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      Circle≪ゆ〜ぽぴあ≫・遊歩記
        第205回遊歩
  〜「ぶらり市川Walk」2014〜
 ≪各種植物を鑑賞し古刹を訪ね
  中華料理でグイと一杯・・!!









  遊歩日:  2014年2月22日(第4土曜日) 日帰り
  遊歩先:  市川市内散策・植物園、法華経寺
  天 候:  薄曇り
  参加者:  9名


 《行 程》

 本八幡駅前=(バス11:30発・30分)⇒市川動植物園&熱帯植物園内(園内散策約2時間と昼食)=40分⇒武蔵野線・市川大野駅(電車一区間)=電車⇒船橋法典駅=40分⇒奥の院・法華経寺見学⇒市川駅⇒中華料理のお店ミニ宴会 


 ≪遊歩記≫

 参加者9名が本八幡駅へ集合し、これからRooNav担当のA,Sさん、Sub担当のO,Sさんの誘導で、バスに乗り「市川動植物園」へ行く。役、30分もバスに乗っていただろうか。ようやく、「市川動植物園」へ到着した。この動物園には、人気者のレッサーパンダが飼育されておりヤギ、ウサギ、子犬等々のそんな数多くの小動物が子供達を迎えてくれる。小動物とふれあえる楽しいゾーンだが、私達オジサン、オバサンは、有料でも有りここはあっさりパスして、植物園へ向かう。園内の片隅には、2月13日に降った雪が、まだうずたかく積まれており、改めてその大雪のすごさに驚いた。

 緑豊かな遊歩道を20分ほど歩き「植物園」へ到着した。この植物園は、 園内は広く、観賞植物園、自然観察園、バラ園、少年自然の家などがある。観賞植物園には、光り輝く大温室、サボテン温室があり、ハイビスカスやシンリジュウムなど410種、2797本の熱帯植物が観賞できる。

 大温室のlobbyで、お昼時でも有り、昼食Thymeとし、それぞれ持参したお弁当を食べる。しかし、昼食にはつきものの缶ビールは、ここはアルコール類は禁酒となっているため、持参した缶ビールが飲めないのが、甚だ残念であるが、缶ビールは後のお楽しみに採っておき先ずはお弁当に箸を付けた。

 そんな昼食Thymeを済ませ、大温室の熱帯植物園へ向かう。すると胡蝶蘭、シンビジューム、ベゴニア等々の極彩色の洋蘭が、私達を優しく出迎えてくれた。それから順路に従い歩を進めると大きな葉を茂らせたバナナ、コーヒーの木、トゲトゲしいサボテン、等々とセミジャングル宜しく、濃い緑の大きな葉を茂らせ手入れも良く植栽してある。そんな熱帯植物を一通り観賞し、大温室を出て、元来た道を戻る。ここら辺りは湿地帯になっており、春になると色々な花が咲き誇るのであろう。特に6月の花菖蒲、アヤメ等は見事であろう。川の流れに沿ってゆくと木々に囲まれた一角にある清水の源泉に出た。ここから清水が滾々と湧き出て、ここら辺りの湿地帯を潤しているのであろう。更に歩を進めると三脚を立てて望遠レンズをセットし、カメラマンが、何人もいる。色鮮やかなカワセミを撮影しているとのことだ。そんなオジサン、カメラマンに混じって、可愛いシャガールが、これまた望遠レンズを構え無心に優美なカワセミの姿を撮影している。

質問=
  「あのー、シャガールって、何ですか。」

解答= 
 「ハイハイ、シャガールと言うのは、写真を趣味として、夢中になっている女の子ですよ。写真のシャ、女の子のガール、これでシャガールですね。最近山に興味を持って山登りをしている女の子をヤマガールと言っているでしょう。それをもじってシャガールというのですね。」

 そんなカワセミの優美な姿を見て、これから役、1時間余り市街地を歩き、市川大野駅から一区間の船橋法典駅で下車し、中山法華経寺へと歩を進めた。途中、いやに小さな飲み屋、居酒屋が有ると思ったら、中山競馬場が有り、中山競馬場で、万馬券を当ててもうけた者、スッカラカンになった者が、帰宅途中で、一杯やって行くため自然にそんなお店が増えたとのことだ。中山競馬場、中山法華経寺と表裏一体の建造物は人間の欲する物を備えた対象的な物として、面白い配置で誠に言い得て妙である。

