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☆★☆《日々快走inマラソン1999》☆★☆

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    コース  青梅街道 新宿駅→青梅
   走った日  1999年元旦
     誰と  一人で
    距 離  おそらく42キロはあるだろう ?
    記 録  5時間30分

【コースタイム記録】

 新宿大ガード(9:40)→カン7(10:10)→地下鉄南阿佐 ケ 谷駅
(10:20)→荻窪駅前(10:28)→四面道交差点(10:33)→北
浦交差点・三鷹駅に行く分岐点 (11:00〜11:10) →道を間違える
(11:25)→田無駅そばの西武線ガード下(11:35)→ヤマザキパン
工場の前 (12:07) →小平霊園の前 (12:12) →一回目の給水
(12:20)〜12:25)→西武国分寺線ガード下(12:30)→立川
駅の分岐点・交差点 (12:55) →二回目の給水 (13:00〜13:
10)→東大和警察署前(13:20)→三回目の給水(13:45)→高架
橋(14:10)→四回目の給水(14:20〜14:28)→青梅街道分岐
点(15:00)→東青梅駅(15:12) \(^O^)/

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[感想]

  いつも正月は雪山に行っているのですが、今年は久しぶりに自宅にいること
にしました。紅白歌合戦も久しぶりに見ました。相変わらず小林サッチャンの
衣装はすごいものがありますね。
 そんなわけでして、どうせ自宅にいるのなら、思いきり走って見ようとかね
てよりやってみたかった青梅街道を新宿から青梅まで走ってきました。

 この距離は飲まず食わずで歩く勝ち歩き大会が春と秋に行われていますがこ
の距離を元旦に走ったら道も空いていてさぞかし走りよいのではと思って実行
しました。

 1999年の元旦早朝に起きてみると風が吹いていて一段と寒くこの冬一番
の冷え込みとか、女房が「本当に走るの・・・ (^^;)」 と疑いの眼差しで見
ているので、「走ると言ったら走るんだ」と威勢良く家を飛び出す。吉祥寺の
駅まで井の頭公園を通って向かうが、さすがに人もいなくて池の風が冷たく頬
を刺す。

 新宿駅に到着して用便を済ませ気持ちに活を入れて、新宿駅の大ガード下に
立つ。サア、これから出発である。さすがの賑やかな新宿も元旦で、人もまば
らで青梅街道も自家用車が走るだけで閑散としている。ノッポピルの高層ビル
を左に見て冷たい向かい風をまともに頬に浴びて、快調の出だしで足も軽やか
に新しいアシックスのランニングシューズで一路青梅に向かう。大都会もさす
がは元旦でシーンと静まり返っている。車もまばらでこれなら排気ガスも気に
ならずに歩道を快適に走れる。

 カン七、阿佐 ケ 谷、荻窪と快適にアッという間に来てしまった。 荻窪まで
50分ぐらいで来られるとは思わなかった。荻窪を過ぎると2、3の神社で初
詣の参拝者がチラホラ今年の運を願って参拝をしていた。

 北浦の三鷹駅へ行く交差点に来ると新しい靴のためか、靴擦れが出来て痛む
ので絆創膏を貼って痛みをカバーする。新しい靴のためか1時間も走るとやは
り、靴擦れが出来てそれが障害になって思うように走れなくなる。それから同
憂わけか道を間違えてしまってとんだロスタイムを取ってしまった。人に道を
聞いて再び青梅街道に出て、靴擦れを我慢しながら、それでも快調に田無のガ
ード下を通過して、これより新青梅街道に入って田無タワーを左に見て更に走
る。ここら当たりまで来ると少々くたびれてきたので一回目の給水をしてバナ
ナを食べて、小平霊園の前を通過して、これより東大和市に入る。ここはかつ
ては住んでいたので良く分かっているので走っていても安心して距離感が分か
って心強い。

 しかし、新宿を出発して3時間、大分くたびれてきた。おまけに風がとても
冷たくてそれも堪える。弱気の悪魔が「ここら変で東大和市駅から帰ったらど
うだ・・・ (;_;)」とささやいてしょうがない。 「バカ絶対に青梅まで走る
んだ」と弱気を打ち消して黙々と青梅に向かって走る。やがて目標の高架橋に
到着する。疲れは極度に達して、やたらにのどが渇く、四回目の給水を取って
商店のオバチャンに聞くとビックリしたような声で「青梅まではまだ10Kも
あるよ」と教えてくれた。

