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Enjoy《ゆーぽぴあ・遊歩記録》


《≪第11回遊歩 柴又帝釈天と矢切の渡し&里見公園・小岩菖蒲園遊歩≫》


  遊歩日:   05年6月5日(日)
  遊歩先:   柴又帝釈天→矢切の渡し―江戸川沿い散策→里見公園散策→小岩菖蒲園散策
  食道楽:   「船頭源八」 八丈島料理
   Grade:    ブラリG0
  参加者:   34名
  天 候:   曇りのち晴れ 

  <行程>
 上野駅ー(京成線)→高砂駅(乗り換え)→柴又駅下車→参道→柴又帝釈天見学→江戸川 矢切の渡し〜市川市、里見公園―川沿い散策→京成線国府台駅→江戸川駅下車→小岩菖蒲園見学→江戸川駅ー小岩駅下車ー(徒歩25分)→JR小岩駅、「船頭源八」(宴会、17時〜19時)小岩駅にて解散 (^_^)  (^^)/~~

  ≪感想≫

 今回の遊歩は、映画「風天の寅さん」でおなじみの「柴又帝釈天」と歌謡曲「矢切の渡し」で更に有名になった「矢切の渡し」を舟で対岸に渡り、梅雨時の花である花菖蒲の群生している「小岩菖蒲園」を巡りゴールは、小岩駅の傍にある「船頭源八」で八丈島料理を会食するという見所満点の遊歩である。

 柴又駅前にて、参加者各自、自己紹介を行い、あじさい班、しゃくなげ班、花しょうぶ班、それとファミリー参加のさくらんぼ班の4班に分かれて遊歩開始となる。
駅前には渥美清の「風天の寅さん」がトランクを下げ帽子をかぶった銅像が立っている。視障者の方はその銅像の寅さんを触って確かめている。きっと寅さんも嬉しかったことでしょう。そこで先ずは記念写真を撮り参道に向かう。参道は狭く両側にお店が軒を並べて商売に余念がない。なかでも特に込んでいたのが映画ですっかり有名になった「寅屋」で善男善女が行列を作って、お団子を買い求めていた。

 兎に角日曜日と会って、参拝者が痞気を切らさずゾロゾロと帝釈天を目指し歩いている。こんなに込んでいると誰かが迷子にならないかと心配になる。そんな人の波に併せて本堂に向かうので、お店をのぞき見る間もないのが少々残念である。やがて映画で見知った帝釈天の山門に到着し、本堂でお賽銭を上げて、それから各自、20分間の自由行動となる。時間があれば見学する所も多いのでゆっくりとしたいところであるが、予定がびっしりなので残念であるがまたの機会に譲ることにする。この境内で映画では、お坊さん役の笠智衆が、箒を持って掃除をしていたシーンが目に浮かんでくる。あれだけのシリーズの「男はつらいよ」の映画で有名になれば誰でも一度は訪れてみたい所であろう。この帝釈天も「男はつらいよ」の恩恵は計り知れないものがあり、映画様々であろう。本当に渥美清は、笑いと人情ものでは右に出るものはいない名役者であった。

 「柴又帝釈天」

 正式には経栄山題経寺(日蓮宗)という。1629(寛永8)年本山の中山法華経寺(千葉県)の日忠上人が草創したと伝えられるが、室町期の板碑(出土品)などから、その起源は室町初期にさかのぼるようである。本堂右側の祖師堂と釈迦堂は文政頃(19世紀前半)の建物で、かたわらにある金剛・胎蔵両界の大日如来座像は、銘文にと1494(明応3)年の作である。
 境内の中は、精緻な彫刻で有名な帝釈天をはじめ、見るべきものが多い。一番奥まった所には、静寂にみちた邃渓園(すいけいえん)がある。

 やがて集合時間となり、一同矢切の渡しに向けて歩を進める。途中に「川甚」という川魚料理の店の前を通るとそれはこんがりと魚を焼いたこおばしい臭いが漂ってきた。思わず生唾を飲み込んで、思い切りその臭いを吸い込む「あーおいしかった。」・・・!!!

