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12月6日 猿島・横浜キリンビール工場見学遊歩のPhotographはこちらからどうぞ

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   Circle≪ゆ〜ぽぴあ≫遊歩記
         第232回遊歩
  〜忘年遊歩in2015〜
“東京湾に浮かぶ無人島で遊び
 横浜キリンビール工場を見学し  バーベキューで忘年会だ・・・!!









  遊歩日:   2015年12月6日(第1日曜日)
  遊歩先:   猿島・三笠丸・ポートアイランド
         横浜キリンビール工場見学・キリンビアポート(忘年宴会)
  参加者:   19名
  天 候:   晴天


 《行 程》

 ○京浜急行品川駅{07:58発・京急本線特急・三崎口行}⇒▲横須賀中央駅(08:41着)=徒歩15分⇒三笠桟橋((09:30発〜乗船〜10:40着) 島内昼食Thymeを含め約、3時間散策
猿島桟橋(12:45発)〜乗船〜三笠桟橋(12:50着) 三笠丸⇒ポートアイランド⇒●三笠桟橋=徒歩15分⇒▲横須賀中央駅{14:37発・京急本線快特・泉岳寺行・2番線発 / 2番線着}⇒▲〈横浜15:04着・15:11発 2番線発京急本線・品川行〉⇒◎生麦(15:20着)=徒歩10分⇒横浜キリンビール工場(15:30着)
※ 16時00分〜17時00分=横浜キリンビール工場見学Thyme(お楽しみの出来たてキリン一番    搾りの試飲)
※ 17時30分〜19時30分=キリンビアポートでのバーベキュー忘年宴会
キリンビアポート(19:40発)=徒歩10分⇒▲生麦駅 解散

 ≪遊歩記≫

 今回の「忘年遊歩2015・猿島と横浜キリンビール工場見学&キリンビアポートでの忘年宴会」の計画は、2014年11月12日に居宅同行援護事業所「TOMO」で、利用者(Blinder)とGuideHelperのPairで、参加するというバスツアーがあり、それに私が参加し、初めて東京湾に浮かぶ無人島「猿島」の存在を知り、多いに見識を深めた。また、猿島を見学した後に横浜キリンビール工場見学が有り、そして見学後は、キリンビアポートでのバーベキューの食事付きというEventだったので、この企画をそっくりCircle《ゆ〜ぽぴあ》の「忘年懇親会2015」に充当したのだった。しかしながら「TOMO」のEventでは、猿島見学の時間が余りにも短く猿島全島を見学することが出来なかった。そこでCircle《ゆ〜ぽぴあ》の「忘年遊歩2015」では、猿島見学の時間を3時間採りゆっくりと猿島見学をすることとした。

 初冬の晴天の下、12月6日8時45分、横須賀中央駅改札口外に参加者19名が、勢揃いしたのだった。今回は曾て六つ星山の会で、一緒だったO,Yさん、そしてK,Tさんご夫妻が参加され、実に十数年ぶりの懐かしい再会でお互いに旧交を温めることとなった。いつもの遊歩なら出発前に参加者一同の声出しをするのだが、案内には、横須賀中央駅から三笠桟橋まで、徒歩で15分と書かれているが、何しろ初めての所だけに19名と大勢なので、移動に時間がかかるし、果たして、三笠桟橋まで、歩いてどのくらいかかるかが、不安だったので、声出しは猿島へ到着してからと言うことで、2班編制で早々に三笠桟橋を目指し出発することとした。

 先頭で和美が案内図を見ながら、横須賀市街を歩いて行く。いつもそうであるが、遊歩を実施する際には、やはり、お天気が一番気になるところだ。幸にも今日は参加者一同の日頃の精進潔斎の賜か、雲一つ無い晴天である。しかしながら、やはり、季節は年の瀬だけに吹く風はとても冷たい。市街地でこんなに風が冷たいのだから、孤島の猿島では、かなりの冷たい強風が懸念されるところだ。迷いもせずにビルの四つ角を何回か折れ、やがて猿島桟橋へ到着した。ここで猿島ガイド協会のお二人と合流し、9じ30分、いよいよ猿島目指し出航だ。 三笠桟橋から猿島までは、シーフレンドZeroと言う観光船で、2014年に就航した新造船だ。猿島航路を中心に運航。各種イベントクルーズやチャーターでのご利用など、マルチに活躍する船である。

