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屋久島&宮之浦岳のPhotographはこちらからどうぞ










My Sankou Memo


最南端の百名山へ挑む


宮之浦岳山行











  山行日  5月10日(日)〜11日(月)・12日(火)・13日(水)
  山行先  屋久島(宮之浦岳(1936m)・大川の滝・千尋の滝・竜神の瀧
       フルーツガーデン)
  宿 泊  5月10日(日) 安房民宿「つわんこ」
       5月11日(月) 新高塚小屋
       5月12日(火) 縄文の宿「まんてん」 
  天 候  5月10日(日) 快晴  5月11日(月)  快晴
       5月12日(火) 午前中は台風6号の影響で、豪雨と強風午後から快晴
       5月13日(水) 快晴

 10月10日(日)

 《行 程》

  自宅⇒吉祥寺(06:20)=リムジンバス⇒羽田(07:00着・
8:40発JAL)=airplane⇒鹿児島空港(10:25着)=バス⇒鹿児島南埠頭(12:00発)〜ジェットホイル〜宮之浦埠頭(13:50着)=バス⇒安房「つわんこ」(15:30着) 宿泊 (-.-)Zzz

 ≪My山行Memo≫

 今回の屋久島「宮之浦岳」の登山の計画は、今から約、20年前になるだろうか。私の山歴である来し方を振り返り見れば「遠くを見る目・・・!!!」、1994年7月1日から5日の4泊5日で、六つ星山の会の会員及び他の友人達11名で、北海道の利尻島、礼文島へ行きその際、日本最北端の百名山利尻岳へAttackし、山頂直下9合目までTryしたのだが、Thyme outのため、誠に残念ながら、利尻岳の山頂を踏むことなく、思いを残しつつ下山したのであった。

 そして月日は、20年という年は移り、私は現在、徐々に体力、脚力も低下しつつあるとは言え、まだまだ山歩きが出来るうちに20年前に山頂を踏むことが出来なかったとは言え、それでも日本最北端の百名山「利尻岳」へ登ったのであるから、今度は日本最南端の百名山屋久島「宮之浦岳」へ是非ともAttackしたいと今年になり、和美と共にその「宮之浦岳」登山の構想を温めていたのであった。しかしながら、この屋久島「宮之浦岳」の登山は、体力、脚力共に第1級品で、山中無人小屋一泊し、急登、急下降の連続の超ハードの山だけに和美は兎も角、私がAttackできるかが、内心不安ではあったのだが、それはそれ何とかなるだろう「ケセラセラ」と決意し、「宮之浦岳」登山の最適期、5月を混雑するGolden weakを避け、5月10日から13日までの3泊4日の山行を実施したのであった。  (^o^)

 5月10日、早朝、6時20分に吉祥寺駅前からリムジンバスに乗り、羽田国際空港へ着いた。そして、朝食である空弁を買い求めそれを食べる。すると程なく「只今から8時15分発JAL鹿児島行きは、定時より25分遅れで、搭乗を開始します。」とのannounceが有り、これからの屋久島「宮之浦岳山行」の期待に旨膨らませ搭乗gateへ向かう。さてと飛行機に乗るのは実に何年ぶりになるであろうか。確か5年前に九州へ和美と共に旅行した帰途、福岡空港から羽田まで乗った以来だ。しかし、飛行機というのは、何度となく乗っても一抹の不安は拭うことが出来ずいつも緊張を強いられるものだ。

定員250名の 飛行機は、定時より約、25分遅れで、無事に羽田国際空港を離陸した。そんな機内は乗客の皆さん、やはり、緊張しているのか。寂として声もなく私語も聞こえずただゴーゴーーンと飛行機のエンジン音が聞こえるだけだ。そんな機内は安全に関してのLectureが、スクリーンの画像を介して行われる。このLectureが、実際役に立たないことを念ずるばかりだ。  (^^;)
和美を見るともう、子供のように小さな窓から物珍しそうに外を眺めている。私は用意したプレクストークポケットを取り出し、収録してあった「藤沢周平」の小説をイヤホーンで聴く。離陸してから約、40分もしただろうか。機内はFlight Attendantが、静々とbaggage Carを押しながら、ジュース、コーヒー等ののServiceにやって来た。私はブラックコーひをを頼む。それにしても私は強度弱視なので、Flight Attendantの皆さんは・一様にスタイルも良く、美人に見えてしまう。  (^^)

 そんなairplane JALは、定時到着より、25分遅れで、無事に鹿児島空港へ着陸した。遅れたために鹿児島南埠頭までのリムジンバスが出てしまいそのため、鹿児島市市内定期バスに乗り、鹿児島市内へ行きそこで下車し、その南埠頭行きのバス停で、乗り換えて、鹿児島南埠頭まで行く。そして12時:00分発のジェットホイルに乗船する。そのジェットホイルは、そんなに揺れもせず快適なる船旅で、待望の屋久島へと夢を運んで行く。そんな船内では南埠頭で買い求めた缶ビールの栓を開けオツマミの薩摩揚げを食べながらゆっくりと喉を潤す。和美は船酔いをするのでいち早く酔い止めの薬を飲んで、それこそ船の中で器用にコックリ、コックリ舟をこいでいる。

 やがてお尻がいたくなった頃、ジェットホイールは要約、屋久島、宮之浦港へ13時50分に到着した。「ワーイ、遙々来たぞ。来たぞ、屋久島へ」そしてショッピングセンターで、明日宮之浦岳新高塚小屋へ宿泊し、自炊をするためガスボンベを購入し、安房行きのバスに乗車する。屋久島なんて小さな島田と思っていたら宮之浦港から安房まで何と1時間20
分も乗車し、牧野というバス停で下車した。そのバス停の傍にスーパーマーケットが有り、そこで民宿で飲もうと缶ビール、おつまみの鯖節、そして明日の高塚小屋で飲む焼酎「三岳(みたき)」を買い求め民宿「つわんこ」へ行く。この「つわんこ」は高台に有りlocationも良く、夕食が7時というので、それまで民宿の前のベンチに腰掛け缶ビールを飲みながら大海原を眺める。そんな大海原を見ていると実に気持もドデカクなり、明日の宮之浦岳三光に自然と闘志が沸々と湧いてきた。

