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Circle≪ゆ〜ぽぴあ≫・遊歩記

       第9 4 回遊歩
      東北の名峰紅葉の八甲田山と
            秘湯を訪ねて









  遊歩日:   2009年10月9日(金)〜10日(土)・11日(日)
         12日(月) 2泊3日

  遊歩先:   八甲田山(1,584m)とその周辺
  温 泉:   谷地温泉・青荷温泉
  参加者:   8名
  天 候:   晴れ


 10/09(金)

 <行程>

 東京駅八重洲南口(10:30)=高速バスラ・フォーレ号⇒青森駅前(8:00着)

 ≪遊歩記≫

 参加者8名が、東京駅八重洲南口に午後10時に集合し、JR高速バスラ・フォーレ号に乗り込みこれから東北自動車道を走り、一路、青森駅、目指しイザ、出発だ。この夜行高速バスを利用しての遊歩は、2006年10月7日〜9日の「東北紅葉山旅シリーズ・岩木山と秘湯を訪ねて」の遊歩依頼で、あの時も青森駅に着き、最初に弘前城を見物し、ネブタ会館等を見学して、百沢温泉(あすなろ荘)に宿泊し、翌日は朝からの雨を突いてのあの悲惨な岩木山登山であった。(^^;) そんな思い出が脳裏に蘇る。しかし、この夜行高速バスは、一夜、眠っていれば早朝には、目的地の駅に到着して、その日、一日目一杯に計画が立てられ、交通費も安く実に便利なものだ。車内は秋の連休で行楽シーズン酣でもあり満席である。それにしても乗客は夜行バスと言うことをしっかりと心得ており、私語一つする方もおらず、実に静かなもので皆さん、毛布を掛けたり、リクライニングシートを倒したりと早くも寝る体制に入っている。

 私は最前列から2番目の席で、持参したクーラーボックスを開け先ずは缶ビールとばかり、プチュッと栓を抜きおつまみのチーズを食べながらグビグビと喉に流し込む。「ウーーン、ヒャー」車内が熱いので冷えた缶ビールがとてもうまい。この高速バスにはトイレがついているから満タンになっても心配がいらないのが大いに助かる。そんな缶ビールも早くも空っぽになったので、今度はミニワインボトルをクーラーボックスから出して、それを紙コップに注ぎ赤ワインを飲む。ウーーン、これもまた、クーラーボックスで適当に冷えており、実にうまい。そんな周囲を見れば皆さん、静かにお休みしており、これからの旅情に思いを馳せているのであろうか。

 私は先から缶ビールそして赤ワインと飲み続けていたので、すっかりとヨカ気持になり、それに比例して瞼もトロッと重くなり、眠気を催してきたので、リクライニングシートを適当な位置に倒して、「お休みなさい。」と、「それでは宜しくお願いしますよ。」とばかり、運転手さんにご挨拶の感謝を捧げゴトゴトゴトという車輪の音を子守唄にして眠りに着いた。 (-.-)Zzz


 10/10(土)


 <行程>

 青森駅前(8:30発)=レンタカー⇒八甲田山麓ロープウェイ駅=ロープウェイ10分⇒八甲田公園駅=歩程・1時間30分⇒赤倉岳⇒井戸岳⇒大岳避難小屋⇒上毛無岱⇒八甲田公園駅=ロープウェイ・10分⇒八甲田山麓ロープウェイ駅=レンタカー⇒谷地温泉
 宿泊 (-.-)Zzz

 ≪遊歩記≫

 高速バスは深夜順調に東北自動車道を走り、ほぼ定時の8時に青森駅へ到着した。これから出発まで各、朝食タイムということで、皆さんはRichなものだから食堂へ食べに行ったが、私と和美は、は何せPoorなものだから駅の待合室で、新宿駅で買い求めた冷たいオニギリをむさぼり食べ、これも冷たいペットボトルのお茶を飲み粗末な朝食が終わる。やはり、車でゆられたせいかかなりお腹が空いていたので、そんな粗食でも満腹となり結構満足だ。やがて皆さんもそれぞれの朝食を済ませ待合室へ戻ってきた。そして先ずはレンタカーの手続きをするためにそのコーナーへ行く。今回参加者8人のうちドライバーが、4人もいるからその点、交代視ながら車を運転できるので大いに助かる。そしてレンタカーの手続きを済ませ車2台に男女それぞれ別れ八甲田山、目指しLet's go・・・!!!

 car naviを目的地の八甲田山ロープウェイ駅にsetして、最初のドライバーは、A,Sさんだ。ギクッ、後部座席に座っている私とO,Sさんの顔が一瞬、強ばる。それとお尻もモジモジして何となく落ち着かない。それもそれ、去年3月にA,Sさんは、オートバイを眠りながら運転していたため、転倒し頭部打撲、手関節骨折という大惨事を起こしてしまったのだ。「俺は車を運転していると猛烈に眠くなる魔の時間帯があるんですよね。今朝はまだ大丈夫、スッキリしていますよ。俺が黙ったらこれって、ヤバイんですね。瞼が垂れてくるんですよ。」とA,Sさんは、ハンドルを握りニコニコしながら話すではないか。その話を聞き「ウーーン」、A,Sさんには、この運転一回だけにして貰い後は、S,Mさんに全行程を運転して貰おうと私は心に強く決意する。 (^^)

