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   Circle≪ゆ〜ぽぴあ≫・遊歩記


         第215回遊歩

渡良瀬遊水池・ラムサール条約に
登録された野鳥と湿原の宝庫を訪ねる









  遊歩日:   2014年11月16日(第3日曜日)
  遊歩先:   渡良瀬遊水地
  参加者:   10名
  天 候:   晴


《行 程》

 浅草駅(8:10発) ⇒ 藤岡駅(9:30着・9:40発)⇒ 渡良瀬遊水地湿地資料館見学(10:00)(ヨシの原散策途中衣類調整(10:30)⇒ウォッチングタワー見学(11:10)⇒谷中湖湖畔渡良瀬遊水池11:25・昼食)⇒谷中村跡から谷中湖散策)⇒柳生駅1(14:25)⇒浅草駅⇒神谷バー(ミニ宴会)

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 ≪遊歩記≫

  鴬谷のS,Mさんは、いつも毎年晩秋の11月に山行遊歩を計画するのであるが、何故か今回は「渡良瀬遊水池ぶらりwalk」と言うことで、ここは2012年7月3日にラムサール条約湿地に登録されたと言う広大な箇所で、栃木、群馬、埼玉、茨城の4県の県境にまたがる日本最大級の遊水地である。そのスタート地点の藤岡駅で、RooNav担当の鴬谷S,Mさんのコース説明を受け、そして恒例の参加者10名の声出しを済ませ静寂なる広い車道をのんびりモードで歩いて行く。それにしてもこの静寂さは、都心部から来た私達にとっては、考えられないほどの静寂さで、まるで過去にタイムスリップしたような非現実的な感覚である。浅草からそんなに遠くないのにこの静かなる町の佇まいにホッとする気分だ。・・・!!! ホッ

 藤岡駅から20分も歩いただろうか。渡良瀬遊水地湿地資料館へ到着した。早速、館内に入り各種展示物、また、水層に飼育されている渡良瀬遊水池の各種、川魚、野鳥の彫刻等々を見学する。館内には係員が一人いるのだが、手持ち無沙汰な様子で、これも土地柄のせいかどことなくぼんやりとしていた。マア、それでも私達がそこを後にするときは、二、三の説明をしてくれたのだった。そこから少し歩き土手になっている所を越えて、一直線に伸びた広めの道を淡々と我ら10名のyuupolerご一行様は歩いて行くのであった。その道路の両側は広大なる葦が繁茂している河原というか湿地帯で、その一直線にどこまでも伸びている道路の様子は、まるで北海道の大原野を歩いているような風景にも変化が無く、歩いていても、アクビが出そうな超のんびりモードだ。

 晩秋のこの時期には、野鳥の声も余りせず、野の花も咲いて無く、ただただ、葦の繁茂する原野を眺めて歩くだけの散策だ。そんな一直線に延びた道路もやがて右にcurveし、少し歩きまた、左へcurveすると前方に大きなタワーが見えてきた。RooNav担当の鴬谷のS,Mさんの説明によるとここはview Spotで、watching towerとなっており、この展望towerからは、広大なる遊水池の展望が出来ると言うことだ。歩いて約、一時間少々立っているためこのwatching towerで休憩を採りそのtowerに昇り四顧を見渡す。広い人工の湖谷中湖が、見渡せる。この谷中湖の誕生には、曾てここには谷中村が有り、谷中村には、 栃木県南部の渡良瀬川下流にあった農村。上流の足尾銅山から流れ出た鉱毒を沈殿させる遊水地を国が造るため、県が土地の買収を進め、1906年に藤岡町と合併する形で強制は廃村されたと言う歴史的悲話がある。

 この上流の渡良瀬川には、曾て明治時代から足尾銅山という所が有り、銅の採掘によって生じた鉱毒を渡良瀬川に無造作に垂れ流していたため鉱毒による被害が、発症し穀物、その地域の人々に多くの被害が及ん言わゆる「足尾鉱毒事件」として、社会問題になったのだ。そんな歴史的変遷に思いを馳せそのtowerを後にして、谷中コノ湖畔で、昼食Thymeを採ることとした。またまたおなじみの光景、缶ビールのプルトップをブチュッと空け、冷えた缶ビールを飲む。そして浅草駅の売店で買い求めたお弁当を食べたのだが、これが実にまずくこのコノまずさは、おそらく長い間記憶に残ることであろう。
 (^^;)  (;_;)

 そんなまずいお弁当を仕方が無く食べ終わり、我らyuupolerご一行、Gaul地点の柳生駅を目指し歩き出す。その途中で谷中村跡を見学する。曾てはここに谷中村が有り、村として昨日していたのだが 上流の足尾銅山から流れ出た鉱毒を沈殿させる遊水地を国が造るため、県が土地の買収を進め、1906年に藤岡町と合併する形で強制は廃村されたという悲劇の谷中村跡である。浜のK,Kさんが、案内版に書かれた谷中村の歴史的由来を滔々と読み上げてくれた。しかしながら今では、全く覚えていないのが、実に悲しい記憶力だ。

