≪≫Enjoy《ゆーぽぴあ》in2008に戻る

《次のページへ》

≪法師温泉と三国峠のPhotographはこちらからどうぞ≫












Enjoy《ゆーぽぴあ・遊歩記》


          第74回遊歩

≪錦秋の山の出湯と
   県境の三国峠を訪ねて≫











  遊歩日:   2008年10月12日(日)〜13日(月・体育の日) 1泊2日
  遊歩先:   三国峠(山域 群馬県) 
  温 泉:   法師温泉 「長寿館」  0278−66−0005
  天 候:   二日間とも晴れ
  参加者:   13名
遊歩記執筆:   菊地 一行



 <行程>

 10月12日(日)
新宿 → 後閑  乗り換え回数:1回  所要時間:3時間2分  料金:2520円
●新宿{11:18発湘南新宿ライン特別快速(高崎行)(特別快速)}⇒高崎{13:00着・13:28発上越線(水上行)(各停)}⇒■後閑(14:20着・14:25発)⇒猿ヶ京温泉経由⇒法師温泉 長寿館(15:40着) 宿泊 (-.-)Zzz

 10月13日(月・体育の日)
 長寿館⇒「逢初の滝」⇒17号線のパ−キングエリア⇒上越橋⇒三国峠⇒『長岡藩士なだれ遭難の墓』⇒大般若塚⇒法師温泉(長寿館)=タクシー⇒猿ヶ京=バス⇒後閑⇒高崎⇒上野  ハイ、オツカレサンでした。


  ≪遊歩記≫


“歴史が育んだ秘湯法師温泉&三国峠の旧街道を歩く”



 「国境のトンネルまで少し残し左に折れると温泉であった。湯煙が立ちこめて白くなった。停車場に乗合自動車が止まった。」
川端康成の小説『雪国』の有名な書き出しを拝借して今回の遊歩に当てはめるとこんな感じであろうか。時はまさに熟し、いよいよ待ちに待った秘湯・法師温泉と国境・三国峠遊歩の出陣である。
出だしが何だか時代がかってしまったが、それもそのはず弘法大師が発見したと伝えられている法師温泉、そこの谷間にそっと佇む一軒の古びた宿、また旧三国街道はまさしく兵(つわもの)どもが夢のあとである。それらを垣間見れば、弥(いや)が上にも時代(とき)の流れを映し出すとてつもなく大きな走馬燈を逆走させたがごとく、想いは駆けめぐるのである。

