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長谷寺



長谷寺





Enjoy《ゆーぽぴあ・遊歩記》

 第25回遊歩
【大台ヶ原山と飛鳥路を訪ねて】


  遊歩日:   2006年5月3日(水)・4日(木)・5日(金) 2泊3日
  遊歩先:   大台ヶ原山(1695m)と飛鳥路散策
  温 泉:   小処温泉
  天 候:   3日間とも五月晴れの快晴
 Member:   金川 勝夫+和美 他yuupoler8名

  5月2日(火)
 〈行程〉
 新宿(11:22発)→桜井駅北口(7:58着)
 5月3日(水)
〈行程〉
 桜井駅北口(7:58着・8:15発)―タクシー→長谷寺(8:30着〜境内散策〜9:33発)―タクシー→大台ヶ原山駐車場(11:50着)→大台山荘(12:00着・12:50発)→日出ヶ岳見晴台(13:27着・13:35発)→正木ヶ原(14:10・休憩)→神武天皇像(14:40)→大蛇グラ(15:00)→大蛇グラ分岐点(15:15)→しおから谷吊橋(15:50)→大台山荘(17:35)  宿泊 (-.-)Zzz

 ≪遊歩記≫

      長谷寺や
       牡丹つつじが
            咲き誇り

      長谷寺の
        牡丹一輪
          友触れし

      新緑に
       牡丹彩る
         古寺舞台

 5月2日の午後11時20分に新宿を発車した深夜高速バス「やまと号」は、連休の渋滞に遭遇し、桜井駅北口に1時間遅れで午前8時に到着をした。ここで奈良県在住のMさんと再会をし、一同先ずはタクシー2台にて長谷寺に向かった。長谷寺の門前にてyuupoler参加者一同10名が自己紹介をした後、朝の霊気の中荘厳なる長谷寺の境内へと歩を進める。

 この長谷寺は、桜井市にある真言宗豊山(ぶざん)派の総本山。山号は豊山神楽院。古くは泊瀬寺、初瀬寺ともしるし、豊山寺、長谷山寺ともよばれた。西国三十三所観音霊場第8番札所である。(参考文献参照) そんな由緒ある長谷寺の坂の回廊を進んで行くとその回廊に沿って大輪の牡丹の花が赤、白、青と色とりどりに色鮮やかに咲き誇っている。そんな牡丹の花を目の不自由なIさんがそっと手で触れその感触で牡丹の花の華麗なる様を思い描いているのであろう。しかし、境内は牡丹の花で埋め尽くされているような光景を想像していたのだが、牡丹の花の数も少なく何だか興ざめをしてしまった。

 本道にてお賽銭を上げ欲張りにも色々な祈願をしてから、薫風が吹く外に出て突き出た舞台に行くと眼下には五月晴れの下、コントラスト宜しく、新緑に牡丹とツツジがその鮮やかな色を染めまさに一服の錦絵を見るが如く、朝の光に映え実に見事な光景だ。そしてそんな気持ちの良い境内の片隅で一同朝食を取りしっかりと腹ごしらえをする。長時間深夜高速バスで適当に揺られながら来たために胃腸の消化力は抜群で、腹ぺこのお腹には、もうおにぎりが応えられないご馳走だ。そんな朝食を取った後、門前にて予約をしておいたタクシー2台に分乗しこれから大台ヶ原山までの長いドライブの始まりである。

 タクシーは良く整備された路を快適に走って行く。途中何度か長い隧道を通過をし、1時間ぐらい走った所でトイレ休憩をし、また、徐々に勾配を増した道路を新緑が目に鮮やかな山路を走り抜け段々と大台ヶ原山へと近づいて行く。そんな山路も高度が増すにつれ木々の芽吹きは遅く麓では花咲誇る春爛漫の頃であっても山ではまだまだ春の訪れが遠いという感じである。そして走り始めてから約、2時間お尻が痛くなったのを感じた頃にようやく大台ヶ原山の駐車場に到着をした。

