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Circle ≪ゆ〜ぽぴあ・遊歩記≫


         第86回遊歩

《温泉三昧遊歩・ ツツジ咲く新緑の塩原高原を散策し露天風に入ろう










  遊歩日:   2009年5月24日(日)〜25日(月) 1泊2日
  遊歩先:   那須塩原温泉周辺(妙雲寺の牡丹見学・文学の森散策・大沼公園)
  温 泉:   塩原温泉 日本秘湯を守る会 「渓雲閣」
  天 候:   二日間とも晴天
  参加者:   5名

 《行 程》

 5月24日(日)
 新宿駅新南口バスターミナル(10:00発)=JR高速バスもみじ1号⇒塩原温泉BT(13:35着・昼食)⇒妙雲寺牡丹園見学⇒文学の森散策⇒塩原温泉BT=送迎バス10分⇒渓雲閣(外湯巡り) 宿泊

 5月25日(月)
 渓雲閣(8:40発)⇒新湯富士(9:35)⇒車道(10:30)⇒大沼畔(10:50)⇒小太郎渕(12:10)⇒ソバ屋13:00(・昼食休憩)⇒塩原温泉BT(14:00発)=JR高速バス⇒新宿駅新南口バスターミナル(17:10着) 
はいオツカレサンでした。 (^_^)

 ≪遊歩記≫

 5月24日(日)

 今回の「塩原温泉遊歩」は、8名のyuupolerが当初参加を申し込んでいたのだが、諸事情により、3名の方々が、キャンセルとなってしまった。結果、今まで実施した宿泊遊歩の中で、一番参加者が少なく5名となった。A,Hさん、A,Nさんのご夫妻、S,Mさん、それに私達二人だ。その5名のyuupolerが新宿駅に勢揃いをし、「JRバス関東」の高速バスに乗り込む。この高速バスは、毎日1便、新宿駅新南口バスターミナルから塩原温泉まで往復をしている。この高速バスを利用すれば交通費も通常運賃、往復6000円で、更に障割を使用すれば何と往復3000円で行かれお財布にも優しくまた、それに時間的にも3時間少々で直接塩原温泉まで快適に行くことが出来こんな便利で格安なことはない。

 車内は空席も目立ち乗客も精々20名ぐらいであろうか。私はS,Mさんと二人で席に着き早速冷えた缶ビールの栓を抜き、定番のチクワのおつまみを食べながら談笑する。今日は心配された天気も全く杞憂となり、絶好の遊歩日和である。バスはもう一つの乗車ターミナル王子駅で数名の乗客を乗せやがて高速道路へ出て、五月晴れの下、エンジン音も軽やかに快適に塩原温泉目指し走り行く。S,Mさんと5月10日に開催されたCircle《ゆ〜ぽぴあ》5周年記念祝賀会のことなどを話ながら、いつの間にか3本目の缶ビールの栓を抜いていた。 (^^;)

 そんなS,Mさんを見てやれば、缶ビールをグイグイと飲んだためか。生理的現象を来たし、膀胱が満タンになったようで、どことなく辛そうである。すると「程なくトイレ休憩のためサービスステーションで10分間の休憩をします。」と運転手から車内放送がある。グッとタイミングとばかり、S,Mさんの顔がほころび、いそいそと私達は下車し、トイレに行く。五月晴れの下、吹く風は実にさわやかでトイレに行きサッパリとした後だけに余計、清々しく気持がよい。

 そんなトイレ休憩を済ませバスは高速道路を順調に走り抜けやがてインターから一般道路へと出て、これより山路へ向かい新緑が眼に鮮やかな狭い道路を走り行く。やがてバスは塩原温泉郷にはいり、眼下には箒川の渓流が望める。この塩原温泉郷は、栃木県北部の活火山高原山の麓、 那須塩原市(旧国下野国)にある温泉のうち、旧塩原町町内の箒川沿いを中心とした11の温泉の総称(温泉郷)。東北新幹線那須塩原駅から国道400号を渓谷沿いに上ってゆくと、次々に温泉が湧出している。1200年以上の歴史を持つ古い温泉郷である。古くから塩原十一湯と呼ばれ、この呼称は現在も用いられている。また1918年に田山花袋が出版した『温泉めぐり』において、塩原十一湯を温泉郷と評した。これが複数の温泉の総称として温泉郷という表現を用いた最初の事例であるとされている。

