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   Circle≪ゆ〜ぽぴあ≫・遊歩記

            第213回遊歩
白銀に輝く美ヶ原SnowTrekkingを
楽しんで憩いの宿で寛ごう・!!!






  遊歩日:   2012年1月28日(土)〜29日(日)  1泊2日
  遊歩先:   美ヶ原{王ヶ頭(2,034m)、牛伏山(1,990m)}
  天 候:   晴れ
  参加者:   10名(yuupoler8名+Friendly2名)

 1月28日(土)

 《行 程》

 ▲新宿{08:00発スーパーあずさ5号}⇒■上諏訪{10:11着・10:21発中央本線(東日本)(松本行)}⇒■下諏訪(10:25着・10:37発)=送迎車⇒美ヶ原高原Hotel山本小屋(11:27着)
昼食後=王ヶ頭SnowTrekking、

 ≪遊歩記≫

 新宿駅から乗車の我らyuupoler6名が、9番線ホームに既に入線しているスーパーあずさ5号の乗車開始を待っていると、突然ホームがグラグラと揺れだした。最初は電車が通過する際の動揺だと思っていたら、その揺れ方が足下から揺れているので、地震と気がつく。全く去年の東日本大震災から地震が頻繁に発生し、生活をしていても実に不安だ。程なくスーパーあずさ5号がOpen doorとなり、我ら6名指定席へ腰を下ろし、これからの美ヶ原SnowTrekking遊歩に思いを寄せる。車内を見渡すと日曜日でもそんなに混んでなく静かなものだ。窓外を見れば冬の陽射しがきらキラキラと輝き当に遊歩日和である。そして電車は立川駅を通過し八王子駅のホームに滑り込んだ。この八王子駅からは、今回のRooNav、担当者のO,Aさん、S,Mさん、そしてO,Aさんの山仲間、Kご夫妻の4名が、乗車しこれで今回の参加者10名が勢揃いをした。

 スーパーあずさは、八王子を過ぎると車窓からは、景色も白いものが目立ち先日降った雪がこの一連の寒さで、解けずに残り、こうして雪景色を見せている。この分だときっと美ヶ原は、相当なる積雪だろうと益々期待に胸躍る。それにしても今年の冬の寒さは、半端じゃあ無く毎日最低温度が、東京でも0度と冬将軍が、勢いを増している。しかし、寒いといっても東京の寒さは、東日本大震災で、東北の被災地での仮設住宅に暮らしている方を思えば何てことは無く、弱音をはけないだろう。そして電車は甲府、韮崎を過ぎ、車窓には白銀に輝く甲斐駒がその堂々たる雄姿を見せている。

 雪景色の中を電車は早いもので、やがて上諏訪に到着し、一同ザックを背に降り立ち、一駅先の下諏訪へと向かう。下諏訪に降り立つと既に今日のお宿山本小屋の送迎車が待機しており、それに分散して乗り込む。運転手に聞くと何でもこの下諏訪からは、約、42名の宿泊客が美ヶ原目指し乗り込んだとのことだ。下諏訪の町を離れ長い新和田隧道を抜けると誠に情緒豊かなる宿場の面影を残す和田村に出た。ここら辺りから木々に積もった雪も多くなり、一団とメルフェンの世界へと送迎車はいざなってくれる。運転手に美ヶ原の積雪状況を聞くと今年は例年に無く雪が少ないとのことだ。東京では寒波襲来で、雪も降り日々寒い日が続いているので、さぞかし美ヶ原も相当な積雪量だと思ったら実に以外であった。そして次第に高度を増し山間部に入るともう、木々は綿帽子をかぶり実に美しい白銀の世界へと一変する。 (^o^)

 それにしても雪道を歩くこと無く、こうして下諏訪の駅から雪上のお宿まで、バスで運んでくれるのだから誠に有りがたく感謝しなければならないだろう。そんなバスもやがて出発してから50分、宿泊先である山本小屋へ到着した。バスから降りるととても外気が冷たく雪山へ来たという実感がし、この大いなる雪原を見ただけで心が躍動する。何とポンタという今年1才になる山本小屋で飼育されているワンチャンが「オー、ヨクキタ。ヨクキタ」と尾をはち切れそうに降りながら我らを歓迎してくれた。そして玄関を入り4部屋に別れそれぞれザックを置き昼食を採るため食堂に行き、各自山菜蕎麦や天麩羅うどんを注文しそれを食べてから、玄関先でスノーシュを履きこれからイヨイヨ、美ヶ原SnowTrekking遊歩の開始だ。

