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☆★☆《日々快走inマラソン1998》☆★☆

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   大会名   青梅マラソン
 マラソン日   1998年2月14日
  種  目   30K
  記  録   2時間46分
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[感想]

 14日の天気予報では、15日の明け方から雨又は雪になりますがその量は
大したことがなく、午後には急速に回復するでしょうと言っていたがとんでも
ない、12時のスタート時間頃になると雪は益々ひどくなり、スタートを待っ
ている間寒くて寒くて体を小刻みに動かしてスタートを待っていました。

 いつのまにかスタートのピストルが鳴ったのか分からないまま、のそのそと
皆、スタートをしてこれから始まる30Kノマラソン劇に各々の思いを込めて
期待に胸膨らませてスタートをしました。それにしても雨の中でのマラソンは
何回か経験したが、こんな大雪の中でのマラソンは初めてである。相変わらず
参加者が多く良くもこんなに集まったもんだと感心する。走り出せば寒さも気
にならずに帰って汗をかかずに体は軽快である。 おきまりの」 帰ってこいよ
「のレコードに送られてゆっくりと走り出す。太鼓の音が出発のランナーに声
援を送って勇ましく送り出してくれる。

 スタートして1時間、丁度1時頃早くも先頭のランナーが折り返して猛烈な
早さで駆け抜けていった。しかし、早いもんで私達の集団はまだ半分もこない
うちにもう折り返してくるのであるからその脚力たるや大したもんである。登
り坂をはーはーいいながら越えると間もなく折り返し地点の15Kである。タ
イムは1時間25分、これなら復路を順調にいけば2時間50分にはゴールで
きそうである。体も軽いし3時間はどうやら切れそうである。往路では雪のた
めか沿道に余り応援の町の人達がいなかったが、復路になるとさすが人も増え
て声援にも一段と熱が入ってきて、こちらも勇気が出てきてバテ気味の体にム
チ打って走る。今回はトレーニングを結構やってきたのでいつも足が痙攣する
のだが今回はそれもなく寒いせいか喉も乾かなくてエイドステーションには2
回吸水しただけでそれも一寸水を飲んだだけで順調に走ることが出来た。

 残り後5Kの地点まで到着した。 これからが頑張りを見せなければならな
い。実際町の中に入ってからが長く感じる。何時しか顔もひきつってきて懸命
に走り抜く。ここら当たりになると雪もほとんどやんで陽も射してきた。皆さ
んの声援に助けられて残り1Kの当たりまで来た。タイムは2時間45分、何
とか50分にはゴールしたいものである。ようやっとゴールのレーンが見えて
きた。ゴールである。時間は2時間50分、スピーカーからただいま5200
人の方がゴールしましたと言っているから丁度真ん中ぐらいの順位であろう
か。スタート地点まで移動するのに4分はかかっているので実際は2時間46
分である。

 今回は足の痙攣もなく自分としては満足できた走りだった。やはり日頃の練
習は何にしても大切なことを改めて痛感した次第である。





   大会名   一の宮桃の里マラソン
 マラソン日   1998年4月13日
  種  目   ハーフ(21,095m)
  記  録   1時間46分10秒
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[感想]

当日は晴天で初夏を思わせる暑さで、桃の花も満開で一ノ宮の町が桃源郷を思
わせるようなピンクに染まっていました。桜と桃の花が一度に咲いて本当にき
れいでした。

 今回はコースも変更になって、より桃の畑も多く目に付きました。それだけ
に桃の花も十分に見ることが出来て、途中で疲れた体に良い強壮剤となりまし
た。お陰で1時間46分10秒と去年より2分もタイムを短縮する事が出来ま
した。

 サア、今度は19日のいよいよ霞ヶ浦のフルマラソンです。 (@_@)


*



  大会名   霞ヶ浦国債フルマラソン
マラソン日   1998年4月19日
 種  目   フルマラソン(42,195m)
 記  録   4時間28分10秒
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[感想]


: 今年も駄目だった霞ヶ浦マラソン (;_;)

 昨日までのぐずついていた天気とは一転して、快晴の気持ちの良い天気でマ
ラソンには一寸暑いのではないかと、懸念されるような太陽がギラギラと照り
つけている土浦の陸上競技場に着いた。早速FRUNの集合場所を探すが見あ
たらなかったので、10時のスタートの時間も迫っていたのでとりあえず適当
に競技場の芝生にシートを敷いて準備体操をすることにした。グランドを三周
して戻るとFRUNの集合地点が分かったと妻が言うので、そちらに移動して
FRUNの皆さんに挨拶してスタート地点に向かった。今年は去年の屈辱をは
らすべく自分なりにリキが入っているので、当然列ぶところも四時間のところ
に列んでスタートのピストルの合図を待った。どこの大会でもそうだがこの瞬
間は期待と不安で緊張する一時である。

