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 Circle≪ゆ〜ぽぴあ≫・遊歩記
 
  第257回遊歩
≪早春の一日・代々木八幡から神宮前を歩きふれあいConcertで音楽を鑑賞し
   韓国料理を食べよう・・・!!!≫
























  遊歩日:   2018年3月11日(日曜日)
  遊歩先:    代々木八幡宮・代々木公園・東郷神社・旧渋谷川歩道・鳩森神社・新宿区立          文化センター大ホール・韓国料理「豚かん(トンカン)」
  参加者:    総参加者11名
        [1]  フルコース 参加者3名
             (walk + 昼食 + ふれあいConcert + 韓国料理での夕食宴会)
         [2] ハーフコース 参加者6名
             ((walk + 昼食 + ふれあいConcert )
         [3]  番外コース @ 参加者1名
                       (ふれあいConcert+夕食宴会)
                    A 参加者1名
                      (韓国料理での夕食宴会)
  天 候:    晴れ

 《行 程》

 ◎代々木八幡駅⇒代々木八幡宮⇒代々木公園⇒代々木競技場⇒東郷神社⇒旧渋谷川歩道⇒ホープ軒(昼食)⇒JR総武線千駄ヶ谷駅⇒新宿=徒歩⇒新宿区信ず区分かcenter大ホール(ふれあいConcert鑑賞)=徒歩⇒「豚かん」(韓国料理での夕食宴会=徒歩⇒歌舞伎町を経て新宿駅へ


 ≪遊歩記≫

 総参加者11名のうち、9名が小田急線代々木八幡駅へ9時に集結したのだが、代々木八幡駅は、
北口と南口があることを私は確認しなかったので、皆さん、北口か、南口か、どこに集まるのか少し躊躇したが、今は実に携帯電話があるので、それで連絡を取り合い北口に皆さん集まり、恒例の声出しを済ませ一路、和美の先導にて、代々木八幡宮へ歩を進めた。

 以前和美と代々木八幡駅から、代々木八幡宮へ行ったときのコースト違う道を辿っているようだが、マア、地図を見て歩いているから、代々木八幡宮には、辿り着くであろう。どうやら裏手の方から代々木八幡宮の表境内に達し、石段を昇り代々木八幡宮の神殿に到着した。一堂、ジャラジャラト鈴を鳴らし、それぞれ手を合わせ懸命に祈念している。私もポケットの中に入れてある小銭の周りのギザギザを確認し、スベスベした10円玉をより分け賽銭箱に投入し(コノケチンボ・・・!!!)、ただ一点「無病息災」を二礼、二拍手、一拝の礼を持って頭を垂れ拝礼する。この代々木八幡宮には、十稲荷と言って、言わゆるお稲荷様が、それぞれの専門分野に分かれ安置されている。そそんなお稲荷様を拝礼して、これより代々木公園へと歩を進めたのだが、どうやら和美が道迷いを下らしく、今歩いてきた道を戻り結局、代々木八幡宮の前の大通を進むこととなった。

 約、20分も歩いただろうか。やっと代々木公園の入口に到着した。公園内の一隅には、梅が咲いており、甘い香りを漂わせ「ヨウオコシヤスユックリシテユキナハレ。」と何故か関西弁で、ウメチャンガ、囁いているようだった。一堂、トイレを済ませ視覚障がい者と健常者がPairになって走っているそんなマラソン日とで賑わっている広い公園内を歩いて行くと何かEventの旗が立っており、見ると今日は2011年3月11日2時46分に起きた東日本大震災から丁度7年目に当たるので、「防災フェア」をやっており、その中には、地震体験が出来るトラックが止めてあり、私と他3名のyuupolerが、消防員の指示により、そのトラックに乗り込み真ん中に配置してあるTableに捕まり地震の揺れに備えた。震度4迄は、大したことが無かったが、やがて震度7に達するとさすがに立っておられずもうTableにしがみつくようにして、足を踏ん張り、懸命に身体を前屈みにして、その震度7の揺れに堪えていたら、突然、ドサンと私の背中に何かが落ちてきた。体験が終わり、見ていたyuupolerに効いたらウレタンで出来ていたというタンスだったとのことだ。だから実際の震度7では、家庭内の家具が倒れてくることも想定しなければならないと感じた体験であった。

