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 Enjoy《ゆーぽぴあ・遊歩記》

       第53回遊歩
 ≪江戸時代にさかのぼり、明治、
   昭和へと歴史をなぞって歩く≫
  “高輪から大崎ゲートシティ&水族館へ
               ・ぶらり東京探訪”









  遊歩日:   2007年10月21(日)
  遊歩先:   細川家椎の木・泉岳寺・東禅寺・高輪プリンスホテル貴賓館・大崎          ゲートシティ・エプソン・プリンス品川アクアスタジアム
  参加者:   金川 勝夫・和美・他6名
  天 候:    晴れ


  <行程>

 新宿{10:01発・東京メトロ丸ノ内線(池袋行)190円}→四ッ谷{10:08着・(乗車位置:後)10:17発東京メトロ南北線(武蔵小杉行)}→白金高輪(10:27着)
営団都営・白金高輪→細川邸の椎の木→大石良雄外十六人忠烈の跡→泉岳寺→→東禅寺→高輪プリンスホテル貴賓館→御殿山(昼食休憩)→ゲートシティ大崎→品川プリンスエプソンアクアスタジアム→品川駅中店「薩摩屋敷・小宴会」→解散


  ≪遊歩記≫

 私は山や郊外の遊歩には出かけるのだが、どうも自噴が住んでいる東京のことは、正直、変貌する東京の街並みをテレビで見るぐらいで、実際には甚だ歩く機会が少なくその話題に着いていけないのが実情である。そこで東京探訪とばかり様変わりをした東京の街並みを見て歩くこととした。

 今回は江戸時代にさかのぼり、明治、昭和へと歴史をなぞって歩く遊歩と銘打って、赤穂浪士が眠る泉岳寺と今水族館が大人気で、その中でも都心にあるエプソン・プリンス品川アクアスタジアム水族館の言わば新旧対象的なる場を歩くこととした。

 メトロ南北線、白金高輪駅で参加者8名が勢揃いをし、恒例の自己紹介を済ませイザ、高輪遊歩のスタートである。先ず最初に驚いたのは都心にも拘わらず街の様子が大変静かなことだ。この遊歩を計画するときには、白金、高輪というネーミングから豪邸が建ち並び綺麗な億ションがある街を想像していたので、きっと緑が豊富で静寂な街の風景だろうと思っていたが、やはり、想像以上の静寂さに先ず感心をした。

 何しろ東京でも一等地のこの高輪近辺を歩くので、いつもの山スタイルのジャージーのトレーナーのズボンとスニーカーでは、余りにも見劣りがするので、スラックスと革靴をきちんと履きオシャレをして、出かけてきたのであった。
 天の声
「ついでにそのお顔も何とかしたら」

 「イヤー、すんまへん。こればっかりは親から貰ったもので、どうしようもないからね。・・・!!!」  (^^;)  (-_-;)

 そんな高輪の街を歩き魚籃坂という急坂を登り最初の見学地「細川邸の椎の木」の場に到着をした。

 この「細川邸の椎の木」は、 赤穂浪士を預かり、彼らを厚遇したという細川家。その熊本藩細川家の下屋敷があったところの名残とも言える椎の巨木。幹周り8mあまりで上部は伐られているが、今なお若葉を繁らせる。都の天然記念物指定されている樹木だ

 改めて江戸時代から今日まであの戦火にも焼失しないで、立派に青い葉をつけて枝を伸ばしている姿につくづく感心させられた。

 そんな銘木を見物した後は、そこから3分ばかりの所にある「大石良雄外十六人忠烈の後」へと向かった。この「大石良雄外十六人忠烈の後」は、 播州赤穂城主の仇を果たした浪士達は、細川・松平・毛利・水野の各大名家に預けられたが、元禄16年(1703)2月4日に切腹が申し渡され即日執行、泉岳寺に葬られた。細川家に預けられていた大石良雄(おおいしよしたか)と浪士17名はここで潔よく切腹をした。

 その閉ざされた門から中を覗いてみると樹木が鬱蒼としており、何だか今なお赤穂浪士の霊が漂っているようで、何とも言われぬ気持になってしまった。するとS,Yさんが「亀田タイキも負けたら切腹をすると言っていたのだから、ここで切腹をさせればよいのよ。」とそんなジョークに皆さんがどっと大笑いをした。

 そんな元禄の歴史を懐かしみそこを後にして、狭い路地を抜け坂道を降りて、いよいよ今日の目玉の一つ泉岳寺へ向かった。この泉岳寺は日本人なら誰でもご存じの赤穂浪士が眠るお墓があるお寺だ。
 泉岳寺は、 曹洞宗の寺で、慶長17年(1612)、江戸城近くに創建されたが、寛永の大火で消失、現在地に移転した。播州赤穂城主の浅野長矩(あさのながのり)と、大石良雄をはじめ赤穂浪士の墓があることで知られる。元禄15年(1702)12月14日、本所吉良邸で上野介の首を打ち取った浪士達は、主君の墓がある泉岳寺に戻り、首尾を報告。その際上野介の首を洗ったという首洗い井戸が残り、浪士の遺品は義士館に納められている。

 実際に四十七人の赤穂浪士の墓を見たのだが、想像していたお墓のイメージよりは、遙かに小さく貧弱なものだった。何しろ四十七人の墓を建てるのだから、墓石も数多く必用になるし、当時の法を犯しての討ち入りだけに幕府の圧力も相当にあり、立派な墓石を立てることが出来なかったのかも知れない。それでもさすがは大石良雄の墓だけはちゃんと木造の小さな社の中に外の浪士とは違い大きな墓石が鎮座してあった。それらの浪士の墓石に 和美とS,Yさんがそれぞれお線香を手向け手を合わせていた。そして上野介の首を洗ったという首洗い井戸にS,Mさんを触れさせてから、休息所でフルーツゼリーを食べ一休みをした。

