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感動の雨の東京大マラソン祭2007を走る


感動の雨の東京マラソン2007を走る


大会名      大東京マラソン2007
マラソン日    2007年2月18日(日)
種目       フル(42,195K)マラソン 
種目名      マラソン男子
部門名      マラソン男子60〜64歳
ナンバー     25342
天候       雨 気温 5°c
記録       4:43:22
チップタイム   4:31:01
順位       10991 位 / 19494人中
年代別順位     541 位 /  1152人中


通過点       通過タイム   チップタイム

  5Km       0:43:32      0:31:11
  10Km       1:14:13      1:01:52
  15Km       1:44:13      1:31:52 
  20Km       2:14:39      2:12:18
中間点        2:21:26      2:19:05
25Km       2:45:57      2:33:36
  30Km       3:19:22      3:07:01
  35Km       3:53:39      3:41:18
  40Km       4:27:28      4:15:07
FINISH     4:43:22      4:31:01


 ≪感 想≫

 天気予報によると2月18日は、どうも低気圧が通過しそのため雨になるとのことで、その天気を心配していたがその天気予報が見事に当たってしまい何と今日は朝から大雨の空模様だ。私と和美はそんな雨の中をスタート地点の新宿へと向かう。新宿駅でランニングスタイルに着替える。いつもの大会ならばランシャツ、ランパンで走るのだが、2月の寒さとこの大雨のことを考慮し、長袖のシャツの上にTシャツを着て下はパンツの上に長いタイツを履き更にその上に眺めのランパンを履いて、雨よけにWindbreakerを着て防水用の帽子をかぶり雨が降る中をスタート地点の新宿西口公園へ向かった。

 先ずは着替えた衣服などが入ったザックをFinish地点に輸送をして貰うためにその受付の所を大粒の雨が降る中を探し歩く。もう、周囲は人、人、人の群れでそんな群衆をかき分けて歩いて行くのだが、なかなか見つからない。新宿へ遅く着いたために刻々とスタートの整列時間が迫ってくる。そんあせったな状況の中をようやく荷物運搬のトラックを見つけザックを預けてワシントンホテルの前のGスポットに向かう。このスタート地点の待機場所は、タイムの登録順に速く走るランナーからA〜Jまであり私は4時間30分の予想タイムなので、後ろの後ろGスポットだ。

 マア、それにしても何と前から後ろにかけて、ランナーの群れの群れこの日のために海外から2000人の参加ランナーを含め国内外から約、3万人のランナーが勢揃いをしたのだ。、この長く伸びたランナーの人の列を眺めていると雨のことなど気にならなくなり、沸々と闘志が湧いてくる。待機をしているランナーも気持も高揚し今や遅しとスタートの号砲一発を待っている。とは言うもののこの寒さは半端ではない。大粒の雨が間断なく降っており、その雨が薄Windbreakerを濡らしそれがジワジワと染み込んできて身体まで濡らしそのため寒く身体を小刻みに動かしていないと寒くてどうしようもない最悪の状態だ。周囲のランナーを見るとしっかりとした厚い簡易雨具を着ているので、その入手先を尋ねると途中の道路上で配っていたとのことだが、私は遅く新宿へ着いたために既に枚数も終了したと見えて貰うことが出来なかった。

 寒さに震えながら隣にいる同年配のランナーと何となく話をする。彼は宇都宮から来たそうで、フルマラソンは今回が2回目で幸にもこの東京大マラソンに当選し、それからというものはこの日のために練習をしてきたそうである。私もこの東京大マラソン2007のスタート地点に建つまでは、まさに故障との戦いであったのだ。実にこの3年間は、右足底腱膜炎、左アキレス腱損傷とそんな足の故障に泣かされてきた。

 それでも2006年の去年は、年頭からそんな足の故障も完治したのか痛みも感じなくなった。それでEntryをしていた2月の青梅マラソンに久しぶりに参加をし、そんなに疲れもなく私にとっては30Kを2時間57分とまずまずのタイムでFinish出来た。後から聞いたのだが松田さんも参加をしており、私より2分ぐらいの差で後からFinishをしたそうである。そして毎年4月には参加をしている「笛吹市一の宮桃の里マラソン」にも参加をしこれも余裕を持ってFinish出来た。

