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羅臼岳・斜里岳・知床半島北の旅情




           
羅臼岳・斜里岳・知床北の旅情



山行日    2004年7月22日(木)〜26日(月)
 山行先   羅臼岳・斜里岳・知床半島
 天 候   5日間とも快晴
メンバー   金川 勝夫 金川 和美



 行 程

 7/22(木)  吉祥寺(5:42発)―リムジンバス→羽田(6:40着・8:20発)―Airlin         e→女満別空港(10:00着・10:35発)―レンタカー→小清水原生花         園(11:20着・12:30発)―レンタカー→宇登呂(13:20着・14:35発)         ―レンタカー→知床五湖(15:10着・15:50発)―レンタカー→岩尾         別温泉地の崖ホテル駐車場(16:00着)―徒歩→木下小屋(16:15着         宿泊・自炊) (-.-)Zzz

 感 想

 今年の2月に流氷を見に知床の地を訪れて依頼、再びこの夏に訪れることが出来た。2月の知床は、白い世界であったが7月は全く一転し、緑と太陽の知床である。何でも「世界遺産」に登録をするための調査団が丁度私達と同じに22日から知床半島へ調査に入るとか言っていたが、「世界遺産」に登録をされればむやみには開発が出来ないから自然保護の立場からは望ましいことである。早く保護をしないと北海道でも数少ない大自然の原野が荒廃してしまうのは、甚だ残念でならない。この知床半島は、シマフクロウ、エゾジカ、キタキツネ、ヒグマ等々の動物達の楽園であって欲しいものだ。

      夏空に
       北の夢乗せ
        飛び立ちぬ

 そんな憧れの知床半島への旅立ちが、予定よりは約、30分遅れで8時20分のflightにて、この羽田空港から始まろうとしているのだ。機内は満席で皆、それぞれ北海道への夢を乗せ日航機は離陸をし、高度8000メートルの成層圏までグングンと上昇していく。しかし、この離陸の瞬間は何回飛行機に乗っていてもいやなもので緊張をさせられる一時である。

 今年は早くから日本各地で35度以上の猛暑が続いており、東京でも38,5°という最高の温度を記録してしまったくらい、毎日猛暑と言うよりは、酷暑、炎暑という方が相応しいような炎天下の日が続いているため、身体もバテ気味なので涼しい北海道へとこの時期に行くことが出来、暑気払いの息抜きの北の旅として、まだ見ぬあこがれの羅臼岳、斜里岳、カムイワッカの滝に思いを寄せ、心は欣喜雀躍の少年に還ったようなハイな気持ちである。

 機内ServiceのCoffeeを飲み、Earphoneからの「日航寄席」を聞いていたら、羽田から飛びだって1時間40分、早いもので間もなく女満別空港へ到着するとのannounceが流れ、女満別は現在15°の気温だそうで東京都は約、15°も違うのには驚いてしまった。サアー、いよいよ五日間の北海道知床、北の旅情の幕開けとなるのだ。飛行機はドンドン下降しやがて滑走路に無事着陸をした。預けてあった大きなザックを貰いカウンターにてレンタカーの係りの方と共に空港から少し離れたトヨタのレンタカーのサービスステーションに行く。そしてレンタカーを借り、先ずは小清水原生花園へと向かうことにした。

      酷暑から
       わずか時にて
           涼し北

 最初は和美は、知らない土地とマイカーでないため、運転に躊躇していたがレンタカーにも今はカーナビが設置してあるので、残念ながら音声でのナビゲーションは、操作が分からないらしいが、それでも行く先々の道路の案内を表示してくれるので、かなり助かるらしい。それでも時々車を止めロードマップとにらめっこをしている。
そして 先ずは自炊で必要となるガスボンベを買いに予め調べておいた網走のスーパーへと向かう。

        ハマナスの
         白き波間に
            羅臼岳

 小清水原生花園は、係りの方の説明によると今年は6月が暑かったので、花が早咲きとなったそうである。そのために私達が見に行ったときには余り花が咲いていなかった。それでも海岸にはおなじみのハマナスが夏の強い陽射しを受けて咲いていた。海岸は白い砂浜が長く続いており、遙か遠くに羅臼岳が見え、オホーツクの海野荒波が白いしぶきを上げ統一的な満ち引きを繰り返している。吹く風がとてもさわやかでそんな波を見ていると時間の経つのを忘れてしまいいつまでも佇んでいたいが、予定もあるのでそこを後にして宇登呂の街へと向かう。

       強き陽や
        ただ直線の
           北の道

       北の果て
        大暑とはいえ
            風涼し

 進む道路は夏の強い陽射しを受けてただ真っ直ぐにどこまでも続いているという感じで、さすがは北海道、改めて広さを感じさせられる。空気が澄んでいてそのために陽射しは強いが、吹く風はさわやかでとても気持ちが良く車の窓を開けているとそんな優しい風が顔を撫でて吹き抜けて行く。こんな些細なことで北の旅情を感じ、きっと今頃は東京は大暑で皆さん、暑さで閉口していることであろう。

