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紅葉の栗駒山と温泉の山旅日記  



 山行日   10月9日(土)・10日(日)・11日(月)
 山行先   栗駒山(山域 東北) 湯浜温泉(ゆばまおんせん)
       須川温泉
 天 候   3日間共に晴天


【行程】

10/8(金)

池袋駅西口(夜行高速バス11:00)

【山旅日記】

 10月8日の夜、10時30分に待ち合わせ場所の池袋駅に向かう。途中新
宿駅に着くと駅のアナウンスがあって「只今、池袋駅山手線ホームにて、人身
事故が発生しましたので、 山手線は発車を見合わせています。」 と言ってい
る。時間は今、10時、集合時間までには30分はあるが、果たしてみんな無
事に集まれるだろうかと心配になる。私達は急いで埼京線のホームに向かう。
こちらは事故の影響はないが、かなりの混雑ぶりである。それでも順調に10
時10分に池袋駅南口に到着する。まだ誰も来ていない。いつも私達が遅いの
だが今日は虫の知らせか早く家を出たのが良かった。 しかし、 時計は10時
25分を廻っても誰も来ない。そうこうしていると東上線で事故には関係のな
いMKさんがにこにこしながらやってきた。去年の八甲田山から1年ぶりの再
会だ。いつもながら年に似合わず可愛い声を出して話をしている。やがて続々
とみんな到着したが、一人NSさんがまだ来ていない。10時50分になるの
で皆はバス停にと向かう。

 私は彼を待ってポツンと柱によりかかり、暫し待っているとやがてNSさん
が訳の分からないことを言って現れた。何でも出張があってこの日は帰宅して
いると集合時間に間に合わないので、予め池袋駅のロッカーにザック、登山靴
一式を入れて置いたのだが、ロッカーが4日間の期間のタイムアウトになって
しまって、装備一式をかたづけられてしまったとか。そこでみんなとは行けな
いから、明日追いつくとのことで、一人置いてバスは深夜の池袋を出発して、
一路秋の装いの一ノ関駅にと向かった。

10/09

行 程

一ノ関(4:51着・6:00発)ー小牛田乗り換え→古河(7:02着・バス7:05発)→築館町(つきだてちょう)(7:36着・バス8:10発)→花山→温湯(ぬるゆ)(8:50着)コレヨリ徒歩 白糸の滝(10:30)→林道(11:30)→湯浜温泉(ゆばまおんせん)(14:40) 宿泊 (-.-)Zzz

【山旅日記】

 昨日の思わぬアクシデントがあったが、バスは無事に早朝の一ノ関駅前に到着した。しかし、いつも思うのであるが、夜行高速バスは本当に便利である。寝ているうちに目的の駅に早朝着くくし、その日が一日無駄なく活用できておまけに交通費も安いので、利用価値が高い。

 駅の待合い室で朝食を取り何度か電車、バスト乗り継いでようやく徒歩地点の温湯に到着した。天気は上々で暑いくらいである。細い車道を10分ほど歩いて、左にかかった吊り橋を渡るとようやく土の道となってここから登山道の開始である。しばらくは渓流に沿って緩やかな登山道をのんびりと歩いていく。今日は湯浜温泉に行くだけなのでキツイ登りもなくハイキングの気分で風景を楽しみながら一列縦隊になって進んでいく。ここら当たりはまだ紅葉には些か早いようで色も余り良くない。今年は何時までも暑かったので紅葉のテンポも遅いのであろう。

 樹林帯の道を抜けるとやや広い場所に到着した。囂々と水の音がして、見上げると高さ40メートルもあるであろうか、本当に細い白い糸を引くような綺麗な流れの白糸の滝に到着した。ここで一本立てて休憩を取る。ここら当たりまでは一般の観光客も訪れるので、賑やかな華やいだ若い女性達の声がして、思わずIさんの耳がピクピクと動く。おまけに顔も心なしか緩んでいる。ソリャア、そうであろう。このご一行さんにも女性がいるが、 古娘 (ふるいむすめ)の感は免れないから無理もないか。オット、コリャア、ここだけの話でこれがばれたらセクハラもんでどうなるか分からないから、 内緒にして置いてね。

 そんな陽イオンの高い滝を後にして、再び緩やかな道を歩き始める。そんなに登りがきつくなく、朝も早いためか、陽射しも適当に温かいので眠気がさしてくる。しばらく静かな登山道を進むとやがて広い林道に到着した。ここで昼食の大休憩をとることにした。本来ならばここから道は河原沿いに行くのであるが、少し前の大雨で橋が流されたために今回はやむなく舗装された国道を歩いて湯浜温泉に行くことになった。マア、徒渉しても川は水量もなく、川幅も狭いので何でもないであろうが、通行禁止の立て札が出ているので無理をして何かあったらいけないので、素直に単調な国道歩きの方を選んだ。YNさんは一寸不満そうであったが、我慢をしてもらうことにした。安心したのかHGさんの手が何やら魔法の瓶に伸びてチビチビとおいしそうにジュースを飲んでいる。