  全長 19.83m  全幅 7.10m  喫水 0.80m
総トン数 19トン  定員 平水 204名/沿海 94名

 私達は乗船するとデッキへ向かい冷たい風にもめげず自然と一体となり、洋上人とばかり、眼前に浮かぶ猿島目指し気持はハイで、エンジン音も高く、波飛沫を上げながら軽快に進むシーフレンド号と気持を一にする。しかしそれにしてもマア、随分と揺れが酷い物だ。直ぐに乗物酔いをする和美は大丈夫だろうか。乗船時間が10分と短いから、気持ちが悪くなった頃には下船するので、多分大丈夫だろう。船内は年の瀬にも拘わらず、観客がほぼ満員となっており、一寸した時間でも船に乗ると言うことは、何故かRomanticなものがあり、それだけに近場で楽しめると言うことで、人気が高いのであろう。

 冷たい潮風を身体に受け、海上を見ていたら猿島がグングンと近づき、シーサイド号は、あっという間に猿島桟橋へ到着した。この猿島は風も穏やかで、そんなに寒くも無いので助かる。これもCircle《ゆ〜ぽぴあ》の守護神、「Yuporadorosu」のお陰であろうや。そして2班編制で、それぞれTさん、Sさんとお二人のガイドが付きこれから島内散策の開始となる。先ず最初は海辺に立っている「海軍港碑」(1参照)だ。、ここは海軍港に指定した着場にあって、猿島最古の石造建造物ある。次に猿島の中心部へ向かい 「電気灯機」台(発電所)(2参照)のガイドから説明を受ける。そして「切通・切通壁」(4参照)へと歩を進める。ここは両側がレンガ積みになっており、右側のレンガ積みがイギリス方式、左側のレンガ積みが、フランス方式でそれぞれ積まれており、このレンガの石材は、千葉県の館山から運ばれた物であるとのこと。そしてこのレンガ積みは、群馬県富岡市にある「富岡製糸工場」の壁のレンガ積み工法の元になっているとのこと。

 そしてガイドと同行しないと見られないという 「トンネル地下施設」の見学をする。地下室は曾ては、兵隊が生活をしていた所だそうで、こんな狭い所に何十人も兵隊が生活していたとは全く驚いたものだ。二つ目の地下施設に入ると壁一面に何やら描かれているので、私はガイドに「この奇妙な図形は何ですか。」と質問したら、ガイドが「これは単なる落書きです。以前は管理が行き届かなかったから、観光客が勝手に地下施設に入り落書きをしてしまったのですよ。」と苦笑交じりに説明をしてくれた。

 見学するに連れ勾配が段々と増し、志摩の中心部へ向かっていることが分かる。そして「元亥の崎台場跡・第一砲台跡」(6参照)を見学し、眺望の良い海岸縁に着き断崖に敷設する階段を下り「日蓮洞窟(海蝕洞窟)・古色住居跡」(7参照)を見学する。ここは古来今の千葉県房総から日蓮上人が、ここへ辿り着きこの洞窟にて修業をした所だそうである。そんな「日蓮洞窟(海蝕洞窟)・古色住居跡」を見学し、再び急階段を登り詰め猿島で一番高い「監視所・電灯所・指令所跡・鎮座遣跡」(9参照)に歩を進めた。ここは猿島で一番高い所だけにlocationも良く群青の東京湾が一望出来る展望台だ。そして曾てここで仮面ライダーの基地として、何度となく撮影した場所とのことだ。そしてガイドが草むらの一隅を指さし「これは鬼女欄と言います。これは毒性が強い植物です。これをまた、お目当てに富んでくる蝶々がいます。この蝶々は遠く台湾から飛来してきます。その飛行距離は数千キロにも達しますよ。」との説明をしてくれた。

 そんな説明が終わり、ガイドが今度は、紙芝居をしてくれた。その紙芝居の内容は、日蓮上人が、荒れた海で難破したため漂流し、この島へ流され着いたとのこと。その時に一匹の白い猿が、現れ日蓮上人を助けて、今の日蓮上人の洞窟跡へ導いたとの伝説である。依頼この島が猿島と呼ばれるようになったとのことだ。