 再び己に活を入れて「青梅、青梅」と言いながら、青梅街道を走っていく。
通行人に尋ねると2Kぐらい行った二俣の道を右に行けば青梅だと教えてくれ
たので、疲れたからだにムチを打って走っていく。やがてその目標の二俣に出
たので「シメシメ」と顔もゆるんで駅に向かう。駅が分からないので再度通行
人に聞くと東青梅駅はすぐであるが、青梅の駅は更に2Kもあるよと教えてく
れたので、 青梅はあきらめて一つ手前の東青梅駅に到着した。 時に3時10
分、 新宿を出発して5時間40分、 ついに挫折することなく目的地に到着し
た。

 疲れたが快い疲労感で99年の元旦を思いきり走れた満足感で、青梅線に乗
車した。しかし、電車でも青梅から新宿までは立川駅で乗り換えて中央線に乗
って行かなければならないので、その距離は結構あるもんだと痛感し、良くこ
の距離を走ったもんだと自分を褒めて上げて元旦の一日を有意義に過ごした。
オシマイ




 マラソン日  1999年2月21日(日)
   大会名  青梅マラソン 
   種 目  30K
   記 録  2時間42分03秒
   順 位  4225位
   天 候  晴れ
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[感想]

 去年は雪の中での大会でしたが、今年は快晴に恵まれてコンデションも上々
でまずまずの成績で満足しています。
 何しろ私は三鷹なものでして、青梅には近いものですから当日は朝早く起き
て、井の頭公園を40分ばかり走ってウォーミングアップをして青梅に向かい
ました。青梅は人、人、人で大勢ですから、ウォーミングアップもママなりま
せんので、家でやっていくことにしました。ですから身体もほぐれていて気持
ちよく走れました。

 それにしても相変わらずの人の波で、私の6536番はスタート地点から遥
かかなたにあり、その間はランナーでギッシリです。後ろもランナーで道路が
見えないくらいに人でいっぱいです。正午にスタートしてからスタート地点ま
で4分はかかりました。「ガンバッテーエ」の甲高い声に送られて皆、一斉に
ノロノロと動き出しました。今年は「かえってこいよ」のレコードの呼びかけ
はないのかと思ったら走り出してしばらくしたらスピーカーから定番の「かえ
ってこいよ」のレコードが聞こえました。やはり、これを聞かないと青梅マラ
ソンらしくないのでやっと落ち着いて走ることが出来ました。

 15Kの折り返し地点が1時間21分ですから、ゴールは2時間40分を切
りたいものと後半は結構頑張りましたが、ゴールは2時間42分でした。それ
でも去年は2時間48分ですから6分も短縮したことになります。4分のロス
タイムを除けば2時間38分で40分を切ったことになりますから良いとしま
しょう。

 打ち上げでのビールのアジト焼酎のお湯割りは最高にうまかったです。
又、来年も元気で青梅マラソンを走りたいと思います。
これが健康のバロメーターになってこれからのライフワークに目標が出来て非
情に良いと思っています。
 健康に注意して(ちっとも注意していないな。酒は飲むし、タバコはすぱす
ぱ吸うし、 タバコを吸うのは、 FRUNでも六つ星でも私ぐらいかな。
(^@^; でも走り終えた後の一本はう゛まいんですよね。マア、良いか。)
 それなりにマイペースで行きましょう。  (^_^)

 今度は3月7日の「三浦国際マラソン」のハーフだ ・・・ !!


   大会名  三浦国際マラソン
 マラソン日  1999年3月7日(日)
   種 目  ハーフ(21,095m)
   記 録  1時間46分41秒
   天 候  晴れ後曇り
  総合順位  5082人中  1380位
  種目順位  4599人中  1340位
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[感想]

 去年は大雪で棄権をしてしまったので、2年ぶりの大会出場である。
アニーさんと三浦海岸駅で待ち合わせをして会場の三浦海岸に着くと早くも橋
本ご夫妻が集合場所を確保してくれていた。いつも早くから集合場所の設置を
していただいて感謝の気持ちで一杯である。今年はお楽しみの手袋のプレゼン
トがないとのことでガッカリしてしまった。これも不況の影響かも知れません
ね。 (;_;)

 Tシャツと三浦ダイコンのプレゼントをもらって戻るとFRUNのメンバー
が続々と集まってきていた。

 9時37分にスタートのピストルがなって、一斉に集団がノソノソと歩き始
めた。
しかし、青梅マラソンの約半分なので、すぐに走ることが出来た。最初は海岸
線に沿って約2Kの平坦な道路を走っていく。早春の海は穏やかで波も静かで
キラキラと輝いている。スタートして13分そんなのんびりとした風景ともお
別れで、これからいよいよ丘陵地帯にと突入である。いつも最初の坂道がとて
も苦しくて、まだ身体が重たい身には非情に応える難所である。やっとの思い
で登り詰めたら、今度は急な下りでこの下りでかなりのランナーを追い越す。
いつも思うのだが追い越すときには実に気持ちがよいもので、 「ハイオサラ
バ・・・!! ルンルンルン」とばかりに追い越していく。それが反対の時に
は、 「クソーまた、追い越されたか。 ・・・ (@_@) 」とその悲哀を味わ
う。

