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 Circle《ゆ〜ぽぴあ》 遊歩記


  第291回遊歩
『〜如月・ぶらり東京Walk〜』

  ≪旧甲州街道沿いの古社寺や
  旧跡歴史と自然の宝庫郷土の
  森を巡る府中・街道の歴史と
  梅花薫梅園散策遊歩・・!!≫












    遊歩日:   2021年2月26日(金)
   遊歩先:   源義家公の像・大国魂神社・高札場・高安寺・下河原緑道
          府中市郷土の森博物館
   天 候:   晴れ
   参加者:   10名

  《行 程》

 ◎府中駅=徒歩5分⇒源義家公の像=徒歩5分⇒大国魂神社=徒歩10分⇒高札場=徒歩5分⇒高安寺=  徒歩5分⇒下河原緑道=30分⇒府中市郷土の森博物館(園内散策&昼食Thyme)=徒歩⇒分倍河原駅  解散  ハイおつかれさんでした・・・!!!  (^_^)

  ≪遊歩記≫

 如月の晴天の下、参加者10名が、府中駅に終結し、RooNav担当である私が、今日のコースの説明を行い恒例の声出しを済ませ遊歩の第1.歩を踏み出した。この府中の名前の由来は、以下の通りである。

 大化改新(645年)後に武蔵国(現在の埼玉県、東京都、川崎市、横浜市の大部分)の国府が置かれたことに由来する。鎌倉時代には、鎌倉と北関東を結鎌倉街道の要街として、江戸時代には、甲州街道の宿場町として発展を遂げた。

 輸注駅の改札口を背にして、左前方の出口を抜け一つ目の階段を下ると正面に駄場大門けやき並木の緑が目に映じる。南北約500mに渡って続く美しいけやきの並木道だ。このけやき並木を左に行くと右手に高浜虚子の句碑や源義家公の像が現れる。そして旧甲州街道を渡り、大国魂神社の威風堂々たる大鳥居を潜り、境内に入る。この大国魂神社は、歴史も古く7月21日の「すもも祭り」また11月の「酉の市」や温くから伝わっている「暗闇祭」が有名だ。果たして今も暗闇祭は、開催しているのかは分からない。最近はどこの神社仏閣でもそうだが、大国魂神社の本殿に先ずは「新型Corona virusの早期収束」を願い次いで健康祈願をする。

 大国魂神社で参拝を済ませてから、旧交流街道に戻り左折する。江戸時代の初めに整備された甲州街道府中塾は、江戸日本橋より八里のちにある。当時の府中塾の面影を残すのが、府中街道と交差する角にある「高札場」である。おこから西へ進み一旦下河原緑道を越えて高安寺へと向かった。歴応年間(1338〜42)に足利尊氏によって最高されたと伝わっている。荘厳なる古刹だ。この参拝殿に下げられた銅鑼の音はガーーンと響亘り実に格調高い。高安寺の参拝を済ませ下河原緑道入口に戻る。この下河原緑道は、歩行者専用道路と自転車専用道の二つが別れており、沿道には季節の花々が咲いており、畑もあって、目に優しい道路が、真っ直ぐに伸びている。南武線の線路を越え緩やかな坂を下り信号を渡り中央道の高架橋をくぐりやがて「府中市郷土の森博物館」へ到着した。ここは府中の自然と歴史をテーマにしたウィル度ミュージアムだ。13万uという広大な敷地には、府中のsymbolであるケヤキ並木、ハケ、梅園を配し、かつて市内にあった小学校、役場、商家などが移築されている。府中の字形、風俗が学べる常設展示室、日本最大級のプラネタリウムとうかある。

 私達は府中市郷土の森博物館に入り、少し歩いて行くとプーーーんと芳ばしい匂いがするので、パッタリと足が止まってしまった。休憩所が有り、そこで焼き団子を売っていたので、そこから芳ばしい匂いが流れてきたのだった。そこで小腹も空いていたので、その焼き団子を買い求め口に頬ばる。団子に醤油が染み込みその味が実に美味しかった。暫し休憩をした後、T,Hさん達と別れ、私達8人は、博物館の館内を白梅、紅梅が満開の梅花爛漫と咲き誇る梅の花を観賞して歩く。そして小高い丘の上に東屋が有り、ここで8人が丁度座れるようにテーブルと椅子が、配置されてあったので、ここで昼食Thymeとした。私は早速缶ビールのプルトップを空けて、前日吉祥寺のアトレで、買い求めた柿の葉寿司を食べる。ビールはあっという間に空けてしまったので、今度は銘酒浦霞をMy ぐい飲みに注ぎそれをゆっくりと飲む。桜の花も華やかで良いが、梅の花も実にしっとりとしていて誠に風情があり、こうして一献かたむけながら梅の花を愛でるこれ誠に風流な者だ。暫し新型Corona virus騒動を忘れさせてくれるのどかな至福のひと時を過ごした。