 何しろ七千人が参加しているのでその数たるや大変なもので、様々なランシ
ャツ、ランパンのスタイルのランナーが今や遅しと合図のピストルの音を待っ
ている。時計を見ると10時になっている。何だか知らない間にピストルが鳴
ったようでゾロゾロと動き出す。スタートラインまで到達するのに3分かかっ
てしまった。
 サア、出発だ。これからマラソンという、ドラマの始まりである。このフル
マラソンは何が起きるか分からないのが面白くもあり、甚だ不安でもある競技
で練習に練習を重ねた人も意外な結果に終わるのがこのフルマラソンである。
前半は土浦の風も体に心地よく、「霞ヶ浦の風になって走れ」と言わんばかり
に体が走れる喜びで躍動している感じである。走るリズムも快調で広い土浦の
市街の道を走り抜けていく。

 市街も通り抜けて閑静な場所に来ると、ウグイスが「ホーホケキョッ、ケッ
キョ」と鳴いて私達を応援しているようである。 小さな子供達が 「がんばっ
て・・・!!」と黄色い声を出して懸命に応援してくれる姿は思わず嬉しくな
って大きく手を振ってそれに応える。これがまだ前半なのでこんなゆとりがあ
るが、後半になるとそんなどころではなくなってしまうのだから面白いもので
ある。10マイルの分岐点がスタートしてから40分ぐらいであろうか。ここ
ら当たりまで来ると畑が多いためかヒバリが「ピーチク、パーチク」と春の陽
射しを一杯に浴びながら懸命に歌っている。まさに春爛漫の一日で、風もさわ
やかで汗もそうかかないで足どりも軽く前へ前へと向かって進んでいく。これ
ならサブ4も出来るのではないかと自信が沸々と沸いてきて 「やってやる
ぞ・・・ (^_^) 」と自分で内心叫んで他のランナーを抜かしていく。 壱時
間10分ぐらい走っただろうか。 後ろから 「124番さん」と声がかかる。
「歩登寿さんと二人連れのランナーが後ろから追い越しざまに声をかけてき
た。「誰ですか」と言うと「源気くん(林さん)」ではないかこちらが声をか
ける間もなく快調な足どりでさっさと走り去ってしまった。やはり若い人はリ
キが違うな。 感心しながら4回の給水場もパスして走り抜けていく。 1時間
30分ぐらいのところで「歩登寿さん」と又、声がかかる。今度はFRUNの
パラシュートさんとシューさんであるしかし、FRUNのユニホームは鮮やか
な真紅でよく目立ってお二人の姿も一際鮮やかに輝いて見えた。

 25Kも2時間20分で、 足も心臓も疲れもなく快調に走れている。 しか
し、陽射しがきつくて暑く喉がしきりに乾いてきた。去年は27Kで足が痙攣
して悲惨な目にあったが、今回はそんな事もなくて走れそうである。吸水をこ
こら当たりからはしっかりとって走る。のどかな田園風景を見ながら更に走り
続ける。田圃ではカエルが「ゲロゲロゲロゲロ」と何だかバカにしているよう
な鳴き声で盛んにこれ又、春が嬉しいのか鳴いている。どうにか30Kまで来
た。一寸時間がかかったが2時間50分。残りの12Kを1時間10分で行け
ばサブ4は出来る。吸水もしっかりとって、ストレッチもしっかりしてこれか
らの後半に向けて走り出す。32K当たりに来ると太股の後ろが何だか突っ張
ってきた。 「まさか、 足の痙攣ではないだろうな。」と思ったがやはりそう
で、妙に足が突っ張ってきた。やはり今年も足の痙攣に見回れてしまった。そ
れからは一寸走るとズーンと足が突っ張ってきて、おまけに両足に痙攣が来て
しまった。立ち止まってストレッチをしたり、水のスポンジで足を濡らしたり
してだましだまし走るが痙攣は容赦なく突っ張って遺憾ともしがたくもう悲惨
な状態である。去年と同じになってしまった。37K時間は3時間40分、後
5Kどう見ても20分では走れるわけがない。遂にサブ4の目標は断念しなく
てはならなくなってしまった。