 大台山荘に行き、部屋にザックを置き先ずは寝床を確保してから、昼食を済ませ東大台ヶ原山の約、9Kmの周遊の遊歩に出かけることとした。雲一つ無い五月晴れの下、yuupoler10人は、軽快な足取りで広い山道を歩いて行く。このコースは全くのハイキングコースでそれだけに家族連れや若いカップル達が空身で芽吹き始めた木々を見ながら談笑し楽しそうに歩いている。この大台ヶ原山は、紀伊山地の東部、三重・奈良両県境につらなる台高山脈の主峰。日出ヶ岳(標高1695m)・三津河落山(さんづこうちさん:標高1654m)などのピークとその南西側にひろがる牛石ヶ原・正木ヶ原などの高原状の平坦面をふくめた総称である。

 当初の計画では、大台ヶ原山から奇岩、名瀑が続く大杉谷を下る予定であったが、去年の台風で吊橋が何カ所も崩壊をしたために通行止めとなってしまい結果、大杉谷へのコースは変更を余儀なくされ半分観光コースとなり、何と5日には明日香路の散策という古刹と史跡を訪ねる旅になってしまった。しかし、大杉谷は結構遭難事故も多く過去には滑落死をする者があったとのこと。そんな神経を使う大杉谷の下りよりもyuupolerのほとんどが明日香路は歩いたことがないとのことで代えって変更になって良かったと話しており、何が幸いするか分からない者だ。

 大台ヶ原山の最高峰、日出ヶ岳登山道は、乾いた土で斜面は崩壊をしているため材木で土留めをしたり、登山者が山道を荒らさないために木道で補強をしてある。それだけに雰囲気が余り良いとは言えず期待はずれの感がある。何だか丁度奥多摩の陣馬山の山頂へ行く地形と似ており、木の階段になった山道をそんなに汗もかかないうちに日出ヶ岳の展望台に到着をした。四顧を見ればケヤキ、ウラジオモミの樹木が密生をした森林が見え遠く熊野灘の海が見える。ここはやはり、山頂だけに人も多くそれぞれデジカメで記念撮影をしている。見ているとほとんどの人がデジカメで撮しており、こんな撮影風景もこの三、四年ですっかり様変わりをしたものだ。


         立ち枯れの
            盛衰分けて
               芽吹く木々

 早々に展望台を跡にして、延々と続く木道を下って行くのだが、この木道が実に見えにくく下るのに結構苦労をしてしまった。そんな長い木道もやがて終わり、平坦な道を歩いていると何と野生の鹿が何頭もこちらを見ているではないか。恐もせずにこんなハイカーの目の前に悠々と姿を見せているのは、この辺一帯がそれだけ鹿が多いということだろうか。それに何の影響であろうか。結構立ち枯れの木々が目立ち一方、芽吹きを見せている木々もあり、その自然界の対象的な陰陽、盛衰の変化に思いを馳せる。


          五月晴れ
            岩壁荒く
              大蛇グラ

 イトザサと倒れたり立ち枯れしたトウヒが大台ヶ原を象徴する風景になっている、平原の正木ヶ原で休憩を取り、更に歩を進めてゆくと何と突然右手に「神武天皇」の肖像が安置されている所に出た。この大台ヶ原と何らかの関係があるのであろう。そんな理由は余り深く考えずに更に歩を進めて行き、今日の目玉の一つ絶景ポイント「大蛇グラ」へ向かう。暫く下って行くとシオカラ谷と大蛇グラへの分岐点に達し、更にその分岐を左に下って行くと荒々しい岩の馬の背になっている所に出た。ここが「大蛇グラ」という所で、この「グラ」というのは、大きな岩のことで、長く続く岩の馬の背が、丁度蛇の背中に例えており、そこから先端が突出して蛇の頭の様に見えるのでこの「大蛇グラ」という名前がついたのであろう。眼前は山上ヶ岳、弥山と続く大峰連山、眼下は垂直約800mのにドーンと切れ込んだ断崖絶壁になっており、この絶壁の迫力たるや実に見事なものだ。