       冬と夏
        宇登呂の町を
           訪ね来ぬ

       かもめ鳴く
        うに丼食す
           北の店

 やがて車はこの2月に訪れた再来の宇登呂の街に着く。早速昼食に東京のテレビで紹介をしていた「婦人部食道」でお目当ての「ウニ丼」を缶ビールを飲み、カモメの鳴く声を聞きながら頬ばる。「アー、これぞまさに北の旅情そのものである。」とウニのとろけるような甘い味をかみしめながら悦にいる。

 ウニ丼を食べお腹も落ち着いたのでこれから知床五湖へと向かう。空いている道路を進んでいくと「アッ、熊だ。」と和美が叫ぶ、聞くと左の森かげからヒグマがノソノソと出てきてまた、すぐに立ち去ったとのこと。立て看板には「熊が出るので注意」と書いてあるのだそうで、和美も自然そのままの大きなヒグマを見たので「やはり、知床ね。」と感心をしていた。ヒグマも最近は里に下りてきて食べ物を探すのであろうか。何だか勝手に人間がヒグマ達の動物のテリトリーに入ってきて開発をしたために動物の居住区も狭くなってしまい申し訳ないような気持ちにさせられる。

 知床五湖につくと係員が「最近ヒグマが出没しているので、危険であるから知床五湖のうち、今日は一湖だけの観光となります。散策路の脇には熊よけのために電気の通っている金網が張ってありますからそれに触れないように注意をしてください。」と話をしていた。最近は熊も知床五湖の観光スポットまで出没してきて、熊も自分の居住区を主張しているのだと思うと可笑しくなってしまう。

       夏の空
        知床の山
         青く見え

 知床の一湖といっても、周囲は余り無く深さは3mばかりで余り水も澄んでおらず湖というよりは、池の感じがして感動は余り無い。遠望すれば明日登る「羅臼岳」が一番高く右に見え、それから左へと7つのピークが知床連山として深い原始林の山並みを見せており、熊が相当いそうな感じがする。そんな深い知床連山を後にし、羅臼岳の登山口「木下小屋」へと向かう。

  車を「地の崖ホテル」に駐車をし、木下小屋に向かう。しかし、今まで涼しかったのだが何と陽射しがきつくジリジリと肌を刺すような暑さに汗がしたたり落ちてくる。5分も歩くとお目当ての「木下小屋」に到着した。中々雰囲気の良い小屋で、何と大小、二つの露天風呂があり、まさにかけ流しの熱いお湯が滾々と湧き出ていて、温泉好きの私は笑顔となり、早速その野手満点の露天風呂へとドップリと浸かる。先ずは第一番目の岩尾別温泉だ。今回は山もさることながら、何カ所も温泉に入ることが出来るのでこれもまた、大いに楽しみである。

        ひぐらしの
         澄みし声聞き
            露天風呂

 泊まり客は札幌から来たおばちゃん軍団の10名ぐらいの団体の他は、個人での登山客が数名だけで一部屋を私達だけで使うことが出来た。温泉に入り良い気分となって、途中のスーパーで買ってきた「紫蘇の焼酎」をシャケトバのつまみで一杯やりながら、五目ご飯を食べて明日の羅臼岳に思いを寄せ早めにシュラフに潜り眠りに着いた。

 行 程

羅臼岳歩程時間  8時間47分

7/23(金)   木下小屋(5:10発)→見晴台(6:00)→極楽平(6:45)→仙人坂(7:         07)→銀冷水(7:25)→雪渓(7:54)→羅臼平・木下弥三吉翁のレリー         フのあるテント場(8:30)→岩清水(9:00)→羅臼岳山頂(9:30)→羅         臼平(10:43着〜11:00発)→銀冷水(11:40)→仙人坂(12:05)→極楽         平(12:20)→水場(12:30)→木下小屋(13:48)→レンタカー→岩尾         別Youth hostel(14:20)→宇登呂温泉(14:50〜15:40)→岩尾別You         th hostel(16:10・宿泊) (-.-)Zzz

 感 想

 朝、4時に起きて早速、露天風呂に行くとな、な、なんと、ガヤガヤとおばちゃん軍団が10人はいるだろうか。大きな露天風呂の方を占領しているではないか。女性の方の風呂は、湯小屋になっており、景色も見えないので、朝だから露天風呂の方へ入りに来たのだろう。私はもう、小さくなり小さな露天風呂の方へ遠慮しながら入っている。聞くとも無しにおばちゃん軍団の会話を聞くと札幌の山の会のメンバーで今回は、女性だけで羅臼岳の登山に来たそうである。昨日の夜確か、6時頃ダッカか。羅臼岳の登山をして戻ってきたのはその登山の話で持ちきりであった。何でも熊に本の目の前で遭遇したらしく、ビックリした様子を声高々と話をしている。さぞかしこのおばちゃん達一行であれば熊の方がビックリして慌てて逃げて行ったことだろう。

 露天風呂から帰ると和美が、今小屋の窓の前を大きなエゾジカ二頭が歩いていったと話す。さすがは知床本当に動物の生息地だ。それだけまだまだ自然が豊なのであろう。朝食をしっかりと食べこれから羅臼岳の登山開始となる。登山者はそれぞれ鈴を付けて「シャン、シャン、シャン」と熊よけに鳴らしているのでその鈴の音が耳につき、折角自然の中に溶け込もうとしているのに人工的な鈴の音でそれを妨げられてしまいもう、ガッカリである。和美も特に高い音のする鈴を持ってきているので、鳴らさないようにと頼むが、熊にあったらどうすると不服そうであった。

