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9月定例山行 三斗小屋温泉と那須岳


  Circle≪ゆ〜ぽぴあ≫・遊歩記

            第209回遊歩
〜ぶらり東京Walk〜落語鑑賞と東京スカイツリー散策・・・ !!!








  遊歩日:  2013年3月24日(日)
  遊歩先:  上野鈴本演芸場、上野公園、東京スカイツリーほか
  天 候:  晴
  参加者:  13名

<行 程>
上野駅(9:15発) ⇒ 鈴本演芸場(10:00〜11:30・落語鑑賞)⇒ 上野公園(11:30〜13:00・昼食と散策)⇒ 浅草へ 墨田公園休憩 (13:00〜15:00) ⇒東京スカイツリー(15:00頃)東京ソラマチ4Fスカイアリーナで解散 ※解散後各自で施設を見学して下さい。

 夕食宴会やる気茶屋(16:00〜)
  ※最寄りの駅 とうきょうスカイツリー駅(東武伊勢崎線)
押上(スカイツリー前)駅(都営浅草線、東京メトロ半蔵門線、京成押上線)


 ≪遊歩記≫

 東京では桜の開花宣言が、3月16日になされその1週間後今日、24日が当に桜花爛漫桜花が満開となり、今日が実質上の「お花見遊歩2013」となってしまった感がある「ぶらり東京Walk」落語鑑賞と上野公園&浅草・東京スカイツリー遊歩だ。早朝は少々寒かったが、時間が経つにつれ温かくなり、寒さも余り感じなくなった。この上野鈴本演芸場の若手落語家の鑑賞遊歩は、今回が第2回目で、地元の鴬谷S,Mさんの企画による楽しい遊歩だ。参加者13名が、鈴本演芸場の前で、恒例の声出しをし、RooNav担当の鴬谷のS,Mさんから今日のコース説明がなされそれぞれPairとなって鈴本演芸場に500円の木戸銭を払って入場する。

 時間が経つにつれ285席の座席はほぼ満席となり、開演ベルが鳴り、お囃子がスケテンスケテンテン、ピーシャラピーシャラと威勢良く鳴り響き一番目の落語家柳家麟太郎が登場した。続いて三升家う勝、桂三木男そして今日のトリである、林家さん歩の丁度お花見の時期に宜しく「花見の仇討ち」の熱演がなされ場内は爆笑する観客の和やかなる雰囲気の熱気に溢れていた。

 そんな若手落語家の熱演を聴き、我らご一行様、上野公園へ歩を進めた。上野公園の入口に入ると数多くの出店が立ち並びプーンと良い匂いが漂ってきて、食欲が多いに刺激された。園内を歩いて行くのだが、お目当ての桜が余りなく、これなら我が地元の井の頭公園の方が池に垂れ下がった桜の木々も多く見応え有ると内心思っていたのだが、園内を奥の方へ歩いて行くとお目当ての桜の木々も多くなり、それが見事だったのは不忍池を左右に分けた歩道の両側から桜並木となっており、まるで桜のアーチを潜って行くような感じで、さすがは江戸時代から桜のお花見の名所として知られる上野のお山だけはあると感嘆してしまった。

 そんな桜並木を過ぎ六角の弁天堂を右に見て、一端道路に出てから、また、小高くなっている所へ行きその空いているスペースにレジャーシートを敷き昼食Thymeを採ることとした。すると北区のS,Mさんからまたまた、秋田の銘酒「山田錦」そしてRooNav担当S,Mさんからも銘酒の提供が有り、すっかりとお花見モードとなった。上を見れば青空にピンクの桜花が、満開で、私達ご一行を「ヨクキタね。サア、私達桜花の精気を吸い取り元気で過ごしてチョウダイマセマセ。」と言っているようなそんな桜花爛漫の光景だ。

 本当ならもっとこの場所で、お花見をしたいのだが、まだまだこれからの予定があるので、昼食Thymeもほどほどに切り上げ次の目的地浅草へと歩を進めることとした。途中の道路は、RooNav担当のS,Mさんが、選んで歩いているのかそんなに車も通らず快適なる当に「ぶらり東京Walk」である。そんな空いている道を40分も歩いただろうか。やがて賑わいを見せている浅草寺の境内へと入る。そして浅草寺で頭を垂れ健康祈願をする。しかし、浅草寺境内の人混みはさほどでも無く、おそらく今日は皆さん、上野公園や隅田川沿いのお花見に行ってしまって、こちらには余り人が立ち寄っていないため意外と空いているのであろう。参拝を済ませ「三社祭」で使用する三体の大御神輿を見てから、今回の目玉、東京スカイツリーへ行くこととした。

 RooNav担当のS,Mさんの的確なる指示に従い賑わいを見せている隅田川岸へ到着した。その前方には蕩々と流れる隅田川の対岸にあの634mの東京スカイツリーが真っ直ぐに天に向かい屹立しているではないか。この桜、隅田川そしてスカイツリーこれら3者一体となった光景は当に圧巻としか言えない超spectacleの眺望だ。今が真っ盛りの桜並木の下では、それぞれ大勢の方が、のんびりと桜を愛でてお花見をしている。「イヤー、日本って本当に良いところだなあ〜。」と痛感する。しかし、2年前の3月11日に襲った東日本大震災の国難で、人々はお花見処ではなく行く末が不安で一杯だったことを思うと今日のこの平和なるお花見の賑わいがまるで夢のようだ。