          谷緑
           渡る吊り橋
               風さやか

 そんな迫力満点の「大蛇グラ」を見て、再び分岐点に戻り、ここからやや急下降となっている山道をドンドンと谷へ降りて行く。途中にはシャクナゲの群生地があり、降りるにつれてせせらぎの音が近くなり大蛇グラの下を流れる東の河の上流にある「シオカラ谷の吊橋」に到着をした。新緑の谷間に吊橋が駆けてあり、眼下は青く澄んだせせらぎが蛇行して流れており、その渓谷美のロケーションは抜群で、私は吊橋の真ん中で「ハイ、ポーズ」とばかり手を挙げて写真を写して貰った。そんな吊り橋を渡ると降りてきた分を高低差約、200mを今度は登り返さなくてはならずそれが結構辛く一歩、一歩登って行く。そんな辛い急登もやがて終わりとなり、平坦な登山道に飛び出た。東大台ヶ原を丁度約、5時間周遊をして大台山荘に到着をした。

         小屋テラス
            芽吹き眺めて
                うまき酒

 大台山荘に戻り早速風呂に行き汗を流した後、夕食の時間まで、定番のアルコールタイムとなった。私は少しの間皆さんとは別に薄暮になった小屋のテラスにて、芽吹き始めた木々見ながら美酒を飲みつつ自然に溶け込み風雅の路に思いを巡らせた。そんなセンチメンタルなムードにしたっていたらyuupolerがお迎えに来たので屋内に入り、皆さんと一緒に談笑をしながらアルコールを飲んで良いご機嫌となった。思えば二日の夜新宿を経って、こうしている時間まで実に一日変化に富んだ時を過ごすことが出来た。お天気も最高の五月晴れで、薫風もさわやかなまさに至福のひと時であろう。

 5月4日(木)
 〈行程〉
 大台山荘(7:55発)→ナゴヤ谷→衣類調整(8:33)→中ノ谷→七つ池跡(9:20)→大和谷渡渉(9:50)→コウヤ谷→ワサビ→谷開拓分岐(10:15)→休憩(10:22)→展望台(10:45)→逆峠(11:20)→昼食休憩(11:50〜12:25)→林道終点(13:20〜13:30)→分岐点(13:36)→小処温泉(14:36〜15:45)→民宿「たつさん」(16:15) 宿泊
 (-.-)Zzz

 ≪遊歩記≫
 朝食を取り大台山荘の前で全員の記念写真を撮ってから、今日のお宿「民宿 たつさん」迄、西大台ヶ原を経由しての長い歩きが始まった。駐車場の脇から下山路に入ると大台教会が建っている所を下に降りて行く。雰囲気も大きなブナの木が立っていたりして深山幽谷という感じで、登山靴を通し柔らかな土の感触がとても気持ちが良く昨日の日出ヶ岳の登りと違いやっと本来の山へ来たという感じである。残念ながら何という小鳥か分からないが、「ピーーピーー、ピーー」と盛んに「皆さん、お早う。」とばかりに私達に朝の挨拶をし可愛い声でて鳴いている。

 ナゴヤ谷の所に北海道の探検でも知られる松浦武四郎の碑があり、彼は晩年この地が気に入りここで長く暮らしたとのことである。今回この大台ヶ原山には、Kさんが携帯ナビを持参しており、逐次その携帯ナビを見ながら方向を確認している。全く今は登山も地図でなくこうして携帯ナビで確認をする時代となり改めてその変化に驚いてしまった。その携帯ナビと地図で確認をするのであるが、目標点の「七つ池」が現れてこないが、方向的には間違っていないと言うことで歩を進めて行く。すると程なく平坦な所に出た。標識を見ると何とここが「七つ池」ではないか。「七つ池というから水を湛えている池を誰しも想像をするが、水なんてものは全くなくただの湿った平地なのでこれにはみんな苦笑をしてしまった。」

 この「七つ池」で休息を取り、一同一列縦隊になって意気揚々と静寂なる山路を歩いて行く。しかし、昨日の東大台ヶ原はもう、観光地という感じでそれだけに人も多く登山道も整備されていて、人工的に手を加えてありそれだけに物足りなさを感じていたのだが、今日、こうして西大台ヶ原を歩いて見て、自然がそのままに残されている山容に感激をしそんなに汗もかかずタッタタと歩を進めて行く。途中にはブナの巨木が何本も立っておりようやくブナの芽吹きが始まろうとしておりもう間もなくここら当たりも新緑に彩られることだろう。