 それでもそんなA,Sさんの運転で、空いている津軽路を快適に走って行く。しかし、レンタカーは、軽自動車のため男性4人が乗っているとその体重が負担となるのか。その4人のうちA,Sさんは、押しも押されもしない威風堂々ご立派な体格なものだからもう、車が「重いよ。・・苦しいよ。何だ今日の客は俺をこき使いやがって。」・・・ (;_;)
と「ブルるん、ガガガーーン」とすごいエンジン音を立てながらゼイゼイハーハーと走っているではないか。そして坂道に来て40k以上出すと「モウ嫌だ。安い料金で走っていられる火よ。」とレンタカーが怒ってしまい、更に嫌がらせにエンジン音をガガがガーーン、グワングワンゴーゴーと出しながら坂道を登って行く。そのエンジン音を聞きながら、これからの山道のドライブがかなり心配になってきた。 (^^;)

 そんな車をこき使い紅葉した山道をカーブを繰り返しやがて八甲田山ロープウェイ駅へ到着した。この八甲田山には、当時「歩登寿」と言っていた私主催のサークルで、今から11年前に登っているのだ。その時のメンバーが今回二人も参加している。そのお二人もきっと当時のことを思い出し懐古しているのだろう。その時には南八甲田⇒猿倉温泉⇒北八甲田⇒蔦温泉⇒十和田湖と長時間歩いている。それに比して、今回は温泉巡りが主であるからこの南八甲田山は、短時間の周遊コースを歩くことにしている。

 それではこの八甲田山について少し話してみよう。

 八甲田山

 八甲田山(はっこうださん)は、青森市の南側にそびえる火山群の総称で日本百名山の一つ。岩木山と同様 本州最北部にある火山。命名の由来について「新撰陸奥国志」によれば、八の(たくさんの)甲(たて)状の峰と山上に多くの田代(湿原)があるからという。現在の火山活動は穏やか。周辺は世界でも有数の豪雪地帯。

 明治35年に青森の歩兵第五連隊が雪中行軍の演習中に記録的な寒波に由来する吹雪に遭遇し、210名中199名が遭難した事件(八甲田雪中行軍遭難事件)が発生、それを基に新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」が書かれている。
 なお、陸上自衛隊青森駐屯地に駐屯する第5普通科連隊も、毎年、厳冬期に、八甲田山系での冬季雪中戦技演習を行なっている。

地形と噴火史

 八甲田山は近くにある十和田湖と同じく、カルデラを有する火山群である。広い湿原のある田代平近辺の窪地がカルデラの北半分に相当し、南半分はカルデラ形成後に噴火した八甲田大岳などの火山群が盛り上がっている。櫛ケ峯(1,517m)のある南八甲田は古い先カルデラ火山に相当する。カルデラを形成した巨大噴火は、調査されているだけで過去2回(65万年前と40万年前)発生した。南八甲田は2回目のカルデラ噴火の前に火山活動を終えている。北八甲田はカルデラ南半分を埋める形で16万年前から活動を始め、繰り返し噴火しながら多数の(余り大きくない)成層火山を形成した。歴史時代の記録では溶岩を流出するような大きな噴火は無いが、山群の所々から火山ガスが噴気している。1997年には訓練中の自衛隊員3名が窪地にたまっていた火山ガスにより死亡する事故が発生している。

レジャー

 標高1,584mの大岳のほかに、田茂萢岳(たもやちだけ)、赤倉岳、小岳、高田大岳などの山々がほとんど同じ高さで並んでいる。ロープウェイは田茂萢岳に設置されており、冬はスキー、積雪期以外ならハイキング気分で山歩きが楽しめる。秋には全山紅葉し見事な錦秋模様となる上、登山道沿いにはコケモモやガンコウランがたくさん実をつけており、目と舌の両方を楽しませてくれる。また、冬季には東北地方でも有数の豪雪と強い季節風によりアオモリトドマツに見事な樹氷を楽しむことができる。加えて、山麓に散在する温泉群は、多様の泉質で味わい深い。


八甲田山系

八甲田山系は八甲田大岳を盟主として南北2群の火山よりなり、その中間に睡蓮沼を含む湿原地帯がある。

山系を構成する山々は北部より前嶽・田茂萢岳(1,324m)・赤倉岳(1,548m)・井戸岳(1,550m)・大岳 (1,585m) ・小岳 (1,478m) ・高田大岳 (1,552m) ・雛岳 (1,240m) ・硫黄岳(八甲田) (1,360m)・石倉岳 (1,202m) ・逆川岳 (1,183m) ・猿倉岳 (1,354m) ・駒ヶ峯 (1,416m) ・櫛ヶ峯 (1,517m) ・乗鞍岳(八甲田) (1,450m) ・南部赤倉岳・等の山群である。