 そして缶ビールを飲み部屋でウトウトとしていたら、「お風呂をどうぞ」と民宿の奥さんから、声がかかりその風呂へ入る。別段温泉でもないのだが、やはり、岩風呂風のお風呂に入り、温まると自然に疲れも取れ気持ちが良くなる。風呂から上がると程なく夕食タイムとなり、食事処の広間へ行く。各種お刺身、海の幸、ワラビ、山芋野菜の天麩羅等々の山の幸のオンパレードで、そんなご馳走をたべながら生ビール、焼酎を飲む。すると民宿の何と一風変わった髪型で、頭にチョンマゲをしたご主人がやって来て「明日の宮之浦岳のコースは、どんなコースですか。」と尋ねるので和美が「明日は荒川登山口から登、新高塚小屋で一泊し12日には、宮之浦岳山頂を登、淀川登山口へ下山します。」と言うとご主人が「台風6号が12日には間違いなく屋久島を通過するから、兎に角、明日は良いお天気なので、明日のうちにに宮之浦岳山頂へ登った方が良いから、その逆のコースで行きなさい。淀川登山口から登、宮之浦岳の山頂へTryし、そして新高塚小屋へ停まりなさい。12日は台風が来ても下山するのだからそんなに問題が無いよ。」とAdviseをしてくれた。そのご主人の言葉通り、明日は早朝、4時30分にタクシーで淀川登山口へ行きそこから「宮之浦岳」登山開始をすることとなった。
 それとご主人に「この民宿の名前「つわんこ」と言う意味はどうゆう意味ですか。」と聞いてみたら「屋久島ではツワブキのことをつわんこと言うのですよ。ですからこのツワブキの屋久島名でつわんこと名付けました。」とのことであった。


 5月11日(月)

 《行 程》

 安房の宿「つわんこ」(04:30)=タクシー⇒淀川登山口(05:07着〜05:40発)⇒淀川小屋(06:55)⇒1回目の休憩(07:57)⇒第1展望台(08:30)⇒viewpoint(08:30)⇒湿原(08:45)⇒花之江河(08:56)⇒投石平(10:04)⇒宮之浦岳山頂(12:30)⇒休憩(14:13)⇒新高塚小屋(16:40) 宿泊 (-.-)Zzz

 ≪My山行Memo≫

 早朝4時30分に民宿「つわんこ」の奥さんに別れを告げ、予約をして於いたタクシーに乗り込む。まだ日の出前なので、周囲は暗くタクシーのライトが一丈の光りとなり全法を照らし進んで行く。そんな暗い道を40分もタクシーは走っただろうか。やがて淀川登山口へ到着した。ここは結構な広場になっており、トイレ、水場等が設置されている。ここでトイレを済ませ民宿の奥さんが造ってくれた朝食弁当を食べしっかりと腹ごしらえをする。そしてダブルストックの長さを調整し、手袋、バンダナを装着して、山自宅を済ませ、ほっぺたをバシッと両手で叩き、イザ、宮之浦岳山頂目指し出発だ。 エイエイオー  (^o^)

 広場の西側からモミ、屋久杉、スゲ等々の巨木が生える樹林帯の木段が続く登山道を和美を先頭にし、まだ身体が、半分眠っているような状態なので、ゆっくりと歩を進め行く。するとそんな私達をまるで「気をつけて行ってらっしゃいね。」とばかりウグイスが「ホーホケキョ、ケキョケキョホーホケキョ」と見事なる美声で見送ってくれた。こんなウグチャンの美声で贈られたら、元気一杯で、宮之浦山頂目指し行かねばナラネーヤー。

 登山道は木段、木道等が、良く整備されており、こんな箇所にもユネスコ世界遺産の山と言うことが分かる。それにしても密林地帯というか。亜熱帯地方のジャングルの中を歩いているようだ。この屋久島は一念を通して雨が多い所だけに樹木が急生長し繁茂するのであろう。狭い登山道をup-and-downを繰り返し、徐々に高度を増し登って行く。樹林帯だけに余り風通しも良くなくそれだけにもう、背中は汗でビッショリと濡れている。すると「ヒーンカラカラ、ヒーンカラカラ」とコマドリの澄んだ声が聞こえてきた。コマドリの声を聞くのは実に久しぶりのことだ。このコマドリの声を聞くと辛い登も癒され元気が出てくる。くと下を見ると葵ミツバツツジの花びらが、盛りを過ぎ落ちていた。

 淀川登山口から歩いて約、40分要約、定員40人の淀川小屋へ到着した。ここには既に先客3人ののHikerが休息を取っていた。私達もこれからの本格的な急登に備え水分補給し暫し栄気を養う。。そしてやや広めになった登山道を進んで行く。やがて淀川にかかった鉄橋を渡る。眼下を見下ろせば淀川の清流が、勢いよく流れている。ここでハイポーズと写真をパチリ  (^_^)

 そんな鉄橋を渡り進んで行くと斜度は増し、急登となる。ダブルストックに力を込め一歩一歩登って行く。やがてジグザクの登山道となりいくらか傾斜は緩んできた。ここで1回目の休憩を採ることとした。何しろ今日の行程は時間が長いので、休憩もそこそこにまた、ザックを背負い出発だ。そしてviewpointの地点に到達する。本筋の登山道からやや離れた所が一枚岩の花崗岩になっており、ここからの展望は抜群で、山の名前は分からないが、山々が連なり見える。そんな展望を長めまた、一歩、一歩歩いて行く。何度となくup-and-downを繰り返し行くとやがて淀川源流の古花之江河湿原地帯に到着した。ここはこれから行く花之江河ほどのスケールはないが、屋久杉の古木が水面に映えて美しい所だ。木道を渡りまた、木段を何度か登って、小丘を登潅木帯を行くとやがて、山上の庭園を思わせる花之江河に到着した。この真ん中に祠が有り、各、登山ルートの分岐点になっている。正面に湿原越しに栗生岳を長めながら木道を歩く。安房歩道分岐から花之江河の北川に出る。そして浸食の激しい登山道を辿る。木道で石楠花の群落を抜けると小さな峠になっている栗生岳分岐に出る。栗生岳の東山腹を進み安房沢南源流に広がる投石(なげいし)湿原に到る。ここからは威風堂々たる宮之浦岳、永田岳が眺められる。ここから巨大な一枚岩の花崗岩に取り付けられた鎖をしっかりと握り登って行く。

 やがて眺望抜群の投石平に淘汰すする。ここには屋久島花崗岩が風化して出来た小さなキラキラと光る白い結晶が、大きな物は角砂糖大でそれが砂礫の中に見える。ここで小休止を採り写真でパチリ、すると山岳Guideを先頭にして、中高年の女性7人のPartyが、ガヤガヤと大声を出しながら登ってきた。そしてここからの登が超ハードとなり、途中の草地の登山道で、腹ぺこになったためお互いオニギリを食べ活を入れる。そしていよいよ宮之浦岳山頂目指し、右手にげんこつ岩を眺め栗生岳のピークを過ぎジグザク道を歩き、木道を上り岩場を登るとやがてstartしてから7時間、12時30分、九州最高峰、日本最南端の百名山「宮之浦岳(1936m)」へ到達した。ヤッタヤッタヤッタゼ・・・!!!   \(^O^)/
 