 そんな谷中村の跡を見てから、谷中湖を右に見てまたまた、広い車道を歩き出す。その道路の左側に東屋の休憩所があったので、そこで休憩を採り そこで 「待ってたホイホイ、ミキチャン・・・」ともみ手をしながら北区のS,Mさんが、持参した銘酒「山田錦」を皆さんでご馳走になる。いつもながらの北区のS,Mさんには、その心配りに頭が下がる思いだ。「ミキチャン、ゴチソウサーーーン・・・!! スリスリ」  

 そんな銘酒「山田錦」がお腹に入った者だから、もう、タマリマヘン。それからのyuupolerご意向様の歩くのが速いこと。あっという間にGaulの柳生駅へ到着した。それから電車に乗り終点、浅草駅で下車し打ち上げとばかり、明治13年創業 浅草一丁目一番地。多くの文豪たちにも愛されてきた日本初のバー。神谷バーで、デンキブランを飲みながら・かにコロッケ、・あさりのバター焼き、、メンチカツ、・ジャーマンポテト等々とテーブルに並べそれを食べる。私は生ビールとデンキブランを2杯も飲んだので、帰途はもう気分はハイになり、よか気持で電車に揺られ夢心地となり、帰宅したのであった。


〜〜「オシマイ」〜〜

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  「参考文献」


    ≪渡良瀬遊水池≫


渡良瀬川に思川と巴波川の2つの川が合流する地点の湿地帯全体が堤によって囲われ遊水池となっている。足尾鉱毒事件の発生当時は、鉱毒対策が目的で設けられたのではなく洪水防止が目的とされたが、1903年の政府の第二次鉱毒調査委員会が渡良瀬川下流部に遊水池を設置する案を提示したことを受けて造成されており、鉱毒対策目的であることは明白であった。
法令上は、国土交通省が管轄する河川の内部になっている。足尾鉱毒事件から100年近く経った現在では鉱毒は減少し、主に治水と利水のための地域になっている。ただし、減少したのは上流から新たに流れてくる鉱毒の量であって、遊水地の土壌には2010年現在でも銅などの鉱毒物質が多く含まれている。

 地理

 遊水地の領域は、栃木県・群馬県・埼玉県・茨城県の4県にまたがるが、大半が栃木県の栃木市に属し、残りの部分が栃木県小山市、栃木県下都賀郡野木町、茨城県古河市、埼玉県加須市、群馬県邑楽郡板倉町に属する。
内部の面積は約33km2である。ゴルフ場が造成されている場所があったり、ごく一部に旧建設省の許可を得て耕作が行われた場所があったりするが、建物はなく、若干の道路と橋のみがある。 内部に第1調節池、第2調節池、第3調節池がある。渡良瀬川の西側が第1調節池である。第2調節池は巴波川の東で、第3調節池は渡良瀬川と巴波川の北側である。第1調節池はかつてお化け沼と呼ばれ、釣り人に親しまれたが、その後の造成により南側の一部がコンクリート張りの谷中湖になった。現在では、谷中湖を除く第1調節池の大部分と第2・第3調節池は増水時のみ貯水する構造で、平時から池としての実態があるのは谷中湖のみである。

鉄道

渡良瀬遊水地内の主な目的地別に最寄駅を示す。
遊水地南西部: 中央エントランス(谷中湖南西岸・下宮橋)

東武日光線・柳生駅下車。徒歩約20分(1〜2km)で谷中湖南西岸が見えてくる
遊水地西部: 北エントランス(谷中湖北西岸・谷中村史跡保存ゾーン・子供広場ゾーン・親水多目的ゾーン・ウォッチングタワー・ヨシ原浄化施設等)

東武日光線・板倉東洋大前駅下車。東口から北エントランスまで徒歩約20分(約1.8km)。北エントランスから、子供広場ゾーン・谷中村史跡保存ゾーン・ウォッチングタワーまでさらに徒歩約25分(約2km)

レンタル自転車: 板倉東洋大前駅・東口から徒歩約3分(約0.2km)のわたらせ自然館にて利用可(大人 400〜600円)[2]
遊水地北西部〜北部: 渡良瀬遊水地湿地資料館、渡良瀬カントリークラブ、第1調節池等

東武日光線・藤岡駅下車。徒歩約20分(約1.5km)で、渡良瀬遊水地湿地資料館へ。渡良瀬カントリークラブ、第1調節池も近い

レンタル自転車: 藤岡駅から徒歩約20分(約1.5km)の渡良瀬遊水地湿地資料館にて利用