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 Circle《ゆ〜ぽぴあ》

     第297回遊歩

  矢切の渡しを舟で渡り寅さん
 の故郷柴又帝釈天を参拝しよう










   遊歩日:   2021年7月11日(日)
   遊歩先:   じゅんさい池緑地・里見公園・矢切の渡し・          柴又帝釈天・他
   天 候:   曇時々晴
   参加社:   5名


   《行 程》

   ◎矢切駅(05:15)=徒歩⇒◎じゅんさい池緑地北口(09:25)=   ⇒▲じゅんさい池緑地南口(09:40)⇒◎里見公園(09:50)⇒◎   矢切の渡し〜渡し舟〜舟発着場⇒▲葛飾柴又寅さん記念館・   山田洋次museum(見学)⇒◎柴又帝釈天{12:55・参拝・彫刻   ギャラリー 拝殿の回廊一巡(日蓮上人一代記・法華経説話テ   ーマとした木刻鑑賞)}⇒柴又門前町散策(昼食休憩)⇒柴又   駅 解散  ハイおつかれさんでした。  (^_^)


    ≪遊歩記≫

 参加者5名が、新宿駅南口に集結し、電車を乗り継ぎ矢切駅に到着した。矢切駅構内の一隅に「矢切の渡し」で、使われ古くなった舟が陳列してあった。こうして舟全体を見るとかなり細長く大きい物だ。そして矢切駅の改札を出て、恒例の声出しをする。そしてChief担当の北区のS,Mさんが、今日のコース説明を行った。このところ土曜日になると雨が、降っており11日のお天気が心配だったが、参加社の普段の心がけが良いと見えて、ドンヨリとした曇り空であるが、まず雨は心配なさそうだ。Chief担当の北区のS,MさんとGuideHelperのS,Tさんを先頭にして、その後を私達がついて行く。

 静寂なる矢切の街並を歩き。そんな街並みを抜けると今度は、桜並木が続く車道を歩く。。きっと桜が咲く頃はこの道は、桜花爛漫で、さぞ綺麗なことだろう。そしてやがて第1の目的地「じゅんさい池緑地公園南口」に到達した。
それではこの「じゅんさい池緑地公園」に突いて略述しておこう。

じゅんさい池緑地公園 (市川市)


 池の周囲にはヒノキ、アカマツ、コナラなどの樹木がうっそうと繁っています。ウメやサクラといった花を愛でる樹木もあり、とくに湖畔に紅梅、白梅は季節が来ると美しい花を堪能させてくれます。

 公園に入ると陽も射さないためであろうか。薄暗く陰気な感じがする。じゅんさい池が、細長く遊歩道に沿って、静かに水を湛えている。そしてふと見るとS,Tさんが、ある木の傍らに立ち北区のS,Mさんの手をとり、その木の葉っぱを触らせてその木の説明をしている。実際に全盲のBlinderは、歩いていても光景が、確認できないので、こうして入念に説明をしたり、また、触らせて実際に手の感触によって、よりrealに認識出来るため必要なことであろう。そんなS,Tさんの気配りにすっかり感心してしまった。

 そして10分も歩いただろうか。「じゅんさい池緑地公園北口」を出て「里見公園」に到着した。
それではこの「里見公園」について略述しておこう。

里見公園 (市川市)


 里見公園は下総台地の西端、江戸川に面した台地上にあり、このあたりは国府台と呼ばれ、ここに下総国府が置かれ、下総国の政治や文化の中心でした。その後、室町時代天文7(1538)年10月、足利義明は里見義堯等を率いて国府台に陣をとり北条氏綱軍と戦いました。しかし北条軍が勝利をおさめ義明は戦死し、房総軍は敗退しました。続いて永禄7(1564)年正月、里見義堯の子義弘は再度国府台城で北条軍と対戦しましたが、この合戦も北条軍の大勝で終わり、以降この土地は北条氏の支配するところとなりました。
 江戸時代に徳川家康が関東を治めると国府台城は江戸俯瞰の地であることから廃城となりました。明治から終戦まで国府台は兵舎の立ち並ぶ軍隊の街として栄えました。昭和33年、市川市はこの由緒ある古戦場を記念するために、一般の人々の憩いの場として里見公園を開設しました。