 この宮之浦岳山頂からの眺望は、一等三角点だけに実に素晴らしい。四顧を見渡せば屋久島三岳の二岳、永田岳 (1,886 m)、黒味岳 (1,831 m)の堂々たる山容が見える。1,000万年以上前に地殻変動によって隆起したといわれており、主に花崗岩で形成されているそんな山々だ。そして薄青く大海原も見え、当に天地創造たる神秘なる山だ。 合掌

 しかし、そんなRomanticな思いをよそに既に台風の影響であろうか。風がかなり強く吹いてきて実に寒い。早く下山しなければ雨が降ってきそうな空模様だ。それで先ずはともあれ昼食Thymeを採り残りのオニギリをお茶で口に流し込む。そして下山開始となった。永田岳を正面に見て、岩稜から痩せ方の原に出る。木道木段を下ると三叉路と言われる。永田岳の分岐に出る。宮之浦河の源流を下に見て、長い尾根道を辿りやがて白石平展望台へ到着する。そして木の根や石がゴロゴロとした実に歩きにくい登山道を下って行く。ここら辺りは、屋久島シャクナゲが、とても綺麗に咲いている。そんな潅木帯の中に、小さな愛嬌の良い屋久鹿が、草を噛む姿が見える。

 更に下って行くと下から中年の女性が、一人登ってきたではないか。聞いてみると新高塚小屋に荷物を置いて、これから宮之浦岳へ行くとのことだ。何と時刻は3時だ。マア、自信があるのだろうから、私達は暗くならないうちに新高塚小屋へ到着すべく更に歩を進める。そしてもう、ヘロヘロになった頃、和美が「新高塚小屋へ着いたよ。」と前から声がかかる。(4時40分到着) 「ハー、ヘー、タスカッタ。これで歩くことはもう今日はオシマイや。」とホッと安堵の胸を撫で下ろす。小屋に入ると投石平で、合ったGuideと中高年の女性7人のGroupが、小屋の真ん中に陣取り、これまたガヤガヤと大声で話している。

 私達は小屋の片隅に席を取り、私は着替えを済ませ購入した焼酎「三岳」の水割りをチビチビ飲む。一方、和美はガスバーナーに点火し、夕食を造っている。夕食と言っても粗末なもので、お湯で温めれば良いという五目飯だ。そんな夕食を採っていたら、宮之浦岳へ登った中年女性が、無事に帰ってきたので、和美とその女性で話が弾みおしゃべりに余念が無い。屋外では台風6号の影響で、雨と風が強く明日の下山が思いやられる。

 そして夕食を採り、焼酎を飲みすっかり良い気持になったので、疲れも手伝ってか。早々に寝袋に入り爆睡モードに突入した。 (-.-)Zzz


5月12日(火)

 新高塚小屋(05:30)⇒高塚小屋(07:00)⇒縄文杉(09:00ン)⇒大王杉(10:00)⇒ウィルソン株(11:00)⇒大株歩道入口(12:00)⇒楠川分れ(12:30)⇒小杉谷集落跡(12:50)⇒荒川登山口(13:20)=タクシー⇒「縄文の宿・まんてん」 宿泊  (-.-)Zzz


 ≪My山行Memo≫

 早朝、3時になると7人の女性グループが、起き出してきて、ガサゴソと朝食の仕度、を始めている。その音で私達も寝ていられず起き出し、朝食の仕度をする。先ずはmorning CoffeeをInstantであるが飲む。しかし、都会ではInstantのCoffeeは、余り美味くないのだが、山で飲むInstant Coffeeは、実に美味く胃の腑に染み渡る。そしてカップヌードルを朝食に食べる。すると女性グループの一段が、どうやら出発をするようだ。まだ3時30分だから、周囲は真っ暗闇でそれぞれヘッドランプを装着しGuideを先頭に出発して行った。しかし、後1時間30分もすれば日の出となり明るくなるから行動も楽なのにそんなに早く下山する必要が、あるのかと疑問に思ったが、Guideの指示によりすることだから、考えが合ってする行動であろう。

 隣の女性もその中高年の女性Groupの後から下山して行き、結局、山小屋に残ったのは、私達2人だけとなった。トイレに行くため小屋から出てみると雨風共に強くこれからの下山が思いやられる。やがて時間は5時を過ぎ幾分明るくなってきたので、私達もザックの梱包を済ませしっかりと雨具を装着し下山することとなった。小屋を出てみるといきなり強風が吹き付け、雨が横殴りに降り、そのため、思わず身体が蹌踉けてしまった。

 そんな悪天候の中、ゆっくりと一歩、一歩木の根を避けたり、石の段差をダブルストックを突き下山して行く。これから私にとって山行中一番苦手な急下降の長い下山が始まると思うとそれだけでもう、憂鬱になってしまう。和美が要所、要所その都度声を出し、注意をするのであるが、指示通りに歩くことが出来ず時たま転倒し、ウンザリとしてしまう。当に過酷なる雨中山行だ。それでも時間はかかったが、定員20名の高塚小屋へ到着した。ここには既に何名かHikerが、休息を採っていた。その高塚小屋の前で、私の前を屋久鹿が「オジチャン。何か食べ物は持っていないの。合ったらチョウダイマセマセ。」と本当に私と鹿ちゃんとの目が合い思わず頭を撫でてやりたくなった。きっと山小屋だから、ここに来たら人間が何か食べ物をくれるだろうと鹿ちゃんの長年の処世術が身に備わっているのだろうか。

 そんな可愛い屋久鹿ちゃんと出会い更に強風と豪雨の中を更に下山して行く。長い木段を滑らないように慎重に降りて行く。そして更に木の根が張り、岩がゴロゴロとした悪場をヘロヘロしながら降りて行く。バランスを崩してしまうと「ハイソレマデヨ。」とばかりに谷底へ転落してしまうから、もう、緊張の連続だ。ここで岩を避け歩いていたら、何と先に出たGuideとその中高年の女性団体の一員が、降りてくるではないか。Guideに女性が負ぶさって、その後ろにGroupの女性Readerの3人が山してくる。きっと女性が下山中に転倒するかして、葦を骨折したのであろうか。イヤー、Guideを伴っての山行で本当に良かった。、そんなご一行を見送り、そしてヨロヨロしながらもお目当ての「縄文杉」の場所へ到着した。この縄文杉は、推定樹齢は7200年、世界最古の植物ともいわれていますが、あくまで推定樹齢ですので、確かなことはわからない。現在、縄文杉は一般の人の手には触れることができない。というのも、木の廻りを皆伐されたため、多量の雨と強風により土が流され根が露出し、さらには登山者が根を踏みつけるという状況が縄文杉を倒壊の危機に直面させていたからです。現在は、木の15mほど手前に設けられた高台から望めるようになっている。そんな縄文杉の高台から、縄文杉に向かって、合掌し縄文杉の気を貰うため「般若心経」を唱える。・・・!!! 合掌
「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時」・・・!!!