 そんな丘陵地帯を抜けると「ハイオツカレサン」とばかりに、空にはトンビ
が「ヒョロヒョロヒョロロロ」とマラソンランナーに応援の鳴き声を上げて声
援をしてくれた。

 やっと三浦大橋を渡って、折り返し地点に到着した。時間は52分、今日は
温度もそんなに暑くなくて風も冷たく熱い体にはとても気持ちが良くて、余り
のども渇かず給水もしなくても良い状態である。この日のために再度ランニン
グシューズを購入して、それが今度はピッタリとしているので走っていても快
適でクッションがきいている セイカ
グングンと復路も飛ばせる感じである。

 後半の丘陵地帯もそんなに苦しくなくて通過が出来て残りの2Kの海岸線に
到着した。すると後ろから橋本さんに声をかけられた。お互いに一寸話をして
又、一路ゴール地点にと歯を食いしばって懸命に走る。途中でたかさん、カロ
さんの声援を受けて、それをガンバリにしてただひたすらゴールに向かう。

 今回はそんなに疲れもなくてゴールが出来た。給水も一回だけでよく、
そんなに喉も乾かずに完走できたのでまずまずである。

 大会後はお目当ての中華街オフでおいしい中華料理と生ビールをおいしく頂
いて、赤い顔をしてごきげんで帰途についた。

 サア、今度は3月28日のいよいよ「荒川フルマラソン」である。
目標の3時間45分で走れるか ・・・こうご期待である。 (^_^)


   大会名  荒川市民マラソン
 マラソン日  1999年3月28日(日)
   種 目  フルマラソン(42,195m)
   記 録  3時間47分53秒

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[感想]

 去年荒川市民マラソンに参加された、パラシュートさんがとても良い大会だ
ったと聞いていたので、私も是非、出場したいと第2回目の本大会に参加しま
した。

 例によってパラシュートさんと浮間船渡駅で、待ち合わせをしてもらって会
場に行きました。早朝の風はとても冷たく、広い荒川の河川敷には、もう多数
の人達が集まっていました。それでも8時前だったせいか、受け付けもそんな
に混んでいなくてすぐに受け付けを住ませることが出来ました。

 集合場所に着くと間もなく、たかさんがFRUNの勲章に輝く旗を持って登
場しました。聞くと昨日からすでに受け付けをすましているとか、オオ〜、今
回は相当に気合いが入っているなって感じとれました。サブ4をこれは狙って
いる顔つきだと直感しました。それから続々とFRUNのメンバーが集まって
きました。

 それにしてもじっとしていると寒い、早く走りたくなってきました。私は暑
いのは苦手ですから、このぐらいの気温ですと快調で、何だか自己ベストがで
るのではと内心期待をしていました。

 スタート地点に行くとマア、ランナーがいるいる、1万人のランナーの隊列
は見事なものです。所定の番号のところにいると幸人さんに声をかけられて、
お互いに挨拶を交わして健闘をたたえ合う。

 スタートのピストルがなって9時5分に、いよいよ荒川フルマラソンのドラ
マが始まったのだ。それこそもそもそという感じでランナーがスタート地点を
目指して歩き出す。スタート地点まで3分ぐらいかかっただろうか、ゆっくり
ながら冷たい風を頬に受けて、意気揚々と走り出す。身体もそんなに重くなく
て、走ることを喜んでいるかの如く軽快に走っていく。最初は荒川のドテを走
ると思っていたので、1万人もいるとドテからはみ出してしまって、危なくは
ないのかなって思ったが、ドテの下のかなり道幅の広いところを走るので、そ
んな懸念は全く心配なく視力の弱い私も思いきって走ることが出来て、まさに
快適で他のランナーとも接触することがなく、一人、二人三人と抜き去ってい
く。 エヘヘヘヘエヘヘ 一寸カッコウ良すぎるかな。 ・・・ (^^)

 途中でたかさんに声をかけられて、3時間45分を狙うなら、もっと早く行
かないと駄目だよと言われて、 その気になって一寸リキを入れて走り出す。
又、前方にいたパラシュートさんに追いついて、挨拶をしてしっかりと地面を
踏んで走り出していく。

