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第7回遊歩 ブラリ東京Walk 六義園からとげ抜き地蔵


遊歩日   2005年2月6日(日)
遊歩先   六義園〜古河庭園〜染井霊園〜本妙寺〜妙行寺
      庚申塚〜高岩寺(とげ抜き地蔵)&阿藏(鍋料理)
天 候   晴れ
参加者   総参加者 21名 男性 10名 女性 11名

≪感想≫

 集合場所の駒込駅北口に集合時間の10時には、5分前に到着したのだが、既に大半の方々が集合しており、お世話人としては、今回は少し遅かったようである。今回の参加者は総勢21名の参加で、これから六義園を初めとして、巣鴨のとげ抜き地蔵までの「東京ぶらりウォーク」が冬晴れの一日開催される。

 今回もまた、Oさんの友人美人6名が参加しており、一段と華やかな雰囲気を醸し出している。その中でも車椅子での初参加、Bさんの明るい笑顔がとてもステキで、冷たい風に頬を真っ赤にし、出発を待っている姿がとても印象的であった。

 3班に分かれて一同、ゾロゾロと第1の目的地、六義園を目指し歩く。今日は風は冷たいが太陽がサンサンと照り、寒さはさほどでもなくウォーキングには最適な日和である。
ほどなく六義園に到着をし、遅れたAさんもここで間に合い一同園内にはいる。

 この六義園は、徳川五代将軍綱吉の側用人、柳沢吉保が7年がかりで築いた庭園(1695)から 7年をかけて築いた庭園(特別名勝)。明治11年に三菱財閥の岩崎弥太郎の別邸となり、その後東京市に寄付されて、一般に開放され赤レンガに囲まれた園内は、中の島・三三菱のある池を中心に築山が造られ、風光明媚な回遊式築山泉水庭園で、ツツジや枝ぶりのいい松がアクセスになっている。
 中でも標高35mの藤代峠から園内を見下ろすアングルがすばらしい。春の梅・椿.秋の紅葉も見事な眺めだ。

 梅の花が3分咲きというところで、梅野かがほのかにただよい陽射しも暖かで、池の水の青さ、松の緑、そして芝生の黄緑とが陽に映えそのコントラストがとても綺麗である。
一同はそんな風景のの所で休憩をとり、早速、ワインを出して皆さんにお配りをする。一口でもワインを飲むことにより、初対面の方々との緊張感もなくなり、和やかな雰囲気で気楽に話をしたり出来るから、アルコールは人と人との交流には、欠かせない潤滑剤である。まして冬の寒いときなどは、身体の中から温まるので最高である。

 ワインを飲みまた、一同園内を散策し、何と樹齢50年という、しだれ桜の前で全員で記念写真を撮り、六義園を後にして、第2の目的地、古河庭園に向かう。駒込駅を過ぎると誰かが日本一おいしいというシュークリームの「アルプス」を指さしている。そこで第二のお世話人、和美とSさんとでそのシュークリームを買いに行き私達はゾロゾロと古河庭園に向かう。歩いていると風邪が冷たくまだまだ春の訪れの遠いことを感じさせる。

 やがて一同古河庭園に到着をし、入園料を支払い園内にはいる。
この古河庭園は、鉱山の開発で財を成した古河氏の3代目虎之助が大正初期に築いた本邸跡。戦後に国の所有となり、東京都が借りてー般公開している。園内は洋風のテラス式庭園と心字池を中心とした和風庭園が見事である。

 丁度、お昼時になったので、庭園の一角にて昼食をとる。はい、またまた、出ました。今度はお酒です。それを皆さんにお配りし、先ほど買ってきたシュークリームと一緒に食べたり、飲んだりするのがアンバランスでとても奇妙である。皆さんがおいしそうにお酒を飲んでいるので重たい思いをしてもってきたかいがあり、皆さんにお酌をし、私も飲もうとしたら、何と私のコップには、お酒を少ししかついでいなかったので、本当に喉を潤す程度でお酒が終わってしまった。

