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雪嶺西穂高岳・独標に立つ

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 山行日   2005年3月20日(日)〜21日(月・春分の日)
 山行先   西穂高岳・独標((山域 北アルプス 2701m))
山行形態   六つ星会山行
 参加者   21名
 天 候   20日(日) 晴天  21日(月)  強風と晴天


≪行程≫

 3/20(日)

 新宿(7:00発・スーパーあずさ1号松本行)→八王子(7:29)→大月(7:55)→松本(9:38着・バス10:35発)―バス→新穂高温泉(12:40着)―ロープウェイ・5分→鍋平―徒歩3分→白樺平―ロープウェイ・7分→西穂高口(13:15〜14:20昼食&登山仕度用意)―1回目の休憩(14:50)→西穂山荘(15:30着 宿泊)

 3/21(月)

 西穂山荘―30分→丸山―90分→西穂・独標―80分→西穂山荘―60分→西穂高口―ロープウェイ→白樺平―ロープウェイ→鍋平→新穂高温泉(バス・13:40発)―バス→松本(15:40着・16:30発あずさ56号)→新宿(19:21着) ハイ、オツカレサン (^_^)


≪感想≫

 バスは松本から約、2時間、安房トンネルを通過し新穂高温泉に12時40分に到着した。この新穂高温泉には、3年前になるのであろうか、夏の笠ヶ岳の登山に訪れて以来の来訪だ。
今回は六つ星の西穂高岳独標の会山行で総勢21名の参加者である。

 この西穂高岳・独標の会山行は、私が、山行部長の頃に2004年度の3月の「雪山シリーズ」のChief担当者にまた、和美に依頼をし、そのSub担当者として、3名の雪山に経験のある女性を選定し、言わば女性4人のwoman powerにて雪嶺の登山をすることにより何か六つ星の一つの象徴的な話題性、女性の華麗さによる活性化、女性会員に勇気を与えるそんな目的を心に描いて3人の女性のSub担当者にアタックをしたのだった。Sub担当者を選定する過程において男性を考えなくもなかったのだが、正直、六つ星で雪山の経験のある男性となると指を折っても3人となると首を傾げてしまった。

 その雪山の候補地に「どうせやるのなら皆さんに感動と素晴らしい景色を満喫して貰いたい。」と和美が企画をしたのがこの「雪嶺西穂高岳・独標」の登山であった。私も過去独標には、正月に上高地から西穂山荘に泊まり独標まで登ったことがあるが、そんなに苦労もしないで例の銚子で和美の後に着いて登った記憶があるので、「なかなか素晴らしいのじゃあないの。」とこの企画に賛同し順次計画を推し進め役員会の承認を得、「2004年度会山行計画予定」として、総会にても承認を得、雪山の山行が実現をしたのである。

 その担当者達は、2004年の3月の全く同じ時期に一人の希望者の女性と共に5人の女性attack隊が結成され下見に出かけたのである。結果、雪山経験者向きの独標コースとその独標手前の雪山に余り経験のない方コースとして、丸山コーストの2コースで計画をすることとした。正直、この「雪嶺西穂高岳・独標」の山行の計画に際し、色々と批判が会員から言われて、その都度、和美の負けん気が顔をもたげてきて「絶対に成功させてみせる。六つ星でも雪嶺の西穂・独標ぐらい登れなくてどうする。視障者だってLeadさえしっかりすれば登れないことはないんだ。」と随分と息巻いていたものだった。

 でも、下見も終えてすっかりと頭の中には、計画もできあがり、心のゆとりが出来て、そんな「女性だけの担当では不安だ。」という批判もいつしか忘れ冷静になっており来たるべく「西穂・独標」に闘志を胸に秘め日々の生活に明け暮れていました。そんな5月の末頃に直接は私への批判なのですが、間接的に5月頃にある会員からの思いもよらぬ西穂高岳・独標への無謀登山の誹りを受け和美の気持ちがプッツリと切れて爆発をしてしまった。「下見までして2コースも考え、晴眼者の方にもまた、視障者の方にも雪嶺の西穂高岳を楽しんで貰おうと思っていたのに雪山の余り経験もない会員の方に無謀だと言われる筋合いはない。そんなに女性の担当者達が心配ならもう、この計画から身を引きたい。」と興奮して、私に話をするのであった。

 こんな苦い思い出があるだけに今、こうして真っ白に輝く峰嶺をロープウェイから見ていると「今日は21人で西穂に来ているんだなあ。きっと和美もその間隙は大きいだろうな。・・・!!!」という万感胸に迫るものがあり目頭が熱くなってきた。