 そんな西大台ヶ原のコースもようやく終点の開拓分岐点に到着をし、ここで大台ヶ原ともお別れをし更に歩を進めて行く。暫く歩いて行くと急登になっているのでここで一本立てて息を整え展望台へと駆け上って行く。この展望台からの眺めは抜群で遠く京ヶ峰の山並みが見える。そんな絶景を楽しみ更に歩を進める。ここからは道幅も極端に狭く崩れやすい斜面に一筋の山道がついており、そんな路肩が軟弱な実にショッパイ難所を何度も緊張をしながら通過をして行く。眼下はバッサリと切れ込んだ断崖になっており、ストックをしっかりと突いて足下を確認しながら歩を進めて行く。途中の狭い山道でサポーターのKさんと歩いていたIさんが、ザッザッと片足を路肩から踏み外した時には思わず「アッー」と声が出てしまった。幸にもサポーターのKさんが頑強な方なのでしっかりとIさんを受け止めたため大事に至らずすばやく歩くことが出来た。

         気温差の
           緑増なり
              山下り

         重き足
          ミツバツツジで
               疲れ癒え

         山ざくら
            今が盛りと
               咲きにけり

 そんな難所を通過し、逆さ峠にようやく出た。ここら当たりはミツバツツジが群生しており、今までの難所の通過で緊張をした気持ちをそんな赤紫のミツバツツジが心和ましてくれた。本当に面白いもので自然の移り変わりというか。大台山荘から下るにつれて高度が順次低くなり、その温度差で下るにつれ新緑が増しその新緑で風景が鮮やかに変わってきた。そして何とヤマザクラも今が盛りと咲いているではないか。やはり、自然は良くしたもので、難所を通過をすると優しく花で出迎えてくれるこの演出には否が応でも感激をしてしまう。

 そして少し歩いてから平坦な所で大台山荘のお弁当を拡げ昼食タイムとした。このお弁当が実にうまい。特におかずの塩鮭がうまい。汗をかいて身体が塩分を要求しているらしく、おかずの塩鮭でご飯を食べるともう、腹ぺこのお腹には応えられないご馳走となるのだから不思議なものだ。さて、ここから終点の「民宿 たつさん」迄、歩く予定でいるのだが、歩程時間、3時間30分、ホッ、まだまだ先は遠いのか。 (^^;)

 昼食を食べ腹一杯となり、すっかり元気になったので、一同腰を上げまた、歩くこととした。やがて小処温泉と直接「民宿 たつさん」のある河合の町へ行く分岐点に到着をした。そして山路に歩を進めた和美が、立て看板を見て「台風のために道路が崩壊をしておりこの先通行止」と書いてあるとみんなに告げる。それで歩程時間の短い小処温泉に行き、温泉には入り、「民宿 たつさん」から車で迎えに来て貰うことにした。歩程時間が短くなったのでもう、Sさんは大喜びで万歳三唱をしているではないか。 (^_^)

 しばらく林道を歩きそして、細い山道を歩いたりしながら林道に出てまた、再び細い山道に入りグングンと下って行く。そんな山道の樹林帯を約、2時間歩いて、ようやく小処温泉に到着をした。この温泉でゆっくりと風呂に入り汗を流してから、待っていました。食堂で生ビールを注文しこれを一気に飲み干す。「グビ、グビ、グビ」・「ウーーンウンメイ、」今日は大台ヶ原山の核心部たる変化に富んだコースを長時間歩いてきたので、喉がすっかり渇いていたためにその生ビールのうまかったこと、もう何も申し上げることはありません。

 そして、「民宿 たつさん」から車で迎えに来て貰いようやく終点である今日のお宿「民宿 たつさん」の部屋に到着をした。因みにこの「民宿 たつさん」の屋号の由来は、三代に亘って辰年生まれが続いているので縁起がよいから「たつさんと」とつけたそうである。部屋に落ち着き早速アルコールタイムとなりビールで喉を潤す。それにしても誰もバテることなく今日は良く歩いたものだ。誰しもそんな思いに駆られているのであろうか。みんなホッとした顔でビールを飲んでいる。やがて夕食タイムとなり食堂に行くと何と体重80Kの堂々たる「民宿 たつさん」の奥さんが、ニコニコして「今日は山で取れたばかりの猪の鍋料理だよ。」と説明をする。Mさんの乾杯の音頭で賑やかに夕食タイムの開始となった。こうして西大台ヶ原から小処温泉までの長い山路を歩いた色々な想い出をそれぞれの心に刻み5月4日も無事に幕を引くことが出来た。