 そんな臭いを嗅いで気持ちだけ満足し、江戸川の堤防を歩いて芝生の気持ちの良い所で昼食タイムとなる。早速背負ってきたワイン6本をそれぞれの班に2本づつ渡し、先ずはワインで喉を潤し皆さん笑顔でそれぞれのお弁当に箸を付けておいしそうに食べている。ウォーキングは山行と違い負担がないだけに少々アルコールが入っても大丈夫で、このアルコールが人の気持ちを和やかにさせ初対面の方とも気楽に話すようになるので、私は重いけれどもいつもこうして持参をするのである。

 1時間、ゆっくりと昼食タイムをとり、気持ちもすっかり良くなったところで、これからいよいよ矢切の渡しに向かい今回の一番のお目当てであろうか。タイムスリップをしたような渡し舟の体験となる。

 矢切の渡し

 対岸の矢切とを結ぶことから、矢切の渡しといわれてきた。1631(寛永8)年関東郡代伊奈半十郎を管理者として、幕府が始めた、公営の渡し舟場であった。
 関東大震災後に鉄橋がかけられるようになると、渡し場はつぎつぎと姿を消していった。隅田川では、昭和39年に佃の渡し、昭和30年代終わりに宮掘の渡し、昭和41年に汐入の渡しが廃止された。多摩川では、昭和初年に二子の渡し、昭和24年頃に矢口の渡し、昭和48年には菅の渡しが廃止された。江戸川では昭和40年に三太の渡しが廃止された。こうして東京で現存する渡しは、矢切の渡しただ一つとなった。

 渡し場に着き一同舟に乗り込む、吹く川風がとても涼しく気持ちがよい。東京にもこんな情緒豊かな場所が今でも存在していることは本当にありがたいことで、東京の雑踏の中でのオアシスの様な場所だけに何時までも残しておいて欲しい所だ。舟はかなり大きく船頭さんが艪を持ってまさに手こぎで舟をこいでいる。水深は10メートルはあるそうで、どこか歌謡曲の「着いてお出でよ。着いてくるかい。」という曲が流れ聞こえてきそうなのどかな光景である。そんな渡船もほどなく対岸に着き船頭さんにお礼を述べて下船をする。

 それから江戸川を右に見ての広い堤防を一路里見公園に向かい江戸川の川風を身体に受け足取りも軽く歩を進める。私はこちらの方には、全く縁が無かったので改めてこの近辺の良さを再認識をした。里見公園に着くと赤、白、青と色とりどりのバラが満開に咲いておりここでもまた、記念写真を撮り、そこを後にし最後の見学地小岩菖蒲園に向かう。

 里見公園

 「里見八犬伝」にも縁があり、「北原白秋の旧宅・紫煙草舎」、「戦国時代の里見城址」に加え約280年以上もの歴史を持った「羅漢の井」などもありますが、「市川市の最高点(30.1m)」の標識がある。

 小岩菖蒲園に着くと残念ながら花菖蒲はまだ早いと見えてちらほらしか咲いておらず後、10日もすれば一斉に咲いて満開となり見事であろうが、花の時期は誠に日にちが難しい。それでも白、青、黄色とマア、マア咲いていたのでそれらを見てここで先ずは、遊歩のみBコースの方々とお別れをして、最後の目的地「船頭源八」に向かい、ここで八丈島料理を食べ八丈島の焼酎を飲んですっかりと良き気持ちとなって帰途に着いた。

 小岩菖蒲園

 「菖蒲園」、「コスモス畑」と「小さな庵風の水車」を持つ公園があり、ちょっとした風情を感じさせてくれます。ここには「水上バス・ステーション」もあり、「江戸川の風景」を水上から「葛西臨海公園」まで楽しむことが出来ます。

 今回はyuupolerの参加者が34名と多かったので、yuupolerが着いてくると思っていたら着いてこなかったりと人数の確認やらで神経を使った。そうゆう点においては、山行の方が楽かも知れないが、反面誰でも参加できないのが難しいところであろう。これからも硬軟取り混ぜて遊歩を実施したいと思う。