 ここからが悲惨街道で一寸走ると歩いたりして、給水場ではジュースや水を
がぶ飲みして、足に水をかけてゴールに向かって敗残兵の如くそれでも前へ前
へと進んでいく。周りを見渡すと同じ様な仲間が大勢いるではないか。かえっ
てこれがいけない、そんなみんなの誘惑に負けてしまってついつい歩いてしま
う。 (;_;)  田圃の畦道で寝ころんだらどんなに気持ちがよいだろうだなん
て思ったりしてヨタヨタと走り歩く。ゴールまで後1Kの声がかかる。最後の
力を振り絞って走り出す。やっと土浦の市街地に出た。ノタノタヨロヨロと走
っているとFRUNの人達の応援の声がかかる。ピッコロさんと橋本さんの奥
さんだろうか。後400Mだから頑張ってねと懸命の応援をしてくれる。声援
に応えてここは一番頑張らなくちゃあって唇をギュッとかみしめてゴール目指
して走る。着た、着た陸上競技場に入った。ゴールのゲートが見えた。フラフ
ラになりながらゴールイン・・・!!  \(^O^)/  タイムは4時間28分
10秒去年よりは10分は早かったが目標のサブ4にはほど遠かった。ふらつ
きながらFRUNの休憩所にたどり着くとすでに到着していた皆さんに「オツ
カレサン」と声をかけてもらってやっと生きた心地がして、スポーツドリンク
を飲んだらホッとして長かったフルマラソンのドラマが終わったのを改めて確
認してやはりフルマラソンは大変なことを思い知った。

 それから楽しみのオフ会の会場では、生ビールで乾杯をして冷たい生ビール
を一気に飲んで、肩の力も抜けて顔には笑みが戻っり、総勢20名のFrun
の皆さんと談笑して、各地のマラソン大会などの様子や自己紹介などをして気
持ちはハイになり、 盛況のうちにオフ会もお開きとなって、 東京へと向かっ
た。苦しくてもまた、来年もきっと霞ヶ浦に来ようと心に誓って、今日のフル
マラソンのコースの事などを頭に浮かべてウトウトしながら家路に向かった。
オシマイ






 マラソン日   1998年5月19日
   大会名   足柄金太郎マラソン 
  種  目   10K
  記  録   52分

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[感想]

 足柄金太郎マラソンに参加された橋本ご夫妻、ピッコロさん、KONOさん
のご家族ご一同様、今日は有り難うございました。

 橋本さん、 とても良い大会を教えていただいて本当に有り難うございまし
た。来年も是非、参加したいと思います。そして何よりも完走後のビール本当
に有り難うございました。ノンベイの歩登寿にとりまして喉がカラカラだった
だけにとてもおいしかったです。橋本妻さん、入賞の確認もせずに帰ってきて
しまいましたが、入賞はどうだったでしょうか。去年より3分も短縮して入賞
できないなんて本当に残念ですよね。

 ピッコロさん、メタルはもらえましたか。精一杯頑張った自分に対しての勲
章ですから是が非でももらいたいですよね。 無事にもらえたら良かったです
ね。

 KONOさん可愛い子供さんのトロフィー一生の宝になりますね。15K頑
張り抜いた気持ちは今後何をするにしても強い励みになりますね。

 そんな皆さんの結果を見ないでさっさと帰ってしまって何だか申し訳ない気
持ちです。あれから湯本温泉の「ひめしゃらの湯」に行ってきました。湯本の
ベゴニヤセンターのそばにある最近で北日帰り温泉センターです。露天風呂が
とても良かったです。

 本当に町の人達の手作りの温かみのあるシズカで落ち着いた良い大会だった
ですね。いつも何千人のランナーがいる大会ばかりだったので、のんびりとし
ていて田園風景の中カエルがゲロゲロと懸命に応援してくれたり、のどかな川
岸を走ったりしてあきることがなくてとても良かったです。
 これで今年の前半のマラソン大会の出場は終わりで、9月から再会しましょ
う。



*

   大会名  小田原JBMマラソン大会
 マラソン日  1998年11月9日
   種 目  ハーフ(21,095m)
   記 録  1時間59分
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[感想]