 そして思い思いの昼食を取り、園内を散策する。先ほどの六義園とまた、違った感じの和風庭園で、3mぐらいの滝もあり大きな鯉が池で悠々と泳いでおり、この鯉ももう、以前から生息しすっかりと古河庭園の主として歴史を生きてきたのだろう。それから建物の裏に回りテラス式の洋風の庭園に行く。そこは各国のバラが季節には咲き誇るのだが今は冬なのでナニもなく陽がサンサンと射しており、お昼も食べてお酒を飲んだので、何だか眠くなってきた。ここでも一同、記念写真を撮りそして古河庭園を後にした。

 地図を頼りに第3の目的地、染井霊園に到着した。この染井霊園は、明治7年(1874年)に開かれた都営霊園。6万8000uに近い園内には、詩人高村光太郎、智恵子、作家二葉亭四迷、美術行政家、岡倉天心、商業写真の開祖、下岡蓮杖等、お墓マップを見ると有名人のお墓が結構あり、それを一つ、一つ見ていたのでは時間がいくらあっても足りないので、有名人を代表して、高村光太郎、智恵子ご夫妻のお墓を訪ねることにした。霊園の中は広いのでそのお墓を探すのが容易でなく、それでもやっとどうにか探し、高村光太郎の墓前にて一同手を合わせ、その染井霊園を後にし、染井霊園の北にある、第4の目的地、本妙寺に行く。

 明暦3年(1657年)の振り袖家事の火元だったことからその供養塔も立っており、ここでは映画やお芝居で、遠山の金さんでおなじみの江戸時代の北町名奉行、遠山金四郎、剣豪、千葉周作のお墓を参り、第5の目的地、妙行寺に行く。この妙行寺は、「東海道四谷怪談」のヒロイン、お岩さんのお墓がある法華宗の寺。お岩さんは寛永13年(1636)に亡くなり、菩提寺の妙行寺に葬られた当時の寺は四ツ谷にあったが、その後、ここに移った。境内には魚河岸供養塔、うなぎの供養塔も立っている。

 そのお岩さんの墓前にお参りを済ませ第6の目的地、庚申塚に向かう。この庚申塚は、明暦3年(1657)の庚申塔が立つ。巣鴨地蔵通り商店街の北端に建つ小さな社。中に立つ庚申塔は文亀2年(1502)の建立で、現在のものは、明暦3年(1657)に造りかえられた2代目。
江戸時代には来世を祈りつつ夜通し賑やかに過ごす「庚申待ち」が盛んだったという。

 そして最後の第7の目的地、高岩寺の「とげ抜き地蔵」に向かう。この寺は、高岩寺(とげ抜き地蔵)をまつる曹洞宗の古刹で、慶長元年(1596)神田明神下に創建され、振袖火事により下谷に移転、その後明治24年(1891)にここへ移ってきた曹洞宗の古刹。本尊の延命地蔵菩薩が諸病に霊験あらたかな“とげぬき地蔵"として知られ、お年寄りのお詣りが絶えない。とりわけ4の付く縁日には人出が多く、こぢんまりした境内はラッシュアワーのよう。境内には病気や痛みのあるところを洗う、洗い観音もある。まずはその洗い観音で柄杓に水をくみそれを観音様にかけてから、一番痛いところとか、悩んでいるところを撫でさすることでその痛みが取れるとのこと。私は現在喉が痛いのでそこを良く撫でてから、頭も少しぼけてきているので頭を良く撫でて水をかけてお参りを済ませ本堂のとげ抜き地蔵に参拝をする。

 そして境内にて解散となり、遊歩コース参加者と別れ、16名は宴会場の居酒屋「阿藏」に行き、あったかい鍋料理を囲み、飲み放題のアルコールをガンガンと飲み、話も盛り上がり、食べるほどに飲むほどに歌も出てまさに最高潮、至福の一時である。そんな宴会もやがて定番の「今日の日はさようなら」の歌をお互い肩を組んで歌い3月の6日の吉野梅郷遊歩の再会を約束をしぞれの帰途に着いた。
                 オシマイ  (^_^)