 そんな旅館、ホテルが建ち並ぶ塩原温泉郷を走り抜けやがてバスは終点に13時10分と定時よりも20分も早く到着した。そして今、牡丹の花が満開の妙雲寺へと足を向ける。妙雲寺の境内は広々とした丘陵となっている。所々に墓石があり、そんな路傍に牡丹が大輪をつけ赤、黄色、青等々と鮮やかに咲いている。そんな牡丹の花を観賞し、「百観音巡り」の看板が立っていたので、順路に従い斜面を登って行く。そんな路傍には小さな観音様が安置されていた。結構な斜面を汗をかきかき上り詰めるとそこには一段と大きな観音様が安置されており、言わば今までの小さな観音様の総元締めとばかり、慈悲深いご尊顔で立っていた。そんな観音様の前にて、昼食タイムとばかり持参したオニギリを頬張る

 そんな昼食タイムを採った後、箒川の畔を散策をしていたらカジカガエルがとても甲高い声でケロケロケロリンと鳴いていた。カジカガエルの鳴き声は、実に郷愁を誘う癒しの声で思わずみんな立ち止まりその鳴き声に聴き惚れる。そしてバス停に戻りマイクロバスで、今日のお宿日本秘湯を守る会「渓雲閣」に到着した。部屋は年期が入っていそうな古さを感じさせ、10畳はあるだろうか。それなりの落ち着いた部屋である。早速男性諸氏は、宿の外にある「ムジナの湯」という共同浴場へと タオルを肩に出かけた。宿の裏から階段を下り少し一般の細い道を歩いて行くと湯小屋というような建物があり、そこが「ムジナの湯」の共同浴場だ。

 その狭い浴室に入ると先客が3人押し黙って白濁した温泉に浸かっていた。私達もその温泉に入ったのだが、その温度が熱く思わず足を引っ込めてしまった。その先客に断り、蛇口を捻り水を出し少し温度を下げたが、少しぐらいの加水ではその熱さは余り変わらなかった。余り温度を下げてしまうと共同浴場だけに温泉通に怒られてしまうのでジッと我慢の子で、その熱い風呂に入っていた。その熱い温泉を早々に退散し、改めて渓雲閣の展望風呂になっている内風呂へ入り、「言い湯だな。」とばかりやっと一息ついた。

 湯上がりには、男性3人だけの冷えた缶ビールで乾杯だ。「ゴクゴクゴクゴク」その冷えたビールが一息に五臓六腑を駆け巡る。「イヤー実に美味い。」少し歩いて温泉に入り、こうしてビールを飲むこれぞ極楽、極楽・・・!!!  (^_^)
そう言えば私もS,Mさんも去年は本当に凶運の年であったことを今更ながら思い出し二人で苦笑してしまった。そんな缶ビールを飲んでいたらやがて本番の夕食タイムとなり、一同、食事処へ行くこととした。

 お膳には山菜の天麩羅、鮎の塩焼き、鍋物、蒸し物、お刺身等々が並べてあり、ご馳走のオンパレードだ。生ビールで乾杯をし、それぞれのご馳走に箸をつける。特に旬の山菜の天麩羅が実に美味しく苦みのある山菜に舌鼓を打つ。S,Mさんには、中井の女性が特に面倒を見てくれかいがいしく世話をやいている。実に気持ちの良い中居さんだ。食事も総であるがそんな人の情け有る接待は何時までも旅の印象として心に残るものである。

 食事前に既にビールを飲んでいたため更に生ビール、ワインと飲んだらすっかりと良い気持ちになってしまい出来たてのホヤホヤ「ゆ〜ぽぴあの歌」を文句を思い出しながら大声で歌いそんな食べ口楽のひと時を過ごし部屋に戻るなり、A,Hさんと私は既に敷いてあるふとんの上に横になりテレビを見る。S,Mさんはまだ飲み足りなそうだったので、手酌で飲んでとばかり4合瓶を手渡す。そんなS,Mさんは、実に美味しそうに「澤之井」をコップに注ぎタバコを吸いながら美味しそうに飲んでいる。改めて彼の胃腸の上部なのに驚嘆してしまった。