 7月の中旬にアキレス腱を痛めて以来、牧丘巨峰の丘マラソン、勝沼ぶどう
トークマラソンと欠場して今秋初めての大会であった。コースの少し行ったと
ころで誘導員のミスによって方向を間違えて指示されたために大幅にロスタイ
ム(7分程度)があった。k 前回の去年は前方のランナーが見えなくて直進す
るところを右に曲がってしまってこれ又、 ロスタイムの4分をかけてしまっ
た。この大会は規模が小さいために走るランナーも少ないので方向を見定める
のに苦労する。





   大会名   筑波フルマラソン大会
 マラソン日   1998年11月28日
   種 目   フルマラソン(42,195m)
   記 録   3時間52分08秒
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[感想]

ヤッタゾサブ4 自己ベスト :

  11月29日(日)つくばマラソンに参加しました。
上野駅からパラシュートさんと同行していただいて、土浦駅に到着しました。
土浦駅にはFRUNの猛者達が勢揃いしていました。タクシーに分散してつく
ば学園都市にある筑波大学の陸上競技場に向かいました。

 競技場に到着するとすでにうららさんが、朝7時半からFRUNの指定席を
取っていただいてあったので、みんなそこに集まって、霞ヶ浦マラソン以来の
メンバーと再会しました。

 気温は寒くて13度ぐらいでした。今日のフルの参加者は八千名ぐらいだそ
うです。
大学の校内は街路樹が紅葉していてとても綺麗でした。今日こそは念願のサブ
4を達成したいものと密かに狙っていたので気分も高揚していました。
 10時30分のスタートのピストルの合図でノロノロと大集団が動き始めま
した。最初は大学の校内を周回して一般の道路に飛び出します。とても街路樹
が紅葉していて綺麗で走っていても気分がとても良かったです。

 体調はとても良くて体も楽でマラソンを楽しみながら走ることが出来まし
た。今回は30Kも思ったより苦しくなくて余裕を持って通過できました。こ
れからがいつもの難行苦行で足の痙攣に見回れるのですが、35Kの壁もなく
て無事にクリアできました。途中でうららさんの温かい声援に迎えられていっ
そう粘りが出て「クソ何としてでもサブ4だ・・・!!」とばかりに苦しくて
も又、途中で歩いている人の姿を見ても楽な誘惑に負けないで一心不乱に全身
あるのみと別に宗教は信じていませんが、 気持ちが散乱するのを防ぐために
「南無妙法蓮華経」と口で言いながらこのリズムで走り抜きました。お陰で陸
上競技場に着いたときには3時間50分でした。そこで懸命に競技場を走って
ゴールに着いたのが3時間52分でゴールインできました。今までフルのベス
ト記録が3時間58分でしたから6分も短縮できました。この3年間は4時間
30分前後で自分でも情けなく思っていました。今回のつくばマラソンも夏の
練習中に左アキレス腱を痛めて、練習は思うようにやっていなくて、10月中
旬ぐらいからボツボツと初めて11月のJBMA小田原大会が本格的に走った
くらいでしたから、フルマラソンは自信がなかったのでしたが見事に自己ベス
トを更新しました。

 そして大会終了後はうららさんが予約しておいてくれた土浦駅のそばのオフ
会場でまさにおいしいビールヲ心ゆくまで堪能して、FRUNの精鋭達とマラ
ソン談義に花を咲かせて、すっかり良い気持ちになって帰宅しました。

 

   大会名   神宮外苑ロードレース
 マラソン日   1998年12月20日
   種 目   10キロ
   記 録   48分08秒
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[感想]

 今年最後の走り納めに神宮外苑ロードレースに参加しました。
当日は風が冷たくじっとしているととても寒かったです。この大会は4グルー
プに分かれて時差スタートをします。私は第2ウェーブ(グループ)でした。
このウェーブは盲人ランナーと車椅子ランナー、それに一般のランナーの混合
スタイルです。陸上競技場をスタートして外苑を5周します。

 なかなか国立陸上競技場のグランドなんかには入れませんし、一流選手もこ
の陸上競技場で走っているのだと思うととても感激ものでした。それにしても
同じところを5回もグルグルと回って走るので最後には何周をしたのか分から
なくなってしまって、FRUNの方に指示をしてもらって、もう5周をしたの
だと気がついてあわててゴールの方に向かいました。

 盲人の部で8位入賞をしました。そしてその後に韓国料理店でFRUNの大
忘年会を開催しました。みんな各々に今年のレースのことなどを話したり、来
年のレースの事などを熱気混じりにビールヲの見ながら談笑しました。

 来年も健康で快走できたら良いなって思っています。
そして  来年の目標は3時間45分でフルマラソンが走れたらと思っていま
す。 (^_^)