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《≪第9回遊歩 高尾山・一丁平桜お花見遊歩の集い≫》



  遊歩日:   05年4月17日(第3日曜日)
  遊歩先:   高尾山・一丁平(山域 高尾 標高640m)
  参加者:   19名
  天 候:   晴天

 <行程>
 JR高尾駅北口―バス・20分→小仏バス停(10:25)→登山口(11:00)→小仏峠(11:40)→城山(12:10)→一丁平(12:30)(お花見宴会)→高尾山山頂―20分→薬王院―20分→ケーブルカー駅―60分→京王高尾山口


 ≪感想≫

 今年は去年と違って、3月が結構寒かったので、桜の開花が遅く4月17日が高尾山では丁度桜の見頃であった。高尾山の山桜の見頃と有って、集合場所のJR高尾駅前は、かなりの人混みで混雑をしていた。定時には19名の参加者が揃って京王バスに乗車し小仏峠のバス停へと向かう。乗客も多く皆、それぞれにハイキングをしながら一丁平の桜のお花見に行くのであろう。天気は絶好の行楽日和で山桜が咲いており、山がピンクに染まったように見える。時たま風に吹かれて桜の花びらがヒラヒラと舞い降りてくるのはとても風情があり、春爛漫の和やかな雰囲気を醸し出してくれる。

 私達一行は、小仏峠のバス停から登山口まで歩きそこで休憩をして、自己紹介を行い小仏峠へと向かう。すっかりとレギュラーメンバーとなった恵美里チャン、風光花(フミカ)チャンの二人もおしゃべりをしながら楽しそうに歩いている。私は何しろ重たいザックを背負っているので汗が滝のように流れ出てくる。途中の湧き水で喉を潤しほっとしてまた、歩いて行く。山々の木々の芽吹きが一斉に始まり新緑がとても鮮やかで目に優しく映える。

 一汗かいた頃、小仏峠に到着をした。何と今まで登山道を塞ぐように立っていた茶店が閉鎖され廃虚となった茶店が淋しく建っており、栄枯盛衰、時の流れと無情を感じた。ここで一休みをして更に歩を進め城山へと向かう。城山に着くとハイカーや観光客が多数休んでおり、ここの茶店は大盛況で、冷たいビールが飛ぶように売れ小仏峠の茶店と明暗、表裏の相違をはっきりと見せていた。私も冷たいビールが飲みたかったので、購入しそれを持ちながら城山を下り程なく一丁平に到着すると空気がアルコール臭く皆さん、既にお花見宴会の真っ最中である。

 先客がいて平坦な所がないので、いくらか斜面になっている所にお座敷を造りここでお花見宴会の始まりとなる。丁度近くに桜の木があり桜の花びらが風に吹かれてヒラヒラと舞い降りてくるので、お花見の演出効果は抜群である。炊事班が豚汁の用意をしている間に桜の花を愛でながら「先ずは一献」最初はワインで乾杯をし、ポカポカとした陽気に気分は最高で持ち寄ったおつまみを食べながら談笑の和やかな雰囲気の中健康の素晴らしさに感謝をし、また、大いにお酒にも感謝をし、何時しか私を初めとして皆さんのお顔も桜色に染まり話す声を大きくなる頃、参加者がそれぞれ食材を分担をして持ち寄った豚汁が出来上がりその美味にもう大満足で私はお変わりを三杯もしてしまった。酒量が急ピッチに進み他のグループが歌を歌い始めたので、こちらも負けてなるものかと歌集を取り出し大声で歌う。こうして約、2時間本当に楽しいお花見宴会の至福の一時も丁度お時間となり、高尾山一丁平とお別れをし一同ハイになった気分で高尾山山頂に登り薬王院を過ぎケーブルカー組と歩き組に分かれ登山口で合流をして、おそばを食べてそれぞれの家路についた。
                                     オシマイ


<遊歩先の紹介>

 高尾山は都心からわずか1時間弱で行ける東京の山。標高600mで、日本一の急勾配を走るケーブルカー、二人乗り観光リフトがあり、体力によって登山方法を選ぶことができる。山頂からは富士山をはじめ、丹沢・秩父・日光の連山が望め、眺望は抜群。
 今回は陽春の一日、高尾駅からバスで小仏峠まで往き小仏峠から城山へなだらかな上り下りを繰り返し、窪地の一丁平に着きそこで満開の山桜の下でゆっくりとお花見宴会をしながら憩いの一時を満喫しましょう。

 高尾山にある薬王院は、真言宗智山派の大本山で正式名称「高尾山薬王院有喜寺」【たかおさん やくおういん ゆうきじ】という。 この寺の草創は、天平16年(744年)今からおよそ1200年の昔、行基菩薩【ぎょうき ぼさつ】が聖武天皇の勅命を得て、薬師如来を安置して開山されたと伝えられている。
 この時代は、日本古代史の中で最も華やかな奈良時代といわれるときで、奈良の都には東大寺の大佛殿などが造営され、日本全国六十余州の各々の国には、国分寺が建立されるなど、これらの造営に中心的役割を果たしたのが行基菩薩である。