 この調子だと今秋のフル(42,195K)マラソンにもEntry出来るのではないかと期待に胸躍らせて日々快走とばかり早朝マラソンで気持ちの良い汗をかいていた。しかし、そんなTrainingを続けていたらある日突然に右足底部に痛みを感じその痛みを我慢して走っていたらもう、痛みがとても強くなりそれで仕方が無く自宅まで歩いて帰ってきた。それからその足底部の痛みは治るどころか延々と続いており、6月に「西湖ハーフ(21,095m)マラソン」にEntryをしていたのだが、とても走れる状態でないので、参加出場を断念してしまった。そこでせめて参加賞のTシャツを貰いに和美と共に車で西湖の大会会場へ行きTシャツを貰った。見ると雨の中をランナーが懸命に西湖の畔を走っているではないか。そんな姿を悔しい思いで見ながらそこを後にした。

 それからというものは、走るのは止めて専らWalkに徹して2時間ぐらい早朝歩いていた。そして6月になり待望の「東京大マラソン祭2007」の参加申込の期日を迎え早速応募し第1回目のマラソン大会だけにどうしても参加をしたいので、「どうか当選してくれ」と神に祈る気持であった。

 右足底部の痛みが、少し良くなるとそれを待ちかねて走ってしまいまた、痛みが再発しそれが持続してしまいどうにも痛みが引かない状態が、夏まで続いてしまった。そんな夏の日に待ちに待った「東京大マラソン祭2007」の当選の通知を手にしたのであった。何と約、9万人のランナーが国内外から申し込んだそうで、まさにこれはプラチナカードだ。あの大都会のど真ん中を走れると思うと思っただけで血沸き肉踊る気持で一杯となり、闘志が沸々と沸くのだが、肝心な足の方は、痛みが去らず気持と空回りしてしまいなんとも情けない状態だ。

 いくら何でも来年の2月までには、痛みも完治してスタート地点に立てるだろうと楽観していたのだが、やがて秋風が吹くようになっても右足底腱膜炎の痛みは去らず秋からTrainingをしないとフル(42,195K)マラソンは、騙しが効かないから段々と不安になりあせる気持なってきた。そして10月に入り《ゆーぽぴあ》の遊歩で東北の岩木山に行き雨の中を悪戦苦闘をして、山頂に立った。山頂のお社に「どうか足の痛みが治りますように・・・・!!!」と祈願をし下山をした。

 そんな岩木山の山行から数日を経て、久しぶりに軽く走ってみたら、何と右足底部の痛みを感じないではないか。これはきっと岩木のお山の神様が「そんなに東京大マラソン祭2007」を走りたいのだら、痛いの、痛いの飛んでゆけ・・・!!!!」と治してくれたのだろう。それから毎日少しずつ距離を伸ばしRunningを開始した。そんなTrainingを続けていたら12月に入り、今度は以前痛めた左アキレス腱の痛みが再発をしてしまった。なんともはや、情けないことにまた、走れなくなってしまった。 (;_;)

 そんな左アキレス腱損傷の痛みが2007年を迎えても治ることはなかった。東京大マラソン祭2007は、来月に迫っているではないか。いくら何でももう、Trainingをしないと大会まで間に合わなくなり、最悪出場断念という悲劇にもなりかねないので、もう、気持はあせりにあせっていた。そんな頃、1月14日に《ゆーぽぴあ》の新年遊歩で、日向山と日向薬師&七沢温泉に行き、日向薬師で「おねげえーだ。お薬師様、あなたのお情けでこのアキレス腱の痛みを取ってください。お願いしますだ。・・・!!!」と大枚100エンを賽銭箱に投じて祈願をした。