 午後になるとさすがに10月上旬の東北は、風も冷たく単調な国道歩きは足底がビンビンと痛くなって堪える。右は切り立ったような谷が深く見へ、左はコンクリートで固めた高い斜面の道をそれぞれのテンポで湯浜温泉を目指して歩く。やがて道路工事の現場にさしかかり、工事の方に尋ねると湯浜温泉はその先だとのことでようやく安心して歩を進める。湯浜温泉の入り口の看板を見つけ道は何と深い谷に降りていき渓流に沿って、歩きようやく白い建物の湯浜温泉に到着した。 (^_^)

 早速宿に着いてビールで今日の長かった行程を振り返り、乾杯のグラスを傾ける。何時しか焼酎にも手が伸びて結構なご機嫌になって、露天風呂に行くことにした。玄関に行くと今、NSさんが到着したので又、部屋に戻ってNSさんの今日の珍道中の様子などを聞き男5人揃って、それではと露天風呂に出かけた。みんな裸になって風呂にはいると、ジャアーン、ジャジャアーーンお湯が精々膝下ぐらいまでしかないではないか。コリャア、どうなっているんだ。お湯は竹の筒から余り威勢も良くなく流れているが、到底我々の身体を満たすだけはどう見てもたまらないであろう。だからみんな仰向けになって寝てどうにか身体を湯に浸けることが出来た。それでもお湯が適当に熱いので、そんなに寒くもなくかえって腰湯でのぼせなくて良いかも知れない。又、ここでビールと烏龍茶で乾杯して夜気迫る秘湯の一軒宿の情緒を楽しむ。東北は温泉が良いので山歩きも本当に楽しい。夜食は茸三昧、やまめの塩焼き等々で隣席の横浜のこれ又、16人の山の会のグループ「みろく」の方々と談笑する。このグループは40歳以上が入会資格だそうで、明日は栗駒山から須川温泉へ、そのままその日に帰るそうである。私達は須川温泉に泊まると言ったら、うらやましがっていた。六つ星の会のことなどを話したりして、ランプの一軒宿温泉はなお、いっそう暮色に染まり再度露天風呂に行く、今度は湯量も方まであって丁度良くゆっくりと温泉を堪能する。

行 程

10/10(日)

湯浜温泉(6:30発)→世界谷地分岐(7:32着)→2回目の休憩(8:50着)→駒形根神社(11:15着)→天狗平(12:15着)→栗駒山頂(12:30着・昼食・13:20発)→須川温泉 (16:05着)  宿泊
(-.-)Zzz

【山旅日記】

 今日のコースが栗駒山の最大の見所で、ブナの林や栗駒山の紅葉に染まった絶景が見られるコースである。早朝の空気は冷たくビシッと否が応でも身体が引き締まってくる。旅館の番犬のワンチャンと別れて、旅館の裏手から登山道は延びている。登山道は相変わらず単調でさした登りもなく両脇が笹の道を朝なのでみんな黙々と登っていく。しばらく歩を進めると大きいブナの林が目立ってきた。本当に去年の八甲田山もそうであったが、東北はブナの木がとても美しい。ここら当たりでも紅葉は今一で余り綺麗ではない。登山道は道幅も広くて良く整備されており、柔らかい土の感触と落ち葉がサクサクと鳴ってとても気持ちがよい。

 1時間も歩いただろうか。世界谷地分岐点に到着した。何やら小さな社があり、思わず手を合わせる。ここら当たりがブナの木々がとても多い所で、HGさんが巨木に抱きついて、ブナの気を身体一杯に受けて何やらお願いをしているようだ。しかし、どう見ても出腹(デッパラ)が邪魔をして思うようにブナの木を抱けないのが何ともユーモラスである。そういえば昨日は私と二人で随分とビールやら酒を飲んだっけ。

 サー、休憩したので身体もようやく酒も抜けて、リズミカルに歩けるようになってきた。見るとみんな体調は良さそうで淡々と歩いている。相変わらずブナの木々が多い中をやや急登になってきた道を汗ばんで歩いていく。しばらく行くと岩場になってきて、ようやく山らしく斜度もきつくなり、変化に富んできた。大きい石や岩がゴロゴロしており、足を高く挙げる回数も増えてきて、大腿部が緊張して些か疲れてきた。

