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Circle≪ゆ〜ぽぴあ≫・遊歩記


        第109回遊歩
   ≪荒川の広い河川敷を歩いて
  先人の足跡を確かめよう!!!







 遊歩日:   2010年6月20日(日) 日帰り
 遊歩先:   荒川放水路土手散策
 参加者:   16名
 天 候:   薄曇り

 <行 程>

 JR埼京線浮間舟渡駅集合⇒浮間公園散策⇒北向地蔵⇒荒川土手歩き⇒荒川知水資料館見学⇒赤水門見学⇒青水門見学⇒小山酒造「丸真正宗」⇒幸福地蔵尊(大満寺)⇒赤羽大観音(正光寺)⇒赤羽駅近く居酒屋夕食宴会⇒赤羽駅 解散

 ≪遊歩記≫

 埼京線浮間船渡駅改札口外で、担当者のK,Mさんの荒川河川敷遊歩の説明がなされた後、恒例の参加者の声出し挨拶が行われた。今回の参加者は総勢16名と最近になく多い参加社だ。その参加者のうち4名の方は、私が住まいする三鷹市のお隣武蔵野市の視覚障がい者協会のK,Sさん、H,Aさん、そしてそのGuideHelperのお二人だ。こうして交流の輪が広がって行くことは実に喜ばしいことである。梅雨時なので雨の心配があったが、幸にもその懸念も払拭されこうして薄曇りの水無月の一日、「荒川河川敷遊歩」が実施された。

 RooNav、担当者のK,Mさんを先頭に2班編制で、ゾロゾロと中高年探偵団宜しく、曇天の蒸し暑い中、汗を滲ませて出発となった。その蒸し暑さであるが幸にも荒川が近いためであろうか。吹く風はやや強くわりとヒンヤリとしているためにさほど暑さが気にならず大いに助かるウォーキングだ。歩いて間もなく浮間公園に達しそこには広々とした池があり、水取りがスイスイと気持ちよさそうに泳いでいる。また、太公望の釣り人が、釣り糸を垂れジッと水面を見つめ釣りをしている姿は当に一服の絵になる光景だ。

 そんな池を離れ桜並木を過ぎやがて静かな住宅街を歩き路傍に鎮座している「北向き地蔵尊」
に手を合わせ程なく荒川土手に到着した。この荒川の川幅は広く対岸がかなり遠くに見える。また、堤防の巾も広々としており、Walking Runningには、最適な堤だ。そう言えば私は過去、2回この荒川フルマラソン42,195kmに出場したことがある。何と言ってもこの荒川フルマラソンでは、私がまだ全盛の頃3時間48分、サブ4の好記録を達成したのであった。その時はコースの途中に冷たいレモンシャーベットのサービスがあり、もう私は喉が渇いていたので、記録などは二の次三の次とばかり、その冷たいレモンシャーベットを立ち止まり食べていたのであった。今思えばそんなレモンシャーベットの誘惑に負けずに走っていたら3分は違っていたのではないか。そうしたら3時間45分、ウーン、この記録はランナーにとって少しは鼻が高い記録だけに少々惜しい気がする快挙であった。

 そんな我らご一行様、談笑しながら荒川の川風を体に受けのんびりと歩きやがて堤防の一隅で、昼食タイムとなった。私はこっそり持参した缶ビールの栓を抜きおつまみのチクワと共にその冷えたビールを飲む。「ウーン、この缶ビールは山で飲むのも由、こうして川で飲むのも由、そして温泉で飲むのも特に由と早く言えばどこで飲んでも良いってことだ。・・・!!!   (^^)

 やがて思い思いの昼食を済ませまた、歩行開始となり、今度は荒川河川敷の歴史と科学を学ぶべく「荒川知水資料館」へ歩を進めた。
それではこの荒川知水資料館の資料の一部を紹介しよう。