 そんな里見公園の一隅で、まだ時間はさほど経っていないのだが、この先余り休憩spotも無いため、ここで小休止を取ることとした。私はベンチに腰掛けるなり、「ハイ、出ました」とばかりに缶ビールのプルトップを空けその冷えたビールを飲む。いつもならばノンベイコンビの北区のS,Mさんも即、缶ビールを飲むのだが、さすがに今日はChief担当と言う大役のためジッと堪えているようだ。

 そして休憩後、園内を散策数。園内の一隅に今が盛んとばかりにバラの花が、咲いていた。バラは春の5月中旬頃が、最盛期で有り、また、秋バラ咲いているのを見かけるが、こんな夏の7月11日に見事に黄色、紅、ピンクと大きな花が、咲いているのは、実に珍しいのでは無いだろうか。そんなバラを観賞し小高い丘陵地へ行く。その頂上に里見家の代々が、眠っている石棺が、安置されている所に来る。滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」と言う小説で、名字に犬のついた八人の士によるお家最高の物語である。これが東映で映画化されて、私がまだお坊っちゃまの頃、犬塚しの(東千代之介)、犬飼源八(中村錦之介)の太刀さばきに手汗握る想い出見たっけ。  「遠くを見る目」 (^o^)

  そして木々が鬱蒼とした丘陵の階段を下り、少し歩いて、江戸川の堤防に到達した。左側には、広い河川敷の中央に江戸川が、満々と水を湛えゆったりと流れている。そしてその河川敷には、子供達が、ワーイ、ワーイと歓声を上げて野球をしている。Corona禍情勢の最中でも子供達の大きな声を出して、遊んでいる姿を見るとこれが本来の生活スタイルなのだと改めて感じた。堤防の遊歩道は、道幅も広く曇っていた空もいつしか太陽が射し、夏の空も青々と高く、広い河川敷、江戸川の流れとlocationは、抜群に良くついつい私は皆さんを追い抜き両手を高く振って、足取り軽く歩いて行く。

 そして堤防の途中から「矢切の渡し場」へ向かう。それではこの「矢切の渡し」について、略述しておこう。


矢切の渡し(松戸市・葛飾区)


 「矢切の渡し」と聞くと、昭和の大ヒット曲を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
江戸初期から続く歴史ある渡し船の名称で、江戸川を挟んだ東京都葛飾区と千葉県松戸市を結んでいます。千葉県側の渡し場は木に囲まれて分かりづらいですが、堤防道路にある行先表示に従って河川敷に降り、川岸に向かって伸びる一本道を突き当たれば渡し場に到着です。
係員がいるわけでもなく、目立つ看板も券売機もなく、あるのは手書きの注意事項が貼られたパネルのみ。東南アジアの渡し場を思わせる情景です。
特に入場の手続きなどはいりませんので、そのまま桟橋に入りましょう。

矢切の渡しには時刻表はありません。人がある程度乗ったら随時出港します。
手作り感満載な桟橋を渡り、船が停泊していたら船頭さんに料金を支払い乗り込みます。船がいなくても対岸からすぐに戻ってきますので、そのまま並んで待ちましょう。
特に船頭さんから案内や注意事項の説明はありませんので、桟橋入り口にある手書きの注意事項をしっかりと読んでおくのをお忘れなく。
船の中央には救命浮き具が備えられているので、万が一の時でも安心ですね。

のんびりゆったり江戸川クルーズ
同乗する人との距離も近いので、非日常の雰囲気からか開放的な気分になり、話が弾んでしまうことも!こういった経験は電車やバス移動ではなかなか味わえませんね。

船からはスカイツリーも!
天気が良ければ、船から東京スカイツリーを見ることができます。
近未来の象徴であるスカイツリーと、江戸時代から続くレトロな渡し船、同じ時代にあるとは思えないギャップが不思議な気分にさせてくれること間違いなしです。

キラキラと輝く江戸川の水面、川に架かる橋を渡る常磐線、船頭さんが櫂を漕ぐ音を聞きながらのんびり眺めているうちに、あっという間に東京側の渡し場に到着です。


 私達は、「矢切の渡し場」で、15分ほど待ったでしょうか。その間に看板に書かれた渡し賃を見ると、何と200円です。鹿も障割が効いて、障がい者、その付添者共に100円です。今時この渡し賃の安さにビックリです。そして、待つこと暫し、渡し舟がやって来ました。私達は、その細長い渡し舟に乗り込みました。他に乗舟客が、10名ほどおりました。マア、その方達は、韓国人、はたまた中国人か。良く分かりませんが、嬉しいのか。ワイワイガヤガヤとうるさいことしきりです。思わず新型Corona virus感染のことが、気になりましたね。因みに船頭さんにこの江戸川の川幅を聞いたところ130Mだそうです。