そんな悪場を通過すると先頭の人から、「イヤー、素晴らしい・・・!!」と歓声が上がる。何が起きたのだろうかと問うと、山の見晴らしも良くなってきて、山の紅葉が一段と見事になってきたとのことで、歩を進めるとなるほど今までの暗い道からまるで別天地のように視界が開けて、眺望も良くなって山々が紅葉に包まれて、まさに錦織なす自然の配色に暫しみんな見とれている。ようやく紅葉の核心部に到着したようだ。

 本当に当たりは草原上になっており、時間があればゴロッと横になりボンヤリと何時までも景色を見ていたい、そんな眺めの良い場所だ。ここら当たりは湿原になっているので木道が整備されており、白い木道が真っ直ぐに緑の草の間に伸びているのは、本当に一服の絵風景画でも見ているようだ。

 今回、ビデオ撮影に当たったMKさんは景色が良いので忙しく撮影に余念がない。更に歩を進めていくと左手前方に岩場が見えてきて、 駒形根神社が近いようだ。ここら当たりから栗駒山の姿の良い全景が見えており、一番眺めの良いところであろうか。岩をくり貫いて出来た駒形根神社の前で休憩をとり、柏手を打ってお参りをしている人もいて、何をお願いしているのか。それぞれの願い事を聞きたいものだ。しかし、昔の人達は良くもこんな高い所に社を建てたりして、 今の世俗に汚れた私達よりもはるかに信仰心がとても厚かったのだろう。

 休んだ後、更に歩を進めるとやっと天狗平に到着した。するとどうだろう。今まで静寂の別天地にいたときとは打って変わって、人、人、人の長蛇の列が山頂に向かっているではないか。「アリャ、これはなんじゃい。」一変に幻滅の雰囲気になってしまった。笹の登山道を進むとこれ又、雑多な大勢の人達の声がする山頂にようやく到着した。この栗駒山はコースがいくつもあって、私達が来たコースは健脚向きであるが、他は用意に来られるので連休でもあり家族連れが多い。そんな山頂でそそくさと昼食をとって下山することにした。

 下山路は今まで登ってきた道とは違って、石や岩がゴロゴロとしており、視障者泣かせのみちで、HGさんやMIさんは苦労しているようだ。当たりは背の低い笹やハイマツであろうか。一面に繁茂しておりまるで緑の絨毯の中をノロノロと虫がはって降りていくようだ。そんなゴロゴロとした岩や石の悪場がなくなり賽の河原に到着して、石づたいに渡って平坦な道に出ると何やらイオウの臭いがするではないか。須川温泉が近いのかも知れない。更に進むとようやく須川温泉の建物が見えてきた。又、一段と賑やかな人の声に山歩きの終わったのを知らされた。お湯が川になって流れており、湯量の多いのに驚かされた。

 旅館の綺麗な部屋に通されて、早速風呂に行くことにした。何とどでかい風呂場でお湯が滾々と湧き出ており、スケールの大きいのにビックリした。お湯は熱めの大風呂とやや温めの小さい風呂に別れており、私達は小さな風呂で今日の長かった歩きで疲れた身体をお湯にたっぷり浸かって、「いい湯だな。」の気分に満喫した。

 夕食は何と、ご馳走かお膳に並んでおり、地ビールがとてもうまく、山歩きの後の温泉、そしてご馳走、まさに至福の一時、本当に健康で良かった。そんな幸せ感に慕った。そして夜は大露天風呂にビールヲ持ち込んでいくつか光る星を見ながら、ドップリとお風呂に入り、ビールを飲んで温泉三昧に酔いしれた。

10/11(月)

須川温泉(9:00発)―バス→一ノ関駅前 (10:40着) ・11:10発)ーバス→平泉中尊寺(11:40着・境内散策・13:23発)ーバス→一ノ関駅前 (14:10着・昼食・新幹線15:05発) →東京駅(17:57着) (^_^)

【山旅日記】

 今日は山歩きもなく、歴史探訪の平泉中尊寺の見学で、藤原三代の歴史を訪ねる観光気分である。 それではこの中尊寺について文献をひもといてみよう。中尊寺について岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗の東北大本山。山号は関山。寺伝によれば,850 年(嘉祥 3) 円仁の開創で,859 年(貞観 1) に清和天皇より中尊寺の号を賜ったと伝えるが,資料を欠く。平安末期に藤原清衡が平泉に移り住み,諸堂宇の建立に着手した。1126 年(大治 1) の金堂落慶供養願文により,前九年・後三年の役を経て奥羽地方の覇者となった清衡が,奥羽におとずれた平和を記念し,非命にたおれた敵味方の霊をとむらうための鎮魂の寺としてこれを営み,あわせて鎮護国家の根本道場にしようとしたものであったことがわかる。その後基衡,秀衡も相次いで寺基を拡張した。当時の記録によれば,堂塔 40 余宇,僧坊 300 余宇と伝えられ,結構皆金色と称され,平安美術工芸の粋をきわめたが,1337 年(延元2/ 建武 4) 野火のために堂塔僧坊を焼失し,現在に残るものは金色堂と経蔵の二つだけである。