高山植物

八甲田山には湿原が多く、イワイチョウ、 モウセンゴケ、ミズバショウが見られる。山にはアオモリトドマツ(オオシラビソ)の林があり、稜線にはハイマツが茂っている。

温泉

麓には千人風呂が有名な酸ヶ湯がある。その他にも城ヶ倉温泉、谷地温泉、猿倉温泉、蔦温泉、八甲田温泉、田代平温泉、など山のいで湯があちこちに湧出している。

 登山支度をして、ロープウェイの駅に行くと広島から来たという阪急交通の団体客で、かなり混雑しており、そのため、ロープウェイに乗るのに時間がかなりかかった。それでも待つこと暫し、ロープウェイに乗り込み窓外を見るとその雄大な眺めに乗客皆、歓声を上げ緑、黄色、赤と色とりどりに彩なされた光景にただ見とれているばかりだ。そんな標高差650mの10分間の空中散歩もやがて終点の田茂萢岳にある八甲田山公園駅に到着した。

 この八甲田山公園駅から各、方面へ八の字型に遊歩道が延びており、私達は赤倉岳を目指し主稜線の登山道を東へ進む。お天気はどんよりとした曇り空で、吹く風は冷たく歩いていても汗をかかないからそれだけ助かる。良く整備された時より木道となる歩きやすい道を進み右に上毛無岱の分岐を過ぎ、オオヒラビソ、アオモリトドマツ帯を抜けると樹高が低くなり、ハイマツ帯に変わり眺望が一気に開けてくる。ここから主稜線は南下し、稜線の左側はスパッと切れ落ちている。遙かかなたに毛無岱を見ながら、丈夫な柵に張り巡らされている踏み固められた登山道を更に歩を進める。

 左側には八甲田成層火山の歴史を物語る、橙色と赤褐色の五識岩の互層になった断崖が見えて来た。ここら辺りが登りにはきついところで、見ると大分後方のT,Kさん達の女性グループが遅れている。そんな女性グループを待つこととした。T,Kさんが風邪を引いているとかで何せマスクをしながら急登を登っているためか。かなり疲労をしているようなので、「体調はどうですか。」と尋ねると「一寸皆さん達と一緒に歩けないからロープウェイ公園駅へ戻ります。」とT,Kさんが言うので、それに同行し他のお二人の女性達も一緒に戻ることとした。

 そんな三人の女性を見送り私達5人は、和美を先頭に赤倉岳目指し、強い冷たい風が吹く砂利交じりの登山道を背をかがめながら登って行く。やがて祠のある赤倉岳山頂へと到達した。ここで昼食タイムを採ることとして、オニギリとペットボトルのお茶を飲み一息つく。しかし、何しろ寒いので、ゆっくりとしておられず再び歩行開始となり、丸太で整備されたハイマツ帯を横切るとやがて井戸岳噴火口に到着した。井戸岳のピークは火口を隔てた対岸にあるが、高山植物保護のために立入禁止になっており、そこまでの登山道は無い。ガレ場を丸太で固めたジクザクの歩きにくい道を下るとベンチが置かれた大岳避難小屋に突いた。O,Sさんは足場の悪い登山道を下ってきたためかかなり疲れているようだ。ここには大勢のハイカーが思い思いに寛いでおり、避難小屋はまだ新しく小屋の中にもハイカーが休息を取っている。ここでトイレ休憩、水分補給をしたりして、大休止を取り、大岳はタイムアウトのために登山はパスをすることとした。

 そんな休憩をとり、更に歩を進める。周囲は白いガスがかかり、寒さが一段と増してきた。登山道は狭くなり急な下りが続きその下りが終わると今度は水が流れている沢のような道となり、岩がゴロゴロとした急登となる。そのため、O,Sさんを中心とした3人の男性グループのテンポが遅くなる。そんな悪場を悪戦苦闘しながらやっと先の赤倉岳へ行った際の分岐点に到着した。ここからは歩きよい道になり、程なく八甲田ロープウェイ公園駅に着いた。

 ロープウェイに乗りロープウェイ山麓駅で、先に戻った3人の女性達と合流し、レンタカーで今日のお宿、谷地温泉へ向かうこととした。今度のドライバーは、S,Mさんに代わり紅葉したカーブが続く車道を上り下りしながら谷地温泉へ着いた。玄関に入ってみると先に出発した4人の女性達が、まだ来ていないではないか。きっと道を間違えたのだろうと半分軽蔑していたらやがてドカドカと玄関に入ってきた。聞いてみたら何と途中で余り紅葉が素晴らしかったので、車を止めて暫し、眺めていたとのことだ。
「これってどうだろうね。この態度は、私達男性は、真っ直ぐに旅館へ向かうとゆうこの謙虚さ。それに引き替えこの態度・・・」 (^^;)