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 猿島島内を約、2時間、ガイドの懇切丁寧なる説明を受け、猿島桟橋の近くにある休息所で我ら一同、昼食Thymeを採ることとした。私は、早速、柿の葉寿司を食べながら、缶ビールのプルトップをブッチュと抜きゴクゴクと飲み干す。そんな缶ビールを飲んでいると、これから行く横浜キリンビール工場の見学後に試飲として出される、出来たてキリン一番搾りが、脳裏をかすめ早くも気持は、キリンビール工場へ向いているのであった。

 一同、昼食を済ませ、ここで声出しをする。そして12時40分のシーフレンド号へ乗船し、再び三笠桟橋へ向かう。復路は風が冷たいので船室で、休むこととした。船室はそんなに揺れも無く快適に船は東京湾を波飛沫を上げながら、孤島猿島とお別れをする。やがて船は三笠桟橋へ接岸し、ゾロゾロとシーフレンド号から下船する。そして当初の予定の計画には無かったのだが、三笠桟橋の傍に三笠丸が、復元され固定停船されているので、その三笠丸を見学することとした。

 三笠(みかさ)は、大日本帝国海軍の戦艦で、敷島型戦艦の四番艦。奈良県にある三笠山(若草山)にちなんで命名された。船籍港は京都府舞鶴市の舞鶴港。同型艦に敷島、初瀬、朝日。1904年(明治37年)からの日露戦争では連合艦隊旗艦を務め、連合艦隊司令長官の東郷平八郎大将らが座乗した。現在は防衛省が所管し神奈川県横須賀市の三笠公園に記念艦として保存されている。

 我ら軍艦三笠丸の先頭部の司令室に立つともう、司馬遼太郎の「坂の上の雲」の世界に突入し、秋山兄弟、東郷平八郎になったようで、日露戦争の舞台へと思いを馳せる。そんな三笠丸を見学し、ポートアイランドで、海産物等のお土産を買い求め、歩いて横須賀中央駅へ向かう。それから電車移動で生麦駅へ向かいここから歩き横浜キリンビール工場へ行く。そして4時startで、工場内をキリンビールが出来るまでのprocessをミスキリン美人嬢に先導され、逐次説明を受ける。このビール工場見学は、過去、分倍河原にあるサントリービール工場へ3回、一昨年の忘年遊歩で茨城県森谷にあるアサヒビール工場見学と歩いているからそのビールが出来るまでのprocessは、どこも同じで、私達のお目当ては、見学後の出来たてビールの試飲にあるのだ。

 そして約、40分の見学が終わり、イヨイヨ一人3杯までのビール試飲会場へ導かれ行く。(^o^)先ずは何と言っても「キリンビール一番搾り」だろう。ゴクゴクゴク 「イヤー、この喉ごしの良さ。コタエラレマセンナ。」そんな一番搾りを飲み干し、今度はキリンプレミアムだ。これまた口中に広がる苦みと芳醇な香り、これもあっという間に飲み干し、さてと3杯目は横浜キリンビール工場でしか手に入らないという、特選横浜キリンビールを飲む。これもまたまた、喉ごし抜群で、最高だ。ふとyuupolerを見やれば、余り飲めないというO,Sさん、ビール好きのS,Nさんがしっかりと3杯までの権利を遂行し、実に美味しそうにビールを飲んでいる。

 そんな試飲Thymeもあっという間にお時間となり、キリンビアポートレストランへ行きここでバーベキュー、ビール食べ放題、飲み放題の「忘年遊歩2015」の宴会が開催された。ここでのビールは大きなピッチャーで出されており、さっきの試飲コーナーでの各種、ビールとはやはり、味覚は数段落ちるが、ビール好きな渡しは直ぐにジョッキを空荷して、焼き肉を頬ばる。そして食べるほどに飲むほどに頃は由と私が「2015年遊歩実施一覧表」を皆さんにお配りして、それをO,Sさんに読み上げて頂、その都度の遊歩の想い出に花が咲く。

 こうして今年、2015年雨天のため3回の遊歩が中止になったが、それぞれの想い出を残し12回の遊歩を実施した。次年度からは、遊歩参加者も少なくなっており、月に一度という遊歩実施に拘らず、隔月実施で遊歩を存続しようとそんな相談が成された。