晩秋の澄みきった青空の下、ゆうーぽぴあ総勢13名、10月12日群馬県は利根郡みなかみ町の法師温泉を目指した。
主宰者である金川氏は3ヶ月の入院生活にやっと終止符を打ったが、まだまだ歩行に不安があり参加が懸念された。自家用車なら大丈夫そうということで奥さんの運転で本隊とは別行動となった。何せ本人は生まれて初めて長き闘病生活を送ったものだからその反動がまた強く、それこそ這ってでも行くぞとの執念がひしひしと伝わってくる。無理からぬ事だ。車にはなったが、久しぶりの遊歩は7月6日の三浦半島以来である。
本隊は新宿に11時近く全員集合して湘南新宿ライン特別快速高崎行きにやや遅れ気味の電車に乗車した。3連休で混んでいるかと思いきや、それほどでもなく全員空いている席を見つけて座った。通勤電車が平塚から高崎まで行くなんて従来の常識からは考えられない。世の中便利になったのは良いが、これではこれから旅行するという気分にはどうも慣れない。やはり旅は従来のロ−カル風列車の外観と内装が旅情をかき立てる。新幹線が並行する区間の在来線は皆おし並べてこの傾向になってしまったのは味気ない。
 S.Yさんから頂いた豆狸のおいなりさんを口にほおばりながら雑談をしているとほどなく定時の13時高崎駅に到着した。
駅から車組に電話すると現在月夜野を走行していて猿ヶ京で昼食を取るとのこと、大分先行しているようだ。今朝は、はやる気持ちを押さえきれず早く家を出たのだろうか。
 高崎からは上越線は水上行きに乗り換えるが各駅停車なのでとにかく時間がかかる。
1時間20分も掛けて後閑駅に到着。駅前は名前通り?閑散としている。ここからはバスで猿ヶ京まで行き、さらに乗り換えて目的地の法師温泉に15時40分過ぎに到着。新宿駅から4時間22分、在来線を利用するにしても結構時間がかかるものだ。
 バスを降りるとなんとマイカ−組の金川夫妻が皆を出迎えてくれているではないか、暫くぶりの再会に皆感無量。
今日宿泊の長壽舘は大分昔に冬訪れた事があるが、そのときは雪があったせいかどうも感じが違って見える。雪景色と屋根に雪が積もった建物を見ると寂しげな一軒の古宿に感じられた。暖かい秋晴れでの訪問は、太陽の光で浮き出た建物は素朴であるが、その中に長い歴史にかたどられた様を辺り一面に誇示しているかのようである。ひなびたならぬしなびた温泉と感じられなくなったのは歳のせいかもしれない。
 本館入り口前の立て看板に建物が古いので建て替えようかと考えたが宿泊客の要望で現状維持に努めてるうんぬんのお知らせが書かれていた。泊まってみて現在の耐火基準や使い勝手には沿わないかも知れないが、あえて建て直さなければならないほど逼迫さは感じられなかった。
 明治8年に建てられた本館の土間に入ると正面の高い場所に神棚が祀ってあり、座敷には樹齢千何百年の栃の木で作った直径一間半もあろうか、巨大な火鉢が中央にど−んと構えているのがいきなり目に入る。その前の柱には背丈の高い振り子式柱時計、その右側には、もとは階段であった下に石油ランプが各種吊ってある。
 我々は法師川にかかる渡り廊下を渡った先の別館に案内された。2畳の前室に8畳の間取りの部屋で、窓からは法師川が流れており、その先には本館と風呂場が見える。部屋続きの3部屋に男女それぞれ指定された部屋に分かれた。女性部屋は覗いていないので大きさは不明であるがおそらく皆同じだと思うので5人ではやや狭かったかも。
ともあれ各部屋に分かれて暫しの休憩となったがまだ日が高いので我々の部屋のメンバ−で法師川沿いを散策する事とした。明日に登る三国峠方向の道を歩くのであるが5分ほどでお花畑がある。今の季節はキク、コスモス程度でちょっと寂しいが四季折々の花が植えてあるようだ。坂を登ると「逢初の滝」が法師川に流れ落ちている。落差は目測約30mあまりの滝で「あいそめ」とは粋なネ−ミングであるがいきさつは不明である。 帰り道はコロリ観音によくお願いをして山側を廻って戻ってきた。
宿に戻ると隣室は早くも酒盛り状態、K.Mさんの差し入れのシャンパンで全快を祝って乾杯した。退院した本人いわく、暫く飲めなかったのでとても酒に弱くなったといっていたが今日は全開のようす。飲み続ければまた直ぐに戻るものだ。

食事前に風呂にはいる事にした。温泉は1200年前の平安時代に弘法大師が巡錫の折りに発見したと伝えられている。泉質は無色透明のカルシウム、ナトリウム硫酸塩泉で成り立っていると書かれている。混浴の「法師乃湯」・女性専用の「長寿乃湯」・一番新しい「玉城乃湯」の三つがある。
この中で一番広い法師乃湯に入った。一辺が9間はあろうかと思われる正方形の風呂場は鹿鳴館様式で浴槽は4つに分かれているがそれぞれの湯温は違っているとのことだ。底には玉石が敷き詰められておりそこから温泉が湧き出している珍しい温泉だ。それほど熱くはないが体の芯まで暖まりゆっくり入っていると日頃の疲れが取れるようだ。
夕食は大広間での大宴会と言いたいところだが、予算の関係もありささやかにビ−ルで乾杯しての食事。料理は山海の珍味でとはいかないが結構各種の料理が出て美味しかった。季節は秋、キノコの収穫時期であり夕朝昼とふんだんに料理に生かされていた。
夕食後は部屋に戻り飲むことにしたが、皆酒に弱くなったのか、それとも明日に備えてなのか、早く就寝してしまった。