 男女それぞれ部屋に別れ、先ずは何と言ってもお目当ての温泉へとばかり男性一同、仲良く浴室へ。その浴室はとても古く湯治場風の歴史の変遷を感じさせる佇まいだ。浴室に張ってある「入浴心得」を見ると「下の湯である手前の38度Cの温めの浴槽へ1時間入り、それから上の湯である、41度cの先の熱めの浴槽へ10分は行ってください。」と書いて有るではないか。その心得に従い我ら4人はその下の湯の温めの浴槽へ入る。このお湯は浴槽鵜野下からボコボコと温泉が湧いており、無色透明でスベスベした肌に優しい柔らかな温泉がとても気持がよい。これなら1時間はゆっくりと入っていられそうだ。

 それでもさすがは1時間は入っていられないから、30分で切り上げて、次に隣の上の湯の熱い温泉へ入る。こちらは混濁した乳白色の色をしておりなるほど先の下の湯である温泉とは違い、かなり温度が高くその熱いお湯が肌にくい込んできそうだ。そんな二つの温泉へゆっくりと入った後は、夕食前のトレーニングとばかり、持参した銘酒を互いに酌み交わす。モウ、温泉でポカポカ、お酒でポカポカ、ご機嫌最高だ。あっという間に銘酒の瓶が空になってしまった。 (;_;)
そんなご機嫌になったところで、やがて夕食タイムとなり、食堂へ行くと大勢の宿泊客が、食べたり飲んだりして、談笑している。私達は8人なので、特別席という分けでもなく単に大勢と言うことで、2階の大広間での夕食となる。当然儀式として乾杯は生ビールで、風邪で体調を崩していながらも赤倉岳の途中まで頑張ったT,Kさんの乾杯の音頭で、夕食宴会の始まりである。

 山菜の天麩羅、ヤマメ、キノコ等々のご馳走をツマミニし、「グビグビグビ」と生ビールを飲む。モウ、温泉でいい気持、銘酒でいい気持、またまた、生ビールでいい気持。これぞ当に至福のひと時だ。隣のグループも山登りをしてきたようで、モウ、活発なる中年の女性のテンションが上がり甲高い声で「飲みましょう。」とビールのグラスを高く上げ奇声を発している。一方、Circle《ゆーぽぴあ》の女性yuupolerは、それなりに慎ましく召し上がっているではないか。

「ホントかよ。」・・・「マアマア」

 そんな夕食タイムもやがてお開きとなり、また、一息ついて、部屋で銘酒を飲みながら論客のA,Sさんを中心にして、、民主党の政権について、各、蘊蓄を傾ける。そして、その論戦もやがて種切れとなり、何せ、夜行高速バスで、余り寝られなかったことと、登山の疲れも手伝って、皆さん、おねむになったので、ここでお開きにして床に着くこととした。私はこれからが本番とばかり温泉に入りに行き、下の湯である温めの温泉へドップリと浸かる。「ウーーン、良い湯だな。ここは東北谷地温泉の湯」と一節、うなりたくなるようだ。

 「Kさん」もう、1時過ぎですよ。部屋に戻った方がよいのではないですか。」と誰かが言っているではないか。「誰だろう。谷地温泉の係りの方かな。それにしたら何で私の名前を知っているのだろう。」とすっかり、ボーとしている頭で考えていた。そうか。お酒でいい気持になり、そのまま温い温泉に入ったので、すっかり温泉に浸かりながら寝てしまったのだった。そして、その忠告に従い部屋にも取るとS,Mさんが「お帰りなさい。」と言うではないか。S,Mさんの曰く「Kさんが10時に温泉に入りに行き、余り来ないので心配になって温泉場に行ったら、気持よさそうに温泉に入って寝ているではありませんか。それにしても2時間30分は、あまりにも長風呂なので、声を掛けたのですよ。」と笑いながら話す。

 「エッ、それじゃあ、温い温泉だったので、約、2時間30分」温泉に入り放しだったのか。」いくら私が温泉好きでも2時間30分の超、長風呂の記録は今までになく、これが最高になるであろうか。しかし、あのまま、天国へ昇天したら、実に気持がよいだろうと思いつつ爆睡に入った。 (-.-)Zzz




 10/11(日)


 <行程>

 谷地温泉=徒歩⇒谷地湿原散策=徒歩⇒谷地温泉=レンタカー⇒蔦沼散策=レンタカー⇒睡蓮沼散策=レンタカー⇒地獄沼散策=レンタカー⇒城ヶ倉大橋通過=レンタカー⇒道の駅虹の湖公園(昼食休憩及び周辺ドライブ)=レンタカー⇒青荷温泉  宿泊 (-.-)Zzz