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  〜〜≪オシマイ≫〜〜


 ≪遊歩先の紹介≫

   猿島

 猿島(さるしま)は、東京湾に浮かぶ無人島であり、湾内最大の自然島である。住所は、神奈川県横須賀市猿島。島内の大半を猿島公園として、横須賀市が整備している。

面積    約0.055km2
周囲    約1.6km
標高    最高39.3m
※     横須賀市平成町より北東へ約1.15km、三笠公園(戦艦三笠保存地)東方約1.75km 沖     合に浮かぶ

 京急本線横須賀中央駅から徒歩と船で約30分という立地ながら、海水浴、バーベキュー、釣り、散策などのレジャーに適する無人の自然島。島内からは縄文時代の土器や弥生時代の土器・人骨が出土し、また日蓮上人にまつわる伝説が残るなど[1]、古くから人々に親しまれた島である。
幕末から第二次世界大戦前にかけては、東京湾の首都防衛拠点となる。幕末の1847年(弘化4年)に江戸幕府により国内初の台場が築造され[1]、明治時代に入ると陸軍省・海軍省の所管となり、東京湾要塞の猿島砲台が築造された。実際に本施設が実戦に用いられたことはないが、島内の岩壁を掘って煉瓦で覆われた要塞跡は現在も残り、日本では数少ないフランドル積みが見られる。国の史跡に指定されている。


《猿島名所案内》


 「海軍港碑」(1)

 明治10年(1877)明治政府は、西北の夏島から東南の猿
島までを海軍港に指定した。明治10年猿島は海軍省の所管
となりました。この石碑はそのときに建てられたものと思
われます。裏に明治10年とかかれています。元は砂浜の船
着場にあって、猿島最古の石造建造物です。

 「電気灯機」台(発電所)(2)

 明治28年に竣工。煉瓦積みで屋根は木造。当時は蒸気機
関を勁かして発電していました。煉瓦積みの煙突は大正時
代まで発電機に石炭を使っていたからです。地下に水夕ン
クがあって探照灯用発電のための貯水で12時間発電可能な
水量を確保していました。

 「電撹配線施設」(3)

 素掘り切通しの埋設土管・ハンドホール・電続配管穴・
配線用鉄製フック

 「切通・切通壁」(4)

 切通しは、もと幕末に掘られたものを明治になって陸軍
が手を加えた。切通擁壁は凝灰岩の切石を用いた見事な石
積み(ブラフ積み)です。右側切通しの壁面に沿って兵舎
と弾薬庫が並んでおり入り口が見られる。弾薬庫の上に砲
台が設置されていました。明治14年着工、国産煉瓦使用。
左側側壁にトイレがあります。

「トンネル地下施設」(5)

 トンネルは第一砲台の弾薬庫でした。現在は通路になっ
ているため内部の様子を見ることができます。巾4m奥行き
90m商さ4,82m。フランス積みレンガ造り、明治14年着工、
国産レンガ使用、明治17年6月80日完成。トンネルの天
井、小口で丁寧な仕事は見事。トンネル内には地下施設の
入り口が並んでいる。左から二つ目のドアーの中には、地
上に抜け監視所へ通じる階段があります。

 兵舎:(幅6m,奥行き14,6m、高さ4.2m)2棟。 弾薬
庫:(巾5,2m、奥行き8.4m)3棟。 司令部・兵舎・弾薬
胤等二階建て系280u、12室。(現在非公開)。第一砲台
下の弾薬庫から砲弾を引き上げる“揚弾筒"がある。おそ
らく手動式の滑車で引き上げたものと思われる。弾薬庫は
レンガ積みのかまぼこ型。

 「元亥の崎台場跡・第一砲台跡」(6)

 弘化4年(1847)江戸幕府は国防的見地から猿島に8箇
所の台場を築造しました。『亥の崎台場』『大輪戸台場』『卯
、の崎台場』の8箇所です。そのうちのここは亥の崎台場で
す。当時の痕跡は何一つありません。明治政府は明治26年
(1893)、この同じ場所に第一砲台を建設致しました。27
cm加農砲2門です。この第一砲台の痕跡もまた何もありま
せん。昭和10年代後半に75皿高角砲4門、127皿連装高
角砲2門が設置されました。それが現在残されているコン
クリードの円形砲座です。

 「日蓮洞窟(海蝕洞窟)・古色住居跡」(7)