 RooNavのO,Aさんを先頭にBlinderの北区のS,Mさん、O,SさんをそれぞれCowbellをLeadSupporterが鳴らし誘導しながら一列縦隊で、王ヶ頭を目指し雪道を進み行く。そして15分ぐらい歩いた所に雪原で迷わないようにと目印として、鉄平石で出来た高さ6mの美ヶ原のsymbolである「美しの塔」が建っており、そこで一同ハイポーズとばかり写真を撮る。そんな小休止をした後、雪道から離れ、トレースが無い斜面を下り、更にその斜面をトラバースしながら登り行く。ここら辺りは踏まれていない雪面を歩くこととなり、当にSnowTrekkingの醍醐味とも言える場所だ。遠望すれば微かに白く輝く北アルプスの山並みが見える。そして風に吹かれ雪のダイヤモンドダストがキラキラと舞っている当に幻想的な白銀の世界だ。

 深く積もった雪面を和美が先頭で、ラッセルしていたが、疲れた様子なので、今度は私がラッセルを代わり、スノーシュを踏みしめ斜面を登って行く。後ろを振り返ると他の方々は傾斜のあるの雪面で大分苦労しているようだ。そんな雪面の登もやがて終わりとなり、柵で囲った雪道に出た。その柵を潜り今度はTraceのある雪道を歩く。すると下方から大きなキャタピラを着けた雪上車が、この先にある王ヶ頭ホテルに宿泊するお客を乗せ次々に3台も通過して行くではないか。その度に私達はその雪上車を避けるために雪道の端に寄るのだが、その端は雪がこんもりとして積もっており、誠に足場が悪く、何だか阻害されたようで気持が滅入る。

 そんなキャタピラで踏み固められた雪道を暫く歩いて行くと左側に黒々とした建物の王ヶ頭ホテルと電波塔が見えてきた。王ヶ頭ホテルの軒からは大きなツララが何本も垂れ下がり、ここが美ヶ原の山頂だけにその寒さの厳しさを感じさせられる光景だ。王ヶ頭ホテルを過ぎ程なく巨岩に刻まれた「王ヶ頭」の標識がある地点に到達した。ここでデジカメで記念写真を撮り、寒いので早々に雪道を辿り山本小屋へ歩を進めた。午後4時を過ぎると吹く風はとても冷たく肌を刺すようだ。途中登ってきたときのラッセルをした斜面を眺めるとその斜度の高さに改めて驚いてしまった。チンチンチンとCowbellを鳴らし、北区のS,Mさんを誘導して雪道を下って行く。やがて後方との間隔が開きながら私達の班はいの一番に山本小屋へ到達した。

山本小屋の玄関先でスノーシューを外し、部屋に戻るなり北区のS,Mさんと共に風呂場へと向かう。円形の浴槽には、既に先客が気持ちよさそうに入浴しており、私達も冷えた身体を温めるため浴槽に入る。温泉では無いのが少々残念だが、熱めのお湯はジーンと冷えた身体が温まり誠に気持ちが良い。そんな一浴をしてから、部屋へ戻り湯上がりに缶ビールのプルトップを開きゴクゴクゴクと飲み干す。喉ごしの冷えたビールが実に美味しい。それと持参した住吉の銘酒もチビチビと飲んでいたら、夕食Thymeとなったので、食堂へ行く。担当者のO,Aさんのご挨拶と乾杯の音頭で、楽しく夕餉の宴が始まり、テーぐるに並べられた料理の数々に箸を付け瓶ビールをまたまた飲む。  ウーン、当に至福のひと時だ。 (^_^)

 そんな楽しい夕食宴会もビールと色々な料理で、すっかり満腹となったので、お開きにして部屋に戻り、住吉、貴清水の銘酒で、一同、改めて乾杯となりそれぞれ自己紹介をし、多いに座臥盛り上がる。そんな楽しいひと時もすっかりと銘酒が無くなったので、それを契機に終わりとし、各自部屋に戻り眠りに着いた。