岩淵水門(いわぶちすいもん)は、東京都北区志茂において現在の荒川と隅田川とを仕切る水門。かつて「荒川放水路」と呼ばれた人工河川を現在は荒川と呼び、かつての荒川を「隅田川」と呼ぶ。この水門はこれらの分岐点にある。

1924年竣工の旧水門(運用終了)と1982年竣工の新水門(運用中)の二つが存在する。

旧水門

 旧水門はその色から通称「赤水門」と呼ばれる。1916年(大正5年)に着工し、1924年(大正13年)10月に完成した当初の水門。RC造(一部S造)で、9m 幅のゲート5門で構成されている。1960年(昭和35年)3月に通船のために5番ゲートが改造された。完成以来、最大2m以上にもおよぶ地盤沈下や、左右岸の不等沈下が発生するなどの問題に悩まされ、新水門完成に伴ってその役割を終え、取り壊されることになったが、地元の人などから惜しまれ保存されることになった。のちに、土木建築物としての価値が高いと再評価され、1995年(平成7年)には産業考古学会によって推薦産業遺産に[1]、1999年(平成11年)には東京都選定歴史的建造物に[2]指定された。

水門上は歩行者自転車専用橋として開放され、川に囲まれた中之島(水門公園)に渡ることができる。

草刈の碑

 水門公園には「草刈の碑」と呼ばれる大きな石碑がある。これは1938年(昭和13年)から1944年(昭和19年)にかけて付近の荒川土手で行われた「全日本草刈選手権大会」を記念して作られたもので、「農民魂は先づ草刈から」という碑文が記されている。

新水門

 新水門はその色から通称「青水門」と呼ばれる。旧水門の老朽化、地盤沈下対策、また洪水調整能力の強化を考えて、300m ほど下流に作られた。1974年(昭和49年)に着工し、1982年(昭和57年)に完成した。事業費は約70億円[3]。200年に1回の大洪水にも耐え得るように作られている[3]。RC造で、10m 幅のゲート 3門で構成されている。平常時は水門を開け、荒川上流からの水を新河岸川からの水とともに隅田川に流す。増水時には、水門を閉じ、荒川上流と隅田川の水流と途絶させる。

  ガンブッチ

 国土交通省荒川下流河川事務所のマスコットキャラクターである「ガンブッチ」は「岩淵」を読み変えたもので、新岩淵水門をモデルとし、顔の両脇に特徴的な水門の形をあしらっている。

 白亜の3階建て荒川知水資料館で、しっかりと荒川河川敷の歴史と科学を学びそれを頭に入れ今度は、実際に赤水門、青水門を見学することとした。この赤水門を傍で見るとその大きさに圧倒されそうだ。そんな水門を見学し川岸を歩きこの荒川河川敷ともお別れして、そして繁華街に入り東京では珍しい酒造元、小山酒造に立ち寄り地ビール「都電荒川線」を買い求めそれを持ちモウ、蒸し暑さの中汗ダクダクで歩き工事中の幸福地蔵尊(大満寺)門前でその地ビールを飲む。信心深い人であれば寺院の門前でアルコールを飲むと言うことは、絶対にしてはならない行為であるが、それはそのこのyuupolerには、そんな礼式はあいにくと持ち合わせていなく銘々ブッチューッと地ビールの栓を抜きゴクゴクと飲む。この地ビールが実実に美味しく渇いた喉に吸い込まれるように喉を通過して行く。

 そんな少々罰当たりな休憩をした後、まだ夕食宴会時間には、間があるので赤羽大観音(正光寺)に行きここで更に休憩をした後、赤羽駅前の居酒屋で「飲み放題、2時間菖蒲待ったなし」の開始のゴングが鳴り、皆さん、大きいピッチャーで生ビールをグラスに注ぎ飲んでいる。今回初めて参加した武蔵野視覚障がい者協会のお二人、それにGuideHelperの方々も顔を真っ赤にしハッスルしながら談笑している。こうして今回の「荒川河川敷遊歩」も色々な収穫の成果を上げて無事終了したのであった。

「オシマイ」

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