Circle《ゆーぽぴあ》in2014に戻る

≪江ノ島遊歩のPhotographはこちらからどうぞ≫

《次のページへ》







   
Circle≪ゆ〜ぽぴあ≫・遊歩記


           第213回遊歩
 〜初秋の一日・江ノ島Walking〜

 緑と歴史的風光明媚の小島を歩き
 海を見ながらお弁当を食べよう・・・!!!









  遊歩日:   2014年9月14日(第2日曜日)
  遊歩先:    江ノ島探訪
  参加者:    13名
  天 候:    晴天

 《行 程》

 ●新宿{08:18発・小田急小田原線快速急行}⇒■片瀬江ノ島(09:25着)
片瀬江ノ島駅=コレヨリ徒歩⇒弁天橋⇒江の島神社辺津宮⇒中津宮⇒サムエルコッキング苑(昼食)⇒奥津宮⇒龍野ケ岡自然林⇒稚児ケ淵(磯)⇒裏参道⇒江島神社下⇒現地解散



 ≪遊歩記≫

 2014年の遊歩計画では、「奥多摩都民の森・三頭沢と野鳥のCourse」であったが、RooNav担当の都合により、「江ノ島遊歩」となったのだ。片瀬江ノ島駅前で、RooNav担当のK,Mさんから江ノ島遊歩Courseの説明を受け恒例の参加者声出しを済ませRooNav担当K,Mを先頭に4班編制で、初秋とは言え残暑がまだまだ厳しい炎天下を江ノ島目指し出発した。私は3班で、おなじみの北区のS,Mさん、S,MさんのGuideK,Mさん、その仲の良いPairの後ろから何だかオジャマムシのような私と3人で、歩を進め行く。

 私はこの江ノ島には、確か25年以前になるが、経絡鍼友会という鍼友達と鎌倉アルプスを歩き、更に最終地点として、江ノ島まで歩き通し、江ノ島の旅館で一浴してから宴会を催したことがあるが、それ以来の訪れだ。イヤー、それにしても江ノ島に渡るために架けられた弁天橋をゾロゾロと歩く人の多さには驚いてしまった。江ノ島に渡りきり、頂上へ行くため両側にお土産店等が建ち並ぶ狭い階段状の歩道を歩いて行くのだが、まるでお祭りでもあるような賑わいで、江ノ島が人で溢れている当に人、人、人でそれも若い男女が多く私達のようなオジサン、オバサンのGroupは少ないようだ。

 途中の「江ノ島神社辺津宮」は、参拝客が多くpassして先へ向かう。サムエルコッキング苑と言う所には、展望塔が建っているが、ここもまた、観覧をするために順番待ちをしている人が多くここもpassし、途中の展望台で、静かな海辺を眺めていたら三羽のトンビが、他の鳥を追いかけてteamwork宜しく、集団的自衛権を発揮し大奮闘をしている。このトンビは大空で輪を描いて回っていたと思ったら、一気に急下降し、ご馳走を見つけると猛スピードで、舞い降りそのご馳走を奪い去り大空へと飛び去る仕種は天性の荒技であろうか。

 そして頃合いは昼食Thymeとなったので、私と和美それにN,Yさんの三人は、折角江ノ島へ来たのだからと江ノ島名物の「シラス丼」を食べることとした。15分ぐらい待っただろうか。食堂のテラスで、その「シラス丼」と当然のこと生ビールを飲みながら食べる。この味が実に美味しくお腹も空いていたので、「シラス丼」が見る見る胃の中に吸い込まれて行く。そんな満足した昼食を済ませ皆さんが待っているところへ行くとそんな豪華な食事をしたのは、私達、三人だけのようだった。

 そんな昼食を済ませ階段を下り、海辺へと降りて行く。そんな岩場の海辺には、小さな蟹クンが足をバタバタとさせながら懸命に固持する仕種は実に可愛かった。そして今日の江ノ島遊歩のMainとも言える洞窟探検である。もう、その洞窟見学の観光客が後から後からと途切れることが無く位洞窟へ吸い込まれていくようだ。観覧料が一人500円だから、一日2000人として、ゲゲゲノゲ、何と百万円だ。全くゲスの勘ぐりというかPoorの考えることは意地汚いね。念のため私達は、障割を使用したので、全く無料で見学することが出来た。 Lucky  (^_^)