 5月5日(金)
 〈行程〉
 民宿「たつさん」(6:38)―民宿マイカー→橿原神宮(8:10)→飛鳥駅(8:30)―徒歩→珈琲の店「御園」(8:35〜9:05)→高松塚古墳壁画館(9:13〜9:30)→鬼の雪隠(9:50)→鬼の俎石(10:00)→天武天皇・持統天皇御陵(10:20)→亀石(10:35)→橘寺(10:47)→石舞台(11:25〜12:45)→岡寺(13:20)→飛鳥寺(13:40)→甘樫の丘(14:10)→甘樫の丘の下(14:30)→橿原神宮(15:10・15:55発)―近鉄橿原線→京都(16:55着・17:26発)―新幹線のぞみ96号→名古屋(18:04)→新横浜(19:30着)→東京(19:46着)   (^_^) オツカレサン

 ≪遊歩記≫


           薫風の
           明日香路辿る
               遊歩かな


           鯉のぼり
             明日香の空に
                舞泳ぐ

 「たつさん」の2台のマイカーで柏原神宮駅まで送ってもらい駅のロッカーにザックを入れ、再び「たつさん」のマイカーで飛鳥駅まで行きそこで、「たつさん」の方達とお別れをして、これから明日香路の散策の開始である。出発をする前に「珈琲の店・御園」でこれからの長い明日香路の遊歩に先駆けて、モーニングコーヒーを飲んで出発することとした。
さわやかな薫風が吹き今日もまさに晴天の五月晴れで、絶好の遊歩日和である。しかし、私は毎年5月の連休には山を中心にどこかへ出かけているが、連休の三日間とも快晴の日は全く珍しくそれも今年は北海道から沖縄まで日本全国お天気に恵まれているとのこと。きっとさぞかしどこも大勢の方がこの五月晴れの空の下行楽を楽しんでいることだろう。

 先ずは飛鳥散策の第一歩は、壁画で有名な「高松塚古墳」へ行くこととした。車道から別れて行くと右側に田んぼが続いており、その脇の畦道という感じの遊歩道を歩いて行くと路傍にはハルジオンの花や黄色い野草が色鮮やかに彩りを添えている。周囲は緑の小高い丘が点在し、これらもきっと古墳なのであろうか。そんなのどかな遊歩道を辿ると「高松塚壁画館」に到着をした。ここは実物の高松塚古墳を復元して一般に公開をしている会館である。

 この高松塚古墳は奈良県高市郡明日香村にある直径約20m、高さ約5mの円
墳で装飾古墳。1972年(昭和47)村史編纂事業として発掘調査を実施。墳丘下中央に凝灰岩製
の石棺式石室がきずかれ、終末期古墳特有の構造から7世紀末〜8世紀初頭のものと推定され
る。石室内部の壁面すべてにしっくいがぬられ、その上に壁画がえがかれていた。
壁画図案により中国・朝鮮半島の装飾古墳と密接な関係があることが証明された点で、高松
塚古墳の発見は戦後日本の考古学上、最大級のものとなった。また絵画史・美術史・服飾史
など多方面にも大きな影響をあたえた。古墳は科学的な保存処置のもとに、密閉されている。そんな考古学の粋を集めた壁画館の見学を終え次の目的地へ歩を進めた。

 途中の広場には何かこれからイベントが始まるらしくテントが何張も張ってあり、そこに大小の鯉のぼりが薫風に気持ちよさそうに舞泳いでいる。そうだ。そういえば今日は5月5日「端午の節句・こどもの日」ではないか。きっとこどもの日に因んで楽しい催しがあるのだろう。

