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 Circle≪ゆ〜ぽぴあ≫・遊歩記


         第221回遊歩
 「ぶらり東京Walk・落語鑑賞2015」

 早春の一日・落語鑑賞と公園、霊園を散策し彫刻美術の神髄を学ぼう・・・!!!









  遊歩日:   2015年3月15日(第3日曜日)
  遊歩先:   上野鈴本演芸場、上野公園、黒田清輝美術館・上野東照宮・
          谷中霊園・朝倉彫塑館・夕焼段々商店街
  参加者:   7名
  天 候:   薄曇り


 《行 程》

上野駅⇒鈴本演芸場(10:00〜11:30・落語鑑賞)⇒上野公園(11:30〜12:30・昼食と散策)⇒黒田清輝美術館見学⇒谷中霊園(有名人の墓森繁久弥、徳川慶喜、渋沢栄一他)⇒朝倉彫塑館見学⇒夕焼段々商店街散策⇒焼き鳥屋小宴会⇒日暮里駅

 ≪遊歩記≫

 弥生三月、早春の一日「ふれあいConcert遊歩」とこの「ぶらり東京Walk・落語鑑賞遊歩」を実施し、Concertや落語を聴かないと春が訪れたという実感が湧かないほど、この「落語鑑賞遊歩」もすっかり定番になった。参加者7名が上野駅中央口に勢揃いし、先ず最初の目的地である「上野鈴本演芸場」へ歩を進めた。その「上野鈴本演芸場」へ来ると既に大勢の先客が、列を成し、開場時間が来るまで待期していた。私達7名もその列に並び暫し、時間が来るまで待つこととした。

 今回の二つ目の演者は、以下の落語家です。
 @ 柳家麟太郎
 A 柳家右太桜
 B 三遊亭ぬう生
 C 柳家ほたる

 10時丁度に出囃子であるお囃子が、場内に流れ、これから二つ目さん達、落語家による落語が始まる。今回の4名の二つ目さん達の落語は、最初から笑いを誘い場内は笑いの渦で大盛況だ。何と言っても異色なのが、柳家麟太郎さんで、何と歌を披露するでは無いか。その曲目が「ああ 勝海舟」という歌で、会場のお客さん達の度肝を抜いての大熱唱である。なんで「勝海舟」という曲目なのかは、後でみんなで考え柳家麟太郎さんだから勝海舟の若いときの名前が、勝りん太郎なので、自分の名前と同じだから、勝海舟の業績を歌にしたのだろうという結論であった。しかしながら、自費を投じてCDを制作したとのことだが、間違ってもhitはしない歌であった。これもご愛敬か・・・!!! 。  (^^;)

 そして2人の二つ目の落語家が、晴れて真打ち昇進とのことで、座元さんの温度により、会場の皆さんと三本締めが、行われ彼ら二つ目の落語家を祝福したのだった。

 「ポポポン、ポポポン、ポポポンポン」
 「ポポポン、ポポポン、ポポポンポン」
 「ポポポン、ポポポン、ポポポンポン」

*上野鈴本演芸場

 寄席の歴史は古く150年程前に遡ること安政四年(1857年)に上野広小路に「軍談席本牧亭」という講釈場を始めたのが最初です。その後幾多の歴史を経て現在に至っています。2003年には火災という悲劇がありましたが翌2004年に開館することができました。リニューアルされた場内は広く、客席は285席あり近代的な作りとなりました。ここでは定番寄席のほかに毎週日曜日に早朝寄席が行われます。演者は真打を目指す二つ目さん達です。

 そんな落語を鑑賞し、寒く冷たい風が吹く中を上野公園へ歩を進めた。運良く「福島物産展」が開催されていたので、何しろ寒いため、福島県なら当然銘酒も販売しているだろうとその銘酒コーナーへ行き純米大吟醸「會津」を買い求めそれを抱えて、公園の一隅にレジャーシートを敷き昼食Thymeとなった。その銘酒「會津」をみんなでチビチビと飲んでいたら、和美が、物産展でイワナの串焼を買い求めてきたので、それを肴に銘酒「會津」を飲み干す。銘酒とイワナの串焼の味覚が丁度良く実に美味しかった。そこで大震災から早、今年で4年目になるが、復興は遅々として進まない福島県の復興を強く心に念じじっくりと銘酒を味わった。  (^o^)