 折り返しの15K地点もわりと楽にクリアした。後続のランナーが続々とこ
ちらを目指して走ってくる。正直、こんな時は気持ちが良くて、「オーイみん
なガンバレよ・・・俺は先に行くからな・・ !!」と気持ちはハイでそれを
バネにしてなおも35Kのレモンシャーベットを目指して走っていく。今回の
楽しみはこのレモンシャーベットが食べられることだ。しかし、主催者側も実
にニクイネ・・・ この35Kのところに設置するなんて、余り至近距離だと
レモンシャーベットをたくさん用意をしなくてはならないが、35K当たりだ
とランナーもフルイにかけられて、そんなに用意をしなくてもすむし、実際後
7Kを残す距離になると記録を狙う人は食べずに走り去って行くから、これも
又、よしとする。 こんな思惑があるのかないのかは知らないが、 確かに魔の
35Kでの冷たいシャーベットのプレゼントには、本当に嬉しいものがある。

 そんな35Kの地点にもそんなに着かれなくて到着して、「シャーベットを
下さい」と、まるで飢えた子供のように手を差し出して、冷たいシャーベット
をもらう、すると接待をしていた係りの人が、笑みを浮かべて「ゆっくりと食
べていって・・・ゆっくり食べたって1分と違わないからね。そんなにおいし
かったらもう一つ如何ですか。さあ、一杯にして上げましょう。」と二つ目を
カップ一杯にシャーベットを入れてくれたので、嬉しくなってゆっくりと2杯
のシャーベットを食べて、水を一杯飲んで3、4分ぐらいかな、ゆっくりして
後7Kを目指して走り出す。

 さすがに37K位まで来ると足は重く足の裏にはどうやらマメが出来たよう
で走るたびに痛むが、もう半分足は麻痺しているので、そのその痛みを快感に
して、ゴールを目指して走っていく。ランナーは多かれ少なかれマドの気がな
いと走れないかもね。 (^O^) 頭には「巨人の星☆★」や「水戸黄門」 の歌
が流れる。「南無妙法蓮華経」のお題目も流れてくる。そんなものをBGMに
しながら、ひたすらにゴールを目指して走る、走る。やっとコースが左に折れ
て土の道に変わって、ゴールが近づいてきた。後一息、ガンバレ、ガンバレ自
分を必死に励まして唇をかんでゴールイン。 3時間47分53秒  またも
自己ベストがでた。 去年の筑波マラソンでは3時間58分32秒であったか
ら、5分短縮できた。目標の3時間45分には一寸及ばなかったが、シャーベ
ットタイムを取りすぎたのであれを短くしていれば45分は達しただろう。

 レース後はFRUNのメンバーも勢揃いして、おいしい祝杯の生ビールを飲
んで今日のお互いの健闘をたたえ合う。 今日も又、健康で走れたことを神に
感謝して、1週間後の桃の里ハーフマラソンに思いを馳せて、一路赤い顔をし
て帰途についた。


   大会名   一の宮桃の里マラソン
 マラソン日   1999年4月4日(日)
   種 目   ハーフ(21,095m)
   記 録   1時間46分03秒
   順 位   500人中246番

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[感想]

 橋本さん、橋本妻さんそして桃の里マラソンに参加された皆さん、当日は楽
しい一時を有り難うございました。

 まさに桜桃の花爛漫の中を走ることが出来て本当に良かったです。この大会
は私は参加回数が多くローカルでホットな大会なので、気に入って毎年参加し
ています。
今年はFRUNの皆さんと一緒に一時を過ごせてなおさら良かったです。
集合場所も分かりやすくて、トイレにも近く一等地なので貴賓席のようで助か
りました。

 荒川フルマラソンから1週間後でその間、一回も練習しなくて、身体が重く
て果たして完走できるか不安でしたが、お花見だと思って気楽に出かけました
が、イザスタート地点に立つとやはり、気分が高まってきて、やる気になって
きますから不思議なものですね。なぜかスタート地点では、ゼッケンの関係で
最前列の方に並んでしまって、 最初から早いランナーのペースに巻き込まれ
て、すっかり意気が上がってしまって往生しました。今日はイヤに抜かされる
と思ったら、自分が早いランナーと一緒の所だったのでしょうか。すっかり抜
かされるので落ち込んで走っていました。

 ゴール後は本当に疲れました。やはり、年ですからフルの疲れが1週間では
取れなかったのでしょうね。それでもタイムは46分03秒 種目別 壮年男
子 500人中246番でしたので、普段のハーフのタイムと余り変わりはな
かったです。疲労度は格段に違いますが・・・ (;_;)