 涼しい朝の風が吹く樹林帯を快適に歩を進めて行く。不便な北海道の山だけに登山者も少なくそれだけに緑の自然の中を歩くことが出来嬉しい限りである。そんな樹林帯を1時間も歩くとやがて視界が開けてドーンとオホーツクの海が見えてきた。水平線が弯曲してはっきりと見える。辺りには私は名前は良く分からないし、はっきりとは見えないのだが、それでも色とりどりの高山植物が咲き誇り短い夏を精一杯可憐な姿をそれぞれ見せており、私達にやすらぎを与えてくれている。

 登山道は良く整備されまるで奥多摩の山を歩いているようで、誠に快適にドンドンと高度を稼いで歩いて行ける。遠くの木々からコマドリが「カラカラカラ」と鳴いており、その声の素晴らしさに余計に足取りも軽くなってそんなに汗をかかずに歩けるので楽である。やがて平らな名前もよろしき「極楽平」の平坦な場所に出る。ここら当たりもキンバイ、エゾコザクラ、キキョウ等々が咲いておりまさに極楽の地であろうか。

 そして銀冷水という湧き水が流れる場所に着く。ここでその名水を飲んでみるととても冷たく喉の渇いていたので丁度良く喉を潤すことが出来た。北海道では山の水はキタキツネのエキノコックスの細菌が繁殖をしているので飲まないようにと言うが、この渇いた喉にこの冷たい自然の水は、応えられない美味だけに飲まずにはいられない、どうせエキノコックスの影響が出るのは潜伏期が6年ぐらいだそうだから、指折り数えてももう、年には不足がないので平気である。

 銀冷水で喉を潤ししばらく快適な登山道を歩いて行くと、やがて白い筋の雪渓に飛び出た。まさか雪渓の上を歩けるとは思ってもいなかったので、嬉しくなりザックザックと雪渓の上を歩いて行く。その雪渓の箇所はかなり続いており、雪渓の上を吹く風は誠にひんやりとし実に気持ちがよい。こんなにきめ細かく登山者に歓迎をして山の自然が、演出をしてくれるからこれでは疲れも吹っ飛んでしまう。ここから後、頂上までは2kだ。「サア、頑張って、後一登りだ。」

 雪渓を過ぎしばらく歩いて行くと平らな羅臼大良に着いた。木下弥三吉翁のレリーフがあるが、この木下弥三吉翁なるものは、何物か残念ながら調べてこなかったので分からないが、おそらくこの羅臼岳の登山道を開拓した方であろう。それで麓にも木下小屋というのがあるのではないか。ここからは目の前にやや円錐形をした羅臼岳がその形の良い山容を見せ早く登って来いよと手招きをしているようだ。ゆっくりと水分の補給をしたり、パンを食べたりして、いよいよ残りの山頂までのアタックを開始する。

       岩清水
        喉潤して
         ひと登り

 ハイマツの狭い登山道を抜けるとこれから岩場となり、その岩場から冷たい清水が湧き出ている。名前もその通りの「岩清水」という場所に出た。早速、その岩清水を飲んでみるとこれはもう、先ほど登ってくるときに飲んだ銀冷水の水も遠く及ばないほどのとても冷たく、まさに長い年月岩場を通ってきた清水だけに絶品の名水でこれを飲んだら、さぞかし長生きをするのではないかというパワーが清水に秘められているような感じがする。

        夏雲や
         羅臼頂き
          立ち思う

 そんな霊験あらたかな岩清水を飲み、斜度が急に増してきた岩場をこれから三点確保で岩場の登りとなり、それだけに息も乱れてきて苦しい登りの一時だ。そんな苦しい登りもクリアをすると出ました。9時30分、羅臼岳山頂へ・・・!!! 
 何と見ると私の視力でもはっきりと国後島がホモ細長く黒く見えるではないか。国後島は長さ120km、幅、30kmと北方四島で択捉島に次いで二番目に大きな島だそうで、こんなに近くに国後島が見えるとは全く思わなかった。それだけに先の太平洋戦争でわずか1週間で参戦をし、どさくさに紛れて日本から北方四島を持って行ったロシアのやり方に腹が立ってきた。「ロシアのバカ野郎。国後島を帰せ・・・!!!」と大声で叫びたいような心境である。

 山頂は狭いので感激もそこそこに下山を開始する。登りよりは遙かに岩場の下山は私にとっては、苦手でソロソロとゆっくりと降りて行く。やがて平らな羅臼平に着きここで残りのパンを食べ水を十分に飲んで下山開始となる。普段山ではどうしても視力がないから下りは苦手であるが、ここは登山道も良くそれだけにドンドンと下ることが出来た。