 そんな縄文杉に別れを告げ、その下の水場で、思う存分水を飲む。「イヤー、ウンメイ、当に水の宝庫たる屋久島の水だ。」実に渇いた喉を潤してくれる。命の水だ。そんな名水を飲んだので、元気を取り戻し、木段、木道、沢場等々を通過し、巨木が睦まじく寄り添う娚杉に到る。そして更に左にその傍までは行くことが出来ないが、大王杉が見える。急な木段を下り、やがて巨大なウィルソン株の屋久杉に出る。この中にすだま神社が祀られ清水が湧いている。更に大株歩道を下り、そしてやっと出ました。大株歩道入口だ。ここで山歩きはオシマイだ。「フー、ヤレヤレヤレサ。・ツカレタベー」 (..;)

 曾ては屋久島杉をトロッコで、運んでおり、その軌道が長く延び荒川登山口まで続いている。風は大したことが無いが、雨は止むこと無く強く降っている。それでも平坦な所を歩くので全く気にはならない。一休みしてその軌道の大株歩道を右に安房かわを長めながら、猛スピードで歩いて行く。1時間余り歩いて行くと楠川分れに到る。、そして更にある行くと小杉谷集落跡の石垣が左に見え、更に軌道を歩くすると左側に東屋が見えたのでここで小休止をする。するとGuideに背おられたケガをした女性、女性Readerの3人組がやって来て小休止をする。その女性Readerに和美が聞いてみたら、何でも下山中に女性が転倒し岩に膝を強打したため立ち上がることが出来ず、Guideに背折られての下山となったとのことだ。それを聞きそのAccidentが、私でなかったことを山ノ神に感謝した。

 一休みして、更に軌道上を歩いて行く。すると今までと違い軌道上には雨水がたまっており、その雨水の中をもう、ジャブジャブと靴の中には当然水がたまってズボズボと音を立てながら歩いて行く。そして安房川に架かる橋に出た。ジャーーン、その橋はつかまる手すりも無く、左右の足巾だけしか、板がなく、後は空間になっている。そんな眼下を見ればかなり下に安房川の白く飛沫を立てて急流が渦巻いている。イヤー、もう、バランスを崩したらここでも「ハイソレマデヨ。」と真っ逆さまに転落をしてしまう。誠に緊張する橋の歩きだ。そんな怖い橋の歩きが実に5箇所ぐらい続いている。

 そんなスリル満点の軌道歩行もやがて、、終わりとなり荒川登山口へ13時20分、無事到着したのであった。  「フー、ヤレヤレ、終わったか。」 (^^)
そんな登山のfinaleを天の神が祝福するかの如く、雨もすっかり上がり、強い陽射しが照り付け快晴になった。ここでビショ濡れになった衣服を着替え、タクシーに乗り込み、今日のお宿縄文の宿「まんてん」へ行く。その「まんてん」では部屋一杯に濡れた物をつり下げ、それから浴室へ行く。大浴槽に掛け流しの温泉が蕩蕩と溢れるばかり満ちており、その温泉にザッブーンと浸かる。「イヤー、ウーーン、ゴキゲンデッセ。山歩きで疲れたからだが、ほぐれていきそんな良い温泉だ。」大浴槽、露天風呂、サウナ、ミストサウナ等々とそれぞれ一浴し、部屋に戻る。

 温泉で良い気持となり、更に缶ビールを飲み、もう、すっかりと良い気持で部屋のベッドでウトウトしていたら「丁度、時間となりました。ハイ、夕食Thymeデッセ。」
 それで食事処に行きテーブルに並んだ刺身、前菜、鍋物、天麩羅、山菜の各種、トビウオの薩摩揚げ等々と色とりどりのお料理、イヤー、やはり、民宿のお料理とは、一段も二段も上野豪華なるお料理だ。そんなお料理を食べながら生ビールをお互い飲む。「イヤー、今までの生ビールの中で、一番美味しい生ビールだ。  (^_^)

 」この二日間宮之浦岳山行で、ヘロヘロになって歩いた後のご褒美このお料理と生ビール、この味は生涯忘れないであろう。それにしてもこの日本最南端の百名山、宮之浦岳登山、実に変化に富んだ山行であった。全く良く歩いたものだ。改めてお互い無事に下山した喜びをハイボールのグラスをカッチと合わせ祝杯を挙げたのだった。

 \(^O^)/   (^o^)


 5月13日(水)

 《行 程》

 「縄文の宿・まんてん」(09:20発)=ニッサンRent-a-car⇒大川の滝(10:53)⇒フルーツガーデン(11:20)⇒千尋の滝(せんぴろのたき)(12:40)⇒龍神の瀧(12:58)⇒「なからせ・昼食休憩」(13:15)⇒屋久島空港JAC(日本エアーコミュニケーター)(15:50発)=airplane・35分⇒鹿児島空港(17:30発)=airplane⇒羽田空港(19:10着・19:20発)=リムジンバス⇒吉祥寺(19:、50)

 ≪My山行Memo≫

 早朝、温泉に一浴し、Viking料理である朝食を済ませる。今日は鹿児島空港15時50分発まで、屋久島島内観光だ。9時30分にRent-a-carに乗り込み先ずは大川の滝へ行く。島内の空いている道路を快適に走る。やがて40分も走っただろうか。第1目的地「大川の滝」へ到着した。大川の滝が落下する直ぐ傍まで行けるようになっており、そのゴーゴーと音を立てて、堂々と流れる大迫力の瀧に暫し見とれてしまった。

 大川の滝(おおこのたき)

 照葉樹林と粘板岩の崖を落ちる落差88mの滝で、日本の滝100選にも選ばれています。大きさ、水量ともに数ある屋久島の滝のなかでも最大級を誇ります。吹き上がるしぶきを浴びながら滝壺の真下まで近づけるので、滝のダイナミックさを感じることができるでしょう。 午後3時頃には滝にかかる虹が見れることもあり、屋久島の自然を感じる絶好の場所の一つです。近くには名水100選にも選ばれ、飲めば健康にいいと古くから言われている「大川湧水」も湧き出しています。

 そんな大川野瀧を見てから、今度はフルーツガーデンへ行く。園内に入ると先ずぽんかん・たんかん・パパイヤ等の南洋の珍しい小さく切った果物を出してくれる。このフルーツガーデンは、御年82才になる、ご主人が40年かけて丹誠に育てた言わば私立植物園で、それこそ各種珍しい南洋の植物が植栽されている。ご主人がそのフルーツガーデン内を一つ、一つの植物の名前を言いながら蘊蓄を傾説明する。