 ≪遊歩記≫

 今朝は熟睡をしたため、バッチリと目覚めも良く早速朝風呂とばかりに温泉へ入りに行く。朝の温泉は実に気持が良くグッタリとした五体が生き生きと蘇るようだ。そんな温泉に入り、朝食を採ってから、出発前に旅館の前にある谷地湿原を散策する。マア、何てことのない湿原で短時間に散策も終わってしまった。それからレンタカー2台で、先ずは蔦沼へと車を走らせる。両サイドの木々の紅葉が真っ盛りで、まるで紅葉のトンネルを抜けて走っているようだ。勿論、ドライバーはS,Mさんだ。

 やがて車は蔦沼の駐車場に着き、ここから歩いて蔦沼へ向かう。整備された道を歩いて行くと紅葉に彩られた山々を背景にして、静かに水を湛えた蔦沼が墨絵のように見える。まるで幻想的なこの光景に皆、歓声を上げる。そして記念写真とばかりにデジカメで、蔦沼をバックに撮す。 (^_^)

 そんな蔦沼の散策を終え、大町桂月の墓石に手を合わせてから、今度は車を走らせ睡蓮沼へと向かう。その道中も木々の紅葉が、実に鮮やかで素晴らしく目に映える。睡蓮沼に近づくと路傍に止めてある車が、多くそのため、渋滞となり、車も思うように進まない。何せ、睡蓮沼には駐車場がないものだから、皆、車を路傍に止めている。私達も仕方なく空いている箇所を見つけ車を止めて睡蓮沼へと向かう。ここは吹く風もとても冷たく思わず身震いが出る。高田大岳の雄姿を水面に映し、満々と水を湛え葦が風に揺れる風景は、自然が織りなす芸術そのものであろう。「ウーーン、実に素晴らしい。眺めだ。」観光客の皆さん、そんな風景をデジカメで撮すのに余念がない。私達もあちらこちらでパチリ・・・!!!   ハイ、ポース  (^_^)

 そんな睡蓮沼を見てから、今度は名前もおどろおどろしい地獄沼へと向かう。この周辺も駐車場がないものだから、車道の両肩に車がビッシリと止まっており、ここもまた、渋滞が激しく私達も路傍の空きスペースを求めノロノロと走る。そんな一隅に空きスペースを見つけ車を止め、地獄沼へ向かう。するとA,Sさんが「饅頭ふかしと書いてあるぞ何だか艶っぽいネーミングだな。」と私達に教えてくれた。時刻沼の傍へ行くとユラユラと白い湯下が立ちこめ奇妙な光景に感動を覚える。沼面に手を当ててみると水でなくお湯になっており、かなり温かい。沼全体が熱湯が噴き出てそれが湯下となり、ユラユラ揺れ立ちこめているのだろう。

 そんな神秘の自然美を見ていたら、和美が「ふかし饅頭を買ってくるから待っていてね。」と掛けだして行った。もう、A,Sさんは「ワーイ、温かな饅頭が食べられる。きっと寒いから美味いことだろうな。楽しみだな。・・・!!!」とまるで幼児のようにニコニコしながら大きな顔をほころばせ待っている。きっと熱い熱湯が沸くものだからその蒸気で、饅頭をふかして売っているのだろうね。そんな想像をしながら待っているが、買いに行った和美は一向に戻ってこないではないか。「全くどうしたのだろう。」と半分イライラしながら待っていたら、そこへ和美が戻ってきて、「ふかし饅頭ってどこに売っているのですか。」と観光客に聞いたら「ふかし饅頭かい。あそこにあるよ行って皆。」と笑いながら教えてくれたので、そこへ行ったらね。、ふかし饅頭ってね。もう、ゲラゲラゲラ、ゲゲゲノゲと大声で笑っているではないか。そんな和美の話によると「ふかし饅頭とは、食べる饅頭でなく観光客のお尻のことで、熱湯が噴き出ているところに網目状の仕切りがあり、それに腰掛けて、言わばお尻を温めることで、だから二つのお尻、即ち、お饅頭をふかし温まることなのよ。」とその説明を聞いてみんな大笑いをしてしまった。

 そんな大笑いをして、橋の下の景色が素晴らしい、城ヶ倉大橋へ車を走らせるが、ここも駐車場が無いために路傍に車を止めており、空きスペースが見つからないので、城ヶ倉大橋はパスをして、道の駅「虹の湖公園」へ行きここで各自の好きなものを注文し、昼食を採ることとした。何しろ昼食タイムの時間を長く取っても青荷温泉のCheck-inまでにはまだまだ時間があるので、ドライブとばかりあちらこちらと走り、見物し、そして今日のお宿、今回一番のお目当て、ランプの宿「青荷温泉」へと向かった。

 青荷温泉へ行く山道には、電柱に津軽弁で、色々と注意書きやらが書いてあるので、それを見つけた、S,Yさんが、その面白い文句を読み上げる度に苦笑してしまった。カーブを幾度無く曲がりやがて谷底のような所にある青荷温泉の駐車場に着きそこに2台の車を止め青荷温泉の玄関に入る。青荷川の渓流沿いに本館と3棟のはなれが散在する。本館と離れは青荷川に掛かるつり橋で結ばれている。敷地や建物は清掃が行き届いていてなかなか気持ちがよい。風呂は4ヶ所(健六の湯・龍神の湯・露天風呂・内湯)ある。電気はちゃんと通っているが、ランプの宿に偽りなく、各所の照明はランプが使われている。

