《日々快走inマラソンに戻る》

トップページに戻る

《次のページへ》








☆★☆《日々快走in2005》☆★☆


○●○●○●○●○●○●○●○●○○●○●○●○●○●○●○●○●




一の宮桃の里マラソン大会



 マラソン日:  2005年4月10日(日)
 大 会 名:  山梨県「笛吹市一の宮・桃の里マラソン
  種 目」:  ハーフ(21,095m)
  記 録 :  2時間11分01秒
  天 候 :  快晴
 コース内容:  アップダウン有り 

≪感想 ≫

町村合併を去年の10月に行い「笛吹市」となり、この一宮町も笛吹市と大きく様変わりをした。そんな今年は笛吹市となっての最初の「一の宮桃の里マラソン」である。私はこのマラソン大会が大好きで、もう何度も参加をしているお気に入りのマラソン大会である。

 そのお気に入りの理由としては、この時期桃の花と桜の花が同時に満開となり、その桜桃の花が咲き乱れる桃源郷を走るのは実に気持ちがよいものである。そして大会も町おこしの一貫として、特産品の模擬店や太鼓などの演奏、それと200円でワイングラスを購入すると一の宮特産のワインが飲み放題で、おまけにお弁当と豚汁がつき、参加賞としてTシャツがもらえて参加費が3,500円という心がこもったアットホームの大会で、それに4月になりいよいよこれから春になるという季節感もあり距離もハーフ(21,095m)という丁度良い距離なので毎年参加を楽しみにしている大会である。

 最近は足底筋膜炎、アキレス腱炎等に罹患し、そのためすっかりとマラソン大会から縁遠くなっているが、この桃の里マラソンの大会はどうしても参加をしたく今年もまた、スタートラインにこうして並んでいるのであった。

 体調としては、3月27日に伊豆ヶ岳の山行を終えてから、風邪を引いてしまい10日間ばかり喉と鼻が痛くおまけに微熱もあり、そのため全く練習が出来ずようやく4月8日に軽く1時間20分ばかり走る練習をしたくらいで、マア、記録は問題にしないで完走が出来ればいいやと大会に参加をしたのであった。

 いつものことながらこのスタート地点に立つときは、緊張するものでこれからのマラソンのコースを考えたり、沈没をしないかと心配したり、内心記録のことも考えたりとランナーであれば誰しも総であろう。9時45分、号砲一発スタートのピストルが鳴りゾロゾロとランナーが一斉に動き出す。幸にもこの大会はそんなに大規模の大会でないからすぐにスタート地点に到達し、ランナーが意気揚々と陽春の陽射しを一杯に浴びて走って行く。

 私は出来るだけゆっくりと他のランナーが追い抜いていっても構わずスロースタートで走って行く。それにしても大分追い抜いて行くではないか。それはそのはずでスタート地点に並んだのが、かなり前の方だったので、その前の方は足自慢の方が多く好記録の方々が陣取っている所なのだ。そこに並んでいたものだから「オリャヨ、オッサン、邪魔、邪魔」とばかりにドンドンと追い抜いていくのである。

 今回は先ず完走してみて、左アキレス腱に影響が出ないか、体力はどうであろうか。こんなことを考えて2時間のロードレースに力を注ぎまた、健康である喜びの感動を味合うためのマラソンというドラマの始まりである。このコースは山沿いだけにアップダウンが多く結構泣かされるコースでいつもゴール後はバテバテになってしまうのだった。

 全般は快適なる走りで、スタートしてから約、30分エンジンも快調となり、結構追い抜いて行く。今度は前のランナーを抜いてやろうなどと心で思い抜いて行く、この時の優越感はたまらないものである。しかし、今日はお天気も良くて吹く風もここちよく道沿いには桃の花が満開で遠くから見るとまるでピンクの絨毯を引いたようである。それに見上げると上の方では桜の花がこれも桃の花に負けてたまるかとばかりに咲き乱れている。

 余裕のあるのはここら当たりまでで難所の坂道や急下降を繰り返すたびに体力はガックリと落ちてきて、もう走るのが辛くなって、「1、2、3、4」と頭で調子をとりながら、「365日のマーチ」を歌ったりして、盛んに叱咤激励、鼓舞しヨタヨタと走る。時間は「ゲッゲッゲ1時間50分になるではないか。」残りの距離はまだ3kmもあるんだ。去年は確か1時間59分で、かろうじて2時間をかからずに走れたのだが今年は2時間を超えてしまうのは確実だ。