 この桃の里マラソンを走ると今年も春が来たと実感します。
また、健康で来年も走りたいと思います。  (^_^)

   大会名   霞ヶ浦国際マラソン
 マラソン日   1999年4月18日(日)
   種 目   フルマラソン(42,195m)
   記 録   3時間57分

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[感想]

 去年、一昨年とタイムは4時間30分〜40分のところをうろうろしていまし
たので、今年はどうしてもサブ4を達成して、その雪辱を果たしたいと密かに
決意をしていました。そしてこのところ自己ベストを更新しているので、ぼっ
としたら3時間45分も夢ではないかなって、甘い思い出土浦の会場に出かけ
ました。

 当日はパラシュートさんと上野駅で待ち合わせをして、7時00分の特急電
車で土浦に行くはずでしたが、私が遅れてしまって、同行できずにパラシュー
トさんに先に行ってもらう結果となりました。あわててパラシュートさんの携
帯電話にアクセスして、その旨を話して、土浦の駅で待っていただきました。
折角特急で行ったのに何もなりませんでした。本当にパラシュートさんには、
申し訳ないことをしてしまいました。
それにしても携帯電話は、こんな時に実に便利ですね。昔でしたら、土浦駅に
電話をして、駅で放送をしてもらうしかありませんでしたが、今は実に移動し
ている人にでもアクセスが出来るので、 改めて便利なことを痛切に感じまし
た。
でも、自宅で治療院を経営している私は、余り携帯電話を利用する機会もない
ので、持ちたいとはいまだに思っていませんが、やがては必要に攻められて持
つようになるのかなって感じました。

 会場に着くと地元のうららさんがテントを設営してくれて、 おおかたの
Frunのメンバーが集まっていました。お互いに自己紹介をして、早速ラン
ニングの真っ赤なユニホームに着替えていると、このFRUNの話題の人きだ
るまさんがさっそうと現れました。きだるま何てだるまをイメージしていたの
で、コロコロと肥ったおばさんを想像していましたが、何の何のスマートでと
ても可愛らしいチャーミングな人でした。ハンドルネームで想像していると本
当に面白いことがありますね。男だと思ったら、女だったりして、そこがこの
パソ通の面白い点ですね。

 スタートの時間が迫ったので、移動すると何とゆりさんが偶然にも私達の前
にいましたので、お目にかかることが出来ました。ハンドルネームのユリの如
くとても清楚な方でした。本当にちょっとの間だけでもお目にかかれて良かっ
たと思っています。「完走をしてね」と励ましてゆりさんと分かれて、大勢の
ランナーの隊列の中に入って行きました。10時にスタートをして前半は好調
で、足どりも軽くこれならサブ4は間違いない、ぼっとしたら45分も達成で
きるのではないかと確信を持ったのである。それが後半になって甘いことをま
たも知らされた。
 ハーフは1時間48分、30Kは2時間36分とまあまあの線で走ってきた
が、やはり35Kの壁があった。身体は筑波マラソン、荒川マラソンの時とは
比較にならないほど疲れてきて、ジュースや水をガブ飲みしてしまった。

 そして突然恐れていた、足の突っ張りが大腿部の後側に走った。去年、一昨
年とこれに泣かされてきたので、ついに来てしまったかとビクビクしてしまっ
た。
それでも少し休んで濡れたスポンジを足に当ててパンパンと思いきりたたいた
ら、痙攣はおさまったので又走り出した。去年と同じ田圃道である。

 少し走ると又、痙攣が起こってきて、 そのたびに足をたたいて又、 走り出
す。そんなことを繰り返しながら田圃道を走っていると「歩登寿さん、ガンバ
ッテ」と後ろから声がかかる。きだるまさんが軽い走りで追いついてきて励ま
しのエールを送ってきた。「これなら3時間50分は大丈夫だから」と黒砂糖
ビタミン飴をくれたので、それをむしゃむしゃと食べながら走り出す。相変わ
らず足の痙攣が起きてきて、そのたびに立ち止まってパンパンとたたいて、走
り出すと前に同じ様な人がいるではないか。何とトオルさんである。お互いに
抜きつ抜かれつしながら走っていく。ようやく後2Kの地点に到着した。「も
う少しだ」と自分を叱咤激励して、ヤットコサ走る。そして繁華街にでて、う
ららさんの温かい声援を受けてどうにかゴールインできた。 タイムは3時間
57分でサブ4は出来たが自分では満足が出来なかった。どうもこの霞ヶ浦は
良い成績がでない。やはり、4月の第3日曜日となると暑いので堪えるのであ
ろうか。汗も寒いときのマラソンと違って格段に汗をかいてしまった。