 そんな思わぬ地震体験して、賑やかな通りを歩きやがて東郷神社に達した。「天気晴朗なれど波高し」と名暗号文を残した、あの日露戦争の東郷平八郎元帥が、神様となってこの東郷神社に祀られているのだが、乃木希典を祀ってある乃木神社と言い軍人が神様となって祀られているのは、何だか奇妙な感じだが、余り物事を詮索せず東郷神社の拝殿にて、ここではお賽銭をケチッて、ただ頭を下げ拝礼した。

 それから時間的には、まだ早いのだが、お店が混んでいることを想定して、千駄ヶ谷の国立競技場の傍にある「ホープ軒」と言うラーメン専門店を目指し行くこととした。少し迷ってからラーメンが美味しいという評判の「ホープ軒」に着き、それぞれお好みのラーメンを注文する。私はチャーシューメンを缶ビールも忘れず注文し、それを食べる。ラーメンは太めで、コッテリとしたスープで、実にチャシューが味が染み込んでいて、うまかった。

 そんなラーメンを食べて、千駄ヶ谷駅から新宿に行き、歩いて新宿文化センター大ホールへ行くこととした。久しぶりに新宿の歩行者天国を歩いたが、思ったほどそんなに込んでいなかった。途中のコンビニでコーヒーを飲み新宿区立文化センター大ホールへ着いたのは何と午後の1時であった。いままでのふれあいConcertで、一番早く会場入りしたのだった。別段、何もすることが無いので、開園時間まで退屈を堪え待つこととした。すると「コンニチワ」と声がかかったではないか。良く見るとふれあいConcertから韓国料理まで参加の浜のK,Kさんの登場であった。

 館内を見渡すとほぼ満員に近い盛況ぶりだ。やがて開園のブザーが鳴り、司会者のウグイス嬢
の声により、ふれあいConcert2018が開園となった。主催者の東京都福祉局の職員が挨拶を終え、第1部小野リサさんが、「皆さん、こんにちは、お元気ですか。」と会場に呼び掛けるすると私の前の席に座っていた女性が「ハーー位、オケンキ」と両手を拡げ無邪気に堪えている。やはりふれあいConcertならではの光景だ。

 やがて小野リサさんがボサノバの曲を歌うのだが、私が想像していたボサノバの激しいリズムと違い、間延びをしたような眠けを誘う歌声にWalkの疲れも手伝いコックリコックリと居眠りをしてしまった。そんな第1部も終わり、第2部の東京都交響楽団の演奏が始まった。こちらは一変に眠けも吹っ飛び軽快なる迫力有る演奏に五体も躍動し、自然に身体を揺らしてテンポを取っていた。「ウィリアム・テル序曲」、「アルルの女」と良く知っている曲だけに会場の皆さんも名演奏に酔いしれていた。そんな演奏もやがてfinaleとなったが、Encoreの拍手が止まないので、それに堪えて、あのニューヨークフィルのopeningで、演奏するお馴染みの「ラディスキー行進曲」の演奏が始まると会場の皆さんもその演奏に合わせて、手拍子をしている。この「ラディスキー行進曲」は、以前のふれあいConcertでは、ニューヨークフィルと同じ型式で、Concertのopeningの曲として、会場の隅々からトランペットやクラリネット等を演奏しながら、会場内を移動しステージへ行ったのだったが、最近はアンコール曲として、演奏するように演奏スタイルを変えたようだ。

 そんなふれあいConcertを鑑賞し第3の目的地、新大久保のコリアタウン、韓国料理「とんかん」を目指して、yuupoler4人歩いていくこととした。新大久保駅で韓国料理から参加のk,mさんと合流し、特に若い女性で賑わっている新大久保通りを歩きコリアタウン通りを過ぎ、職安通りに面している「豚かん」へ行く。ここで本場韓国の味付けによる韓国料理を食べたのだが、その辛さは、結構厳しくk,yさんは、汗を額から垂らし、韓国料理を食べていた。若い頃と違い肉コッテリの料理は、時期に満腹となり、結構、料理を残してしまった。最後に冷麺を食べたのだがこれはさっぱりとしていて、とても美味しかった。マア、それにしても味が辛い物だからアルコールが、進み皆さん、生ビール、レモンサワー等々と二杯、三杯と飲んでいた。