 そんなフルーツガーデンの見学を済ませ、今度は千尋の滝(せんぴろのたき)へと車を走らせる。この滝は結構山中に有り、車を左右にcurveさせながら山路を行く。

 千尋の滝(せんぴろのたき)

 senpironotaki屋久島本体の花崗岩を削って落ちる滝で落差は約60m。海から山へと急激に変化する屋久島のランドスケープの大パノラマを見ることができます。V字型になった巨大な花崗岩の中央を流れ落ちているため、滝が小さく見えるほどのスケールに圧倒されるでしょう。滝の左手に見える壁は200m×400mの花崗岩の一枚岩で、千人が手を広げたほどの大きさがあるということで、人が両手を広げた長さを「一尋」と呼ぶことから、千人分で「千尋の滝」と名付けられました。

 そんな千尋の滝を見学し、その滝の近くにある龍神の滝へ行く。この滝は千尋の滝よりスケールはやや劣るが、やはり、結構なる流れの滝である。そんな瀧見物をしてから安房へ行く道路沿いの「なからせ」と言う食堂へ立ち寄る。ここは現地屋久島の野菜を使用しての言わば田舎料理と言える素朴な定食だ。

 そんな昼食を済ませ途中の物産センターで、お土産を買い求めRent-a-carのガソリンを満タンにして、屋久島空港で、Rent-a-carを返却する。そして空港の待合室で、暫し休息を採り、やがて鹿児島空港JAC(日本エアーコミュニケーター)15時50分発の35人乗りの飛行機に乗り込む。この飛行機は低空飛行なので、飛行中、佐多岬、阿蘇山火口等の景色が間近に一望出来、それだけに和美はもう大満足で飛行機の小さな窓から外をくいいるように見ている。そんな飛行機も35分ぐらいであっという間に鹿児島空港へ到着した。今度は鹿児島空港から羽田空港17:30発の飛行機に乗り換えての空の旅だ。

 そんな飛行機は途中、かなり揺れたが、定時着より20分遅れて無事に羽田空港へ着陸した。それから羽田空港からリムジンバスに乗車し、吉祥寺駅へ8時前に無事到着したのであった。
 こうして5月10日から13日までの屋久島、宮之浦岳山行もお互い無事に終了することが出来たのだった。  (^o^)  (^_^)

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 〜〜≪オシマイ≫〜〜






    ≪屋久島・宮之浦岳参考資料≫


 宮之浦岳

 標高 1,936[1]m
所在地 日本の旗日本
鹿児島県熊毛郡屋久島町

宮之浦岳(みやのうらだけ)は、鹿児島県の屋久島中央部の山である。
標高1,936 m[1]で、屋久島の最高峰であり、九州地方の最高峰でもある。(九州本土の最高峰は大分県の九重連山・中岳で標高1,791m)
山域は、ユネスコの世界遺産「屋久島」として登録されている。

 概要

日本百名山、一等三角点百名山[2]の一つでもあり、西日本では、四国の愛媛県・石鎚山 (1,982 m)、徳島県・剣山 (1,955 m) に次いで、第3の高峰である。山名の由来は、益救神社の建つ湊の集落が宮之浦と呼ばれるようになり、宮之浦集落の山岳信仰(岳参り)の山として登られたことから。
鹿児島県熊毛郡屋久島町内にあり、永田岳 (1,886 m)、黒味岳 (1,831 m) とで、屋久島三岳と呼ばれる。1,000万年以上前に地殻変動によって隆起したといわれており、主に花崗岩で形成されている。
屋久島では、モッチョム岳・愛子岳など麓より見える山を「前岳」、麓より見えない山を「奥岳」と呼んでおり、宮之浦岳は奥岳の一峰で屋久島最高峰である。永田岳を除き、奥岳は海岸沿いの人里からはその姿を望むことができず、山の上か海上からしか見ることができない。

 地質は花崗岩からなり、山上では侵食された奇岩が多く見られる。植生は山頂部は風衝草原で、その下に屋久杉の多い樹林帯が広がる[3]。
長年、宮之浦岳の標高は「1,935 m」とされ、屋久島島内では「いつも(1)曇って(9)見えんで(3)ござる(5)」と覚えられてきたが、2001年に国土地理院が標高を測量した結果、それまで最高地点としていた三角点[2]より、南東へ約5.3m離れた岩盤の上が最高地点である事が判明した。これに伴い、同年12月から宮之浦岳の標高は「1,936 m」に改められる事となった。

 登山

 主な登山ルート

 屋久島では登山道を歩道と呼ぶ。よく歩かれているのが、縄文杉ルートと淀川ルートである。淀川ルートは健脚者なら日帰りも無理ではないが、その他のコースは山中の山小屋に泊まることになる。

縄文杉ルート(大株歩道):荒川登山口 - ウィルソン株 - 縄文杉 - 新高塚小屋 - 宮之       浦岳

淀川ルート:紀元杉 - 淀川小屋 - 花之江河 - 栗生岳 - 宮之浦岳
 楠川歩道:楠川 - 白谷雲水峡 - 縄文杉 - 宮之浦岳
 安房歩道:ヤクスギランド - 石塚小屋 - 花之江河 - 宮之浦岳
 永田歩道:永田 - 鹿之沢小屋 - 永田岳 - 宮之浦岳


 屋久島

 ひと月に35日の雨

 林芙美子が小説「浮雲」で月に35日雨の降るところと記しているように、屋久島は非常に多くの降雨のある地域です。これは暖かい黒潮の本流に囲まれ、なおかつ高い山の多い屋久島では、近海からの水蒸気が山の斜面を上昇して雲となり多量の雨を降らせるからです。1999年の全国主要観測地点154カ所の内、屋久島が最多の降雨量となり、年間降水量が*6294.5mmを記録。これは過去最多の6174.5mm(1954年三重県尾鷲)を抜く記録です。
季節的には春先から梅雨にかけての降雨は多く、 夏や秋は台風が来なければ比較的降雨量も少なくなっていますが、1mm以上の降水がある日数は低地で年間170日もあり、2日に1度は雨が降ることになります。
*屋久島山中になると1万mmを超すといわれています。

 世界一の一枚岩?