太い柱で組まれた玄関に入るとさすがは人気のランプの宿だけにお客さんでかなり混雑をしていた。受付を済ませ薄暗い廊下を進み行き、一旦外へ出て川に掛かる吊り橋を渡り、更に歩き離れて建つ重厚な館という佇まいの家に入りその二部屋に荷物を置き、一休みする。
      《青荷温泉》
 

■源泉名    / 青荷温泉
           自家源泉
■泉質     / 単純泉
■成分総計   / 384(mg/kg)
■湧出状態   / 動力揚湯
■源泉名    / 青荷温泉4号泉
           自家源泉
■浴場名    / 男女別内湯 ■使用状態/完全放流式 ■使用源泉/青荷温泉
          加水:なし/加温:なし/消毒剤の使用:なし
■浴場名    / 健六の湯 ■使用状態/完全放流式 ■使用源泉/青荷温泉
          加水:なし/加温:なし/消毒剤の使用:なし
■浴場名    / 混浴露天風呂 ■使用状態/完全放流式 ■使用源泉/青荷温泉4          号泉
          加水:なし/加温:なし/消毒剤の使用:なし
■浴場名    / 滝見の湯 ■使用状態/完全放流式 ■使用源泉/青荷温泉
          加水:なし/加温:なし/消毒剤の使用:なし
■温度     /  47度


 一休みしてから男性一同、先ずは「滝見の湯」へ行く。浴槽も大きく檜造りの内風呂に入ると無色透明な掛け流しの温泉が、浴槽から溢れるばかりに流れ出ている。そんな温泉にドップリと肩まで浸かり入る。「ウーーン、良い湯だな。」肌にとても優しい温泉で熱めのお湯が実に気持が良い。そんな熱めの温泉に入り、今度は内風呂から通じている岩出囲まれた露天風呂に入る。目の前の山の斜面から細長く瀧が流れており、当にこれが滝見の湯だ。そんな露天風呂に入っていたら何と4人の女性yuupolerが入ってきた。男女の露天風呂の境は格子状になっている木で、遮蔽されているのだが、一箇所だけチラリ見えるところがあるのだ。その箇所に目を押しつけてA,Sさんが「S,Yさん、見えたぞ。見えたぞ」と嬉しそうに話している。あちらからも「見るなら見れば」と大胆な声が掛かる。

 「実際にはほんのチラリとしか見えないので、誰だか分からないのが実態ですから、ご安心してください。」 (^@^;

 そんな楽しいやり取りをして、部屋に戻りこれまた、夕食前のトレーニングとばかり、銘酒を飲む段々と陽が暮れてきたので、部屋に吊してあるランプの灯りがいっそう目立ってその光景に否が応でも秘湯たる「ランプの宿」の実感を体験する。何と言ってもランプの宿の醍醐味は、夕刻から夜にかけてだろう。灯されるランプの数200。客室はもちろん、風呂や廊下、厨房に至るまでランプの光だけが頼り。ぼんやり淡い光が揺れる様は幻想的というしかなく、浮世離れした雰囲気に包まれタイムスリップをして古の世界に迷い込んだようだ。

 銘酒を飲みながら談笑していたら夕食タイムとなったので、食事処へ行く。途中の庭、廊下等には、ランプが灯されてその光りが暗闇に浮き出て、ランプの宿の雰囲気は最高である。食事処もランプが何カ所も灯されているのだが、それでも部屋は薄暗く良く見えないのがまた、良いのかも知れないが、私のように弱視者にはやはり、明るくよく見えた方がよい。改めて電気のありがたさを痛感した。食事は大きな串に刺さったヤマメ、山菜料理、魚類等々と余り大したものは出ていない。何しろどれも冷たくなっており、料理の点から言えば落第点である。それに隣の席は大勢の団体客でガヤガヤとやかましく落ち着いて食事が出来ないのが難点で、それで食事も早々にしてその場を引き上げてしまった。あまりにもランプの宿と言うことで、団体客を受け入れているためにそんな心遣いが何時日か忘れられてきたのかと思うと誠に残念である。

 部屋に戻っても何せランプの明かりだから、薄暗く何もすることが無く既にふとんが敷いてあるので、そこに横になり、暫し微睡みそれからS,Mさんと宿の玄関を出た所の健六の湯へ行く。浴槽に入ると何と47度の温泉が、そのまま掛け流しでドンドンと湯口から出ており、熱いお湯が好きな私もさすがに長くは言っておられず直ぐに出て来てしまった。それから部屋に戻り直ぐにふとんに入り眠りに着いた。 (-.-)Zzz


 10/12(月)


