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My Sankou Memo


〜新春個人山行〜


雪の大菩薩峠に立つ











《新春個人山行・雪の大菩薩峠に立つ》





    山行日   2015年1月11日(日)〜12日(月・成人の日)
   山行先   雲峰寺・大菩薩峠から小菅へ 
   宿泊先   裂石温泉「雲峰荘」
   温 泉   裂石温泉&小菅の湯
   天 候   二日間とも晴天
   Member   金川 勝夫・和美


 1月11日(日)

 《行 程》

 三鷹駅(10:50)=中央特快⇒高尾駅(11:22着・11時29分発)=jr中央線小淵沢行⇒塩山(12:40着・13時00分発)=バス⇒大菩薩峠登山口(13時25分着)⇒雲峰寺見学(13:35)⇒裂石温泉「雲峰荘」(14:10) 宿泊 (-.-)Zzz

 ≪My山行Memo≫

 2015年新春の1月11日〜12日の連休は、先ず温泉が有り、そして気軽に山歩きが出来るところと言う条件でその候補地を選定した結果、裂石温泉「雲峰荘」に宿泊し、翌、12日に大菩薩峠まで登、下山路は小菅、丹波とどちらを選ぶかはその時の山行状態により判断すると言うことで、温泉と山歩きの計画を実施した。

 塩山からの大菩薩の湯行きのバスを大菩薩峠登山口で、下車し雲峰寺へと歩を進めた。急斜面に刻まれている長い石段を上り詰めるとそこには、屋根に整った甍を見せ威風堂々たる格式高い仏閣、雲峰寺が建っており、そこで合掌し、お賽銭を上げ般若心経を唱え祈願する。

 [雲峰寺]

 歴史的建築物は重要文化財に指定されており武田家縁の宝物である日本最古の日の丸や風林火山の旗などを展示しています

1200年以上にわたる歳月をたたえた古刹として、当山の開創にまつわる寺伝と歴史をご紹介します

 当山の開創

臨済宗妙心寺派に属する裂石山雲峰寺の開創は天平17年(745)。日本の歴史上初めて朝廷から大僧正の位を送られた僧行基(668〜749年)が成したといわれています。寺伝によれば行基が修行に訪れた同年6月17日の夜、霊雲が烈しい光を帯びて当山の上にまたたき、山や谷を大いに震わせたといわれています。そして、山中にある高さ15メートル余りの大石がにわかに真二つとなりました。巨大な石の裂け目からは萩の大樹が生え、さらには石の上に燦然と十一面観音が出現したといわれています。それを目の当たりにした行基は、崇高な心で萩の樹を切り取り十一面観音の尊像へと彫刻し、一庵に奉祀しました。当山開創の由来となるものです。大菩薩峠や萩原といった周辺の地名も、この由緒に基づいていると伝えられています。

 当山の歴史

 開創当初は天台宗に属していた当山はその後、いつの頃からか甲斐源氏による武運長久の祈願寺として深く崇敬され、禅宗へと転じることとなります。室町末期の天文年間(1532〜1554)に入ると火災によって諸堂すべてを消失しましたが、その再興に向けては武田信虎が印判状(現存)を与えて励ましたといわれています。時の紹謹禅師をはじめとする寺僧などが尽力して全国に勧進のうえ、やがて伽藍は再建。永禄元年(1558)には武田信玄が武運長久を祈願する文書を納めているので、完成はこの頃と推定されます。また、現在の本堂、庫裏、書院、仁王門はこの時期の建立と考えられています。

 天正十年(1582)には武田勝頼が一族とともに天目山麓の合戦で敗れ自刃。その折、家臣たちが再興を期して武田家の重宝をひそかに当山へ納めたといわれています。後令泉天皇から清和源氏源頼義へ下賜された日本最古の「日の丸の御旗」をはじめ、武田の軍旗「孫子の旗」、「諏訪神号旗」、「馬印旗」といったこれら武田家の重宝は現在でも、平成8年に新設された宝物殿内に保存されています。

 昭和24年には本堂、庫裏、書院、仁王門が日本の重要文化財に指定されました。また、昭和29年4月からは満4ヵ年余りをかけ、永久にその価値を後世に伝えんと大修理解体工事が行われ、旧規に基づいて本堂が復元されています。

 そんな歴史有る雲峰寺を見学し、今日のお宿裂石温泉「雲峰荘」へと歩を進めた。この裂石温泉は、以前やはり、和美と共に大菩薩峠の山行の下山五、露天風呂に一浴したことがあり、一度ゆっくりと宿泊し露天風呂へ入ってみたいと思っていたが、そんな思いが今日叶ったのであった。「雲峰荘」は、日本秘湯を守る会に所属しており、鄙びた佇まいが多くのRepeaterに愛されて、四季を通じて宿泊客が多いそうだ。部屋に通され先ずは持参した銘酒「浦霞」の四合瓶の栓を開けお互い何回目かの信念を言祝ぎ乾杯する。