最近,中尊寺は,法華経にもとづいて,その講宣・如法の功徳により,みちのく此土浄土(地上極楽)の理想を実現しようとしたものであると考えられるようになってきた。皆金色というのも,その地上極楽を現成するためのものだったと考えられる。中尊寺の寺号も〈仏人中尊寺〉の義で,法華経にもとづく〈釈尊寺〉の意味であった。清衡建立の中尊寺最初院が多宝寺と呼ばれたこと,その金堂が百体釈迦金堂であったことなど,すべて法華経にもとづき,此土浄土現成の祈りを具現しようとしたもの
だったと考えられる。金色堂が浄土教信仰を表にしていることはいうまでもないが,ほかに密教とともに法華経にもとづく多宝塔信仰もあり,3 代のミイラもこの多宝塔信仰によるものと思われる。

[文化財]

 金色堂(国宝)は清衡晩年の 1124 年(天治 1) に造立され,清衡没後4代にわたって一族の墓堂となった。小型の一間四面堂で,軸部は円柱,四方内外を長押 (ナゲシ) で固め,柱上平三斗とし,中備えに本蟇股 (ホンカエルマタ) を入れる。軒は二軒繁垂木,屋根は宝形造・本瓦形板葺きで,頂上に露盤,宝珠をのせる。堂内は床板張り,庇天井 (ヒサシテンジヨウ) を化粧屋根裏とし,内陣四天柱内には折上小組格天井 (ゴウテンジヨウ) を張る。四天柱と側柱間には繋梁 (ツナギバリ) を入れ,簡単な構造形式をとっている。堂内中央と背面両脇に須弥壇を置き,中央壇内に清衡,両脇奥の壇内に基衡,秀衡の3棺と,4 代泰衡の首級が合祀される。堂の縁側から軒先にいたる四壁と内部の床,天井はすべて黒漆金箔押しとし,内陣部材には沃懸地 (イカケジ) 螺鈿の宝相華唐草文を飾り,四天柱には蒔絵で菩薩像を描く。中央須弥壇は全面に金,銀,白銅の競合する色彩を巧みに配した彫金,鋳金,鍛金による金具で覆われる。須弥壇上にはそれぞれ,阿弥陀三尊,六地蔵,二天の 11 体(いずれも重要文化財)を安置する。中央壇上の諸像は 1124 年,南西壇上諸像は基衡没年といわれる 1157 年(保元 2) ころ,北西壇上諸像は秀衡没年の 1187 年(文治 3) ころの造立と推定される。南西壇の阿弥陀像が客仏であるほかは,各本尊の天蓋や礼盤 (ライバン),孔雀文磬 (ケイ),磬架,案,華鬘 (ケマン) などの荘厳具一式(国宝)にいたるまで当初のままに残され,美術史上の価値はきわめて高い。金色堂は一名〈光堂 (ヒカリドウ)〉と呼ばれるが,中世に建立された覆堂内にあった。今日この覆堂は他に移され,新しい覆堂内に建っている。
 金色堂北西に東面する経蔵(国宝)は,金色堂とともに清衡によって建てられたが1337 年上部を焼失し,単層に改められた。堂内中央内陣の螺鈿八角須弥壇(国宝)は,金色堂須弥壇とともに精緻をきわめ,和様須弥壇の代表的遺例。もと経蔵に納められていた《紺紙金字一切経》(国宝)は清衡以下3代奉納にかかり,これらを納めた漆塗箱とともに国宝に指定されている。
(平凡社世界大百科事典より引用)

 これらの中尊寺の境内を散策した後に一ノ関駅に戻って海鮮ドンブリを昼食に食べて新幹線の乗客となって一路東京へ向かった。
 長い間駄文におつき合い下さり、有り難うございました。
QWC03400 金川 ☆ミ




景信山



山行日   12月12日(日)
山行先   景信山忘年山行
天 候   晴れ
形 態   六つ星山の会
      相模湖コース、高尾山コース、小仏コースの3コースで行う。

参加者   98名

感 想

 これは岡村さんが視障者リーだとして、試験的に担当をした山行である。その
他後藤、網干 勝、丸山 孝子、金川 和美の担当者がこの任に当たった。この山行で岡村さんとの意見の不一致で終始イライラとした山行でついには岡村さんの本質を見たようで、彼と没交渉となった。

 忘年会では望月 美紀子さんが「バナナのたたき売り」を余興にやって大盛況であった。