 そしてゴール後にシューさんが待っていてくれて完走証をもらいに行った
ら、何と部門別壮年男子で1位であると知らされた。1位いっても6にんしか
いないのだが・・・それでも1位は嬉しいものだ。

 2時30分を過ぎるとほとんどメンバーが集まったので、オフ会場に出かけ
ることにした。途中で賞品をもらいに行くと、何と大きな金メダルをくれたの
で、皆さんが祝ってくれて、金メダルを首にかけたところを写真を撮ってくれ
た。今までに1位何て何にしてもなったことがないので、正直嬉しいものがあ
った。

 タイムは満足できなかったが、 1位ということで、 今年の霞ヶ浦は終わっ
た。

 そしてうららさんが手配をしてくれたオフ会場でFRUNのメンバー16人
が祝杯の生ビールのジョッキーを挙げて早くも次の大会に話を咲かせて大いに
盛り上がった。

 今日は思ったよりも暑くもなくて助かった楽しいマラソン劇の一日であっ
た。

 今度は5月23日の金太郎マラソンの15Kで今年の前半のマラソンも終了
である。



   大会名   勝沼「ぶどうトークマラソン」
 マラソン日   1999年10月17日(日)
   種 目   20K
   記 録   1時間33分36秒 
   順 位   年齢別では 360人中 122位

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[感想]

 10月17日(日)山梨県勝沼町の「ぶどうトークマラソン」の20Kに出
場しました。当日は会場に着いた8時頃は曇り空でしたが、スタートの時間に
なると晴天になり走るのには些か暑かったです。コノ大会は去年、一昨年と参
加表明をしながら体調の不和でキャンセルをしてしまって2年ぶりの出場であ
る。

 スタート時間を1時間も間違えて、スッカリとウォーミングアップを済ませ
て集合場所に行ったが、まだ1時間も後だと言われて又、荷物がおいてある所
に戻りかけたら、FRUNのKONOさんにお会いして一緒にお互いスタート
時間まで談笑する。KONOさんは10Kに出場とかで、今回お嬢さんも5K
に出場する予定だったが、 風邪を引いたためにキャンセルしたとのこと。
KONOさんの愛妻の作ってくれたケーキを頂いて活力を養う。
今回はFRUNのピッコロさんもここに来ているはずだが大勢なので見わたら
ない。

 時間が来たのでスタート地点に移動をする。そこに六つ星山の会の岡野さん
に合う。彼も職場のランニングクラブの方々と参加しているとのこと。そして
今日は西沢渓谷のそばの温泉で一泊し、ランニングクラブの年に一度の顔合わ
せの会になるとかでそちらの方が楽しみだと笑っていた。

 コースはアップダウンのかなりきついコースでやはり登り坂は堪える。 で
も、それを登ると今度は急下降なの出一気にかけ下っていく。
そんなコースを何回か繰り返してやっとゴールインをした。
タイムは1時間33分36秒 年齢別では 360人中 122位だった。
今回はそんなに疲れもなくてアップダウンのコースもそんなに疲れずに走るこ
とが出来た。これは最近結構練習にリキが入っているせい果も知れない。やは
り、練習すればそれなりに成果が上がるもので、改めて普段の練習の必要性を
知った。

 サア、今度は11月14日の小田原のJBMAハーフマラソンだ。 (^_^)



  個人練習   多摩湖LSD
 マラソン日   1999年11月3日
   種 目   LSD
   記 録   5時間 
【コースタイム】

自宅 (東京三鷹・8:40発) →五日市街道側・田無サイクルロード入口
(9:10)→青梅街道の分岐点(9:37)→西部線小平駅前(9:45)
→萩山駅前(9:53)→八坂駅前(10:00)→多摩湖畔(10:20)
→多摩湖畔西武園寄り (10:24・10:33発) →多摩湖畔反対側
(10:52) →新青梅街道交差点 (11:15) →東大和市駅 (11:
26・11:40)→青梅街道と府中街道分岐(12:00)→津田塾大学前
(12:05)→西武国分寺線の踏切(12:17)→JR国分寺駅の中央線
のガード(12:22)→府中街道と東八道路の分岐点(12:30・12:
35)→東八道路と小金井駅に行く交差点12:52)→多摩霊園前(12:
58) →野川公園入口 (13:05)→深大寺正門前(13:42・13:
53)→自宅(14:20)

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[感想]