 屋久島は花崗岩で出来た島です。
約1400万年前までは屋久島は存在していませんでした。しかしこの頃、地下十数kmの深さでマグマがゆっくりと冷え固まってできた岩石(花崗岩)が少しずつ浮き上がって来て、屋久島が出来ました。花崗岩の上昇は現在も続いており、屋久島が誕生してから今日までの間にゆっくりと隆起した島は、九州で最高峰の山々を小さな島に造り上げました。
屋久島はその大部分が花崗岩で形成されており、千尋の滝に見る巨大な花崗岩(400m×200m)からも推測出来るように、世界一の一枚岩があるのでは?という説もあるようです。

 屋久島は、九州最南端の鹿児島県佐多岬から南へ約60kmの海上にある。周囲130km、形はほぼ円形の島。そこに九州最高峰の宮之浦岳(1936m)をはじめ1000m以上の山が45座並ぶ山岳島。別名「洋上のアルプス」とも呼ばれています。
海からそそり立つように浮かぶ島では、人の住むところが限られ島の西側を除く外周部に集落が点在。島の9割が山林で1割が平地になってます。

「世界遺産の島」

 屋久島全体が世界遺産と思われている方が意外と多く、島の20%が1993年に白神山地とともに日本の世界自然遺産に登録されました。

 登録の理由は

 亜熱帯から亜寒帯までの植物相の垂直分布が見られる。
日本および世界各地で失われつつある照葉樹林(しょうようじゅりん)が広範囲に残されている。日本固有のスギ(屋久杉)林がすぐれた生育地・景観として見られる。
以上が世界遺産登録基準を満たしています。

 屋久島の気候


 各月の最高気温・最低気温・降水量です。

 「木の芽流し」菜種梅雨
 春、照葉樹林(しょうようじゅりん)の鮮やかで色とりどりの若葉を呼び起こす雨のこ   と。1日1日と山の風景が変わってゆく様は一見の価値あり。
 「流し」梅雨
 平均すると5月末より7月中旬。
 梅雨の前半ヤクシマ石楠花の咲く季節。

 「台風シーズン」
 5月頃から台風の可能性あり。交通機関も台風ともなれば、欠航が相次ぐ。もし滞在期間中に台風上陸と重なれば、島からも出られなくなり、島の中で動くこともできない。ツアー当日に台風に当たるかは運まかせ。台風一過、雲一つない青空に豪雨に清められた島、最も美しいと思える時でもある。

「晴天多い」
10月・11月表をみるとこんないい言葉が・・・比較的に天気が安定している季節。しかし降水量を見ると降るときはしっかり降る。川遊びは次第に気合が必要になり、山歩きは涼しく快適な季節になる。
7月〜9月の降水量が10月11月とあまり変わらない。台風が来なければけっこういい天気が多い。

「積雪期」
12月頃から3月いっぱい。雪の量・時期は年にもよるが、毎年必ず積雪あり。縄文杉(1300m)で積雪1m〜2m、白谷雲水峡(600m)で積雪30cm〜50cmになる。
この時期は、道路凍結による通行止めがしばしばある。

各月の最低気温・最高気温は低地での気温です。山に登れば気温も下がります。100m上がるごとに0.6℃下がります。積雪期の縄文杉付近は、日中で1℃前後、風があったり、体が濡れていると体感温度はもっと寒く感じられることでしょう。

 屋久島の雨

「雨の島」屋久島

 屋久島が雨の多い島だというのはよく知られています。図は屋久島の年間降水量です。
人が暮らす外周部でも、皆さんの住む地域とは1.5倍〜2倍、3倍近い雨量ではないでしょうか。山岳部に入れば、とんでもない雨量だということがわかると思います。
ちなみに、となりの種子島の西之表まで離れると年間降水量は2400mm。
私の住む安房集落で4600mm、少し離れるだけでこの差となっています。
ここまで雨が多いのは?
島をとりまくのは黒潮の海、そこから生まれる水蒸気は島の山肌を昇り雲となり雨をもたらす。屋久島は大洋と大陸の気団にはさまれ前線がとどまるところ、この前線も島に雨をもたらす。さらにこのあたりは、台風の通り道でもあり、台風の来襲とともに雨をもたらす。これら3つが雨の多い理由になります。雨が多いのは確かですが、ずーっと雨というわけではございません。

 島の道/島内の移動手段

 屋久島の交通機関はバス、タクシーがあり、移動手段としてレンタカーがあります。
地図で屋久島を見ると歩いて回れそうな雰囲気がありますが屋久島はとても広いです。
島をくるっと回る1周道路は、およそ100km、車で3時間かかります。いろいろと観光ポイントを巡ると5〜6時間必要になります。自転車では1周10時間〜12時間と聞きました。

 屋久杉とは

 日本での杉の南限が屋久島です。その南限で一般に樹齢が300年ほどと言われている杉が、2000年、3000年もの長寿の杉になるのは、年間4,000mmから10,000mmもの多雨に恵まれている屋久島の特殊な自然環境と、屋久杉の樹脂の特性が起因しています。屋久島の土台は花崗岩で栄養分が少なく、杉の生長が他の地域に比べ遅くなります。すると、年輪の幅が緻密になり材は硬くなります。そうなることで樹脂道に普通の杉の約6倍ともいわれる樹脂がたまります。この樹脂には防腐・抗菌・防虫効果があるため、屋久杉は長い年月の間不朽せずに生き続けられるのです。また、硬質・防腐・抗菌・防虫などの特性をもつ屋久杉は古くから珍重され、屋久杉の平木がそのまま通貨になった時代もありました。

 通称、樹齢1000年以上の杉だけを屋久杉と言い、1000年以下を小杉、植林の杉を地杉と区別しています。その屋久杉は、標高にして600m以上から1300mくらいの所に多く自生し、1200m前後に巨大杉が多く見られます。


縄文杉

 1966年5月、上屋久町小杉谷の標高1300メートル地点で、樹高30m、根廻り43mの縄文杉が発見されました。発見された当時は、発見者(岩川さん)の名前をとって大岩杉と呼ばれていましたが、取材した新聞記者が縄文土器の火焔土器に似ているということからこの名前を付けたと言われています。
推定樹齢は7200年、世界最古の植物ともいわれていますが、あくまで推定樹齢ですので、確かなことはわかりません。

 現在、縄文杉は一般の人の手には触れることができません。というのも、木の廻りを皆伐されたため、多量の雨と強風により土が流され根が露出し、さらには登山者が根を踏みつけるという状況が縄文杉を倒壊の危機に直面させていたからです。現在は、木の15mほど手前に設けられた高台から望めるようになっています。

縄文杉の樹齢の謎?