 <行程>

 青荷温泉=レンタカー⇒弘前駅前=バス⇒弘前城見学(昼食)=タクシー⇒弘前駅前(15:55発)=高速バス⇒盛岡(16:10着・16:47発)=東北新幹線⇒東京駅(19:47着) (^_^) 

 ≪遊歩記≫

 早朝、目覚めてから先ずは朝風呂とばかり、まだ入っていない混浴露天風呂へ行くこととした。混浴とは言え、女性の姿は無く男性だけの入浴である。大きな岩出囲まれた露天風呂は、結構広く大きい。先客が既に気持ちよさそうに入浴している。朝の冷気が気持がよい。しかし、露天風呂のスケールとしては、私が今までに行った温泉では、やはり、群馬県の宝川温泉の露天風呂が一番広く大きいだろう。そんな露天風呂に入り、粗末な朝食を済ませ一同、青荷温泉に別れを告げ急坂を登り、駐車場で二日間お世話になったレンタカーに乗り込む。早いもので楽しかった「東北紅葉山旅シリーズ・八甲田山と秘湯を尋ねて」の遊歩も今日が最終日である。

 先ずはレンタカーを返却するため、弘前駅前へと車を走らせる。空いている道路を快適に走って行く。今日はレンタカーもご機嫌が良く余りエンジン音も響かせずに今日で私達とお別れとあってか。調子よく走ってくれる。窓外を見ればやはり、津軽とあって林檎畑が多く目立つ。そんな空いている津軽路を1時間ぐらい走り、レンタカーの受付へ行き、レンタカーを返却してから、弘前駅の構内のコインロッカーにザックを預けて、弘前駅前からバスに乗り、弘前城へ向かう。

  それではこの弘前市について、その概略を述べてみよう。

 “街の中の広大な敷地にそびえる弘前城天守をはじめ、寺院や武家屋敷、商家が軒を連ねる伝統的建造物群など、弘前は長い歴史を感じさせる街だ。
藩政時代、津軽十万石の城下町として栄えた弘前市。築城と同時に弘前城を守るため、城の南西には長勝寺(ちょうしょうじ)、南東は五重塔、北西に誓願寺と、お城を囲むように寺院などが建てられた。”

 国の重要無形民俗&カ化財に指定されている弘前ねぶた祭(8月1日〜7日)の由来は、「坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際に始めた」というおとぎ話や、「夏の睡魔を追い払うねむり流し(精霊流し)が始まり」という説や、「津軽藩祖為信が京都で豊臣秀吉に大灯籠を見せたのが始まり」などと、様々な説があります。
 ねぶたの形は扇方が主流となっており、正面の絵は鏡絵といい三国志・水滸伝・等の勇壮な絵が描かれ、後面は見送り絵といい対象的な愁いを含んだ美人画が描かれています。
 前灯籠を先頭にして、ねぷたの引き綱に連なった子供達を中心に老若男女が笛や太鼓、鉦の哀調を帯びた囃子に合わせ「ヤーヤドー」と掛け声をはりあげて城下町弘前を練り歩きます。


城の外郭のお堀にかかる橋を渡り、威風堂々たる厚い扉がつけられた大手門をくぐり城内にはいる。周囲の木々は桜一色で、特に年輪を重ねたシダレザクラが多く目立ちこれなら春にはさぞかし桜花爛漫、それは見事な眺めであろう。その桜の木々の間から弘前城が幾星霜歴史の変遷を重ね風格有る佇まいを見せている。弘前城の観覧券を購入し、以前来たときにボランティアガイドが説明をしてくれたので、今回もボランティアガイドをお願いし、説明をして貰うこととした。

  ボランティアガイド

 「皆さん、ようこそこの津軽にいらっしゃいました。それではこれからこの弘前城を中心として約、1時間説明と案内をさせていただきます。」 

「それでは先ずこの弘前公園(史跡指定面積約49,2ha)について説明をしましょう。」

 「弘前城は、津軽統一を成し遂げた津軽為信によって考案され慶長8年(1603)に計画され、二代藩主信枚が慶長15年(1610)に着手し、翌16年に完成しました。以後弘前城は、津軽氏の居城として廃藩に至るまでの260年間、津軽藩政の中心地でした。
明治28年(1895)に、弘前公園として開放され、昭和27年(1952)には、史跡に指定されています。」
 「明治末期ごろから市民による桜の寄贈が盛んになり、現在は、ソメイヨシノやシダレザクラ、八重桜など約2,600本余りの桜が春になると園内を埋め尽くします。
園内では、春の「弘前さくらまつり」、秋は「弘前城菊と紅葉まつり」、冬にじま「弘前城雪燈篭まつり」と四季の祭りが行われます。
 城門・隅櫓橋北門、南内門、東内門、追手門、東門の五つの城門、丑寅櫓、辰巳櫓、未申櫓の三つの隅櫓が現存し、いずれも重要文化財に指定されています。
 春には、静かな水面を眺めながら、延々と続く-棟方志功画伯が「御滝桜」
と命名したシダレザクラ美があります。このほかに本丸のダケモミや西の郭のイチョウなど貴重な数多くの古木・名木が植えられています。」