 サア、残りの3kが実に辛い、歩いているランナーも結構いるが、歩いたらもうオシマイで何とか歯を食いしばり走る。「ガンバレ後少しだぞ。」と声援が飛ぶ。それに応えるべくヨロ、ヨロ、ノロ、ノロ走る。やはり、練習不足の報いが現れた。これからは普段努めて練習をしなくてはと戒めながら走る。「ゴールまで400mだ。ガンバレよ。」の声がかかりその声を後ろにして、ようやくノロ、ノロとゴールイン。・・・  (-_-;)  (^^;)

 何と今までのハーフ(21,095m)の記録のワースト記録、2時間11分01秒であった。ゴール後、冷たい生ビールを飲んで、余りに疲れたので20分ばかり寝てしまった。こんなことは初めてであった。自分では絶対に年のためとは思いたくないもので、今度は練習をして奮起一番また、挑戦をしてやるぞと心に誓い大会会場を後にした。  

                  オシマイ

****************************************************************

         
皇居2集マラソン大会



 マラソン日   2005年4月23日(土)
   大会名   メイクアウイッシュ チャリティマラソン
   種 目   10Km
   記 録   53分30秒
   天 候   晴れ

  ≪感想≫

 この大会は六つ星の佃さんから誘われて参加をしたのである。難病の患者さんを励ます意味でのチャリティマラソンとして、もう結構回数を重ねており、会社関係の方が慈善事業として難病対策のチャリティに取り組んでいるのだそうである。会場に行ってみると若い方が多く私のようなおじさんは少ないのでビックリした。その中でも外人の方が結構多いのには二度ビックリした。アバウトであるが皇居を2周すると丁度10Kになるとのことで、5kコースと2周する10Kコーストに分かれての大会である。

 常日頃から一度皇居の周りを走ってみたいと思っていたので、丁度良い機会であった。他のマラソン大会のように交通規制は全くしていなく歩道を走るとのことで、一般通行者や自転車を乗っている方などをよけて走るとのことで、そんなコースでは危険ではないかと聊か心配になる。

 時間が来たのでスタート地点に並びスタートのピストルの合図で一斉に走り出す。しかし、いつものマラソン大会と違ってのんびりとしていて、タイムも自分で計ったのが記録となるのだそうである。他の大会のような完走賞としてのタイムを書かれたものはでないそうで、それなりに楽しみながら走って欲しいとのいわば手作りの大会である。

 思ったよりも歩道は広くとってあるので、そんなに一般歩行者がいても気にならずに走ることが出来た。左側に皇居を見ながら走るのであるが、何しろ周囲5Kもあるので改めて皇居の広いのには驚いた。かつては谷川真理さんも市民ランナーとして、毎日皇居の周りを走っていたのだそうで、昼休みなどには、多くの市民ランナーが気持ちの良い汗をかいていることであろう。

 皇居の緑と陽春の風がとても気持ちが良く、気分爽快で走れたことに満足をしてここちよい疲労感で会場を後にした。


**********************************************************************


       
都心を走る東京シティマラソン



 マラソン日   2005年6月12日(日)
   大会名   東京シティマラソン
   種 目   10Km
   記 録   55分21秒
   天 候   28° 風 0,5m

  ≪感想≫

 去年の東京シティマラソンは、最初から左アキレス腱の疼痛のために思うように走れなかったが、今年はようやく故障も完治し最近は早朝トレーニングも快適にほぼ毎日1時間40分ぐらい走れるようになった。

 この東京シティマラソンは、参加費が5,000円と大分費用が高いが、日比谷公園から国立競技場まで東京の都心を走ることが出来るので、毎年エントリーをしている。私にとって山梨の「一の宮桃の里マラソン」と並んで楽しみな大会である。

 この東京シティマラソンは、各、障害者(視障者、聴覚障害者、知的障害者、肢体障害者)と健常者が共に同じコースを走るというノーマライゼイションのマラソン大会である。yuupolerでは奥山さんが視障者の方の伴走者としてエントリーをしている。当日お会いし
お互いの健闘を讃え挨拶を交わす。その他、六つ星山の会の元気おじさんYさんにもお会いした。

 それにしても今日は、蒸し暑く風も余り吹かず朝から暑い陽射しが照りつけスタート時間まで待機をしているのだが、頭が暑くなりこれからの10Kのマラソンが完走できるか心配になってきた。待機場所から車道のスタート地点に移動し、いよいよ感動の東京シティマラソンの始まりである。先ずは9時30分、車椅子のランナーがスタートをする。そして9時35分号砲一発、約、5000人のランナーのスタートである。

 例によってドンドンと皆さん、私を追い抜いて走って行くが、マイペースで最初はゆっくりと走り出す。このように障害者も健常者も一丸となって走る喜びを身体に感じ皆、意気揚々と国立競技場を目指し走っている。本当に喜ばしいことだ。