 そして 木下小屋には午後1時48分に到着した。さすがに全身汗でビッショリである。ここで登山靴を洗って、地の崖ホテルで待望の缶ビールを飲み今日の宿泊の岩尾別ホースホステルに向かう。長年旅行をしているがユースホステルに留まるのは初めてである。まだ時間が早いから風呂はやっていないとのことで、それで宇登呂の町の宇登呂温泉に車で行くこととした。15分も車で行くと高台に夕日が見える温泉というキャッチフレーズの町営の温泉場に着いた。ここでゆっくりと温泉にはいり、再び岩を別のユースホステルに戻ると丁度夕食の時間となっていたので、食道で若い女の子達と食事を共にする。男は皆、良い年の叔父さんであったが、女性は若い一人旅の方が多く気取らず気軽に私達と談笑をする。夕食後は普段は観光客が入れないプライベートの浜辺にと夕日を見せにユースホステルの係りの方が連れて行ってくれた。25分も歩いただろうか。そんな細かい小石が敷き詰められた浜辺に着いた。丁度太陽が没するときで、夕日が金色に光りとても綺麗な光景だ。そんな夕日を見て帰途に着く途中の小高い丘に数多くのエゾジカが私達を珍しい者でも見るが如く一斉に見ているではないか。こんな間近にエゾジカを見られるとはこれも知床の自然の豊かさであろう。

        長き陽も
         オホーツクの海
             暮れ沈み

 今日はさすがに羅臼岳の登山で疲れたので、宿に着くとユースホステルは男女別々なので、私達はそれぞれの部屋に戻りすぐに寝てしまった。

 行 程

 7/24(土)  岩尾別Youth hostel(5:40発)―レンタカー→カムイワッカの滝登         り口(6:12着)―徒歩・→カムイワッカの湯滝(6:30着〜7:10発)―         徒歩→カムイワッカの滝登り口(7:30着〜8:10発)―レンタカー→         宇登呂(8:30)―遊覧船・オーロラ号「知床岬航路」(10:00発〜13:         45着)桟橋(14:00発)→盂名別自然保養センター(入浴休憩・14:30         着〜15:32発)→斜里岳登山口・清岳荘(17:00・宿泊) (-.-)Zzz

 感 想

 今日は朝、5時に起きお目当ての一つ、「カムイワッカの滝」に出かけるのだ。8月になるとマイカーの規制があり、通行止めになるのだが7月はその規制もなく、もう緑の原始林の中をガタゴトと揺れながら車は知床の奥へと入って行く。そんな道をしばらく進むとやがて「カムイワッカの滝」の駐車場に着いた。ここで用意をしてきた地下足袋とわらじに履き替えいざ、出発である。

 カムイワッカ川の沢をバシャ、バシャと水の中を登って行くのだが、このカムイワッカ川は、水も冷たくなく温かく、登るに連れてその温かさが増してきた。さすがは地下足袋とわらじの威力はものすごい、何ら滑ることもなく岩場や川の中を登って行くことが出来る。入り口には「運動靴やスニーカー等で登らないでください。事故が多発しておりますから、自己責任で対処してください。」と注意書きの看板が立っていたが、観光客が安易に沢に入り滑ってしまうのであろう。私達も沢登りの経験がないと地下足袋やわらじまでは気がつかなかったかもしれない。

 そんな温かな水の中を20分も登っただろうか。出ました。高さ10メートルぐらいの「カムイワッカの滝」が私達二人を迎えてくれた。滝が流れている岩場は硫黄で真っ黄色に変色しており、滝壺はかなりの広さがある。予め水着を着ているのでそのまま滝壺の天然露天風呂に入る。滝のそばまで行くと私の首ぐらいの深さで、温度も熱くなく、ぬるくなく丁度良い温度で硫黄の成分が強くしぶきが眼にはいるとツーンと痛みを感じる。朝、6時全く誰もおらず私達二人の貸し切りでドデカイ超自然の露天風呂にゆっくりと入ることが出来た。夏空はあくまで青く蝉が盛んに鳴いており、これぞ至福の一時、もう感嘆、声も無し。・・・!!!

        蝉時雨
         カムイの湯滝
            妻と浴び

        夏空や
         カムイの湯滝
            独り占め

 そんなカムイの湯滝を30分ぐらいゆっくりと入っていただろうか。やがてボチボチと観光客が登ってきて、賑やかになってきたので私達は帰ることにした。途中では裸足で沢を登ってくる観光客がいたが、裸足ではさぞかし足が痛いであろう。その方が私達の地下足袋とわらじのスタイルを見て感心をしていた。それでも途中では何カ所か、滑ってしまい腰まで深い所に入ってしまったが、何せ温かいので温泉に入っているようなものでなにも苦にならない。そんな沢下りをしながら駐車場に戻り着替えをして次の目的地「オーロラ号・知床岬遊覧船の旅」の宇登呂港へと向かう。

 このオーロラ号「知床岬航路」は、知床岬までの遊覧船で10時に出航となる。宇登呂港から4時間という長い航海で知床半島に沿いながら突端の知床岬までオホーツク海を波しぶきを上げながら進むのである。このオーロラ号は2月に来たときには、「流氷観光」として冬の間活躍をしていた。夏になると今度は遊覧船として知床岬まで航海をして一年中フル稼働している。

        手渡しの
         エサ取り到る
           かもめかな

 知床半島の海岸線の奇岩を次々に見せ、船は進んで行く。すると「可愛いかもめにどうぞかもめエビセンをやってください。」と船内アナウンスがあり、早速和美がそれを買ってきて飛んでいるかもめに手渡しでエビセンをやると本当に上手に眼前まで飛んできてパックとくわえて飛び去って行く。以前陸中海岸をやはり、遊覧船で回ったときには、「海猫パン」というものを売っていてそれを飛んでいる海猫に投げてやるのだが、海猫はパンを投げてやらなければ食べないのに比べこのオホーツクのかもめは、本当に人間の手渡しのエビセンを食べるのでカモメをすぐ間近で見られるから実に可愛いものである。