 その位洞窟の最終地点には、小さな太鼓が置いてあり、その太鼓を2回叩くと光が輝いた方には、幸甚来福の恩恵があるとのことだ。しかし、見ていたら叩く度に反射的に光りがパッと輝いているではないか。これなら誰でも叩く度に光が輝くように出来ており、ガッカリさせないようにとの気配りもさすがなものだ。そんな洞窟探検を済ませ江ノ島の入口付近で、サザエの壺焼をオツマミにして、渇いた喉を潤そうと思ったが、ここもまた、人で溢れかえっており、そんな悠長な考えは徒労に終わってしまった。

 そしてご一行が、帰りかけたら、和美が折角、江ノ島まで来たのだから、江ノ島名物のエビセン、タコ煎餅をお土産に買って帰ると駄々をこねる始末だ。私は和美を置いても行けないので、皆さんとお別れをし、持参した缶ビールを飲みながら、和美がエビセンやたこ煎餅を買って帰るのを待つこととした。しかしながら、そんな和美もエビセンの焼き上がる行列を待っていたのでは、何時になるか分からないので、結局、お土産用に予め作ってあるエビセンを買い求めてきた。

 そんな今日の江ノ島遊歩は、人、人、人と人の多さに驚いたそんな遊歩で合ったが、初めて洞窟探検も出来て、それなりに有意義な遊歩で合った。


≪遊歩先の紹介≫
 江ノ島

 面積 0.38 km2・海岸線長 4 km・最高標高 60.4 m・所在海域 太平洋相模湾
 「緑の江の島」と歌われるように、島の上部は照葉樹林と呼ばれる常緑広葉樹林に覆われている。この森林は1988年(昭和63年)、かながわの美林50選に選定されている。主要樹種はスダジイ、タブノキ、クスノキ、ヤブツバキ、ヤツデ、アオキなど。林床にはツワブキなどの他、多種類のシダ類が見られる。江の島には1979年(昭和54年) - 1991年(平成3年)の間、アメダスの観測点が置かれ、当時の記録によると藤沢市内陸部に比べて気温は約1℃ほど高く、これは周囲の海面温度の影響を受けるためである。海洋性気候と呼ばれる気温の較差が小さく、相対的に降水量の多い気候特性を持つ。卓越風の風向は南南西で、風の通り道になる「山二つ」では、植物の風衝扁形が著しい。海蝕崖が多い島の下部は植生が乏しい。潮風を常に受けるため、耐塩性・耐乾性の高いイソギク、ハチジョウススキ、ラセイタソウなど限られた種がみられる。東部埋め立て地の人工植栽にも、トベラ、シャリンバイなどの耐塩性の高い樹種が選ばれている。温暖な気候を利用して開かれたコッキングの植物園や、その跡地を利用した江の島植物園に植栽された熱帯・亜熱帯産の外来植物の中には、江の島の風土に根付き、成長・繁茂している例も多い。そのうち4種は藤沢市の天然記念物に指定されている。イルカの群れが周辺に定着したこともあり、極めて稀にだがクジラが沖に見られることもある。


江島神社の辺津宮にある八角の堂


 神奈川県の有形文化財に指定されている「八臂弁財天」と、裸弁財天として知られる「妙音弁財天」を祀るために昭和45年に建てられた。

 そもそも弁財天とはインドの河の神で、水神として祀られてきた。
 やがて、言語(弁才)の神として信仰され、さらに財宝をもたらす幸福の神とされるようになったいう。

 江の島弁財天は、鎌倉・江の島七福神 藤沢七福神めぐりの一つ。 


☆伝説!江の島縁起☆

 昔、五つの頭を持つ龍が悪行を重ねていところ、弁財天が天から舞い降り、五頭龍を諭し悪行をやめさせた。五頭龍は天女に恋をし、天女は結婚を約束したという。
 藤沢の龍口山は、五頭龍が山に姿を変えてできたと伝わる。また、天女の天下りとともに出現した島が江の島と伝わる。
 平成13年には、五頭龍を祀る龍口明神社の神輿が、弁財天を祀るのが江島神社に渡った(御鎮座1450年大祭)。


 ◎八臂弁財天(木造彩色弁才天坐像)

 頭上に宇賀神をいだき、八本の腕(手)には、弓・矢・剣・宝珠・輪宝・矛・長杵・鍵棒を持っている。

 源頼朝が、奥州平泉の藤原秀衡調伏のために、文覚に命じて勧請したと伝わるもので、八臂弁財天としては、もっとも古い部類に属する。
 1513年(永正10年)に彩色修理が施されていることが墨書銘によって判明している。



 〜〜≪オシマイ≫〜〜

 パチパチパチパチパチパチ
 パチパチパチパチパチパチ