 そんな新年遊歩から帰って、1月20日、もう、Trainingをしないと駄目だとばかりに走ってみたら、何と何とアキレス腱の痛みが無いではないか。きっと日向薬師のお薬師様の御利益があったのだろう。コリャア、嬉しやな。それからはもう本格的にトレーニングの再会である。毎早朝2時間30分ばかり走り、2集続けて土曜日には、私の自宅三鷹から多摩湖までサイクルロードを往復5時間走り、最終Trainingとばかりに2月10日の土曜日にまた、多摩湖まで
な走ったらさすがに無理に無理を重ねたためか、また、ガーーーン、左アキレス腱の痛みが再発してしまった。

 それでやむなく整形外科を受診する。そのDoctorはSportsMedicalに精通をしているDoctorで、「分かった。そんなに東京大マラソン祭2007に出たいのなら、そうしたら大会前日17日にステロイド注射をして出場しなさい。そうすればら痛まずに走ることが出来るだろうもう、それしかないよ。」と言われ、それで17日にはステロイド注射をして、ようやっと今、このスタート地点に立っているのであった。アー、本当に長い足との戦であった。・・・  (;_;)

 そんな回想に思いを寄せていると約、40分雨の中を待期していたら、ようやく9時10分となり、前方の方が一団と騒がしくなった。石原都知事が号砲を鳴らしどうやらスタートをしたようだ。アー、やっと走れるようになったのだ。何しろ3万人が走るのだから先頭がスタートをしても私のGスポットまでには大分時間がかかりまだ私達は走り出さない。それでもやがてノロノロと隊列が歩き出し、徐々にゆっくりであるが走り始めてきた。そしてスタート地点まで12分かかりようやっとスタート地点を踏みいよいよ東京のど真ん中を目指し快走が始まった。  (^_^)

 各、大学の学生による応援団の声援を受け大勢のランナーが一団となり走って行く。それにしてもこのランナーの数の多さよ。まるで雲霞の如くゾロゾロと一つの流れとなってFinish会場の東京ビックサイト目指し雨の中を意気揚々と走って行く。私ももう、雨などはすっかりと気にならずに左アキレス腱の調子を見ながらゆっくりと走る。そんなアキレス腱も幸にも痛みはなく身体も軽くリズミカルに走れるので、もう嬉しくてたまらず「ヤッターー」と思わず小さな声で口にしてしまった。都庁周辺を走り抜けいつもなら数多くの車と通行人で賑わっている新宿の大ガードを走り抜け不夜城の繁華街歌舞伎町を左に見ながら広い道路を快適に走って行く。

 今日この時は私達選ばれたランナーの独擅場で、広い道路を颯爽と走って行く。まだスタートして間もないので皆さん、意気軒昂で前へ前へと雨の中を走り行く。やがて5k地点に到達する。時計を見るとスタートから32分かかっており、これならば5Kを大体30分で走れば40Kで4時間、残り2Kを12分、0,195K3分、ロスタイムが15分、そんな配分だと4時間30分でゴールインが出来ると計算をしこのペースを守って走ろうと決意する。今までのフル(42,195K)マラソンの大会は、どうしてもスタートから飛ばし途中の35Kぐらいでペースダウンをしてしまいそのうち足が痙攣をしたりして、後半はもう、悲惨な状態であったので、それを反省し今回は前半は余裕を持って走ることにした。

 そして飯田橋駅前、田町のおなじみの東京都障害者福祉会館の前を過ぎ、田町駅前を通過し淡々と走って行く。すると「ドーーンドドドーーン、ドンドンドンドッドッドン」と和太鼓の音が聞こえるではないか。そんな和太鼓の音に併せて足取りも軽く走って行く。身体も躍動し走れる喜びで一杯だ。それから品川の折り返し地点を通過し更に走って行く。そしてまた、田町の東京都障害者福祉会館のまえの広い道を芝道成寺の方へ向かう。「アッ東京タワーだ・・・!!!」と誰かが大きな声で叫んだ。見ると東京のシンボル333メートルの東京タワーが左手に見えるではないか。もう、感激、感激で「俺は今、この東京のど真ん中を走っているんだ。」そう思うともう嬉しくなり、目頭が熱くなってきた。思わずルンルン気分となりスピードが出て他のランナーを抜き去って走る、走る。