 そしてそんな銘酒「浦霞」も気がついたときには、スッカリト空っぽになっており、タオルを肩にかけほろ酔い気分で、別棟にある露天風呂へ向かう。この露天風呂は午後7時から9時までが、女性専用で、9時から11時までが男性専用だとのことであるが、現在の時間は男女混浴で、その代わりに女性には浴衣が提供され安心して露天風呂を楽しめるようにと気配りがされている。広めの露天風呂は少し温いくそれだけに長い時間は言っていることが出来とても気持ちが良い。私はそんな気持ちよさについつい、般若心経を合掌しながら唱えてしまった。

 そんな温い露天風呂に十分浸かってから、今度は熱めの露天風呂に入り、身体を温めすっかりと良い気分で、部屋に戻りコタツに入りウトウトしていたら「夕食のお時間ですよ。」と帳場から電話があり、大広間の食事処へ向かった。そのお料理を見てあればイワナの串焼、馬刺し、鹿刺しとコレジャアマルデ馬鹿づくしだ。そして山菜の天麩羅、豚肉と色々な野菜の鍋料理等々と山宿の温泉ならではのお料理だ。そんな料理に箸を付け生ビールをゴクゴクゴクと喉に流し込む。露天風呂に入りスッカリ喉が渇いていたので、その生ビールのうまさったら最高デッセ。温泉に入り、美味しい料理を食べ、生ビールを飲むこれ本当に至福のひと時だ。・・・!!!


 1月12日(月・成人の日)


 《行 程》

 雲峰荘(7時20分)⇒登山道入口(7時50分)⇒ロッジ長兵衛(9時45分)⇒福ちゃん山荘(10時30分)⇒大菩薩峠(昼食休憩・11時30分着〜11時50分発)⇒丹波&小菅分岐点(12時30分)⇒小菅車道(14時30分)⇒途中車親切乗車地点(15時10分)=車⇒小菅の湯 (入浴休憩15時30分〜17時40分)⇒小菅の湯(17時45分発)=西東京バス⇒奥多摩駅(18時58分発)=青梅線電車⇒三鷹

 ≪My山行Memo≫

 昨夜は温泉に入り、生ビールを飲んだせいか、爆睡モードで熟睡して、5時30分に起床し、それからお決まりの朝風呂に入り、宿の朝食は8じからなので、大菩薩峠山行をするには、遅いため昨日頼んでおいたオニギリを食べ登山支度を整え屋外に出る。寒気が一段と厳しいが、バッシと活を入れ「」イザ行かん目指す大菩薩峠へ」と和美を先頭にして、その一歩を踏み出した。車道を30分も歩くとやがてその車道から別れ、右手にある登山道へ歩を進める。淡々とした広い道を進むとやがて左斜面に刻まれた狭い登山道を進む。徐々に傾斜を増し木の根や大きな石を避けながら登って行くと凍結した登山道となり、その箇所を滑らないように慎重な歩幅で進んで行く。身体を動かしているせいかそんなに寒さも感じること無く快適に登って行く。空を見上げれば群青色の空には全く雲も無く、陽射しも柔らかく新年山行には誠に相応しい光景だ。

 やがて登山道を上り詰めると車道に出て、「ロッジ長兵衛」の山荘に出る。この「ロッジ長兵衛」の玄関先にある寒暖計を見たら、何とマイナス9度であった。。ここら辺りから積雪が結構有り、そこで「ロッジ長兵衛」の前の休憩場所で、軽アイゼンを着け更に歩を進める。ここからは斜度もそんなにきつくなくザックザックと靴音も高らかに行き道を進む。そして程なく「福ちゃん山荘」へ到達した。ハイキングのシーズン中は、ここまで塩山駅からタクシーで、乗り入れ大菩薩峠のハイキングが出来るが、やはり、下から苦労して登山道を登ってこないとその山登りの醍醐味が味わえず自然の良さが分からないものである。

 そして行き道を30分も歩いただろうか。この連休は営業している介山荘を過ぎ目標地点、大菩薩峠山頂へ11時30分に到着した。さすがは山頂だけに寒さは厳しく思わず身体が寒さで震えがくる。そんな寒さにもめげること無く、ここで冷たくなった缶ビールを飲むが、その冷えたビールが 実にまた美味しくゆっくりと喉へ流れ胃腸がキューンと冷えてくる。冷えた胃腸を温めんと今度はコッフェルの湯を注ぎ作ったカップヌードルを食べる。このカップヌードルが、温かくもう実に貯まらない美味しさだ。