 田園風景の続くのどかな道を歩いて行くとレンタサイクルでやはり、明日香路の散策に来ている観光客が列を成して通過をして行く。私達のようにテクテクと歩いて廻る人は数少なくまして登山スタイルで10人も列を成し歩いている人は皆無である。田園にはレンゲの花が密生して咲いており、そんなレンゲ畑の風景もこの明日香路を演出する一つでもあるのだろう。やがて「鬼の雪隠」という巨岩の所についた。何でも伝説に寄れば鬼の便所でここで大小便の用をしたとこだそうで、実に適当に名前を付けるものだ。そしてここから更に歩き小高い丘の所には、今度は「鬼の俎岩」という平らな巨岩が置いてあるところに来た。これも何でも鬼がこの平らな岩の所で、俎宜しく色々な料理をした際にこの岩を用いたのだそうである。イヤー、この伝説というのはどこへ行っても面白いものがあるものだ。

 この面白い伝説の「鬼の俎岩」を後にして、天武天皇・持統天皇御陵に参拝をし、細い道を辿ると「亀岩」という所に来た。丁度鼈甲の亀のように見える岩で、確かに亀に似て見えるから自然の作品には実に面白いものがあるものだ。この「亀岩」を後にして歩いて行くと無人スタンドがありそこに取り立ての苺が売っていたので、和美がそれを買い求め皆さんにお配りをする。丁度喉が渇いていたので、この苺が新鮮さもあって実においしかった。途中の竹藪には大分大きくなったタケノコが生えていたがこれも明日香路の里村風景であろうか。

         古寺の庭
            彩り添えし
              シャガの花


         春爛漫
          祈願込め突く
              古寺の鐘

 そんな小道を辿って行くとやがて「橘寺」に到着をしたこの「橘寺」は聖徳太子がお生まれになった所で、当時ここには橘の宮という欽明天皇の別宮があったそうである。境内はそんなに広くはないが庭園と寺とがマッチしてとても落ち着いた雰囲気だ。庭園にはシャガの白い花が咲いており、青いツツジと配色がとても良く庭園が華やかに見える。境内に釣鐘が安置してあったので、早速その鐘を心込め祈願をたくし「ゴーーーン」と打ち鳴らす。そんな橘寺を後にし、門前の「遊布」という小物を売っている店で布で出来た干し柿のアクセサリーを購入し、今日のハイライト「石舞台古墳」へと向かった。

          卯月の日
            天平懐古
               石舞台

 この「石舞台古墳」へ来ると今までの静けさが嘘のようで、大勢の観光客が、集まり実に賑やかだ。以前は無料で拝観できたそうだが、現在は大枚、300円を支払い拝観する。
昔はこのことからも商売気も無くおおらかなものだ。石室の中では観光ボランティアの方が以下のようなことを説明をしている。


「 サア、皆さん、もっとソバによってください。これから石舞台古墳について説明をいたします。」


「 この石舞台古墳は、横穴式石室を持つ方形墳で、築造は7世紀の初め頃と推定され
ます。既に古墳上部の封土は失われ巨大な天井石が露出した姿になっています。被葬
者は不明ですが、6世紀後半にこの地で政権を握っていた蘇我馬子の墓ではないかと
いわれています。
昭和8年と10年に本格的な発掘調査が行なわれ、その結果、玄室の長さ約76m、幅
約35m、高さ約47mで大小30数個の花崗岩が使用されており天井に使われている石
の重さは、北側が約64t、南側が約77t、総重量は約2,300tという大規模な古墳である
ことが判明しました。

 『石舞台』の名の由来については、一般には石の形状からとされていますが、昔狐が
女性に化けて石の上で舞を見せた話や、この地にやって来た旅芸人が舞台がなかった
ので仕方なくこの大石を舞台に演じたという話もあります。もちろん今は石の上に登
ることは禁止されています。お弁当などの
飲食もご遠慮願います。」

 熱心に語る観光ボランティアの口調に観光客は、「ウーン」とばかりに頷いているから面白いものだ。それだけこの観光ボランティアの話術が卓抜しているのであろう。そしてこの石舞台を見た後、ここの売店で「古代弁当」を買い求め芝生の広場で一同昼食タイムとなった。それにしてもお天気も良く吹く風はさわやかで昼食を取ったので、何だか眠気を催してきた。サア、今度は「岡寺」目指しての遊歩だ。「ウーン、実に見るところが多いな。」