 それからコースは日本橋を通過し、ジャジャジャーーン、あの銀座4丁目に飛び出た。もう、沿道には大勢の人達が途切れることなく声援を送ってくれている。この銀座4丁目の広い道路を一流ランナー宜しく走っているのだ。きっと他のランナーも感激で胸一杯で歓喜して走っていることだろう。疲れてきても「ガンバレ、ガンバレ」と沿道から声援がかかるので、自然と身体は前へ前へと進みそんな温かい観客の皆さんが背中を押してくれるからトントンと足が前へ出てしまう。

 そんな銀座通りを過ぎそれからコースは、広い道路が続きここら当たりまで来るとランナーの数も大分ばらつきゆっくりペースのランナーや立ち止まり屈伸運動をするランナーもいたりして、スタートからのあの混雑をした様子とは大分違ってきた。「アッ雷門が見えるぞ・・・!!!!」と声がかかる。「エッ、雷門ってあの浅草の雷門なのか。」これって浅草の方へ走っていたのか。私は余りコースの様子が分かずに走っていたのでそんな越えに驚いてしまった。そして紛れもないあの見慣れた威風堂々たる雷門の前を通過した。

 ここら当たりまで来ると雨は小雨となってきたが、今度は冷たい風が吹き付けそれが濡れた身体には寒くとても堪える。そして所々に舗装された道路でも大雨だったために水溜が出来ており、それに突っ込んでしまうと靴が濡れてしまいあしが冷たくなって走る速度が鈍って往生した。そしてやがてコースは長い坂が続いており、歩いているランナーがバタバタ出て来た。「ハッハー、ここだな。今回のマラソンコースで一番のハードな地点は、コリャア、一番頑張らなくちゃあ」と自分に克を入れ「1,2,3,4,5,6,7,8,」と小さく声に出しリズムを取りながら歯を食いしばって走って行く。

 入船橋、春海橋を通過しコースは閑散とした街並みになってきた。一団と道路の広いお台場の区域に入ってきたのだろう。沿道から「ゴールは直ぐだよ。ガンバレ、ガンバレ」と大きな声がかかる。「ガンバッテネ。オジチャン」と小さな女の子の声もかかった。「ヨッシャー、マカセテオキナ」とばかり最後の力を振り絞りお尻を叩いて走る。やがて「ゴールまで後、500mだよ。」と励ましの声がかかった。そんな激励の声に疲れた身体に鞭を打ち荒い呼吸をしながらもゴール目指し走る、走る。

 そしてついに「パンパカパーーーン」Finish、Gaulin「ヤッター、ヤッター」時計を見たら4時間31分、まさに計算通りのタイムでFinishが出来た。「おめでとうご座います。」と可愛い女性からメダルを首にかけて貰いボランティアの方々と握手をしながら偉業をやり遂げた達成感とその感動で胸一杯となり、目を潤ませて勇者もこれとばかりに歩いて行き、先に電車で来ていた和美と出会い待期場で衣服を着替えホッとして駅へと向かった。

 こうしてこの東京大マラソン祭2007の戦も無事に完走できて終了した。私の人生に於いてこの東京大マラソン祭2007の思い出は消えることのない思い出として心に深く刻まれて残ることだろう。「健康って素晴らしいな。」また、来年も運が良ければ是非とも東京大マラソン祭2008に挑戦したいものだが、来年は今年よりもなおいっそう、応募者が増えることは間違いないから、今年が最初で最後になるのかも知れないなあ。

 モノレールのゆりかもめに揺られながら窓外を見るとこれが東京なのかと疑うような大きなビルが屹立する御台場の風景が見られ改めて東京の変貌する姿を垣間見た。そして、その日は美酒に酔いしれたことは言うまでもない。  \(^O^)/   (^_^)v