 この海岸線にも「カムイワッカの滝」があり、この滝が白い長い筋となって海に流れ込んでいる光景は実にダイナミックな眺めである。また、流氷などが幾星霜断崖にぶつかって出来た大きな洞窟があり、これも否が応でも自然の驚異を見せつけてくれる。スピーカーからはここでは定番の「知床の岬にハマナスが咲く頃、思い出しておくれ、俺達のことを・・・」と加藤登紀子の知床岬の歌を流す。この知床岬は陸からは行けなくてこうして船のみでその岬を眺めることが出来るのである。

       最果ての
        知床岬
         飛ぶかもめ

 出航してから約、2時間ようやくその最果ての知床岬に着いた。
ここが知床半島の最突端だと思うと感激も一入で皆、観光客も船から身を乗り出し見入っている。遊覧船も目的の知床岬まで来たので、ここから折り返して宇登呂港に戻るのである。帰りは見る景色にも飽きてしまったので、私は船室に入り、ウトウトと船員に負けずと私も船をこいでいた。そんな船の旅もやがて終わりとなり、無事に宇登呂港に到着した。

 盂名別自然保養センターの熱い温泉で、一汗流し今日の宿泊地斜里岳の麓にある清岳荘に向かう。途中の道は悪くガタゴトと音を立てながら深い緑の原始林の中を車は進んで行く。そんな悪路を走りきるとやがてプレハブの建物の清岳荘に到着した。今日も陽射しが強くとても暑くて汗がダラダラと流れ出てくる。手続きを済ませ二階の部屋に行くと既に二名の男性の登山者が休んでいた。そのうちの一人の方は、六七才になる東京の八王子の方で自転車で北海道を回っているのだそうで、カーフェリーで苫小牧に着きあちらこちらと見物をし、明日は斜里岳に登りそれから羅臼岳にも行くのだそうである。しかし、六七才で自転車で北海道の観光をすることだけでも大変なことなのに斜里岳、羅臼岳と登山もするのだから、もう、そのパワーは並のものではない。それで「そんなにお元気なら病気などはしたことはないでしょう。」と尋ねると「実は五年前に頚部リンパ癌をやって大きな手術をしているんだ。」と意外なことを話す。その頚部リンパ癌を克服するためにこうして年に2度ぐらい自転車で各地を回っているとのこと。そんな話を聞き実に敬服の思いで頭が下がる思いであった。そんな同居者と談笑をしながら「紫蘇焼酎」を飲みスーパーで買ってきたお寿司を食べ明日は朝が早いので早々に眠りに着いた。

 行 程

斜里岳歩程時間  6時間58分

 7/25(日)  斜里岳登山口・清岳荘(4:57発)→六合目・845m地点(5:40)→下二         俣(5:47)→羽衣ノ滝(6:05)→万丈の滝(6:35)→上二俣(7:15着〜7:         25発)→馬の背(7:55)→斜里岳山頂(8:15着〜8:33発)→上二俣(9:         20)→熊見峠(10:05)→下二俣(11:05)→清岳荘(11:55着〜12:45発)         ―レンタカー→青緑荘(13:50〜15:33)→仁伏温泉「にぶしの里」         (16:20・ 宿泊) (-.-)Zzz

 感 想

 朝食の海鮮カップラーメンをしっかりと食べ、これから斜里岳登山の開始となる。ピストン山行なので軽いアタックザックで登れるからその点は楽である。この斜里岳の登山コースは、登りは歩程の半分ぐらいが、沢登りで下りは尾根筋を辿る周回コースとなっている。最初は沢を右や左へと亘りながら歩を進めて行く。やがて一時間もすると下二俣という分岐点に着いた。右へ行くと下りの時に使う熊見峠へと達する。休憩をして私達は更に沢筋を登って行く。ここからがこの斜里岳の核心部となっており、上二俣まで滝が連続して続いている。

       斜里岳の
        滝しぶき浴び
           登り行く

 沢筋をへつったり、また、時には沢を左右に渡りながら、急な岩場の箇所では、鎖に捕まり、スリル満点の沢登りである。途中には青谷黄色の高山植物が、それは誠に可憐に咲いており、暫し登りの緊張を和ましてくれる。やがて迫力のある落差、20mはあるだろうか。ゴウゴウと音を立てて白く流れている「羽衣ノ滝」に出た。滝の飛沫が顔に係り暑さを忘れさせてくれる天然クーラーである。そんなシャワークライムを何度となく繰り返し、今度は「羽衣ノ滝」よりは、やや短い流れの「万丈の滝」に出た。それから鎖場を三点確保で登りやっと上二俣の分岐点に着いた。この上二俣は、下山の時に熊見峠から下二俣までのルートになっている。沢はこの上二俣で終りとなる。ここで一本立て、頂上まで約、1時間30分のひと頑張りだ。