 1月29日(日)

 《行 程》

 朝食後(8:40〜10:30・)牛伏山SnowTrekking
山本小屋(昼食12:00〜13:00・13:30発)=送迎車⇒下諏訪神社参拝(12:30〜15:00)=徒歩⇒■下諏訪{15:34発中央本線(東日本)(上諏訪行)}⇒○上諏訪
{15:39着・15:44発あずさ24号 }⇒■新宿
(18:06着)  ハイ、オツカレサン。・・・!!!   (^^)

 ≪遊歩記≫

 早朝5時40分に起床し、一人で朝風呂へ行く。誰もいない風呂場を独占して湯ったりと風呂に入る。まだ眠っていた五体の細胞が、熱い湯で目覚めてくるようだ。それから朝食を済ませ一同、スノーシューを履き、8時40分、SnowTrekkingの開始となる。今日は山本小屋の右前方の牛伏山というピークを目指しての雪上行軍だ。また、昨日と同じく私はCowbellを鳴らし北区のS,Mさんを誘導しながら、誰も歩いていない深い雪面をザックザックと歩を進める。北区のS,Mさんを見れば全く一人でそんな深い雪面を実に楽しそうに歩いているではないか。普段の山行にしても市街を歩く時でもSupporterの援助を受けながら歩いているので、今この雪面を全く一人で歩いているというこの喜びで、きっと感激し雪と戯れながら童心に返り胸を張り歩いているのであろう。

 この美ヶ原の大雪原に我ら10名だけが、自然と一体になって歩いている。「イヤー、健康って素晴らしいな。・・・!!!」太陽はサンサンと照り輝きしっかりと歩いているので、少しも寒くなく背中が汗ばんでくるようだ。静寂なる大雪原にチンチンカラからとCowbellの音が響き渡る。みんなきっと童心に返り、歩いているのであろう。そんな雪原の中を徐々に高度を増しやがて牛伏山の山頂に到達した。雪の上にひょっこりと顔を出している三角点に触れた北区のS,Mさんの顔も綻びを見せている。彼もこんな雪山を歩いたのは、もう、大分前になるが、私達と5月の北アルプスの立山三山を歩いたとき以来であろう。そんな牛伏山の山頂を後にして、トレースの着いた雪道を淡々と歩を進めやがて山本小屋へ到着した。これで二日間に亘ったSnowTrekkingも終わりである。

 風呂に入り着替を済ませサッパリとしてから、缶ビールを飲んで渇いた喉を潤す。「それにしてもいつも良くビールを飲んでイルモンヤネー。」そして昼食には一同、ラーメンを食べる。このラーメンの味に何故か調布のS,Mさんが、「昔の支那そばのような味で実に美味しいね。」と言いながら感激し懐古の思いで食べている。それにしても「支那そば」とは、ウーーン、実に懐かしい名前だ。そんな昼食を採った後、イヨイヨ、美ヶ原ともお別れとなり、小屋の送迎車で下山となる。その途中諏訪大社で送迎車を降りて、諏訪大社に詣でる。その大社の両脇には、太くて高い御柱が、奉納されている。その御柱に触ってみると実にスベスベとしていた

 こうして楽しかった美ヶ原SnowTrekking遊歩も色々な思い出を胸に刻み無事に終了したのであった。

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〜〜「オシマイ」〜〜



《参考文献》

  美ヶ原

 標高 王ヶ頭2034.34 m
所在地 長野県松本市・上田市・
    小県郡長和町
 位置 北緯  36度13分32.8685秒
    東経  138度6分26.7915秒
 種類 火山