 そんな説明を受けてからいよいよ弘前城の中へ入る。先ず驚いたのは、土足のまま見学できることだ。この弘前城は現代的にいうと3階になっており、各階には津軽氏が使用した刀剣や鎧、生活用品などが展示されている。そんな資料をボランティアガイドの方が熱心に説明をしてくれる。少し津軽弁でユーモアたっぷりと郷土の宝物を誇らしげに語る様は、素朴な東北の特長が出ており実に好感が持てる方だ。そんな各種資料を見学した後は、公園内を歩きながら細々と丁寧に説明をしてくれた。

 そんなガイドの方の説明をかいつまんでここに載せておこう。

  本 丸

 面積約 14,200mの本丸は、四方に石垣が築かれ、藩政時代には御殿や能舞台が建てられていました。現在は、ソメイヨシノやシダレザクラをはじめ、数多くの桜が植えられ、ここから望む岩木山(標高1,625m)は、まさに絶景です。

  弘前城天守

 二代藩主信枚により慶長16年(1611)に五層の天守が築城されましたが、寛永4年(1627)に落雷により焼失しました。現在の天守は、文化7年(1810)に蝦夷地警備の功績を認められた九代藩主寧親(やすちか)が、隅櫓の改築を理由に天守再建に着工し、翌8年に完成したもの
です。江戸時代に再建された天守としては、東北地方に現存する唯一のもので、重要文化財に指定されています。
 現在は弘前城史料館として、藩政時代の史資料を展示しています。

  北の郭(くるわ)

 面積約9,300uの北の郭は、西方から北方にかけて高さ約6mあまりの崖に面しています。北東隅には、二の丸に現存する三棟の櫓と同規模の三層の子の櫓がありました。発掘調査により、子の櫓のほか、館神、籾蔵などの跡が確認され、本丸に次ぐ重要な郭であることが明らかになりました。

 籾藏跡(もみぐらあと)

 寛文12年(1672)に四代藩主の信政の生母である久祥院の屋形が建てられ、廃藩の頃には、籾蔵が建ち並んでいました。現在は、その礎石列を表示しています。

  館神跡(たてがみあと)

 太閤秀吉の木像をご神体として安置した場所で、ごく限られた人だけが出入りできる場所でした。現在は鳥居の礎石、本殿の柱などを表示しています。

  子の櫓跡(ねのやぐらあと)

 武具などを保管していた三層の櫓の跡で、展望デッキからはその芯柱の礎石など、発掘されたままの状態を見ることができます。明治39年(1906)花火のため焼失してしまいました。

  武徳殿(ぶとくでん)休憩所

 明治44年(1911)に演武場として竣工し、その後休憩所として保存修理したもので、物
産の販売や、喫茶コーナーのほか、北の郭で発見された出土品も展示しています。

  緑の相談所

 弘前城植物園(有料)
専門の相談員が花と緑に関する相談に応じているほか、約 1,000冊の植物に関する図書をご覧になれます。また、季節によって様々な講習会や展示会、園芸教室などを開催しています。園内には、23ゾーン、1,500種、124,000本の樹木、草本が植えられています。世界各地の高山植物を集めたロックガーデン、季節の移り変わりを感じ取れる花ごよみの径など、四季を通じて草花が楽しめます。

 そんな新雪に説明をしてくれたガイドボランティアとお別れをし、これも以前来たことのある食堂で、全員「津軽っ子」という定食を注文し、当然生ビール、お酒も注文し昼食タイムとなる。この定食が実に豪華で、鮭、カズノコ、イクラ、ホタテ貝、山菜等々が綺麗に盛られており、それにご飯が実に美味しく皆さん、モウ満足をして食べている。

 そんな豪華な食事をし、高速バスの発車時刻も迫っているので、奮発してタクシーで弘前駅へ行きコインロッカーからザックを出して、高速バスに乗り込む。高速バスに乗るとお酒を飲んでいるためか直ぐに眠くなり、目が覚めたらもう、盛岡駅へ到着した。そして
新幹線へ乗り込み今回の楽しかった「東北紅葉山旅シリーズ・八甲田山と秘湯を尋ねて」の思い出話をする。私は今回の一番の目的であったランプの宿「青荷温泉」よりもやはり、素朴な湯治場の佇まい「谷地温泉」のあの温度差がある2種類の温泉が一番良かった。何
たってあの温い温泉に2時間30分も入っていたのだからね。それに宿泊代が、5800円とは安くてこれもまた魅力だ。残念なのは経営が代わり、「日本秘湯を守る会」から退会ををしていたことだ。お陰で予定をしていた「日本秘湯を守る会」のスタンプの数が一つ足りなくなったことだ。

 こうしてこの「東北紅葉山旅シリーズ・八甲田山と秘湯を尋ねて」の楽しかった遊歩も
無事終了したのであった。

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