 そして隣席のK,Mさんに船頭さんは「艪をこいでいるのですか。」と聞いたところ「艪なんかでは舟をこいでいませんよ。モーターで舟を走らせているのですよ。」と言われ「それもそうだ。一々艪で舟をこいでいたら疲れてしまうし、何時岸に辿り着くか分からないから、昔と違って文明の力、モーターを使っているのか。」と妙に納得してしまった。渡し舟は、江戸川を真横に渡るのかと思ったら、川下に向かい川の流れに沿ってゆっくりと走って行くのだった。約、15分ほど舟に乗っていただろうか。やがて、舟は東京川(葛飾区)の岸に到達した。まるでTHYME slipしたような時間が止まったかのようで、実にのんびりとした雰囲気を味わった。

 そして江戸川の堤防を上り、休憩所に着き、ここで一休みをする。そうしたら北区のS,Mさんから、紙コップに入れた冷えたビールが、回ってきた。長く歩き喉が渇いていると思い最後にビールを飲んで貰おうとのこの気配り・・・・!!!   「サスガデヤンスネ。」

 そして休憩後、「葛飾柴又寅さん記念館観光文化センター」へ尾を進めた。
 それではこの「葛飾柴又寅さん記念館観光文化センター」について略述しておこう。


葛飾柴又寅さん記念館(観光文化センター)


 大船撮影所から移設した「くるまや」や、あの”タコ社長”の「朝日印刷所」のセットに加えて、寅さんが実際に使用した実物の革カバンなどの展示コーナー、「寅さんと一緒に楽しむ鉄道の旅」をテーマに、昔懐かしい駅舎や駅務室、客車ボックスシートに座って名シーンを楽しめるコーナーなどで『男はつらいよ』の世界を再現。また、寅さんと一緒に記念写真をとることができる記念撮影コーナー(有料)や作品に関するクイズにチャレンジできるQ&Aコーナーもお楽しみいただけます。
 併設する「山田洋次ミュージアム」は、映画『男はつらいよ』シリーズの原作・脚本・監督を務め、寅さん記念館名誉館長・葛飾区名誉区民であり、2012年に文化勲章を受章した山田洋次監督の、これまでに携わってきた数々の作品や映画づくりへの思いを9つのテーマでつづられたミュージアムです。 2019年に新設されたTORAsan cafeと合わせてお楽しみください。


 館内に入ると45回の「男はつらいよ」の映画のポスターが、ズラッと張ってあり、何だか寅さんが、飛び出してきそうなat homeな寅さんの妹さくら、おじちゃん、おばちゃん、印刷工場の社長、帝釈天の僧侶、寺男等々と「男はつらいよ」の登場人物が迎えてくれた。そして「男はつらいよ」の寅さんの一場面の映画を鑑賞し、隣接の「山田洋次ミュージアム」へ行く。館内に入ると山田洋次の銅像が、安置されてあり、山田洋次監督が使用した物、脚本等が陳列してあった。そんな「山田洋次ミュージアム」を鑑賞し、共済後の目的地「柴又帝釈天」へと歩を進めた。

 それではこの「柴又帝釈天」について略述しておこう。


柴又帝釈天(葛飾区)


柴又帝釈天の縁起

柴又の帝釈様として親しまれていますが、正しくは経栄山題経寺といい日蓮宗のお寺です。
千葉県の中山の法華経寺第十九世、禅那院日忠上人のお弟子の題経院日栄上人は、葛飾柴又へ寄った際、見事な枝ぶりの松の木を見とめ、近づいてみると松の下に霊泉が涌いていました。
日栄上人は師の日忠上人を開山に仰いでこの地に庵を開きました。
これが経栄山題経寺、すなわち柴又帝釈天のはじまりです。寛永年間(1629)の開山とされています。

