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☆★☆《日々快走in2004》☆★☆


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  大会名   一の宮桃の里マラソン大会
マラソン日   2004年4月11日(日)
 種  目   ハーフ(21,095m)
 天  候   晴れ
 記  録   1時間59分14秒

 ≪感想≫

 一度アキレス腱を痛めるとどうも治りが悪く、今年になってもすっきりとしていないので、練習もあまりやれずにその為、マラソン大会にも出場しなかった。
それでもこの一の宮桃の里マラソンは、毎年参加をしているので今年も参加をすることにした。車で中央高速を走り、途中の談合坂のサービスエリアで定食を注文し、ボリューム満点の料理なので、すっかりと満腹となり、身体が重く感じる。

 この一の宮マラソンは、今年が一宮町としては、最後となるマラソン大会で来年からは井沢、春日井町などと合併をして笛吹市となるのだそうだ。相変わらず色々な模擬店が出ており賑やかである。どうも、朝食をたくさん食べたせいか、身体が重く活力が漲ってこないのがいささか心配だ。

 スタート地点に行く途中で、Fランの橋本ご夫妻にお会いした。お二人は、ご主人がハーフ(21,095m)を走り、奥様が10Kに出場するそうである。すっかりとFランにもこのところアキレス腱の調子が悪いのでご無沙汰をしているが、何時の日かまた、皆さんにお会いしたいものである。

 ピストルが鳴りいよいよスタートである。全くからだが重くそれに練習不足と最悪な状態であるが、それでも走れるということは気持ちの良いもので多くのランナーに混じりゴールを目指し走って行く。今年は暖かなためか桃の花も咲いてしまいわずかに花が残っている程度である。

 見慣れた風景の道をもう、記録はどうでも良く走ることに楽しみをおいてマイペースで春の風邪を身体に受けながら走る。呼吸もスタートの時よりは、楽になり結構ランナーを追い越して走る。

 それもそんな楽な走りもつかの間で、結構な坂道となり、もう、一歩・一歩手を大きく振りながらヨタヨタと走る。胸も苦しく呼吸も荒くなり一番辛い地点だ。そんな坂道もやっと下りとなり、ようやく息をついて加速度を増しながら走って行く。やっと調子が出たようなカンジダ。

 こんな調子で皆が声援をしてくれている会場にどうにかゴールが出来た。タイムは大幅に送れて1時間59分とどうにか2時間は切ったが、以前のような記録は望めなかった。これも長い年月のアキレス腱の痛みのために練習不足がたたっているのであろう。

 冷たい生ビールを飲み良い気持ちになり、帰途に着いた。


  大会名   東京シティマラソン
マラソン日   2004年5月16日(日)
 種  目   10K
 天  候   雨後曇り
 記  録   59分14秒

 ≪感想≫

 今回は初めて伴走者をつけての参加である。三鷹駅で伴走者の方と待ち合わせをしたら、何とお二人も伴走者がつくとのことでいささか面食らってしまった。この日は朝から小雨が間断なく降っており、そのためか結構5月だというのに寒く感じる。4月に桃の里マラソンで無理をして走ったためにアキレス腱に負担がかかり、鈍痛がしていてどうもこれが心配である。

 伴走者二人と共に日比谷公園を軽く練習し、スタート地点に立つ。この瞬間はいつも興奮と緊張で心も高揚する一時だ。ゾロゾロと多くのランナーが東京のど真ん中、神宮の国立競技場を目指し走って行く。

 何しろ両サイドにお二人の伴走者がいるので、結構緊張をする。そして、アキレス腱が鈍痛から徐々に痛みに変わってきた。私一人であったら歩いてしまうところだが、伴走者のために無理をして走ってしまう。ペースも遅くなり痛みは最悪となる。

 今回は10Kだから何とか痛みをこらえながら、どうにか国立競技場へゴールが出来た。
もう、歩くにもツーンと痛みが走り、これでまた、当分ランニングはお休みかと思うと情けなくなってしまう。

 こんな銚子だからこの2004年もマラソン大会は、2かいだけの参加であった。2005年はアキレス腱を良くし、もっとマラソン大会に参加をしたいものである。