 隅田川沿いの桜並木を眺めながら、隅田川にかかる吾妻橋を渡り、これから東京スカイツリーの直ぐ傍まで行く。そしてスカイツリーの広場からエスカレーターを3回乗り継ぎ何と出ました。東京スカイツリーの直下へ。ドーント天に向かって一直線に伸びている日本の技術の粋を集めて作られた東京スカイツリー、見上げると首が痛くなるほどの高さに改めて感激大である。そしてここで一端、解散となり、散策組の4名と別れまだ宴会には少々時間があるため「そら街」を見学して歩くのだが、その観光客の多さに圧倒されてしまった。

 そして頃はよしと今日の宴会会場スカイツリーの傍にある「やる気茶屋」へ9名が席に着き今日のhero、RooNav担当の鴬谷のS,Mさんの乾杯の音頭で、冷えたビールを一気に飲み干す。「ゴクゴクゴク、ヒャ、ウンメイ。」上野公園から結構歩いてきたため喉がスッカリ渇いていたので、その冷えたビールの喉ごしの美味いこと。美味いこと。当に至福のひと時だ。

 今日は思いがけずにお花見遊歩となり、お花見の名所、「上野公園」、「隅田川沿い」と今人気の「東京スカイツリー」の「ぶらり東京Walk」が出来、充実した早春の一日であった。

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  〜〜≪オシマイ≫〜〜
 

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《参考文献》
 


*上野鈴本演芸場

 寄席の歴史は古く150年程前に遡ること安政四年(1857年)に上野広小路に「軍談席本牧亭」という講釈場を始めたのが最初です。その後幾多の歴史を経て現在に至っています。
2003年には火災という悲劇がありましたが翌2004年に開館することができました。リニューアルされた場内は広く、客席は285席あり近代的な作りとなりました。
ここでは定番寄席のほかに毎週日曜日に早朝寄席が行われます。演者は真打を目指す二つ目さん達によるものですが十分落語を楽しむことができます。
1時間30分の4席で木戸銭500円はお得です。可笑しかったら大いに笑い、二つ目さん達の勉強の場を盛りたてましょう。
3月24日の予定演者は、柳家麟太郎、三升家う勝、桂三木男、林家さん歩 です。

*上野公園

「上野の森」、「上野の山」とも呼ばれています。総面積は約53万uです。桜が有名ですが、公園内には博物館、動物園等の文化施設や歴史的建築物、旧跡があります。
今回は上野東照宮、清水観音堂あたりを訪ねてみたいと思います。

*東京スカイツリー

東京スカイツリーの建設目的は東京タワーが位置する都心部では超高層建築物が林立し、その影となる部分に電波が届きにくくなる問題を低減するほかにワンセグやマルチメディア放送といった携帯機器向けの放送を快適に視聴できるようにすることも建設目的のひとつとされた[1][2]。

事業主体は東武鉄道が筆頭株主となる「東武タワースカイツリー株式会社」であり、事業費は約500億円とした。このために、同社は500億円のユーロ債のCBを発行して資金調達を行っている。建設費は約400億円。総事業費は約650億円。施工は大林組、設計は日建設計である。テレビ局からの賃貸料および観光客からの入場料などで収益を得る見込みである。

東京都墨田区に所在する東武伊勢崎線・東京地下鉄半蔵門線・京成押上線・都営地下鉄浅草線の押上駅(2012年5月22日より「押上(スカイツリー前)」)と東武伊勢崎線のとうきょうスカイツリー駅(旧業平橋駅)の間に挟まれる、東武鉄道の本社隣接地で所有地でもある貨物駅(のちの業平橋駅3、4、5番線ホーム)跡地に建設された。当地区は航空法上、東京国際空港(羽田空港)の制限表面の外側水平表面が被さる地域であるため空港標点の海抜295mまでの建造物しか建てられなかったが2005年4月28日に高さ規制区域が見直されて建設可能となった[3][4]。

2008年7月14日に着工され、3年半の期間をかけて2012年2月29日に竣工した[5]。2012年5月22日に展望台として開業し[6]、2011年12月から2013年5月にかけて放送局の試験放送ならびに本放送を実施する計画である。

東京タワーの建造時(1957 - 1958年)に比べ、鋼材の品質や溶接技術・各種構造計算(シミュレーション)などの設計技術・基礎部の特殊な工法が大きく進歩したことにより、東京タワーの建築面積を大きく下回る面積ながらこの高さの自立式鉄塔の建設が可能となった。また、全体の主要接合部が溶接により建設されているが、鋼管同士を直接溶接接合する分岐継手を採用し、軽量化と耐震性を増している。主要鋼材はH鋼ではなく鋼管が使用された。構造が鉄骨造としては稀に見る複雑さであり、各部材に要求される寸法等の精度も一般建築物とは桁違いであるため、鉄骨部材を作成する工場のうち国内のレベルの高い工場の多くは、一時的にスカイツリーの部材製作で繁忙を極める状態となった。その他、溶接作業の一部には手作業による職人技が寄与している部位も多分にある。

2006年5月に第一生命経済研究所が出した予測[7]によると開業から1年で300万人が訪れると仮定、経済効果を473億円と試算している。また2008年1月公表の墨田区「新タワーによる地域活性化等調査報告書」では東京スカイツリーへの来場者を年間552.4万人、東京スカイツリーに併設される商業施設などを含めた開発街区全体での来場者数を年間2,907.9万人と試算している[8]。