 美ヶ原(うつくしがはら)は、八ヶ岳中信高原国定公園北西部にあり、長野県松本市、上田市、小県郡長和町にまたがる高原。日本百名山の一つ。

概要

 フォッサマグナ西縁近くに噴出した第四紀の火山である。
かつては楯状火山とその溶岩台地と考えられてきたが、現在は安山岩質の組成を持つ火山の浸食地形と解釈されるようになった。最高峰は、王ヶ頭(2,034m)。他に、王ヶ鼻(2,008m)、茶臼山(2,006m)、牛伏山(1,990m)、鹿伏山(1,977m)、武石峰(1,973m)といったピークがある。山頂付近は平坦な台地状の地形で、美ヶ原牧場と呼ばれる牛の放牧地となっている。
長野県のほぼ中央に位置し、県内の広範囲を見渡す事ができる。 この事から、長野県の放送局(NHK、SBC、NBS、TSB、abn、FM長野)の送信所のほか、NTT、国土交通省、長野県防災行政無線、などの中継所、中部電力のマイクロ波反射板などが建てられており、放送・通信の要衝となっている。

歴史

 古来、松本周辺の人々によって東山または王ヶ鼻と呼称されてきた。美ヶ原という呼称が定着したのは、1921年(大正10年)に木暮理太郎が、日本山岳会の会報『山岳』に登山の記録を載せてからである。
山頂付近は、平安時代より放牧地として利用されてきた。江戸時代には、御嶽山が展望できることから、御嶽教の山岳信仰の山ともなった。王が鼻に並ぶ神像群はいずれも御嶽山の方角を向いており、御嶽教の信仰の対象である。
1909年(明治42年) - 美ヶ原牧場が開かれ、本格的な牧場として利用が始まった。
1930年(昭和5年) - 頂上に山本小屋が開業し、多くの登山者が訪れるようになった。
1954年(昭和29年) - 美ヶ原のシンボルとなっている「美しの塔」が、遭難防止のための道標および避難所として建設された。
1957年(昭和32年) - 山頂までの林道が開通し、頂上付近までバスが運行されNHKとSBCのアンテナが王ヶ頭に建設された。
1981年(昭和56年) - ビーナスラインが開通し美ヶ原高原美術館が開館して、車で手軽に行ける観光地となった。

観光

 高原散策(美ヶ原自然保護センター-王ヶ頭-塩くれ場-高原美術館)
散策路は、高原上の牧場の中を通る未舗装の車道であるが、一般車の通行は規制されている。徒歩2時間程度のコースである。初夏のレンゲツツジ、晩夏のマツムシソウを代表として、様々な種類の花が6〜9月頃には沿道に咲きみだれる。

美しの塔

 美ヶ原高原にある塔。1954年(昭和29年)に霧鐘塔(霧で視界が悪い時に登山者のために鳴らす鐘の塔)として建てられた。現在の塔は1984年(昭和59年)に再建されたもので、高原のシンボルとなっている。美ヶ原産の鉄平石でできた高さ6メートルの塔で中は避難場所となっている。塔には尾崎喜八の詩集『高原詩抄』に掲載された詩「美ヶ原溶岩台地」が刻まれている。毎年4月25日に塔の前で開山祭が行われる。

美ヶ原高原美術館

 美ヶ原温泉は、美ヶ原山麓の平地(松本市里山辺)にある温泉である。

 美ヶ原にある各種電波塔

 松本市と上田市の境界に長野県内を放送範囲とする放送局の送信所が設置されている。標高が2,000m超と非常に高いところにあるため他県まで電波が届きやすい特徴があり、愛知県や三重県、そして関東地方の一部地域、富士山五合目でも受信できるという報告もある。
当初は信越放送が日本のテレビ局としては北海道放送(HBC)の札幌本局が手稲山に設置したのに続いてに続いて山頂設置(マウンテン・トップ方式)により開局。これに他局も追従することで全社局の送信所がここに揃った。


 諏訪大社

所在地 上社本宮:長野県諏訪市中洲宮山1
    上社前宮:長野県茅野市宮川2030
    下社春宮:長野県諏訪郡下諏訪町193
    下社秋宮:長野県諏訪郡下諏訪町5828
位置  上社本宮北緯35度59分54秒東経138度07分10秒
    上社前宮北緯35度59分28秒東経138度08分00秒
    下社春宮北緯36度04分56秒東経138度04分56秒
    下社秋宮北緯36度04分32秒東経138度05分28秒
主祭神 上社:建御名方命・八坂刀売命
    下社:建御名方命・八坂刀売命・八重事代主神
社格等 名神大社・一宮・正一位・官幣大社・別表神社

 諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県の諏訪湖の周辺に4箇所の境内地をもつ神社。信濃国一宮で名神大社。神位は正一位。全国各地にある諏訪神社の本社である。その起源は定かではなく、国内にある最も古い神社の一つとされている。

概要

 平安時代 - 江戸時代を通じ上社では諏訪氏が、下社では金刺氏が大祝を務めた。末社は2万5000社に及び神社本庁別表神社として宗教法人諏訪神社によって運営されている。通称、「諏訪さま」、「諏訪大明神」等とも呼ばれる。延喜式において古代においては神社の中の最高位である名神大社とされていた。1871年(明治4年)に国幣中社、1896年(明治29年)に官幣中社となり、1916年(大正5年)に官幣大社となって、1948年(昭和23年)に諏訪大社の号が用いられるようになった。現在、氏子・崇敬者の総人口は日本国内に10万人〜50万人、国外に数百人いるといわれている。

 諏訪湖の南側に上社(かみしゃ)本宮・前宮の2宮、北側に下社(しもしゃ)春宮・秋宮の2宮があり、計4つの宮から成る。社殿の四隅に御柱(おんばしら)と呼ぶ木の柱が立っているほか社殿の配置にも独特の形を備えている。この御柱であるが、それ以前のミシャグチ信仰の石柱との関連性があるという説が有力である。神長官守矢によると御柱はミシャグチを降ろす依り代であるとの事。また富士見町の御射山(みさやま)や松本市の三才山(みさやま)などの地名は、このミシャグチ信仰が地名として残ったものとも言われている。

 別名を南宮とも言い、諏訪大社、南宮大社、敢国神社の3社は何らかの関係がある様で、諏訪大社を本山、南宮大社を中の宮、敢国神社を稚(おさな)き児の宮と呼ぶという。
『梁塵秘抄』に「関より東の軍神、鹿島、香取、諏訪の宮」と謡われている通り、軍神としても崇拝され、坂上田村麻呂の蝦夷征伐の際に戦勝祈願をしたとされる。また、中世に狩猟神事を執り行っていたことから、狩猟、漁業の守護祈願でも知られる。[1]

祭神

上社  建御名方命(たけみなかたのみこと)
   八坂刀売命(やさかとめのみこと)

下社 上社の2柱の他に
   御兄八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)

 本来の祭神は出雲系の建御名方ではなくミシャグチ神、蛇神ソソウ神、狩猟の神チカト神、石木の神モレヤ神などの諏訪地方の土着の神々であるとされる。現在は神性が習合・混同されているため全てミシャグチか建御名方として扱われる事が多く、区別されることは非常に稀である。神事や祭祀は今尚その殆どが土着信仰に関わるものであるとされる。
記紀神話が伝えるところでは、天照大神の孫、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨に先立ち、武甕槌命(たけみかづちのみこと)が、出雲を支配していた大国主命に国譲り、つまり出雲王朝の支配権を譲渡するように迫ったという。これに対して、大国主の次男である建御名方命が、国譲りに反対し、武甕槌命と相撲をしたが負けてしまった。そこで建御名方命は諏訪まで逃れ、その地で王国を築いたという。諏訪大社の起源は、この神話にあるといわれている。
八幡や住吉など他の信仰にも見られるように個々の祭神が意識される事は少なく、纏めて「諏訪大明神」として扱われる事が殆どで他に「お諏訪様」、「諏訪大神」などと呼ばれている。

社格

 延喜式神名帳 名神大 南方刀美神社(みなかたとみのかみのやしろ)
 信濃国一の宮
 国幣中社(明治4年)
 官幣中社(明治29年)
 官幣大社(大正5年)
 神社本庁別表神社

  社殿・宮

上社
前宮(まえみや):長野県茅野市宮川
本宮(ほんみや):長野県諏訪市中洲宮山

下社
春宮(はるみや):長野県諏訪郡下諏訪町下ノ原
秋宮(あきみや):長野県諏訪郡下諏訪町武居

前宮

諏訪明神の信仰の原点といわれる。宮のみあるが、現在神体は祭られていない。御頭祭(後述)において、十間廊が使用される。