 そんなちょっぴりおセンチになっているとロープウェイは、グングンと高度を増すに連れ白銀の世界となり、雪でお化粧をした錫杖岳、笠ヶ岳、穂高連峰の西穂高岳からジャンダルムを経ておく穂高岳、焼岳、そしてどこからでも一番良く分かる空に突き出た槍ヶ岳等々と北アルプスの名高い峰々が時々雪煙を上げその白き雄姿を見せ屹立している。そんなわずか7分間の空中散歩も終わりロープウェイは鍋平に到着し、少し歩いた後、檜平ロープウェイ駅からロープウェイを乗り換え終点の西穂高口に到着し、ここで無料の播隆汁をご馳走になり昼食を取りすっかり雪山の身支度を調え一同屋外に飛び出す。先ずは自己紹介、チーフが登山のためのグループを紹介した後、2時20分、期待と夢をふくらまし西穂山荘、目指し21名の雪中行軍の始まりである。

 しっかりと踏まれたトレースをザックザックと快適に歩を進めて行く。空は真っ青のピーカン、綿帽子をかぶった木々、遠き白き峰々、そんな自然の中に溶け込んで、これから白銀の世界へのメルフェン散歩だ。今年は去年よりも遙かに雪も多く遅くなってからかなりの降雪があったとロープウェイの係りの方が話をしていた。また、去年下見をした和美も去年はそんなに積雪がなかったが今年はもう、雪が多いので、皆さんもきっと満足してくれるだろうと笑みを浮かべる。

 私は和美と最後尾を歩いていたのだが、どうも調子が今一という感じで身体が重く足がやけに重たく段々と増してくる斜度に息が上がってしまい歩幅も自然と狭くなって、先頭で歩いている誰かが「少し間ってください。」とそんなgive upの声を期待していたのだが、一向にそんな声もなく皆さん、快調に歩いて行くではないか。「エッ、あのSさん、ばてないで歩いているの。」と疑問が湧いてくるがドンドンと歩いている様子に感心をしながらも何故か納得が出来なかった。

 この足の重い原因を良く考えてみたら、昨日、19日に1時間40分ばかりランニングをし、その際に車をよけ損ねて、軽い捻挫をしてしまい、帰宅後風呂にゆっくり入ったためにそれから捻挫をした足関節が痛くなってしまいそれで一晩中冷やしてどうにか今日の山行に来られるようになったのだった。やはり、山行の前の日は、落ち着いて体調を整えておかないといけないことを痛感し、頑張って皆さんの後を黙々と雪の斜面を歩いて行く。

 ヨロヨロしながら歩いていたら、やっと一本休憩が入りほっとする。烏龍茶をガブガブと飲み水分を補給し、当たりを見ると北アルプスの 山々が白く光って見え高度が増しているのが感じ取れ真っ白な世界にそれぞれ皆さん、思いを胸に喜びを肌で感じているのであろう。しかし、今回はハプニングがあり、こんな絶好の自然の中に本来ならば当然いるはずであるが、何とその方は、一日早く19日の土曜日に意気揚々と新宿駅の集合場所に到着し、そこで皆さんが声をかけてくれないので、心配になり私の家に電話をし「ゲーー、ほんとかよ」と真っ青になり、それでとうとう都合がつかずに今日来られない境遇となったdynamicな素晴らしいお方を思い出し、和美と共に「今頃何をしているんだろうね。」と笑いが吹き出してしまった。これは本当に末代まで語り伝えられるであろう。やはり、目立つ方はどこか違うものだ。・・・!!!

 一本立てていくらか身体は楽になったが、それでも更に斜度が増してきたので、「大丈夫かな。」と不安がよぎってきたら、もう、西穂山荘が見えてきたと言われほっとし現金なもので身体も楽になり、頭には「ビール」の缶がチカチカと点滅をしてきた。先頭から「オツカレサンでした。」と声がして、やっと西穂山荘に到着をした。それぞれ3部屋に分かれ夕食までの時間一同食堂に行き、缶ビール、ワイン、お酒等々を飲みながら団欒タイムとなり、気分がハイになった頃、夕食となり、明日の本番を期待してそれぞれ眠りに着いた。夜中に目を覚ましたらは「ゴーー、ゴーー、コーーピユーーー、ピユーーー」と音を立てて風が渦巻いていた。

  朝、6時20分、朝食を済ませ、西穂山荘の前に独標コース14名が凛々しく勢揃いをし、丸山コースのメンバーに見送られていざ独標目指し出発である。寒さはそんなに感じないのだが、とにかく風が強くその風が容赦なく身体を突き立ててくるので、顔などはもう突っ張って鼻水がダラダラと流れてくる。チーフの和美を先頭にその後を私が続き、そして視障者と晴眼者との配分をしたグループが一列縦隊で後に続き突風の中を背を丸めてゆっくりと歩を進めて行く。最初はまだ身体がすっかりと目覚めていないため足取りが重く段々と晴盲混合グループが私達と離れてしまう。その度に立ち止まり皆さんを待つが、風が時より身体を持ち上げついヨロヨロとしてしまう。

