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Enjoy《ゆーぽぴあ・遊歩記》


        第69回遊歩
 ≪文学散歩と笑門来福・みたか寄席
      &会食宴会の集い≫











  遊歩日:   2008年7月19日(第3土曜日) 
  遊歩先:   太宰治文学サロン・山本有三記念館・みたか商工祭・みたか寄席(三
             鷹公会堂)
  参加者:   10名

  <行程>
 三鷹駅(10:10)=10分⇒太宰治文学サロン=15分⇒山本有三記念館⇒万助橋バス停=バス⇒三鷹市役所前⇒みたか商工祭(昼食)⇒みたか寄席(13:00〜16:10観覧)⇒三鷹市役所前バス停=バス⇒三鷹駅

  ≪遊歩記≫

 本来ならば私が皆さんを案内するのであるが、何しろ7月6日の「三浦半島南端シーサイドウォーク」で転倒しそのため、左アキレス腱断裂に罹患し、調布病院にてオペを行い目下入院生活中なので、皆さんの案内は和美に任せ「みたか寄席」へ行く前に太宰治と山本有三の資料が展示されている記念館へ行くこととした。

 太宰 治(

 明治42年(1909年)6月19日 - 昭和23年(1948年)6月13日)
 誕生  青森県北津軽郡金木村
     現・青森県五所川原市
 死没  1948年6月13日
     東京都北多摩郡三鷹町
     現・東京都三鷹市
 職業  小説家、作家
ジャンル 小説

 昭和を代表する日本の小説家。本名は津島修治(つしましゅうじ)。
1933年より小説の発表を始め、1935年に「逆行」が第1回芥川賞候補となる。主な作品に『走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『斜陽』『人間失格』など。諧謔的、破滅的な作風で、坂口安吾、石川淳などともに新戯作派、無頼派とも称された。大学時代より自殺未遂、心中未遂を繰り返し、1948年玉川上水にて山崎富栄とともに入水自殺した。


 山本有三

 1887年7月27日 - 1974年1月11日)
 劇作家・小説家である。本名は山本勇造。呉服商の子として、現在の栃木市に生まれる。

  小説
『生きとし生けるもの』(『朝日新聞』1926年9月25日〜12月7日未完)
『波』(『朝日新聞』1923年7月20日〜11月22日)
『風』(『朝日新聞』1930年10月26日〜1931年3月25日)
『女の一生』(『朝日新聞』1932年10月20日〜1933年6月6日中断)
『真実一路』(『主婦之友』1935年1月〜11年9月)
『路傍の石』(『朝日新聞』1937年1月1日〜6月18日

 山本有三記念館

 玉川上水のほとりに建つ、旧山本有三邸である「山本有三記念館」は、大正末期の本格的な欧風建築で、晩餐客がくつろぐドローイングルーム(応接間)や、個性的にデザインされた3つのマントルピース(暖炉)があり、壁やドアにも装飾的な細部を持ち、三鷹市の文化財にも指定されています。
 記念館の南側には有三記念公園が隣接しており、文学散歩や庭園鑑賞の場としても愛されています。

 これら文人の記念館に立ち寄り、それからバスに乗って「みたか寄席」が開催されている三鷹公会堂へ行く。

 そのみたか寄席であるが、皆さんの感想によると今回は余り面白くなかったとのことである。特にトリの入船亭 扇橋が声が小さく何を話しているのか良く分からなかったとのことだ。

 皆さんが折角、ご多忙のところお出で頂きその「みたか寄席」が、余り面白くなかったとのことで、私は病床でお詫びをするばかりであった。 m(__)m


 
      《みたか寄席出演者》

            三遊亭 小円歌
            三遊亭 笑遊
            古今亭 菊寿
             大空 遊平
                かほり
            入船亭 扇橋







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