 これからが斜度もきつくなり胸突き八丁の正念場で、足取りも重くなり汗がどっと噴き出てくる。今日はまた、一段と暑く後頭部がボーッとしてくる。そんな急登を何とかクリアして、馬の背に到着した。更に少し歩くと小さな斜里岳神社があり、柏手を打ち参拝をする。ここからは斜里岳は砂礫の道をひと登りだ。バッシと心に活を入れ奮起一番歩を進める。

      蝶舞うや
       斜里の頂き
         妻と立つ

 着いたぞ、着いた。8時15分、斜里岳山頂に・・・!!!
視界は余り天気が良いためにかえってもやがかかってしまい眺望が悪い。羅臼岳の山頂には、結構登山者がいたが、斜里岳は私達二人だけで当にお山の大将だ。羅臼岳が女性的な山であるのに対し、この斜里岳は下二俣から上二までの沢登りがあるのでこちらは男性的な山であろうか。この斜里岳は歩程時間は羅臼岳に比べると短いが、その分ハードで体力勝負となる。

 そんな感激の山頂を後にして、今来た道を上二俣まで降りる。ここで小休止をしていたら、山岳ツアーの団体が15名ぐらいだろうか。ぞくぞくと登ってきてここでリーダーの指示により皆さん、お休みとなる。中には相当ばてている方もありこれからがきつくなるので心配である。最近は旅行会社も一般の観光では、中々集客もままならなくなっているので、アドベンチャー的な登山の方へ力を入れており、そのため実にこの山岳ツアーなるものが多く参加者の実力がまちまちなのでそれだけに危険も伴い時にとんだアクシデントに遭遇することもある。

 そんなご一行を残し熊見峠へと私達は足を向ける。しかし、暑さは今日が最高で、ジリジリと焼けるような陽射しで後頭部が更にボーッとなってきた。軽い熱中症にかかっているのかも知れない。そんな暑さの中、風もなく草いきれの登山
道をただしたスラ登って行く。猛暑との戦でようやく熊見峠へと辿り着いた。暑いので休みもそこそこにここから今度は下りとなり、その下りも急下降でグングンと高度を下げて行く。私の苦手な下りが約、40分は続いただろうか。やっと下二俣に到着した。
ここからは下りは大したことが無く登山口の清岳荘に11時55分に到着した。もう暑さでヘロヘロとなり、全身汗でずぶぬれになっているので、すっかりと着替えをしレンタカーで、温泉のある青緑荘へと向かう。

      下山して
       一気飲みする
          生ビール

      湯上がりの
       冷えたビールの
          うまさかな

 ここは清里町の町営の保養所で温泉有り、食道有り、そして宿泊施設もあるという立派な建物だ。ジャン、ジャ、ジャ、ジャーン。あった見たぞ「札幌生ビール」この看板を見たときには、もう喉が早く頂戴、の頂戴と催促をしている。早速温泉に入る前に大ジョッキーの生ビールを注文をし、それを一気に飲む「イヤー、うまい、うまい・・・!!!」汗ですっかりと身体の水分が無くなっているので、もうこれはたまりません。砂地に水を注ぐが如く、ぐびぐびと入って行きます。冷やし中華の大盛りを食べてホッと一息をつく至福の一時である。冷やし中華、生ビールと飲んだり食べたりして、それから温泉にはいる。ここにはサウナ風呂もあり、サウナ風呂で汗をジャン、ジャン出す。先ほど飲んだ生ビールがドンドンと出て行ってしまうので、何のために生ビールを飲んだのか訳が分からなくなってきた。サウナで汗をたっぷりと出して、水風呂へとドブーンと飛び込む。「イヤー、実に気持ちがよい。冷たさが身体のそこまで伝わってくる。」本当に生き返った様である。そんな温泉からでてまた、生ビールを飲む。「本当に良く飲むね。」と和美もあきれている。
そして良い気持ちになり、今日の宿泊地の仁伏温泉「にぶしの里」に向かう。

       奇妙なり
        団扇片手の
          北の宿

 真っ直ぐな広い道を進みやがて、林に囲まれたクッチャロ湖の湖畔に建つログハウス調の仁伏温泉、「にぶしの里」の民宿に到着した。宿にはいると暑さでムンムンとしており、案内された2階の部屋がまた、たまらない締め切ってあったと見え蒸し暑くて部屋にいられたものではない。そこで1回はいくらか暑さが違うので、ロビーに降りて行きここで休むこととした。北海道は涼しいので冷房の設備がないために今年みたいな異常気象で猛暑の時には、暑いのを我慢することとなる。そのためだろうか。ロビーには団扇が数多く置いてあった。東京でもめったに団扇など使ったことがないが、ここでは団扇を手にした。

 ロビーにいても暑いので、散歩がてらに外に出ることとした。クッチャロ湖の湖畔が散歩コースになっており、細長く広いクッチャロ湖を眺めながら歩いてみる。さすがに湖畔だけに吹く風が涼しく気持ちがよい。クッチャロ湖は平坦な所にあるのでそれだけに景色も平凡で見ていても空きが来てしまう。それで暑い部屋に戻ることにした。戻ると丁度夕食タイムとなり、これがまた、鍋物で火を使うために猛烈に暑い、団扇をぱたぱたと仰ぎながらの食事である。出された料理は民宿だけに素朴でそれなりにおいしいが、この熱い料理には閉口する。
 そんな夕食を食べ暑い部屋に戻り、ふとんも引かずに畳の上でゴロゴロとしていた。やがて斜里岳の登山疲れも手伝ってか、何時しか眠りに着いた。