 そんな韓国料理の夕食宴会もやがてお開きとなり、歩いて新宿駅へ向かった。途中賑わっている夜の歌舞伎町を歩いたのだが、私はこの歌舞伎町を歩いたのは、実に何十年ぶりであろうか。若い頃はこの歌舞伎町を結構、歩き飲んでいたものだったが、最近はとんと縁が無く、それだけに久しぶりに歩いた歌舞伎町にあの若い頃が蘇り、遠くを見る目をして、青春時代を回顧していたのだった。   (^_^)

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   〜〜≪オシマイ≫〜〜


   
≪遊歩先の紹介≫


 
   
代々木八幡宮


  所在地 東京都渋谷区代々木5丁目1-1
  主祭神 応神天皇
  社格等 村社
   創建 建暦2年(1212年)
   例祭 9月23日

 代々木八幡宮(よよぎはちまんぐう)は、東京都渋谷区代々木にある神社である。旧社格は村社。八幡神として応神天皇を主座に祀り、天祖社・天照大神、白山社・白山大神を配祀する。

 歴史

 建暦2年(1212年)、源頼家の近習・近藤三郎是政の家来であった荒井外記智明によって創建された。頼家が修禅寺で暗殺された後、智明は武蔵野国代々木野に隠遁し主君の冥福を祈る日々を送っていたが、建暦2年8月15日の夜、鎌倉の八幡大神から宝珠のような鏡を授かり、託宣を受ける夢を見た。そこで、同年9月23日、元八幡の地に小祠を建て鶴岡八幡宮より勧請を受けたのが当社の始まりであると伝える。現在でも例祭は9月23日に行われている。

 昭和25年、境内の発掘調査が行われ、縄文時代の住居跡などが発見された。境内に竪穴式住居を復元したものがある。「代々木八幡遺跡」として渋谷区の史跡に指定されている。

 境内

 稲荷社(豊受大神)
 榛名社(日本武尊)
 天神社(菅原道真公)

 拝殿に向かう参道には、代々木の原に大日本帝国陸軍の代々木練兵場が1909年(明治42年)造られた際、この地から立ち退くことになった居住者らが別れを惜しんで奉納した石碑、「訣別の碑」がある(二基ある灯篭の竿石部分)


      
代々木公園

  所在地 東京都渋谷区代々木神園町・神南二丁目
   面積 540,529m2
   前身 ワシントンハイツ(進駐軍兵舎)
   開園 1967年(昭和42年)10月20日
  運営者 東京都公園協会
      2011〜2015年度指定管理者
事務所所在地 〒151-0052
        東京都渋谷区代々木神園町2-1

 代々木公園の所在地は、大日本帝国陸軍の代々木練兵場であった。これが第二次世界大戦での日本の敗戦後にはワシントンハイツとなり、1964年(昭和39年)の東京オリンピックで代々木選手村として一部が使用された後に再整備され、1967年(昭和42年)に代々木公園として開園したものである。また、選手村の宿泊棟はオリンピック記念青少年センターや代々木ユースホステルとして利用されていた。
同公園に隣接して国立代々木競技場が立地しているが、代々木公園ではない。
代々木公園の敷地は540,529.00m2(およそ東京ドーム11個分)であり、東京23区内の都市公園のなかでは、葛西臨海公園(約79ha)、水元公園(約76ha)、舎人公園(約71ha)、光が丘公園(約60ha)に次いで5番目に広い。園内は東京都道413号赤坂杉並線をはさんで噴水がある北側のA地区と、スポーツ施設やイベントホールなどがある南側のB地区とに分かれている。

 代々木公園は原宿駅、代々木公園駅、明治神宮前駅、代々木八幡駅に隣接しており、原宿、表参道、渋谷から人々が多く集まる場所でもある。園内にはオリンピック当時選手村の練習場であったトラックとして設けられ、織田幹雄の業績を称え通称が付いた「織田フィールド(代々木公園陸上競技場)[4]」や、サッカーなどの球技用グランドがあり、1990年(平成2年)5月には、高さ15m - 30mに及ぶ大小3基の噴水や水回廊を持つ水景施設が設定された。設計者は株式会社東京ランドスケープ研究所。
隣接する明治神宮が大晦日から元旦までを除き開門・閉門時間が設定され、夜間立ち入り禁止となっているのに対して、代々木公園は事実上いつでも入園が可能である。