 それから泉岳寺を後にして、今度は東禅寺というお寺へと向かった。
この東禅寺は、 徳川家の軍学師範だった嶺南(れいなん)和尚が慶長15年(1610)に開いた臨済宗の寺。開山当時は溜池西側の霊南坂上にあった。安政6年(1859)、最初のイギリス公使館が置かれ、公使館として使用されていた玄関、奥書院などが保存されている。文久元年(1861)とその翌年には、攘夷を唱える水戸浪士や松本藩士による公使館襲撃事件も起こっている。

 この境内はそんなに広くはないのだが、植栽が整備され最近の創建であろう三重塔もあってなかなか荘厳な感じのするお寺であった。そんな東禅寺を見学した後は、今度は「高輪プリンスホテル貴賓館」へと向かった。

 この「高輪プリンスホテル貴賓館」は、 イギリス人の建築家コンドルは、鹿鳴館などの設計を手がける一方で、現在の東京大学工学部で教壇に立った。その教え子である片山東熊、木子幸三郎らが設計をしたもので、明治43年(1910)に旧竹田宮邸として完成。シャンデリアも豪華な館内には、現在は宴会場として利用されている。

 そんな貴賓館を見た後、更に歩を進め昼食場所としての、御殿山へと向かった。途中には大きホテルが建ち思わず上を見上げ改めてこの高輪近辺の街の様子に見とれてしまった。これではまるでお上りさんだが、そう言われても仕方がないくらい建物群の立派なのに驚いてしまった。スタートしてから硬いアスファルトの道を結構歩いているので、足の裏がジンジンとしてきたところでやっと御殿山の昼食の場所に着いた。

 この御殿山は、 「江戸名所図会」に描かれ、海の見える桜の名所として賑わったが、その後、品川の埋め立て地のために山が削られた。現在ホテルラフォーレ東京が聳える辺りが御殿山の頂上だった。現在、西側の斜面は常緑樹が茂り、水のある公園として整備されている。

 ここが都心のど真ん中とは、思えないほどの静かさで緑が豊富で、小鳥も鳴きお何と負けに滝が二箇所も流れているではないか。一つはまとまって一筋の滝であるが、もう一箇所は幅もあり周囲の木々と調和し絵になっている。しかしながらそこは人工の滝で藻の臭いがしてやや興ざめの感がある。

 その公園内では飲食厳禁なので、少し離れた休息所で、昼食タイムとした。何しろ高輪遊歩と言うことで、外のウォーキングの時は、一升瓶を持参するのだが、そこはやはり、スマートにワインなどを持参してきたので、それを皆さんにお配りをしそれぞれのお弁当を食べ一休みをする。

 A,Hさんが小鳩に何やらお煎餅などをやったりし、それを恐れもせずにA,Hさんに近づき食べている小鳩の姿は実に愛らしく心和む光景である。そして昼食も終え後もう一息、今度は「大崎ゲートシティ」へと向かった。

 この大崎ゲートシティは、オフィス棟のイーストタワーとウェストタワー、この二つのタワーに挟まれて、吹き抜けのアトリウムと中庭のあるサンクンガーデンが広がる。レストランとショップ併せて50
店近くある。そんな巨大な建物をまたまた、驚の眼で眺めゲートシティ大崎」で、買い物をするとカッコウはよいのだが、何とお手洗いを借りただけでここはあっさりと通過をし、最後の目的地「エプソン・プリンス 品川アクアスタジアム」へ行くこととした。予定では大崎駅から品川駅まで山手線で行こうと思っていたのだが、折角のウォーキングどうせなら品川駅まで歩こうということで、S,Yさんの少々頼りない道案内で見座す「エプソン・プリンス品川アクアスタジアム」へ向かった。

 そして少々足が疲れた頃ようやく「エプソン・プリンス品川アクアスタジアム」に到着をした。
 この「エプソン・プリンス 品川アクアスタジアム」は、 世界各国の海水魚を約300種類、20,000点集めた本格的な水族館。水槽を360度囲む1,350席の「イルカプール」と393席の「アシカプール」2つのプールでオリジナルパフォーマンスを行っている。
 「ドルフィンパーティー」
 光り輝く巨大海藻と真珠の下を楽しそうに泳ぐ海洋生物(イルカ・ラッコ・サメなど)に乗れる、海の楽園をイメージしたメリーゴーランドがある。

 館内にはいるともう、観客が大勢で水族館だけに特に子供達が多く魚達を見ては歓声を上げていた。今月は北八ツ遊歩での水族館見物とそして今日又、こうして海の魚達を眺めすっかりと魚と仲良くなった感がある。特に目を引いたのはマンゴウ、それに鮫であろうか。そしてイルカの調教師の軽妙なパフォーマンスによる「イルカショー」は、やはり、目玉のイベントだけに大勢の観客がイルカがジャンプをする度に歓声を上げていた。私も手を叩きながらそんなイルカ君の演技に拍手を送り暫し楽しんだ。

 そんなイルカショーを見た後、今、人気の駅中店として品川駅にある「薩摩屋敷」という居酒屋で先ずは生ビールで乾杯をし、お互いに和気藹々で談笑して、やがて宴もたけなわであるが、丁度お時間となりましたので、一本締めにて今日の充実した高輪遊歩の幕を閉じた。

                   オシマイ  (^_^)