 建長6年(1263)日蓮上人が布教のため鎌倉を目指し、
房総西海岸より三浦に渡ろうとして海上で嵐に遭い、白猿
に導かれてこの洞窟に避難したと伝えられています。又、舟
底に開いた穴に鮑が吸い付いて浸水を防いだといわれ、何
日か後に神金(かりがね)の蛮族石渡左衛門則久が日蓮上
人を小舟で対岸の米ヶ浜にお連れした時にサザエを踏んで
負傷したため、目蓮上人のお祈りにより以後サザエに角が
なくなったという伝説があります。
この洞窟は入口8m、奥行き約16m。中から弥生式土器、
骨製品、貝類、獣骨及び鳥骨が発見されている。入口付近
で古墳時代後期(6世紀〜7世紀)頃の貝塚が発見されてい
る。

 「海岸護岸石積み・隠し鉉止場」(8)

 東側海岸に高く積み上げられた石垣護岸がある。これは
護岸と同時に外敵の上陸を阻止する意図もあると思われま
す。しかし現在は八割が崩壊して海中に崩れ落ちておりま
す。西側の厳しい崖の下には非常用の隠し波止場が作られ
ていました。今は危険防止の為付近の立ち入りは出来ませ
ん。

 「元卯の崎台握」(9)

 前述の通り弘化4年、江戸幕府により建設された8箇所
の台場のーつです。この8箇所の台場の担当は川越藩でし
た。全島の備砲15門、『大筒(タマ筒、井上流車台仕掛け)
800日、7挺・ 500日、8挺・ 1貫目4挺・ 3貫目1
挺』でした。

 「監視所・電灯所・指令所跡・鎮座遣跡」(9)

 島でー番高いところであり、監視所は今展望台として使
われています。海軍時代の建物であると推測されています。
指令所があり、探照灯も設置されていました。
又、この山頂部から縄文時代の田戸式土器が発掘されてい
ます。『打製斧、石皿片、土器片錘等』


 「元大輪戸台場跡・篁二砲台跡・!27東連装高」(10)

 江戸幕府により弘化4年に建設された三箇所の台場のう
ちのーつ、元大輪戸台場跡です。又明治政府は明治25年に
此処に第二砲台を建設いたしました。24cm加農砲4門で
す。昭和16年頃127 mm連装高角砲2門が設置されました。

 「春日神社跡」(11)

 この付近に春日神社が祭られておりましたが明治17年、
陸軍省は猿島要塞完成に伴いー般人の立ち入りを禁止する
と共に春日神社を三春町に移転しました。
猿島にこの春日神社を勧請したのは石渡左衛門則久だと春
日神社の縁起にあります。石渡氏が当郡に来たのは(京都
から)1218年頃の建保年間、日蓮上人が猿島に渡ったのが
建長5年(1253)、従って春日神社が猿島に勧請されたのは
1200年代前半と思われます。

 「猿島高角砲の応戦」(12)

 この猿島の高角砲が唯一、応戦したのは昭和20年(1945)
7月18日、米英の艦載機による横須賀軍港空襲で戦艦長門
が攻撃された時です。

 米側の記録によると米軍機が何機か撃墜された様だと横
須賀市の市史編纂室では言っています。
ちなみに戦艦長門の被害は、艦長以下35名死亡、特設艦
春日丸爆沈、駆逐艦八重桜中破。(横須賀海軍工廊外史



 軍艦 三笠丸


 艦歴

 運用者  大日本帝国海軍
 建造所  ヴィッカース社(イギリス)
      バロー=イン=ファーネス造船所
  種別  戦艦
 クラス  敷島型(四番艦)
  発注  1898年9月26日
  起工  1899年1月24日
  進水  1900年11月8日
  就役  1902年3月1日
  除籍  1923年9月20日
  現況  記念艦として保存

  要目

 排水量  15,140トン(常備)
  全長  131.7m
  全幅  23.2m
  吃水  8.3m
  機関  15,000馬力
最大速力  18ノット
航続距離  10ノットで7,000海里(約13,000km)
  乗員  860名
  兵装  主砲 40口径30.5センチ連装砲2基4門
  副砲   40口径15.2センチ単装砲14門

 対水雷艇砲   40口径7.6センチ単装砲20門
         47ミリ単装砲16基
         魚雷発射管 45センチ発射管4門
  舷側:    9インチ(229mm)
  甲板:    3インチ(76mm)