 そんな昼食Thymeも兎に角寒いので、早々に切り上げ次の目的地へと歩を進めた。途中「黒田清輝美術館」に立ち寄り見学をする。そして上野東照宮へと行き、二回目の訪れである「谷中霊園」へ行き、森繁久弥、渋沢栄一、そして徳川慶喜の墓所へ行く。この徳川慶喜の墓前で、Guide Volunteerの方が、朗朗と長時間に亘り説明をしてくれた。私はその説明を聞いている傍から即、忘却の彼方に脳裏が旅立ってしまい残念ながら現在余り覚えていない。  (;_;)

 それからそんな墓所巡りを経て「」朝倉彫塑館へ行き見学をする。

 *朝倉彫塑館

 1883(明治16)年、大分県大野郡池田村(現豊後大野市)に生まれた朝倉文夫は、19歳の時に実兄の彫塑家渡辺長男(おさお)をたよって上京し、彫塑と出会います。翌年、東京美術学校(現東京萄術大学)に入学、1907(明治40)年に同校を卒業した朝倉は本格的に創作活動をはじめます。文部省美術展覧会(文展)で受賞を重ね、作家としての地盤を固めます。卓越した技巧に基づいて写実を追求し、《墓守》をはじめ数多くの優品を残しました。また、教育者としても盛んに活動し、日本の彫塑界をリードする中心的な存在として活躍しました。1948(昭和23)年には彫刻家としてはじめて文化勲章を受章し、1964(昭和39)年81歳で没しました。

 朝倉彫塑館は、朝倉文夫のアトリエと住居だつた建物です.朝倉は東京美術学校を卒業した1907(明治40)年、24歳の時にこの台東区谷中にアトリエと住居を構えました.当初は小さなものでしたが、その後、増改築を繰リ返し、1928(昭和3)年からフ年の歳月をかけて手を入れたのが、現在の朝倉彫塑館の原型ですo建物は朝倉が自ら設計し、細部に至るまでエ夫を凝らし、こだわリを感じさせますo朝倉はここを「朝庶彫塑塾」と命名し、門下生を育成しました.朝倉彫塑館は、いわぱ住まいと学校と制作の場が一体となつた空間だつたのです.

 三階建ての朝倉彫塑館の館内に入り、様々な彫刻像を見学する。彫刻家の朝倉文夫は、とても猫好きだったため、猫の彫刻が一室に配置されておりそれらの猫の彫刻が、とてもrealに刻まれており実に可愛かった。

 そんな朝倉彫塑館を見学し、こんどは「夕焼け段々商店街」を散策する。商店街の両側にビッシリと各、商店が建ち並び実に下町情緒豊だ。そんな商店街の一隅に酒屋が有り、その店頭の椅子に腰掛け男性群は紙コップで、高知の銘酒「酔鯨」を飲む。すっかりとオジサンStyleで、紙コップで銘酒を飲む。これも下町商店街ならではの光景であろうか。当然この紙コップのお酒だけでは、満足するMemberではありません。ほろ酔い機嫌となり、日暮里駅前の焼き鳥屋で、焼き鳥を肴にまたまた、生ビールで、乾杯して、後は焼酎、ハイボール等々と酒量が増し、すっかりと気分はハイになった。

 こうして見所、食べ処満載の「ぶらり東京Walk・落語鑑賞2015」の遊歩も無事finaleを迎えたのであった。  \(^O^)/

  RooNav担当の鴬谷のS,Mさん、どうもご苦労様でした。 (^_^)

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   〜〜≪オシマイ≫〜〜