 中山法華経寺の廣い境内に入ると、大勢の善男、善女が本堂で、合掌し参拝をしている。
そんな本堂の拡張有る甍は、一つ一つの瓦が、きちんと並べられ、とても見事な建築美を無し、幾多の風雪に耐え歴史的変遷を重ねた佇まいは、神々しいものだ。また、隣接して建つ五重塔が、一服の絵を見るようで、そのコントラストが、実に調和が取れている。

 そんな法華経寺を見学し、裏の境内で、持参した缶ビールを紙コップ一杯だけであるが、皆さんにお渡しして、喉を潤し、Gaul地点である市川駅の傍にある中華料理屋で、美味しい中華料理を食べながら生ビールのグラスを傾け乾杯をした。

 こうして2月如月の一日、植物観賞、法華経寺の建築美等々と中身の濃い遊歩が、終了したのだった。


  参考文献

  「中山法華経寺」

  山号 正中山
  宗派 日蓮宗
  寺格 大本山(霊蹟寺院)
  本尊 高祖日蓮大聖人、鬼子母神
 創建年 文応元年(1260年)
  開基 常修院日常
  別称 中山法華経寺
 札所等 日蓮聖人霊跡

 東国花の寺百ヶ寺 千葉3番
 文化財 観心本尊抄/日蓮筆・立正安国論/日蓮筆(国宝)
     五重塔、絹本着色十六羅漢像ほか(重要文化財)

  沿革

 文応元年(1260年) 開基
昭和21年(1946年) 126世宇都宮日綱上人代に一部末寺と共に日蓮宗を離脱し「中山妙宗」を立ち上げる。
昭和47年(1972年) 132世武井日進上人代に日蓮宗に復帰する。


 歴史

日蓮はその布教活動の中で幾度と無く迫害を受けたが、その際千葉氏に仕えていた富木常忍や太田乗明は管轄していた八幡庄に日蓮を迎え入れ保護した。特に千葉氏の被官であった富木常忍は、日蓮のために若宮の自邸に法華堂を造営し安息の場を提供するとともに、文吏であったため紙筆を提供してその執筆を助けた。当寺に多くの日蓮の遺文が遺されているのはその縁であると言われている。
弘安5年(1282年)に日蓮が没した後、常忍は出家し自邸の法華堂を法花寺と改め初代住持・常修院日常となり、日蓮の有力な檀越であった太田乗明の子日高は、父の屋敷を本妙寺とし2代目住持となった。そして八幡庄の領主であり旧主である千葉胤貞の帰依を受け俗別当に迎え、胤貞猶子の日祐を3代目住持とした。
だが、肥前国小城郡においては胤貞の弟胤泰が九州千葉氏として存続したものの、下総国では敵対関係にあった貞胤流千葉氏が台頭し、胤貞流の千田氏は衰退して当寺も危機を迎えた。そのようななか、日祐は室町幕府との関係を強めこれを乗り切り、ここを拠点とする中山門流が成立することになった。
日高以来代々の住持は本妙寺と法花寺の両寺の兼務が慣わしとなっていたが、天文14年(1545年)古河公方足利晴氏より「諸法華宗之頂上」という称号が贈られ「法華経寺」という寺名が誕生し、法花寺と本妙寺の両寺を合わせた一つの寺院になった。

 人物

日常(法華経寺開祖、法華寺開山。1216年‐1299年)

日頂(六老僧の一人、日常の養子。)
日高_(僧)(法華経寺二世で日蓮の弟子、本妙寺開山。1257年‐1314年)
日祐(法華経寺三世、1298年‐1374年)

日英_(中山門流)(日祐の弟子、1346年‐1423年)
日尊_(法華経寺)(法華経寺四世、1323年‐1399年)
日せん(法華経寺五世、1349年‐1422年)
日薩(法華経寺六世、1392年‐1422年)
日有_(法華経寺)(法華経寺七世、1448年没)
日院_(法華経寺)(法華経寺八世、1415-1501年)
現住は145世新井日湛伝主(足立区国土安穏寺より晋山,達師法縁)