 行 程

 7/26(月)  にぶしの里(8:20発)―レンタカー硫黄山(8:30着)→摩周湖(9:08)         クッチャロ湖砂湯(9:46着〜10:30発)―レンタカー→美幌峠(11:4         5)→網走刑務所史料館(13:15着〜13:55発)→女満別空港(14:45着         〜16:00発)―Airline→羽田(17:40着〜18:40発)―リムジンバス         →吉祥寺(20:45着) (^_^)

 感 想

 五日間の北海道旅行も今日が最終日となり、遊んでいるときの時間の経つのは改めて早いものを感じる。朝風呂に入り、食事を済ませ「硫黄山」へと向かう。
車で宿から10分ぐらいの所に硫黄山がある。ここは名前の如く、火山活動が活発で山そのものは余り高くはないのだが、ここからゴーゴーと盛んに噴煙を上げ硫黄の刺激臭が鼻を刺す。辺りは硫黄で真っ黄色に変色をしておりそれだけに異様な光景である。そんな硫黄山を後にして、摩周湖へと向かう。冬来たときには吹雪で何も見えなかったが、果たして今日は眺望はどうであろうか。

       再びの
        夏の摩周湖
         かすみ見え

 「霧の摩周湖」と歌にあるとおりやはり、今日も展望は余り無くかすんで見えるだけである。吹く風は摩周岳の高い所にあるのでさすがに涼しく気持ちがよい。何という名前の花だか分からないが黄色い可憐な花が斜面に咲いており、神秘な湖の風景として役割を果たしている。

        足湯入り
         暑さたまらず
             かき氷

 今度はクッチャロ湖の湖畔にある「砂湯」に来た。ここの砂浜を掘ると熱いお湯が湧き出てきて、湖の水を混ぜて砂風呂として入るのだそうだが、全身浴するのには、相当に掘らないと砂湯としては使えないであろう。念のためそんな砂浜を指で掘ってみたら確かにすぐに熱く感じてきた。そんな全身浴は無理なので、簡単な観光客用に足湯として足を入れる浴槽が何カ所か設置してある。私達も早速裸足になり足湯に挑戦する。10分も足をつけていると頭から汗が噴き出てくる。何しろ上からはギラギラとした真夏の太陽が照り、下からは足湯で熱くなるのであるから、それはたまりません。それで早々に退散をし、売店で懐かしいかき氷を食べて身体を冷やすこととした。

       美幌峠
        美空ひばりの
            歌流れ

 美幌峠に着くと美空ひばりの「美幌峠」の歌詞が石碑に刻まれており、エンドレスに美空ひばりの「美幌峠」の歌が流れている。何でも美空ひばりがこの地を訪れたときにこの美幌峠の景観が気に入り、それを「美幌峠」として歌にしたのだそうである。展望台からは、クッチャロ湖の全景が見えて辺りの山々とうまく調和し一服の墨絵を見ているようである。

 そんな美幌峠の自然美を見てから、途中昼食を済ませ今度は、生々し人間の生き様の歴史である、網走刑務所資料館に車を走らせる。この網走刑務所史料館は、広大な敷地に網走刑務所の建物を移築し、史料館としてその当時の刑務所の様子などを実際の監獄を人形の囚人をモデルとして一般に公開をしている。この北海道は極悪な環境で家畜以下に扱われた囚人達の汗と血の結晶で多くの犠牲者を出汁ながら開拓がなされ今日の繁栄ある北海道があるのである。

        北の果て
         旅の終わりの
           雷雨かな

 これで今回の北海道の旅のスケジュールを全てこなし、これから女満別空港から、喧噪の東京に戻るのである。すると今まで晴れていた空が一転し、黒雲が覆ったと思ったら、ポツポツと大きな雨が降ってきて、やがてそれが豪雨となり車の窓外も余り見えないような大雨で、何だか5日間すっかり汚れたレンタカーを洗車をして返すようでとてもそんな天の演出が可笑しかった。
 レンタカーをトヨタのサービスステーションに戻し、女満別空港から16:00の日航のflightで無事に羽田空港に戻ってきた。それからリムジンカーで2時間かかり吉祥寺に着いた。今回は天気にも恵まれ、登山も無事に出来、観光コースも全て周り、温泉地も7箇所入り、充実した夏休みであった。また、来年も北海道へ訪れたいものである。     おしまい



『参考資料・マイクロソフト世界大百科事典引用

          【知床半島】

東部、オホーツク海につきでた半島。オホーツク海と根室海峡をわける。オホーツク海沿岸の斜里(しゃり)町峰浜と根室海峡側の標津町薫別(くんべつ)をむすぶ基線から、先端の知床岬まで約65kmのびる。古くは目梨(めなし)半島ともよばれた。

知床岬 知床半島先端部の岬。一帯は高低2段の海岸段丘からなる。岬から斜里町のウトロまではけわしい海食崖(かいしょくがい)がつづき、ウミウ、オジロワシ、オオワシなどが生息している。ここまでの道はないが、夏季にはウトロ港から観光遊覧船が就航している。海上はるかにうかぶ島影が国後島である。

