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    Circle≪ゆ〜ぽぴあ≫・遊歩記

       第112回遊歩
  ≪笹子峠越え・古の旅人になって
旧甲州街道を歩いてみよう・・!!!≫










  遊歩日:  2010年9月12日(第2日曜日)
  遊歩先:  笹子峠(山域 山梨 標高 1096m)
  参加者:  10名
  天 候:  晴れ

 <行 程>

●新宿{07:52発・中央線中央特快(高尾行)}⇒▲三鷹(8:05)⇒○立川(8:17)→八王子(8:27)⇒■高尾{08:35着・08:44発・中央本線(東日本)(小淵沢行)(各停)}⇒■甲斐大和駅(09:45着・10:00発)=30分⇒駒飼宿=60分⇒峠道旧道入口=1時間⇒笹子峠(昼食休憩)=25分⇒矢立の杉=1時間15分⇒黒野田宿=15分⇒JR笹子駅⇒新宿方面へ  (^_^)  ハイ、オツカレサン

 ≪遊歩記≫

 今回は一部旧甲州街道の面影を残している「笹子峠越え」の遊歩だ。参加者10名が甲斐大和駅にて、声出しを済ませ担当者、RooNavであるS,Yさんを先頭に3班編制で9月とは言えまだまだ暑さが衰えない炎天下、我らyuupolerご一行は、先ずは車道歩きの忍耐歩きだ。中央高速道の大ガードを潜り、やや巾狭の車道歩きとなる。ここら辺りから陽射しは極端に強くお負けにコンクリート道路の照り返しで、上から下からとジリジリと攻めたてられる。しかし、女性軍はこの暑さも何のそのサッサと私達男性群を置き去りにして遙か前方を歩いて行くではないか。全くそのパワーには感心させられる。

 そんな暑さを我慢して急坂を上り詰めると前方の女性軍が立ち止まっているではないか。近づいてみれば川の畔に立ち何やら思案しているようだ。私はヤット照り返しの強いコンクリート歩きが終わり土道の川沿いを歩けると喜んでいたら、ガーン、道が違うとのことでまた、コンクリート舗装道路歩きが始まった。そんな道路は段々と狭く斜度も増してきた。なっなっなんと見ればこの急坂を自転車でさっそうと走って行く強者がいるではないか。ウーン、暑いなどと弱音を吐いては男が廃るとばかり懸命に女性軍の後を追いかけ歩いて行く。それでももう、暑さで喉は渇き後頭部がジリジリとしてきたので、軟弱男性群に熱中症で倒れる方が出ては一大事とばかり、前方の女性軍に「オーイ、ヤスンデケレヤ。」と呼び掛け樹木の木陰で甲斐大和駅から歩き始めて1回目の休憩タイムとなった。 ホッ  (^^)

 そんな休憩タイムを採った後、また、車道を歩きが始まりやがて目的の「旧峠道入口」にやっと到達した。  ヤレヤレ
 それではこの「旧甲州街道」について少し蘊蓄を傾けてみよう。  エッヘン (-_-;)

 旧甲州街道は日本橋を起点として、下諏訪に至る230kmの幹線道路であったが、街道きっての難所は標高1096mの笹子峠越えの十数kmである。峠頂上付近に、昭和13年洋風な隧道が建設され、昭和33年新笹子トンネルが開通するまで重要な役割をになった。現在は登録有形文化財に指定されている。その昔の更なる旧道は、雑木林の荒地のなかにかろうじて面影を残し、強兵どもが通った夢の跡は細々とした、けもの道となっている。山道が突如開け、明治天皇ご野立ての記念碑が建っていた。明治13年6月19日ご巡幸されたときのものである。街道全盛期には、三軒茶屋とも呼ばれ旅人の休憩地として賑わったという。この峠を境にして、西方を国中、東方を郡内地方と呼び、こちらは山岳地帯の不良土壌で、徳川時代、農民は安住を得られず、農民一揆など騒動と犠牲が絶えなかった。文久元年皇女和宮は甲州街道を通り江戸に下向したが、この峠道も3日3晩、絢爛の行列が続き、先頭が江戸に着く頃、まだ、末尾は甲斐の国上野原宿にあったという。

 渓流沿いの土道を潺の音を聞きながら歩いて行く。今までコンクリート道を歩いていたので、実に足に優しく土の感触が登山靴を通し伝わってくる。やはり、歩くのは土道に限るワイ。強い陽射しも樹木に阻まれ暑さもそんなに苦にならず意気軒昂で我ら登山道を登って行く。すると上から約、20名ぐらいの中高年の団体が颯爽と降りてきた。この暑い中苦労して歩いているのは私達だけでないことを知り、何だか友軍を得たようで嬉しくなった。チャプチャプと浅井潺を渡り山道は登りとなりやがて雁腹摺山との分岐に達した。ここから道は下降し程なく車道に出てしまった。ここで昼食タイムとなり、早速缶ビールとおつまみのチクワを皆さんにお配りし乾杯をして楽しい和みのひと時、それぞれ持ち寄ったお弁当を食べる。

そんな昼食タイムを30分ばかり採り、缶ビールの酔いも手伝い車道をグングンと駆け下って行く。やがて第2の目的地「矢立の杉」に到達した。私は過去この矢立の杉を通り笹子雁腹摺山へ行ったことがあるが、その時はただ空洞がある大きな杉の木が立っているだけだったが、何と立派に整備され矢立の杉の由来が、スピーカーで流れており、それが終わると杉良太郎、作詞、作曲の「矢立の杉」の曲が流れてくるのには驚いてしまった。

 それではこの「矢立の杉」について述べてみよう。

矢立の杉(山梨県指定天然記念物)
樹高約28m、樹齢1千年の大杉である。広重や北斎の道中記にも描かれた名木も、今では老朽化が進み、根元に5〜6人も入れる空洞の幹になっている。
その昔戦場に向う武士達は、この杉を神霊と仰ぎ戦勝を祈って、一番矢を立てたという。
傍らに杉良太郎さんが歌った歌詞の碑が立っている。

 そんな今なお
毅然として立っている「矢立の杉」のパワーを貰いそして整備された渓流沿いを歩きそれが終わるとまた、嫌な車道を歩きが延々続きいい加減くたびれたところでやっと笹子駅の前に到着した。そしてそこから少し離れた酒造上で缶ビールを飲み今日の「古の旅人に思いを寄せた笹子峠越え遊歩」のTHE endとなった。

 今回の「笹子峠遊歩」の担当に当たったS,Yさん、下見までして頂き誠にご苦労さまでした。これから何も考えずゆっくりとお休みください。 (^_^)