 最近3時間以上走っていないので、筑波フルマラソンの前に練習で走ってお
かなければと、自宅の三鷹から多摩湖の5時間走を11月3日に走ってきまし
た。
このコースはいぜん1回ほど走って完走しただけで、今日は完走できるか分か
らないので、ザックに予め着替えの下着などを入れ、それにバナナ、烏龍茶な
どを一緒に入れて、いつでもバテたら電車で帰ってこられるようにと持ってい
くことにしました。

 走り始めるといやに体が重くて、これでは完走はおぼつかないかも知れない
と思ってしまった。最近は3時間以上走ったことはなかったので、不安が胸を
よぎる。それでも1時間ぐらい走って、多摩湖サイクルロードに入ると身体も
軽くなってリズムに乗ってきたので、これなら大丈夫だと一路多摩湖目指して
走っていく。

 多摩湖畔に到着したのか丁度自宅から1時間40分、このペースは前と同じ
なのでどうやら快調に走ってきたようだ。 ここで1回目の休憩をとり、 烏龍
茶、バナナなどを補給して今度は多摩湖の反対側に向かって走っていく。ここ
は多摩湖の湖畔に多摩湖を1周するようにサイクルロードが出来ており、右手
に西武球場を見て、右に行くと所沢に行く道を左にとり、多摩湖の反対側に出
た。ここから今度は青梅街道に向かって走り新青梅街道の交差点を通過して、
西武線の東大和市駅に到着して、ここで2回目の休憩をとり、バナナ、ジュー
スなどを補給して、一路青梅街道を走り、府中街道の交差点を右に折れ、津田
塾大学の前を通過して、JR国分寺駅の高架橋の所に出た。さすがにここら当
たりまで来ると疲れが身体に大分来た感じて、足も重くなってきたが活を入れ
てひたすら走っていく。

 ようやく見慣れた府中街道と東八道路の交差点に来た。ここで3回目の休憩
をとって野川公園に向かった。前回はこのまま真っ直ぐに東八道路を自宅に向
かったのだが、今日はやけに調子がよいので深大寺に行くことにした。野川の
畔を深大寺に向かって走る。ここはいつも来ているランニングコースなので、
川を見ながら快適に走っていく。深大寺ではお腹が減ったので、オヤキを買っ
て4回目の休憩をとりオヤキを食べた。何と空きっ腹だったのでとてもおいし
かった。今日は休日でもあるので、結構参拝客が大勢来ている。そんな所でお
じさんが汗をかいてオヤキをおいしそうに食べている姿はさぞ異様に写っただ
ろう。

 お腹も満足したので最後のフィニッシュ、後30分ばかりガンバってどうに
か自宅にたどり着いた。所要時間は5時間40分、4回の休憩時間を覗くと実
働5時間であった。

 今回は大した疲れもなくて、快適に走ることが出来た。これも暑くなかった
ので良かったのかも知れない。これで筑波フルマラソンに向けての自信が着い
た。



   大会名   JBMA小田原大会
 マラソン日   1999年11月14日(日)
   種 目   ハーフ(21,095m)
   記 録   1時間50分10秒
   天 候   晴れ
   コース   アップダウンのきつい丘陵地帯

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[感想]

 この大会も回を重ねて今年で第17回である。年毎に盛大になってきて、晴
眼者と視障者が、バリヤフリーの本でお互いに切磋琢磨して秋の一日小田原市
郊外を走り抜ける。11月3日に5時間走をして、7日には山歩きをしたりし
たためか。先週は体が重くて走る気がしなく1回も練習をしなくて本番に突入
した。 先週はおまけに風邪気味で調子がさえなく土曜日まで悶々としていた
が、当日はわりとさっぱりして大会に望むことが出来た。

 祝砲がなって10時スタートのピストルがなって、10Kとハーフが同時に
スタートをした。私は前の列にいたのだがアッという間に置いて行かれて、自
分のペースで走ることにした。小田原陸上競技場を後にして、コースはかなり
の下りとなる。ここはアップダウンがきついコースなのでなるべくペースを守
って走ろうとしたがやはり、下り坂はスピードが出て余り前が見えないので一
寸恐ろしかった。そんなコースも小田原の市内にはいると平坦になるがやがて
又、登り坂となって、息が上がってくる。どうも去年のコースとは勝手が違う
なって思いつつ走っていく。伴走者とロープを持った視障者ランナーが何組も
追い抜いていく。私は感心しながらそれを見送ってはーはー言いながらただひ
たすら走る。