        地形と自然

半島主要部をなす山地は、新第三紀層の基盤の上に噴出した知床火山群からなり、北から知床岳(1254m)、硫黄山(いおうざん。1562m)、羅臼岳(1660m)、遠音別岳(おんねべつだけ。1331m)、海別岳(うなべつだけ。1419m)とつらなる。山地は全体に急峻で、海岸には海食崖(かいしょくがい)が発達する。

山腹には針葉樹のエゾマツ、トドマツや広葉樹のダケカンバ、ミズナラの原生林がしげり、山頂部や稜線には高山植物群落がみられる。キタキツネ、エゾシカが生息し、エゾシマフクロウ、オジロワシ(ともに国の天然記念物)などの野鳥類も豊富。先端の知床岬付近にはアザラシ、トドなどの海獣が生息する。斜里町岩尾別では1977年(昭和52)から、業者による乱開発防止のため、全国の有志の募金によって離農開拓者の跡地を買いあげる「知床100m2運動」がはじまり、ナショナル・トラスト運動として大きな反響をよんだ。

        産業、交通と観光

オホーツク海側の西海岸では宇登呂港を基地にサケ、マス漁がおこなわれ、小平地に番屋が点在する。根室海峡側では羅臼港を基地にスケトウダラ漁、イカ釣り漁が盛んで、コンブ漁やサケ漁もおこなわれる。海別岳山麓(さんろく)はパイロットファーム事業による大規模酪農地帯で、斜里町側ではジャガイモ、テンサイなどの畑作農業も盛んである。

1980年、知床峠をこえて半島の両側をむすぶ知床横断道路が完成し、陸上交通が改善されたが、冬季には積雪のため閉鎖する。夏季には宇登呂〜羅臼間を観光船が運航、崖(がけ)から無数にながれおちる滝の景観が人気をよぶ。

北海道でも数少なくなった野生動物や原始的な自然景観がのこる秘境として、半島中部から先の山岳部と海岸部が1964年知床国立公園に指定された。火山の山岳景観にくわえ、知床五湖と羅臼湖の湖沼群や、大自然にわく羅臼、セセキ、岩尾別などの温泉が知床ならではの魅力をつくり、多くの観光客をあつめている。


         羅臼岳 らうすだけ 

北海道東部、知床半島の中央にそびえる山。
根室支庁羅臼町と網走支庁斜里町との境に位置する円錐(えんすい)形の成層火山で、標高は知床半島でもっとも高い1660mである。古くはチャチャヌプリとよばれていた。深田久弥「日本百名山」のひとつ。

羅臼岳 斜里町と羅臼町の境にある標高1660mの火山。秀麗な円錐(えんすい)形の山容から知床富士ともよばれる。岩尾別川、幌別川、羅臼川、知床五湖、羅臼湖などの水源となり、山頂近くの羅臼平には高山植物の群落がある。


           地形と自然

新第三紀層の基盤をおおう安山岩質溶岩や集塊岩などの火山噴出物が山体を形成し、高原状の地形に釣鐘形の円頂丘が突出して安定した形の山容をみせる。南の斜里岳や遠音別(おんねべつ)岳、北の硫黄(いおう)山や知床岳とともに知床半島の脊梁(せきりょう)をなしている。山麓(さんろく)から針広混交林、ダケカンバ、ハイマツと植生の垂直分布がみられ、山頂付近の羅臼平はシレトコスミレ、エゾコザクラ、チングルマなどの高山植物群落がお花畑をつくる。山稜には池や雪渓も散在し、厳寒の気候と複雑な地形は長期間にわたって人を遠ざけたため原始的な景観が色こくのこる。国の天然記念物であるオジロワシ、オオワシ、エゾシマフクロウなどの動物が生息している。知床国立公園域に属する。

            観光

北西麓に岩尾別温泉、南東麓に羅臼温泉があり、ともに登山客の基地となっている。両温泉からのびる登山道は霧が多く、ヒグマの生息域を通過するので注意が必要である。山頂からは知床連山の山並みやオホーツク海にうかぶ国後島がのぞめ、秋の紅葉期は山斜面が色鮮やかな移り変わりをみせる。南方の知床峠を経由して知床横断道路(国道334号)がめぐるが、冬季は深い積雪により交通止めとなる。山開きは7月の上旬。


           国後島

 北海道東部の野付崎から、根室海峡をへだてた北東約16kmにある島。千島列島の最南端に位置する、いわゆる北方領土の島のひとつ。北方四島のなかでは択捉島についで2番目に大きい。南西から北東方向に細長い島で、長さ約120km、幅約7〜30km、面積1498.56km2。

島の北東部にある二重式円錐火山爺爺(ちゃちゃ)岳(1822m)をはじめ、羅臼山(888m)、泊山(542m)などの火山からなる火山島である。南端部の泊から根室にかけての根室湾一帯は水深約20mの浅瀬がつづき、好漁場となっている。第2次世界大戦後にソ連の占領下となるまでは、根室支庁国後郡泊村と留夜別(るよべつ)村に属していた。





〈写真コーナー〉



羅臼岳1




羅臼岳2





羅臼岳3




カムイワッカの滝1




カムイワッカの滝2




斜里岳山頂