柴又帝釈天の縁日は「庚申」の日

柴又帝釈天には日蓮上人が自ら刻んだと伝えられている「帝釈天の板本尊」が安置されていますが、開山間もないある時期、この御本尊の所在が不明でありました。

ところが、第九代の日敬上人の時に、本堂を修理したところ、棟の上からこの御本尊が発見されました。
安永八年(1779)の春、庚申(かのえさる)の日であったことから、柴又帝釈天では庚申の日を縁日と定めています。

当時、江戸の町では庚申信仰が盛んであり、『柴又に帝釈天が庚申の日に出現した』と江戸市中に広まり、柴又の帝釈天として有名になったそうです。
柴又帝釈天の縁日は「庚申」の日
さらに、板本尊が発見されてまもなく、江戸の町に飢饉、疫病が蔓延しました。
「天明の大飢饉」といわれる江戸時代の惨事です。
このとき柴又帝釈天の住職であった日敬上人は板本尊を背負い、「南無妙法蓮華経」と唱えながら江戸の町を歩き、災害や病気で苦しんでいる人々を救済して歩いたそうです。

こういった事で柴又帝釈天は「庶民の寺 」として親しまれ有名になったのでしょう。
なお柴又帝釈天 題経寺の中で、一番古いお堂は「釈迦堂」です。
文化・文政期とされているので西暦1800年頃の建造物です。
当時の建築様式が見られる貴重な建造物です(帝釈天二天門をくぐり、右手の奥に見えるお堂)
「釈迦堂」
現在の建物の概観
柴又駅から柴又帝釈天参道を歩いて行くと、突き当たりに二天門が建ち、その門をくぐると正面に帝釈堂、右に祖師堂、その右手前に釈迦堂(開山堂)、祖師堂裏手に大客殿などが建つ。


帝釈天


 帝釈天は仏教の守護神の天部のひとつです。
妻は阿修羅の娘の舎脂で、梵天と一対の像として表されることが多く、釋提桓因ともよばれています。古くインドでは、武神インドラと呼ばれ、ヴァシュラという金剛杵を武器にして凶暴な魔神と戦った雷神です。仏教では、そうした性格は部分的にしか引き継がれていない。インドの神話では、インドラ神は阿修羅と戦い、倒したという伝説があり、帝釈天は修羅道の主、阿修羅と戦い、追い払ったという伝説があります。

帝釈天の実際

 帝釈天は四天王やその眷属が住むといわれる須弥山の頂上にあたる?利天の善見城に住むといわれています。四天王や眷属を下界に送り、報告を受けるのも主な務めのひとつです。
帝釈天は二つの姿であらわされるのですが、ひとつは唐代の衣装を身に着けた貴人風で、手に
金剛杵や蓮などを持っています。

梵天像と帝釈天像は見分けが付かないことも多くあります。密教の帝釈天像は甲冑を身に着け、時には白い象にまたがった姿であらわされることもあります。


 私は過去、2回ほど「柴又帝釈天」へ訪れているのだが、いずれも参拝だけで、本堂には入ったほとが無いため今回は、観覧料400円を奉納して、本堂に入る。本堂の左手から拝殿の回廊一巡する。畳が敷き詰められた広い和室が、何部屋も有り、そして兎に角、長い回廊に沿って、良く手入れされた庭園、松、竹林、古木、清水をたたえた池等々とそんな造りが見事で、思わず手を合わせたくなるほどだ。そんな回廊を一巡したら今度は玄関、入口から右手に回る。こちらは木刻ギャラリーで、建物の壁に刻まれた木刻が、これまた見事なものだ。その時丁度、木魚と鐘の音が聞こえ勤行が始まった。またしても私は、頭を垂れて合掌する。

 そしてそんな貴い柴又帝釈天の見学を済ませて、門前町を歩き適当なお食事処を探して、ここで「Launch THYMEを取る。私は生ビールとザルソバと天麩羅の盛り合わせがセットとなった料理を注文した。そして天麩羅をオツマミにして、生ビールを一気に飲み干す。その生ビールが、渇いた喉を通過して、五臓六腑を駆け巡る。 「イヤーー、マタマタタマリマセンナ。」  (^_^)


 今日の「柴又遊歩」は、「里見公園」の綺麗に咲いたバラの花、THYME slipした「矢切の渡し舟」、そして「柴又帝釈天の本堂内見学」と実に有意義な時を過ごしたのだった。



〜〜≪オシマイ≫〜〜










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