 兎に角、寒いので早々に昼食Thymeを切り上げ、いよいよこれから下山開始で、小菅村へ向かい小菅の湯で一浴することとした。こちら斜面は今までと違いふんわりとした積雪が、30cmはあるだろうか。そんな雪の斜面を軽快に下って行く。久しぶりの雪山の感触だ。そんな雪の斜面を下ってやがて小菅と丹波の分岐点に到達した。積雪もそんなに大したことが無くなったので、ここで軽アイゼンを外し足取りも軽く更に小菅村目指し急下降する。やがて登山道は、平坦となり神経を使うこと無く歩けるようになって来た。しかしながら、これは最初の時だけで、登山道は狭く右側にスッパリと切れ落ちお負けに行きが凍結しており、軽アイゼンを外してしまっただけに怖さも一入である。そんな箇所を過ぎるとジャージャーン、何と凍結した丸木橋が出て来たでは無いか。その眼下に目を転じるとナ、ナ、ナ、何と目もくらみそうな高さで、足が恐怖のために動かない。しかし、先に渡った和美は大したことも無く「落ち着いて渡ってきてね。」と平然というでは無いか。晴眼者の場合は、見えるからそんな恐怖心も無いのだろうが、私のような超強度弱視者にとっては、何しろ足下が見えないだけにその恐怖心は半端ではない。兎に角、二、三歩歩いてみたのだが、どうにも怖くそのため、とうとう恥も外聞も無く四つん這いになってゆっくりと渡ることとした。

 そんな難所も過ぎ、ホッとした間も無く、更に狭い登山道は続き相変わらず右斜面は、ススッパリと切れ落ちそんな登山道を慎重に下って行く。そしてある箇所に差し掛かった際、右に持っていたダブルストックが、路肩を突き外れそのため、アッという間に斜面を滑落しほうり出されてしまった。幸にも滑落したのが5mぐらいで落ち葉が敷き詰めた斜面だけにそれがクッションになりドコモケガはしなかったが、とんだアクシデントで、その前には和美が登山道で滑り手と腰を痛めたようで、マア、お互い大したことが無く幸で会った。このコースは山頂付近より、むしろ麓に近いところが、危険地帯になっている。それでもそんな神経を使うところもやがて無くなり、深く積もれた落ち葉をかき分けザックザックと音を立て進んで行く。この感触がとても気持ちが良い。

 そしてやっと難行苦行の下山も終わり車道へと飛び出た。朝、「雲峰荘」を7時20分に出発し、この車道に出たのが、午後2時30分、休憩タイムを除くと実働6時間20分の行動であった。そしてまだまだ歩行は続く。これから小菅の湯まで車道歩きが何と2時間はあるのだ。早々にミカンを食べ給水をし、2時間の車道歩きが始まったのだ。そして40分も歩いただろうか。3時10分頃に後方から白い車が私達に近づいて停まり「良かったら乗って行きませんか。」と声をかけてくれたのだった。そのお言葉を聞いて、当に地獄で仏とばかり満面笑みを湛え「有り難うご座います。お陰で助かりました。もうヘトヘトになっており、惰性で歩いていたところでした。」とそのご親切なお方に御礼を述べ車に乗せて貰い一路、小菅の湯へ行って頂いたのであった。途中の道路を見れば小菅のユマでは、かなりの急勾配になっており、ここを歩いてくると思うだけで、このご親切なお方のご行為に頭が下がり敬服の想い出一杯になる。それにしてもこの世知辛い世の中にご親切なお方がいるものだと和美と共に感嘆しきりであった。

 そのご親切なお方のご厚意により、小菅の湯には3時30分に到着し、お陰でゆっくりと温泉に入り、疲れた身体を癒すことが出来た。そして一浴五、食事処で当然二人とも生ビールを飲み、私は生姜焼き定食、和美は私より500円も高いお刺身定食とそれぞれ食指、5時45分の最終便奥多摩行のバスに乗り帰途に着いたのであった。

 こうして色々とアクシデントがあったこの11日〜12日連休、新年山行も修了したのであった。  (^o^)   (^_^)

 

 大菩薩峠&大菩薩嶺


 大菩薩嶺(だいぼさつれい)は、山梨県甲州市(旧塩山市)と北都留郡丹波山村に跨る標高2,057 mの山である。

 奥秩父山塊に位置し、大菩薩連嶺の主脈を構成している。日本百名山の一つに選ばれている。深田久弥や木暮理太郎などは、その著書に大菩薩岳(だいぼさつだけ)と表記している。

 名称の由来は、源義光(新羅三郎義光)が後三年合戦の際に軍神の加護を願い「八幡大菩薩」と唱えたこと、また、観音菩薩が祀られていること、などのいわれがある。

大菩薩嶺山頂は樹林帯のため眺望はない。そのため、大菩薩嶺のみを目指して登ろうという者は少なく、多くの登山者は大菩薩峠とセットで登っているようである。

登山コース

裂石 - 上日川峠 - 大菩薩嶺(登り約4時間、下り約3時間)

上日川峠に無料駐車場があり、マイカーまたはタクシー、季節限定バスで入ることができる。

裂石 - 丸川峠 - 大菩薩嶺(登り約4時間、下り約2時間30分)
小菅 - 牛ノ寝通り - 榧ノ尾山 - 石丸峠 - 大菩薩峠 - 大菩薩嶺(登り7時間、下り約5時間30分)