 1966年に見つかった縄文杉(大岩杉)の樹齢は、当初は発見者岩川さんの推定で6900年とされていました。その後1976年に九州大学助教授真鍋さんは、多くの杉の幹の生長と気象との関係から7200年と推定しました。しかし、この樹齢にいくつかの疑問の声があがりました。

その一つとして、1984年環境庁が屋久島の地質を調べた結果、6300年前の火砕流の跡が見つかったことで、屋久島の北西50kmにあった硫黄島付近で火山の爆発が起こり、火砕流が海を渡って屋久島を直撃したという説が出てきたのです。その時、高熱によって、屋久島の植物も全て消え、縄文杉も被害を受けていただろうと発表しました。そうすると、縄文杉の樹齢は6300年では?と考えることが出来ますが、他の地質調査から、火砕流の被害を受けてから杉が発芽するためにある程度の時間を要した(1000年くらい)と考えられています。そうなると、縄文杉の樹齢は6300年よりもさらに若いということになります。

林野庁の調査により学習院大学教授木越さんが科学的な方法で縄文杉の樹齢を割り出しました。放射性炭素を使った測定法(炭素14編年)で、木の中に含まれている炭素14という原子の数を測定すると、毎分15個ずつ減っていくことがわかっています。これを利用し、縄文杉の木片の炭素14の数を調べるとより正確な樹齢が分かるというものです。結果、1920プラスマイナス150年前後、つまり多くても2170年になりました。しかし、縄文杉に限らず屋久杉は、中が空洞になっており、内部を腐らせて栄養を必要な部分に集めるため、一番古いところのサンプルが存在しません。つまりこの実験でも正確な樹齢は割り出せませんでした。

 また、樹齢の割に樹高が低いことから若い木(2000年程度)が2本融合して、現在の縄文杉になったのではないか?という説もでました。しかし、これも、鹿児島大学農学部助教授林さんのパーオキシダーゼ・アイソザイム分析の結果、縄文杉は一つの木であるということが証明されています。

様々な調査の結果、縄文杉は、硫黄島付近の噴火の際に倒れた前代の縄文杉の上に立った2代目の杉であるのでは?と考えられ、被害をうけてから1000年近くは杉が生長することが出来なかっただろうという推測の元、推定樹齢4000年から多くても5000年ではないかとされています。しかし、はっきりとした樹齢を示す説がない以上、7200年も間違いではないのかもしれません。


・ウィルソン株

 樹齢3000年、根廻り32m、胸高直径4.39m古株の中は空洞になっていて、小川が流れて広さは10畳ほどの大きさです。1586年(天正5年)牧村の五郎七が足場を組、豊臣秀吉の命令により京都の方向寺建立の為に切ったとされています。
米国のウイルソン博士によって世界に知らされたのでこの名がついています。
--トロッコ廃線後から「縄文杉」へ登る途中、「翁杉」を過ぎて10分程の場所にある。
ウィルソン株の中から上を見上げる

大王杉 

 夫婦杉
daio1根廻り43m、樹高24.7m、樹齢3000年、胸高直径3.53m、縄文杉が見つかるまで、屋久島でもっとも巨樹として君臨していた。
 
 meoto1樹齢2000年、どちらか一方から出た脇枝が相手の幹に喰い込まれて、手をつないだ姿をしているのでこの名前がついています。

紀元杉
 
kigen樹齢2000年、樹高19.5m、胸高直径2.58m。ヤマグルマやヒノキなどの着生樹が多いのが特徴。


 弥生杉

 yayoi1 白谷雲水峡の広場から約20分、標高710mにある、上屋久町の中では最も人が訪れる屋久杉です。推定樹齢3000年、胸高周囲8.1m、樹高26m。ナナカマド、サクラツツジなどの着生植物が見られます。現在、弥生杉の根を踏まないようにスギ材を用いて歩道を整備していています。


 屋久鹿、屋久猿

 屋久島に生息する鹿や猿は、日本鹿や日本猿の亜種で一般的な大きさよりも少し小型です。
屋久島ではよく「ヒト二万、サル二万、シカ二万」といわれ、多くの猿と鹿が生息しているように思えますが、実際には鹿は推定3000頭、猿は80から120群いるとされ全体で2500から3000頭と推定されています。

 ウミガメの産卵

 豊かな森から流れ出る水には栄養分がたっぷりと含まれ、その栄養分によって海藻やプランクトンが育ち、更にそれが様々な魚介類の餌となって、屋久島の豊かな海を作りあげています。
 屋久島ではイルカやウミガメの姿もよく見られ、ウミガメは5月〜8月にかけて産卵のために上陸します。特に、減少しつつある*アカウミガメの上陸頭数は日本一で、日本における総上陸数の3分の1が屋久島に上陸しています。
 黒潮にのって産卵のために毎年多くのウミガメが上屋久町永田の前浜と田舎浜、屋久町栗生の栗生浜とさごし浜などにやってきます。しかし10年前には約600頭訪れていたアカウミガメも近年は東南アジアでの定置網にひっかかってしまうため200頭ほどしかやって来ていません。

 産卵は、約20分ほどでピンポン玉ほどの卵を50〜150個ほど産み落とし、それから2ヶ月ほどで卵が孵ります。生まれたウミガメは海面に反射した月明かりを目指して海へ帰り、また成長して生まれた浜に戻ってくる習性をもっています。

*アオウミガメも訪れますが、屋久島が北限のため数頭しか訪れません。

 白谷雲水峡

 白谷雲水峡は標高800メートル、面積424ヘクタール、白谷川のきれいな水をはじめ、屋久島の魅力である照葉樹林や屋久杉など原生林を容易に鑑賞できます。またハイキングなど気軽に訪れる最適の森林レクリエーション地区で、苔の森と花崗岩の渓流が美しい森林フィールドです。

 宮之浦から12キロ、車で30分、休養林内30分、60分、2時間30分の原生林鑑賞コースがあります。
また、映画もののけ姫のししがみの住む森のモデルとしても使われました。

ひりゅうコース:(30分 1.7km)
 弥生杉コース:(60分 2km)
 原生林コース:(2時間30分 4.8km)
楠川歩道コース:(登山道)

 ヤクスギランド

 ヤクスギランド(正式名、屋久島自然休養林)は安房から16キロメートル地点の標高1000〜1300メートルの間にあり、樹齢数千年の屋久杉を含む屋久島の原生林を容易に鑑賞できる地域。面積は270.33ヘクタール。解説板、遊歩道が整っていて手軽に屋久杉鑑賞が出来る。(上級者コースはしっかりとした装備が必要)
この中には歩道9キロメートル(30分コースから150分コースまでの4つのコースがあります)吊り橋
3カ所、ベンチ、展望台等の施設があり、仏陀杉などの大木や試し切り跡等を見ながら森林浴が楽しめます。
ヤクスギランド内の主な屋久杉