      〜〜≪オシマイ≫〜〜
 


「遊歩先の紹介



「大国魂神社」


 古代、国司は任国内の全ての神社を一宮から順に巡拝していた。この長い巡礼を簡単に行えるよう、各国の国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、まとめて祭祀を行うようになった。当社はそのうちの武蔵国の総社にあたる。 
当社は府中市中心部に鎮座し、「府中」の市名はかつて武蔵国の国府があったことに由来する。当社の境内地がかつての武蔵国の国府跡にあたり、境内地と市道を挟んで東側の市有地は「武蔵国府跡(武蔵国衙跡地区)」として国の史跡に指定されている。東側市有地は「武蔵国衙跡地区」として整備されており、柱跡が表示されて展示室が設けられている(「武蔵国府跡」も参照)と共に博物館「ふるさと府中歴史館」が設置されている。また、当社は府中宿の中心部近くにあり、大鳥居から武蔵国分寺や武蔵国分尼寺までの道が整備されていた。 
当社の創建は景行天皇41年と伝えられ、源頼朝が妻の安産祈願をし、また源頼義と義家が奥州戦に向かう際に戦勝を祈願したなどの伝承がある。 
 境内は多くの社殿からなるほか、重要文化財の木造狛犬を初めとした文化財を多数伝えている。府中本町駅近くの市街地中心部に位置するにも関わらず木々に囲まれており、参道の馬場大門のケヤキ並木は国の天然記念物に指定されている。 
例大祭は、東京都指定無形民俗文化財に指定されている「くらやみ祭」であり、関東三大奇祭の一つに数えられている。 
祭神
本殿の祭神は以下の通り。武蔵国の総社として、当社創建当時の武蔵国一之宮から六之宮まで(通称:武州六社明神)を祀っている。 
在、国の天然記念物に指定されている「馬場大門のケヤキ並木」の起源である。また、神前にすももを供物として供したことから、後年この日とされる7月20日に毎年「すもも祭り」が行われるようになった。 

「府中市郷土の森博物館」


管理運営は指定管理者の財団法人東京都公園協会が行っていたが、2011年4月1日からは指定管理者が西武・武蔵野パートナーズに変更された。その後、再び東京都公園協会に変更になる。園内には府中の森公園サービスセンターが置かれている。武蔵野の「森」・「丘」・「川」が表現されており「緑に包まれたファミリースポーツ公園」[1]とされている。 
旧米軍基地跡地はその広大な土地を利用して公園が多く作られて、その一つの当公園は、多くの緑で地域の環境を向上させ、健康に必要な運動設備を提供し、また災害時の避難場所として整備されている。 運動設備は、野球、テニス、ジョギングコース、サッカー他、子供用遊具と充実している。 
バッタ・コオロギ・トンボ・蝶などの昆虫が多くが見られ「昆虫観察会」が開催される。 
植物はシャガ、キリ、クヌギ、ケヤキ、コナラ、ヒマラヤスギ、キンモクセイ、ツバキが見られる。
 公園内には、「アンとミッシェルの彫像」など著名作家による8つの彫刻作品が設置されている。 
梅とサクラの時期には多くの花が開き、花見の名所ともなっている。イベントは「こいのぼり」、「フリーマーケット」、「七夕飾り」、「スイカ割り」、「お月見飾り」、「春の七草飾り」など年間を通して行われている。映画やドラマなどの撮影が行われる事がある。 
 公園中央を南北に走る花のプロムナードを中心に、中心地に花の広場、モニュメント、展望広場、西側に武蔵野の森、大きな広場(芝生広場)、遊具広場、水辺の広場(ジャブジャブ池)などが、東側に日本庭園、売店、駐車場、スポーツ施設(テニスコート、小野球場、サッカー・ホッケー場)、バーベキュー広場がある。