 そして一時寝てからムックリと起き上がり、一人でタオルを肩に浴室へ向かい誰もいない浴槽にザブーンとばかりノウノウと手足を伸ばし小一時間、温泉三昧とばかり湯ったりと温泉に入り、部屋に戻り缶酎ハイを飲んで床に着いた。

 5月25日(月)

 早朝6時に起床し、3人で温泉に行きサッパリしたところで、缶ビールの栓を抜き身体に適度の水分を与え今日の山歩きに備える。やがて朝食の時間となり、食事処へ行き愛想の良い中居産と挨拶を交わし、しっかりとご飯を食べ仕度を調え8時40分、渓雲閣を後にして、S,Mさんさんを後ろに従えイザ、出発だ。硫黄臭の立ちこめる温泉場を抜けハイキングコースの入口へと向かう。途中、温泉神社で参拝を済ませ緩やかな山路を登って行く。途中の斜面は硫黄のためであろうか。真っ白くなっており、改めて硫黄の温泉場であることを知らされる。

 ウグイスが「ホーホケキョ」とばかりに私達に挨拶をしている。そうしたら春ゼミが「ジージージー」とばかりにうるさく自分たちを誇示するがの如く鳴いている。春の山はそんな野鳥や虫の大合唱で、路傍にはニリンソウ、タチツボスミレ等々の山野草が咲き私達ハイカーを楽しませてくれる。S,Mさんは、このぐらいの傾斜であればそんなに辛そうでなく独特のスタイルで私の後ろから歩を進めついてくる。きっと山道を歩くことが出来る喜びを身体で感じ歩いているのであろう。そして一汗かいたところで「新湯富士」の山頂に到着した。ここで人休憩をする。

 人休憩をした後、快適に歩を進めて行くが、やがて急な石谷根っこが張っている急な下りとなり、S,Mさんもそんな下りは辛そうで、必死になって私の後ろから少し息を弾ませ着いてくる。前を見ればA,Nさんが背をかがめ真剣に和美に遅れてはならじとばかり時々転んだりしながら歩いている。思ったよりそんな急な下りの難所だ。そんな私達を励ますように春ゼミが相変わらず「ジージージージーージジイ、ババア」とばかりに鳴いている。そしてそんな辛い下りもやがて終わりとなり、今度は快適な登山道で、ドンドンと下って行くことが出来た。

それから程なく広々としたロケーションの良い葦が繁る大沼に出て、そこで一本立てての休憩を済ませややピッチを早め整備された山道を下って行く。そしてゴールの目的地「渓流が流れる小太郎渕」に到着した。ここで休憩を採り名物の小太郎餅を食べて更に渓流沿いに歩を進め10分も歩いただろうか。長かった参道も終わり車道に到着した。予定では「湯っぽの里」に立ち寄ることになっていたのだが、時間の関係でカットし塩原温泉街のソバ屋で昼食を採ることとした。そのソバ屋であるが、何とものんびりをしており、席に着いてから大分時間が経っているのだが、その肝心なるソバが一向に出てくる気配がないため、高速バス発車時間の2時に間に合うか心配になってきた。

 そこで事情を話し早くソバを出してくれるように頼んだらやっと済まなそうにソバが出て来た。そのソバの味はまずまずだったので、由とするがこれがまずかったらもう、文句の一つも出ていたところである。そんな私達の事情を知り、ソバを出すのが遅れて済まなかったという気持からであろうか。バス停までソバ屋のご主人が私達を車で、送って行くとのことである。それでソバも早々に食べその車に乗り込んだと思ったら、2分もしないで直ぐにバス停に着いた。発車時間の10分前であった。

 こうして晴天に恵まれた「塩原温泉遊歩」も色々な思い出を心に刻み幕を閉じたのであった。

  (^_^)   (^o^)