名称 胸高周囲 樹高 推定樹齢
   紀元杉 8.1m 19.5m 3000年
   母子杉(母) 9.0m 31.1m 2600年
   母子杉(子) 6.3m 29.5m 2600年
   小田杉 8.2m 28.6m 2500年
   仏陀杉 8.0m 21.5m 1800年
   天柱杉 8.2m 33.8m 1500年
   三根杉 9.3m 26.1m 1100年
   料金 300円
   宮之浦から車で約1時間、安房から車で30分程度


 平内海中温泉

 屋久島には露天風呂、うち風呂合わせて6カ所の温泉がありますが、その中でも海岸にあり干潮時4〜5時間以内しか入浴できないというユニークな温泉が平内海中温泉です。
島の人は、干渉時をしっかり把握しているので、入浴ができるころになると湯船に人が増えていきます。脱衣所はなく、共同浴場という性質から水着や下着での入浴は厳禁です。
バスタオル等の用意が必要です。
休み?? なあ なし なし
料金? ・志


 志戸子(しとこ)ガジュマル園

 kajyumaru2 ガジュマルは屋久島、種子島を北限とするイチジクの仲間(クワ科の植物)で、島内の沿岸部では至る所で見られますが、その中でも志戸子はもっとも規模の大きな密生地です。元々、防風林として守られてきたガジュマルは枝から垂れ下がっている気根と呼ばれる根を持ち、他の植物に着生します。着生された木はガジュマルの気根に締め付けられ、枯れてしまいますが、ガジュマルは気根で自分自身を支え、更に枝の至る所から気根を出して四方八方に生長していきます。

 ガジュマル園には、樹齢200〜300年と推定されるガジュマルを中心に、クワズイモをはじめ、ヒトツバ、オオタニワタリなどの林床植物も見ることができます。公園内は遊歩道も整備されています。

宮之浦港から永田行バス10分志戸子ガジュマル園入口下車徒歩5分
車では、宮之浦から永田方面(屋久島灯台方面)に向かって10〜20分

 永田いなか浜

 屋久島の北西にある永田いなか浜は,沖合に浮かぶ口永良部島を背景に美しい夕日がみられる場所で、花崗岩が風化したとても美しい砂浜す。島内ではもっとも大きな浜で、世界有数のアカウミガメとアオウミガメの産卵地域としても有名です。中でもアカウミガメの上陸頭数は日本一で、日本における総上陸数の3分の1が屋久島に上陸しています。

 産卵のピークは、6月中旬〜7月中旬。産卵時のカメは人の気配やライトを嫌います。なお、周辺のキャンプはも禁止されています。

 屋久島空港から車で45分、
 宮之浦港から車で30分、
 路線バス:いなか浜停留所下車徒歩0分

 ウミガメ観察会

 観察期間
 5月15日〜7月30日
 観察時間
 20時30分〜23時
 料金
 協力金として500円


 屋久島の特産物

 屋久島の特産物は主に屋久杉を使った工芸品から、フルーツはたんかん、ポンカン、魚は水揚げが日本一のトビウオ、それから鯖節、肉は鹿肉、お酒は焼酎。と、魅力ある特産物が豊富です。

 屋久杉工芸品

 木材としてとても優れた特性を持つことから、江戸時代の年貢として、また高度成長期に日本全国の住宅の木材としてその大半を伐採された屋久杉は、島民の危機を叫ぶ声もあり、現在世界遺産地域として保護されています。伐採される木は人工的に植えられた人工林で、保護されているはずの天然の屋久杉を使った工芸品は、伐採したものを使うのではなく土埋木とよばれる以前に切り取られた木を使用しています。屋久杉は、他の杉に比べ生長が遅く年輪の間隔が狭いため、たの杉よりも6倍もの樹脂がたまります。これによって防腐効果に優れており、たとえ、数百年前に伐採されたものでも、工芸品として十分に使えるものがほとんどです。

 海の幸

 サバや水揚げが日本一のトビウオやが有名です。鯖は鯖節が有名で、鰹節のように堅くはなく、酒の肴としても最適です。またトビウオの薫製は一尾500円程度で島の至る所で購入できます。

 ぽんかん・たんかん

 ぽんたんは屋久島が発祥です。たんかんは、ぽんかんとネーブルをかけあわせた果実で、ぽんかんは12月、たんかんは2〜3月が最盛期を迎えます。
これらぽんかんやたんかんを加工した特産物(お土産)は多く、ぽんかんブッセ、ぽんかんパイまんじゅう、たんかんジュース、ジャムなどがあります。

 焼酎

 焼酎三岳(山岳とは、宮之浦岳、永田岳、黒味岳のことです)
 飲みやすく、後味がすっきりしているのが特長です。

 ミネラルウォーター縄文水
 クセがなくまろみがある硬度10の超軟水です。焼酎の水割りやお茶にも最適です。

 屋久島・四季の味

春、(3月から5月)
   トビウオ、カツオ、トコブシ、新茶、わらび、ぜんまい、つわぶき、たけのこ、び   わ、パイン、パパイヤ、レイシ、ヤマイモ、ラッキョウなど

夏、(6月から8月)
   シビ、サワラ、ウナギ、トコブシ、からいも、ほうとう、パッションフル−ツ、パ   パイヤ、マンゴー、バナナ、レイシなど

秋、(9月から11月)
   イセエビ、アサヒガニ、サバ、ブリ、ミズイカ、えんどう、ポンカン、バナナ、パ   パイヤ、パインなど

冬、(12月から2月)
   アサヒガニ、ミズイカ、サバ、しいたけ、たけのこ、わらび、ぜんまい、つぶわき、   さとうきび、ばれいしょ、タンカン、ポンカン、パパイヤ、黒糖、黒糖アメ、新茶   など。


 年間行事

 一月七日・・・鬼火たき
五月と九月・・・岳参り
旧五月二十五日・・・如竹踊り
七月最終土曜・・・屋久島夏祭り
八月十五日・・・十五夜綱引き


 観光データ

 観光入り込みの動向
 世界遺産に登録後、屋久島への観光客は増加し、昭和63年の63516人から平成12年は155261人にまで増加しました。

 縄文杉への登山者

 旅行者の増加に伴い、縄文杉への登山を行う人が増え続けています。

 屋久島は本島に比べるとちいさな島ですが、毎年多くの遭難者が出ています。というのも屋久島には九州最高峰の宮之浦岳や多くの険しい山々がつらなっています。山中には崖や滝なども多くあり、十分な覚悟と準備が必要です。登山前には必ず登山届けを提出しましょう。         
登山届けは、屋久島警察署、観光協会、民宿、屋久島環境文化村センターなどにあります。

避難小屋の収容人員 近年遭難者数

白谷小屋  40人
高塚小屋  20人
新高塚小屋 40人
鹿之沢小屋 20人
淀川小屋  40人
石塚小屋  20人