 さすがは東京の大会だけに走る車道も広くとってあり、実に走りよく吹く風がとても気持ち良く高いビルを見ながら、気分は一流ランナー並みに足取りも軽く走る。調子は快適で足取りも軽くお互い抜いたり抜かれたりしながら都心を走る。20分も走ると汗がダラダラと滝のように流れてくる。陽射しはいよいよ暑くなり、後頭部がボヤッとしてきた。それでもそんなに喉も渇かず1度目の給水場でも給水もせずに走れる。

 5K地点では、タイムは30分で通過し、これから徐々にピッチを上げて走る。実際にどの辺りを走っているのかは、分からないがそれでも大体の目安で見慣れた街並みを通過する。2度目の給水場も給水をせずに通過し心で1、2、3、4とリズムをとって苦しさを紛らし走って行く。

 そして緑が一段と濃くなってきたので、いよいよ国立競技場に近づいていることを感じ更に気持ちに活を入れ走る。やがて大きな国立競技場の外壁が見えだしその外壁を巻くようにして競技場の場内に入りここで4、5にんのランナーを抜き去り懸命に走りついにゴールイン、タイムは55分21秒で、去年の大会よりは4分ばかり短縮できた。マア、現在の私の実力では、こんなものであろうと自分で納得をし出されたスポーツドリンクを一期にのみ和美と出会い、着替えて歩き出すと救急車が何台も走って来るではないか。この暑さのために熱中症で倒れたのであろうか。私は幸に暑さも気にならずに走ることが出来たので、健康に感謝をし、いよいよ今秋のフルマラソンに挑戦すべくファイトをたぎらせ帰宅した。

 なお、23日(月)今日のニュースでは、昨日の東京シティマラソンで熱中症で倒れたランナーが、21名もあり、そのうち重症者が5名も出たそうである。関係者はその対策で大変だったことでしょう。暑さに負けない体力を付けるためにも普段からのトレーニングが重要なことは言うまでもないことだ。きっと来年の大会は、6月は避けて5月以降になるでしょう。

****************************************************************


JBMA小田原マラソン大会



マラソン日   2005年11月13日(日)
  大会名   JBMA小田原マラソン大会
  種 目   ハーフ(21,095m)
  天 候   温度 15°  湿度 58%  風 0,2m
  タイム   2時間05分
  コース   アップダウンの激しいコース

 ≪感想≫

 この大会は、視覚障害者のマラソンを愛する会の主催で、毎年小田原で11月第2日曜日に開催されている。視覚障害者が伴走者と共にロードを思い切り走り抜く大会で、日本全国からこの大会に参加をしている。一般の健常者のランナーも視障者と共に走り、走る喜びと楽しみを満喫している。

 私はこの二、三年足のトラブルで参加をしていなかったが、ようやく今年の春頃からそんな足のトラブルも完治して久しぶりにこの大会に参加をすることが出来た。しかし、参加をしてみて驚いたのは以前のコースは、小田原市の市街を走っていたのだが、数年前からコースが変更となり、交通渋滞緩和のために市街を走ることを止めて、小田原の山並みを走るようなコースになっていた。スタートをしていきなりの急坂の登りが続くのである。それが約、25分ばかり続いてそれから急下降の下りとなる。

 とにかく平坦なところが全体のコースの20%ぐらいで後の80%はほとんど急な上り下りの連続である。その急な登りにはもう、走るのを止めて歩こうかと思ったくらいで、足が前にデス心臓もバクバクしてとても辛かった。・・・  (;_;)

 その代わり下り坂は私の得意中の得意で、ドンドンと駆け下って行きランナーを次から次へと抜いていってしまった。本当に加速度がついているので転ばないかと心配になったぐらいである。そんなアップダウンの連続のコースであったが、久しぶりの快い疲労感に気持ちも高揚し上機嫌で帰宅をした。

 春の山梨の一の宮桃の里マラソンも結構急な上り坂があるが、とてもこの小田原に比べたら楽なもので、この小田原を完走できればどんな大会にでも出場できるでしょう。記録は残念ながら2時間を5分もオーバーしてしまったが、このアップダウンでは仕方がないと自己満足をし納得を無理矢理自分にさせた。

 この大会は参加料も2500円と安く色々なお土産(バスタオル、ショルダーバック、ミカンの詰め合わせ)やら、お弁当、豚汁、スポーツドリンク等々とたくさんのお楽しみがあり、それだけに毎年参加をしたくなる。大会です。また、来年も健康であれば参加をしようと思っております。