 地元のMさんを先頭にして岡寺目指し歩いて行くのだが、快晴のために陽射しがきつく汗が顔からダラダラと流れてきて背中も汗でビッショリになってしまった。現金なもので「もう少し曇っていても良いよね。」と誰かが話をしていたが、まだ風がさわやかなだけに蒸し暑くないだけ助かるというものだ。岡寺への細い小道は、段々と急坂になり、レンタサイクルに乗っている観光客も自転車から降りて自転車を押しながら歩きふーふーいっている。岡寺というだけに小高い丘を登って行くようだ。そんな急坂を登り詰めるとやっと岡寺の三問に達した。

           岡寺の
             石楠花小径
                友と行く

 この岡寺は、!六六三年(天智天皇二)、草壁皇子のお住みになっていた岡の宮を仏教道場に改め、当時の仏教の指導者であった義淵僧正に下賜され、創建一千三百有余年の歴史を持っている。このため本尊や義淵僧正像など国宝、重文七件ほか多数の宝物がある。それと境内は石楠花と牡丹の花が
咲き誇っている。境内は巧に丘になっている斜面を利用して、本道まで一周できるようになっている。帰途の小径には白い石楠花の花が甘酸っぱい匂いを漂わせ群生している。そんな石楠花の匂いを嗅ぎながら歩いて行くと三重塔に達した。ここからの眺めも新緑と牡丹の花、石楠花の花、そしてツツジの花と色彩も鮮やかでまた、見事で天平の飛鳥の高貴な宮人になった感があり、暫しタイムスリップをしたような心境に駆られた。私は今回巡礼ををした中でこの「岡寺」が一番良かったような気がする。とても印象深い古刹であった。

 こんな岡寺を後に今度は飛鳥寺へと炎天下、yuupolerの皆さん大分お疲れになった顔をしながらテクテクと国道を歩いて行く。途中和美は草餅を買ったりしながら歩いている。それにしても良くまあ、次から次へと買う物があるものだと感心してしまう。歩くのも暑さも合間って大分疲れた頃ようやく飛鳥寺に到着をした。

 この飛鳥寺は、奈良県高市郡明日香村にある、蘇我馬子が創建した日本最古の本格的寺院。蘇我氏の氏寺で法興寺・元興(がんごう)寺・本(もと)元興寺ともいい、現在は新義真言宗の安居(あんご)院と称している。593年(推古元)には塔の心礎に仏舎利をおさめ、596年ごろひとまず完成をみた。飛鳥寺式とよばれる伽藍配置は1塔を中心に東・西・中の3金堂がとりまくもので、高句麗の清岩里廃寺に類する形式だが、瓦の文様には百済系が多い。606年に鞍作止利がつくった釈迦如来像(飛鳥大仏)が安置され、これは顔の上部と右手指の3本が当時のものといわれる。

         若葉なす
            甘樫の丘
              四顧眺め


そんな蘇我氏の菩提寺の境内を進んで行くと蘇我馬子の墓所に出た。当時権勢を誇っていた蘇我馬子だけにもっと立派な墓石だと思ったら、わりと小さな墓石なのには驚いてしまった。ここで記念写真を撮り、この明日香路散策の最後のポイント甘樫の丘へ向かった。新緑も鮮やかな甘樫の丘の階段を上り詰めると眼前がパッと広がり、奈良台地の遙か左から金剛山、葛城山、大和三山(天香具山、耳なし山、うねび山)が遠くに見え、蘇我一族もきっとこの甘樫の丘に登りこの風景を見ていたことだろう。天平の昔から変わらぬ風景を見せ今日に至っているかと思うとその歴史的の変遷に熱きものを感じる。

 そして甘樫の丘の下の休憩所にて少し休んでから、一気に歩いて明日香路散策のゴールイン、橿原神宮の駅に到着をしコインロッカーに預けてあったザックを持って3時55分発の近鉄橿原線京都行きの電車に乗り込んだ。途中の二つめの駅にて地元のMさんと7月の再会を約しお別れをして、京都にて新幹線のぞみ96号に乗り、柿の葉寿司をつまんで缶酎ハイを飲みながら良いご機嫌で一路東京へ向かった。こうして2006年の連休も変化に富んだ「大台ヶ原さんと明日香路を訪ねて」の遊歩もお天気に恵まれ様々な想い出を心の頁に刻み無事幕切れとなった。  
                        オシマイ   (^_^)




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甘樫の丘から見た風景