 三笠(みかさ)は、大日本帝国海軍の戦艦で、敷島型戦艦の四番艦。奈良県にある三笠山(若草山)にちなんで命名された。船籍港は京都府舞鶴市の舞鶴港。同型艦に敷島、初瀬、朝日。1904年(明治37年)からの日露戦争では連合艦隊旗艦を務め、連合艦隊司令長官の東郷平八郎大将らが座乗した。現在は防衛省が所管し神奈川県横須賀市の三笠公園に記念艦として保存されている。
 
  歴史
  建造

 日清戦争後、ロシア帝国に対抗するために日本海軍は軍拡を進めた。その中で『六六艦隊計画』(戦艦を6隻、装甲巡洋艦を6隻配備する計画)の一環、その最終艦として三笠はイギリスのヴィッカースに発注され建造された。
1899年(明治32年)1月24日バロー=イン=ファーネス造船所で起工。1900年(明治33年)11月8日進水。1902年(明治35年)1月15日から20日まで公試が行われ、3月1日サウサンプトンで日本海軍への引渡し式が行われた。建造費用は船体が88万ポンド、兵器が32万ポンドであった。
3月13日、イギリス、プリマスを出港しスエズ運河経由で5月18日横須賀に到着した。初代艦長は早崎源吾大佐。横須賀で整備後6月23日に出港し、7月17日本籍港である舞鶴に到着した。

 戦歴

 1903年(明治36年)12月28日、三笠は連合艦隊旗艦となった。1904年(明治37年)2月6日から日露戦争に加わり、2月9日からの旅順口攻撃や旅順口閉塞作戦に参加し、8月10日には黄海海戦に参加した。12月28日、呉に入港、修理の後、1905年(明治38年)2月14日呉を出港、江田島・佐世保経由で21日朝鮮半島の鎮海湾に進出した。以後同地を拠点に対馬海峡で訓練を行い、5月27日・28日には日本海海戦でロシア海軍バルチック艦隊と交戦した。この海戦で三笠は113名の死傷者を出した。
日露戦争終結直後の1905年(明治38年)9月11日に、佐世保港内で後部弾薬庫の爆発事故のため沈没した。この事故では339名の死者を出した。弾薬庫前で、当時水兵間で流行していた「信号用アルコールに火をつけた後、吹き消して臭いを飛ばして飲む」悪戯の最中に、誤って火のついた洗面器を引っくり返したのが原因とする説や下瀬火薬の変質が原因という説もある。事故当時、東郷は上陸していて無事であった。また艦隊付属軍楽隊に着任していた瀬戸口藤吉も、これまた事故当時は上陸中で難を逃れたが、軍楽兵の多くが事故で殉職した。なおこの爆発沈没事故は秋山真之が宗教研究に没頭する一因ともなったとされる。

 1906年版ジェーン海軍年鑑における要目
10月23日の海軍凱旋式は戦艦敷島が三笠に代わって旗艦となった。三笠は予備艦とされ、1906年(明治39年)8月8日浮揚、佐世保工廠で修理され1908年(明治41年)4月24日第1艦隊旗艦として現役に戻った。
1914年(大正3年)8月23日、日本が第一次世界大戦に参戦すると、戦争初期に三笠は日本海などで警備活動に従事した。その後、1918年(大正7年)から1921年(大正10年)の間、大戦中に誕生した社会主義国ソ連を東から牽制するシベリア出兵支援に参加した(参加前に防寒工事が実施され、飛行機の臨時搭載も行った)。
1920年の尼港事件の際には砕氷艦見島とニコラエフスクに救援に向かったが堅氷に阻まれ入港できなかった。このため約700名の日本人と数千名のロシア人は救助されることなく赤軍パルチザンに惨殺された。
1921年(大正10年)9月1日一等海防艦となるが、9月16日ウラジオストク港外のアスコルド海峡で濃霧の中を航行中座礁し大きく損傷し浸水。離礁後ウラジオストクに入渠し応急修理を行い、11月3日舞鶴に帰投した。

  横浜キリンビール工場

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 麦100%×一番搾り製法」で、すっきりしているのに、うま味も充分なおいしさ。
 
 黒らしいコクと香りと、飲みやすさを併せ持った新しい黒ビール。

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