く尖り、斜度は60度はあるだろうか。それが下方に向かって伸びている。ここが一番の下りのクライマックスの場所であろう。その両側は共にスッパッと切れ込み思わず立ちすくむ。私は結構雪山に登っているが、こんなまるで絵に描いたような雪のナイフリッチは、初めてである。足を踏み出すのを躊躇していたらモウ、サッサと和美はピッケルを突き立てドンドンと下って行くではないか。それを見て私も下ろうとするのだが、正直、恐怖心が先に立ち中々思うように下れない。

 モウ、ピッケルをズブッと突き立て一歩、一歩慎重に下って行く。途中でどうしても前向きでは怖いので、クライムダウン(後ろ向き下降)で降りようとしたら、下方から和美が「クライムダウンでは返って危ないから前向きで降りてきて。」と叫んでいる。「バカ、そんなら先に行かずもっと俺をサポートしろよ。」と腹で毒着いてまた、前に向いてソロソロと下って行く。それでもそんなナイフリッチの途中まで来たら大分慣れてきて斜度も緩やかになったのでそれからはスタスタと降りることが出来た。「フー、ヤレヤレ」

 双耳峰の一峰、柴安ーを下り鞍部に出たら今度は双耳峰のもう一つの峰、俎ーの登りでそれを息を切らし登り行く。その途中で振り返り見れば柴安ーのナイフりっぢの鋭く尖った急斜面が白く光り見える。改めてその大迫力に思わず息をのむ。俎ーの山頂は立ち止まらずそのまま歩き行く。俎ーの下りは柴安ーのナイフリッチに比べれば何てことのない下りでドンドンと駆け下る。至仏山の雪の斜面を下ったときのような快適なる下りだ。途中では鴬谷のS,Mさんがモウ、歩くのが面倒くさくなったのか。尻シェードで雪の斜面を下ってきた。そんな雪の長英新道、燧新道をドンドンと下る。御池岳の鞍部を目指し下って行くのだが、モウここら辺りまで来ると足がかなり疲労しており、思うように足が運ばずその為、時に転倒してしまい起きるのも大変だ。

 ミノブチ岳を眺め下りの1回目の休憩を取り、更に展望のない樹林帯を下って行く。ここら辺りまで来るとまたもツボ足となり、歩く度に足が雪に埋まってしまいそれを抜きながら歩くので、疲れはモウ、極致に達する。疲労困憊のヘロヘロ状態だ。「まだか。まだか。」と思いながらそんな樹林帯を抜け出るとやっと尾瀬沼周遊道に出た。そこで時間短縮とばかり雪がかぶり凍っている尾瀬沼の上を歩いていたら先頭の和美の足がズボッと尾瀬沼に落ちてしまった。表面は凍って見えていてもそこは春、大分解凍が進んでいるのであろう。そこで再び周遊道に戻り左に進みやがて大江湿原に出た。これを左に行けば沼山峠へ達する。その雪原になっている大江湿原を歩き大江川を渡り、尾瀬沼の対岸に建つ長蔵小屋の前に出た。そこから今夜のお宿「尾瀬沼ヒュッテ」の玄関先へヨロヨロと辿り着いた。時に4時40分 「フー、実に長い歩きであった。

 部屋に入り着替を済ませサッパリしてから食堂に行き、冷えた生ビールで我ら3人、長くスリルに富んだ今日のコースを無事踏破した感激の喜びで乾杯をする。「ゴクゴクゴク、ウヒャー、ウンメイ。」歩いていても疲れてくるとこの生ビールを頭に浮かべお宿に着いたら飲んでやるぞと叱咤激励し歩いてきたのであった。それが今、この生ビールと再会しているのだ。こんな嬉しいことはない。お負けに酒の肴が、何と一人用のコンロで焼いて食べるイワナの干物だとは全く鳴かせるぜ。そんな至福の夕食タイムを採った後、風呂に入りそれこそ疲れも手伝いお互い爆睡モードで眠りに着いた。


  5月4日(火)


  《行 程》


 尾瀬沼ヒュッテ(7:25発)⇒三平峠(8:30⇒一ノ瀬(9:50)⇒大清水(10:45着〜11:50発)=1時間バス⇒沼田=JR⇒高崎=湘南ライナー⇒新宿


 ≪遊歩記≫

 今日は余りお天気も良くなく朝からどんよりと曇っている。マア、今日は三平峠を超えて帰るだけだから雨が降ってもいいやと朝食を済ませこの尾瀬沼ヒュッテを後にした。まだ白く凍結した尾瀬沼の端を昨日とうって違いのんびりと歩いて行く。この尾瀬沼もモウ、1ヶ月もすれば雪が解け青々とした満々と水を湛えた沼に変わり、尾瀬ヶ原も緑の尾瀬ヶ原と化して、水芭蕉そして少し遅れてあの貴賓有るニッコウキスゲが咲き誇るだろう。そして背後を見てやれば昨日登った燧ヶ岳の柴安ー、俎ーの双耳峰が「オヤ、モウ、帰りなさるか。また、来てクンナンショ。」と私達に別れを告げるが如く凛として双耳峰を旭に輝かせ屹立している。思わず「燧よ。さらばまた来る日まで。かえりみすれば遠ざかる。瞼に浮かぶナイフリッチ」と呼び掛ける。

 尾瀬沼から離れ三平峠の登りも一昨日、昨日の登りに比べればなんのその、あっという間に上り詰め、後は狭い雪の尾根道を淡々と下って行く。途中の眺めの良い箇所で休憩をし、一気に一ノ瀬に下りそこから雪の車道を大清水バス停へ向かい歩く。大清水では今回の尾瀬・至仏山・燧ヶ岳山行遊歩の無事踏破を祝しこれまたイワナの串刺しを肴に最後の生ビールで乾杯をする。そんな満足した至福のひと時を過ごした後、バスの発車時刻には、まだ余裕があるので、大清水の水芭蕉園で、可憐に咲く水芭蕉を眺め、デジカメでパチリ、ここでは尾瀬ヶ原と違い麓だけに温度も高いから既に水芭蕉が咲いているのであろうか。そして尾瀬山行遊歩の様々な思い出を脳裏に刻みバスに乗り疲れと生ビールの酔いも手伝ってかウツラウツラしながら沼田駅に向かった。

 こうして3日間充実した尾瀬山行遊歩も無事終了したのであった。  (^_^)