 施設

サッカー場と陸上競技場の間には、日本では珍しい開放された屋外バスケットボールコートがある。NIKEにより寄贈されたもので、オールコートが2つある。数少ないバスケットボールコートなので、若者を中心に国籍を問わず様々な人が利用している。埼玉県や神奈川県など首都圏各地からも利用者が訪れ、バスケットボールをプレイしている。

 震災対策用応急給水施設

 公園内には災害用給水槽(有効水量1,500m3)がある。定水位弁による引き入れと循環ポンプによる引き出しで、給水槽内の水は常に新鮮な状態に保たれている。応急給水口が用意され、震災時に清廉な水道水を無償で給水する。

 サイクリングコース

 代々木公園にはサイクリングコースが設置されており、サイクリングセンターで自転車を借りてサイクリングすることができる。自分で自転車を持ち込むことも可能。幼児用サイクリングコースも用意されている。子供の初学者用にペダルを外したものもある。いずれも散歩やランニング目的での立ち入り、ペットの連れ込みは禁止されている。

 噴水広場など

 中央付近には噴水広場があり、多くの人々が楽器や演劇、コントやダンスなどの練習を行っている。中には野外ライブをやっている者もいるが、楽器は原則として許可無くアンプのような電気製品のものを持ち込むことが禁止されている。中には深夜にファイヤーダンスをする者もいるが、原則として火気厳禁である。また、園内でのスケートボードも禁止されている。
中央の池には噴水が3つあり、夜になるとライトアップされる。

 ドッグラン

 犬を放し飼いにできるドッグランが2007年(平成19年)4月28日にオープンした。小型犬用スペースとそうでないスペースとに分けられている。犬をドッグランに入れるには、事前に検査・登録が必要。

 バードサンクチュアリ

園内の原宿、明治神宮側には野鳥観察ができるバードサンクチュアリが存在する。

 碑

 「大東塾十四烈士」の碑

 園内には、日本初飛行の地として「日本航空發始之地」の碑、1945年(昭和20年)8月25日に元代々木練兵場だった園内の一角にて14人の大東塾生らが自刃した「大東塾十四烈士」の碑、メキシコ政府から東京都に寄贈された「ケツァルコアトル」の像などがある。

 オリンピックプラザ

 第一体育館と第二体育館の間の広場は、国立代々木競技場を管理する日本スポーツ振興センターが管轄する「オリンピックプラザ」[5]となっており、近年は[いつ?]原宿・新ビッグトップの呼称でシルク・ドゥ・ソレイユなどのイベント会場に使われている。なお、同地は厳密には国立代々木競技場の敷地内になるため、代々木公園の公式ウェブサイトや市販の地図、カーナビゲーションには掲載されていない。

 サッカースタジアム計画

2017年7月、東京都が2025年完成を目標に、公園の南部に位置する、陸上競技場やサッカー・ホッケー場や野外ステージがあるエリア[6]にサッカースタジアムの建設を計画していることが報道された

 デング熱騒動

 2014年8月下旬から公園内に生息しているとみられる蚊に刺された人がデング熱にかかっている(2014年9月4日当時、感染者59人)。2014年9月4日、公園内に生息する蚊からウイルスが検知されたため、東京都は同日から公園を立ち入り禁止にした。その後、同年9月18日を最後にウイルスが検出されなくなり、それから約40日を経過した同年10月31日に閉鎖を解除した。


   
「第34回ふれあいConcert」


   第1部〜ブラジルで生まれた音楽・ボサノバのギターと歌〜

   ●  イパネマの娘(作詞:ヴィニシウス・ヂ・モライス作曲:アントニオ・カルロス・ジョビ      ンレ/ほか
   ●  歌手  小野 リサ   

   第2部〜都響シンフォニック・ステージ〜

   指揮者 大野和士 l弦楽東京都交響楽団

   ● ロッシーニ:歌劇「ウィリアム・テル」序曲
   ● マ人力一二;歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲
   ● ビゼー:「アルルの女」第2組曲