 丸山を過ぎもう、ピッケルを突き立て突き立てしながら、斜度が増してくる雪面をうえへ、うえへと登って行く。昨日の急登なんか比較にならないほどのかなりの傾斜をなしさすがは西穂高岳の稜線上だ。dynamicなscaleに思わず心が沸き立ってくる。「やってやろうじゃあないの。ばててたまるか。」と何とも気持ちは威勢がよいのだが、どうもさきから便意をもよおしてきどうも下腹部に力を入れると何ともはや、しまらない感じとなり、誠に不便この上ない状態となる。よっぽど誰かバテたら一緒に戻ろうかと考えていたのだが、誰も手を挙げないので便意との戦となり堪えこらえ登って行く。

 突風は以前として高さを増す事にその勢力も強くなり、山が「来るなら来てみろ。この風に勝てるかな。」とばかりに懸命にいじめてくる。するとこれから岩場にさしかかるという所で、give upの方が出たので、groupの方もその方に着いて下山をすることとなった。四顧の山々はバンバンと雪煙を上げている。これから岩場の通過だ。岩場の左はスッパリと切れ込み遙かかなたに落ち込んでいる。思わず足に緊張が走る。和美の誘導に従って慎重に歩いて行く。それでも手がかり、足がかりはしっかりとしているのでアイゼンを絡ませなければ大丈夫である。

 そんな難所を何度か繰り返しやがて、独標の直下に到着した。ここでしっかりと気持ちを入れ直してから30°はあるだろうか。雪壁をピッケル突き立て突き立て登り始める。幸にも雪がしっかりとしているので気持ちが良いほどアイゼンがくいこんで登ることが出来た。そんな悪戦苦闘の末にとうとう飛び出ました。7時45分独標だ。先客が一人いて写真を盛んに撮っていた。

 やがて後のgroupも登ってきて9名全員登り切れた。まさに360°の大パノラマ、神々の領域という感じで四顧の山々が皆神々しく朝日に光り輝きその荘厳な展望は筆舌に尽くしがたいほどだ。独標から尾根は西穂高岳へと続き、それからあのジャンダルム、そして奥穂高岳、前穂高岳の峰嶺振り返ればドーンと富士山、笠ヶ岳、槍ヶ岳、そして抜けるような真っ青な空・・・!!!

 風は相変わらず激しく吹きまくっている。じっとしていると寒いので一同の記念写真を撮り、名残はつきないがこれから下山開始となる。登山は登りよりも下山に自己が多発するので、慎重に下山をしなければならない。チーフの和美がいち早くザイルを張ったのでそれに捕まりながら、皆さんゆっくりと降りて行く。そして私もその順番が来たのでもうクライムダウンでゆっくりと下って行く。しかし、登っているときには余り気にならなかったのだが、下るときにはこの雪壁の長いのに驚いた。途中からザイルが無くなってしまったのでそれだけに足が緊張してくる。

 最後に和美はザイルを撤収し、ノンザイルでおまけに雪壁をみんなが降りたときに崩しているので余りアイゼンが効かなくなっているため、一丁間違ったら滑落をしてしまうので、大変なプレッシャーだろう。私は独標直下の安全な箇所で待っていたのだが、とにかくじっとしているので風が吹き付けてきて寒くて震えて舞っていた。皆さんはドンドンと西穂山荘目指して下って行ってしまった。

 やがて、ザイルの撤収を終えた和美が下山をしてきて、私達は突風の中皆さんに追いつけとばかりに早足で下って行く。こうして無事に雪嶺の西穂高岳・独標の登山も9名が登ることが出来、そのうち2名はサポートが必用な視障者である。この二人の間隙はきっと大きなものであろう。これからの人生にとってどんなにかこの独標の経験が生きて来るであろう。私も以前よりは体力も落ちて正直、かなり疲れたがこうして独標へ登れた達成感、この経験もまた、年をとるに連れて益々輝きまして来るであろう。

 和美も誰一人自己も出さずにこうして独標の登山を成功した今、肩の荷が下りて気持も楽になったのではないだろうか。夫婦ながら敬意を表し「本当に良くやったね。ご苦労様でした。」そして協力をしてくれたSub担当者のお二人にも心より感謝申し上げます。それから快くサポートとして参加をしてくれた多くの晴眼者の友に厚くお礼を申し上げます。

    【2005年3月21日(月)御前7時45分 西穂高岳・独標登頂】

  “皆さん、本当にご協力を有り難う御座いました。”

















































































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