 ボランティアの温かい声援に励まされて折り返し地点に到着をした。ここか
ら又、緩い登りとなって淡々と走る。下り、登りと何回か繰り返して、今度は
今までにない急登の坂道となって、これが延々と続く。もう息もすっかり上が
ってしまって、よっぽど歩いてしまおうかと思ったがここで歩くと気持ちがな
いでしまうので1、2、3、4とリズムを取りながら懸命に登り坂を走ると言
うよりもヨロヨロとあえぎあえぎノタノタ前に歩を進める。どうにか登り坂の
頂点に到達して、ここから急下降となって陸上競技場にヨロヨロとゴールイン
をした。今年からコースが全面的に変更となって小田原郊外の丘陵地帯を走る
こととなった。「そんなこと聞いていないよ。・・・ (;_;) 」 この大会は
久しぶりにヘトヘトとなってしまった。これからこのコースが定着するのかと
思うと何だか空恐ろしくなるが、これも又完走してみれば充実感はひとしきり
である。

 この大会は皆さん、一生懸命に携わっているのだが、今回も5Kの参加者か
らは「何で陸上競技場から、スタートをさせないのか。競技場から1Kもスタ
ート地点まで、移動をさせてそれだけでもロスである。」とか「コースの距離
が圧倒的に5Kには足りない。実際には4Kぐらいしかないのではないか。な
ぜならば5Kの第1位の方のタイムが13分とは全く早すぎる。超一流のラン
ナーでもめったにその記録は難しい。・・・ おかしいものがある。」と言っ
ていた。確かに言われてみればそうである。そのことをこれからどうなのか是
非にも聞きたいものである。 その点、 くにさんどうでしょうか。 ・・・
(^@^; 宜しくお願いいたします。

 秋の一日良い汗をかいて車中でビールを飲んで疲れも手伝って過。ウトウト
とまどろみながら新宿駅に着いた。 オシマイ  (^_^)

 なお、この大会では市角さんが与芝さんの伴走で、10Kのコースに挑戦し
た。その結果は去年よりはるかにタイムは遅くて1時間08分と途中きつくて
歩いてしまったとか。本当に今回は誰もがきつかったと話をしている。それから
石田さんもウォークに参加していた。

 山登りも面白いがマラソンも体力の限界に挑むので、これも又、面白いものが
ある。サア、今度は筑波フルマラソンだ。



   大会名   筑波フルマラソン
 マラソン日   1999年11月28日(日)
   種 目   フルマラソン(42,195m)
   記 録   3時間58分01秒

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[感想]

 筑波マラソン参加の皆さん、今日は。

 あれから1週間経ってしまいましたが、 やっとアクセスする気になりまし
た。
一緒に行っていただいたTONさん、当日は有り難うございました。その後お
二人共々体調は如何ですか。私は3日間は身体が重くて疲れがとれませんでし
た。

 うららさん、当日は集合場所の確保やらオフ会場の手配などいつもながら有
り難うございました。お陰様でおいしいビールが今年も飲めました。今回は去
年と違って18名で座臥賑やかでしたね。やはり、宴会は賑やかでないと盛り
上がりませんね。

 今年は前半は体も軽く快調だったのですがやはり、後半がバテバテになって
しまって、ゴールインはフラフラでヤットコサゴールインできました。いつも
のことながら後半が疲れてしまって、全く情けない状態でした。去年が3時間
53分でしたから、今年は3時間45分ぐらいでゴールイン出来るのではと期
待をしていたのですが、そんなもくろみも儚く消え去りました。結果は3時間
58分01秒でした。

 まあ、どうにかサブ4は達成できましたが、自分としては後半のバテてしま
った情けなさが残ってスッキリしない状態です。やはり、練習はしっかりとし
ないともろに成績に跳ね返ってきますね。又、コツコツと練習をしましょう。

 今年はビックな大会は終わりました。今度は神宮外苑の10Kです。


   大会名  神宮外苑ロードレース
 マラソン日  1999年12月19日(日)
   種 目  10K
   記 録  58分57秒

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[感想]

 今年は第2ウェーブで走ることになった。うららさんと千駄ヶ谷の駅で待ち
合わせをしてもらって、国立競技場に向かった。frunの皆さんの集合場所
にと向かう。すでにパラシュートさん、ひまわりさんなどが来ていた。今年は
総勢47名ぐらいの参加だそうで、関西からもうずらさん等多数が駆けつけて
いる。

 去年は何周したのか忘れてしまって、橋本妻さんに教えていただいたが、今
年はそんなこともなく走ることが出来た。競技場を出た所で多数のFrunの
応援をもらって頑張って走ることが出来たが、いかんせん練習不足で記録は思
うように伸びなかった。

 大会後、韓国料理の店で忘年会となり、帰りは金井そらみさんに渋谷駅まで
送ってもらった。