10月13日(月)体育の日
朝食が予定より早く食べられたので山行の出発時間が15分繰り上がった。急いで準備をして本館玄関前8時10分に集合。山行遊歩組の10名は今日も晴天の秋空のなか意気軒昂、三国峠を目指した。ぶらり温泉組とは途中まで同行して別れた。
「逢初の滝」を過ぎて間もなく法師川に架かる鉄橋を渡り、雑木林が連なった法師の沢沿いを暫く歩く。道はそれほど広くはないが歩きやすい。急坂ではないが徐々に標高を上げていく。沢からも離れて高圧線下を歩いていると車の走行音が聞こえてくる。やがて高架の国道が前方に見えてくる。急坂を登り切ると17号線のパ−キングエリアに出た。時刻は9時45分で温泉を出てから1時間20分たったが、ここまでは標準コ−スタイム通りのようだ。
暫く休憩をして三国峠を目指した。法師川上流に架かる上越橋を渡る。この橋には歩道がなく、往来する自動車がかなりのスピ−ドを出していてしかもトンネルの出口なので運転手からは眩しくて見にくく、ちょっと危険を感じる。橋を渡りきった三国トンネル手前を右折すると三国峠への山道になる。木杭に書かれた標識は峠1.4km・三国山頂2.2kmと書かれている。目的の峠は後少しだ。1kmきた大般若塚との分かれ道を過ぎると残り500mである。
「峠に先に行っているわよー」声はすれど姿は見えず、ここまで来ると少々疲れが出てきて先頭グル−プと差がついてしまった。右手斜め前方を見ると三国山に大勢の人が登っている。
10時30分過ぎに三国峠に到着した。連休でしかも好天とあって登山客が多い。
とある中高年の女性に「どこから来たのと」聞かれた。
「法師温泉から」と返答すると 「えー法師温泉から」とびっくりしている。
こちらから逆に「どちらからと」というと 「私たち新潟県側の三国トンネル入り口からで楽なの。この話を聞いたら三国山まで頑張らなきゃ」と言ってこちらは峠で引き返すことも知らず、そそくさと歩き出していってしまった。この山は車で来て直ぐにアプロ−チができることからビギナ−が結構多いようだ。
おやつを食べてしばし休憩。そのあと御阪三社神社前にある鳥居をバックに全員で記念写真を撮影して下山となった。
帰り道は旧三国街道で大般若塚を経由して法師温泉に下りるコ−スだ。アツプダウンがいくつもありいささか歩きでのある道であるがよく整備されており比較的広いので歩きやすい。
暫く歩いていくと古びて苔むした墓石があり、その前に立て看板がある。
 『長岡藩士なだれ遭難の墓』
「元文五年(1740年)二月五日長岡藩士永井磯七ほか七名、外人足、四名が長岡藩内の犯人を、江戸で捕まえて唐丸カゴに入れて護送中表層なだれに遭い藩士全員死亡。
犯人と人足はなだれに巻き込まれず、助かった。」
山側を見てもなだらかであまり雪崩が起きそうもないようだが、こんなところでも雪崩が起きるところを見ると昔はだいぶ雪が降ったのだろうか。
三国峠から2kmもきたであろうかまたこんな立て看板がある。
「坂上田村麿呂の血縁関係であった、田村越前の守が三坂の茶屋を営んでいたところである。また三国権現の神主でもあつた。・・・・(中略)  
三国街道の或る一日
  文久三年三月十五日 長岡藩主奥方一行
御上四人・次女中四人・中居女中二人・末女中二十一人・下女中十一人・老女中二人・
腰女中十人・津田某中元十四人・陸尺三十一人・雇方同勢三百人・その他合わせて四百八十三人
馬、貨物と乗用で八十九匹・馬子八十九人 総計五百七十八人 このように一つの行列にしても数多くの人が往き来して当時の交通の盛大さを偲ぶ事が出来る。」
今はハイカ−がちらほらと歩いているに過ぎないこの道を、かってはそんなに賑やかであったなんてとても想像もできない、時代の変遷を感じる。
三国峠から4km歩いてくると11時53分に大般若塚に出た。ここは永井宿3.8km・猿ヶ京6.5km・法師温泉2.7kmへの分岐点になっている。
比較的新しい東屋が建っており脇に「戊辰戦役戦史」の立て看板がある。ここは慶応4年4月戊辰戦争があつた古戦場であるそうな。
暫く休憩の後に法師温泉に向けて歩き出した。ここからは急坂を下るが道は悪くはないのだが下りばかりで結構足にくる。1km歩くと国道17号線に出る。国道を横切って残りは1.7kmである。18分ほど歩くと12時41分に振り出し地の法師温泉に戻ってきた。ほぼ予定の時間に戻れて、宿で昼食を取ることとなった。
 昼食はキノコが沢山はいったかけそばで、すいたお腹を満たす。食後は入浴タイム。
今日は3連休最後の体育の日、風呂場は日帰り入浴客でごった返している。風呂もそそくさと出て帰り支度をする。予定のバスまで間があるのでタクシ−とマイカ−とに分乗して
猿ヶ京まで行きそこからバスに乗り換えて予定より約1時間早く帰途についた。
全員怪我もなく二日間の温泉と山の遊歩を満喫して無事終了した。心残りは天気が良かったので三国山頂まで登りたかったが、時間の都合で行けないのが残念であったが、美味しい蕎麦を食べ、温泉が入れたのでその方がよかったかも知れない。
病み上がりの金川さんは山には行けなかったが、久しぶりのゆうぽぴあの面々と酒を酌み交わし、温泉三昧に心身ともリラックスできたのは、何ごとにも代え難い至福の旅なのでした。     
ほんとにそうだったのかは本人から聞いていないので定かではないが。
                                      完