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My Sankou Memo


≪雪の雲取山を歩き
三峰神社で温泉に入ろう≫


















 山行日:   2012年2月11日(土)〜12日(日)  1泊2日
 山行先:   雲取山(2,017.1m)
 参加者:   5名
 天 候:   二日間とも晴天


 2月11日(土)

 《行 程》

 新宿(6:22)⇒三鷹(6:35⇒立川(6:48・7:05)⇒奥多摩(8:28・8:35)=バス⇒鴨沢西(9:10〜9:30)⇒小袖乗越⇒堂所⇒昼食休憩地点(11:50〜12:20)⇒七ッ石小屋分岐手前2回目の休憩(13:10)⇒七ッ石小屋分岐(13:45)⇒ブナ坂手前(14:20)⇒ブナ坂七ッ石山分岐(14:35)⇒奥多摩小屋先(14:57)⇒小雲取山(15:25)⇒雲取山山頂手前(16:00)⇒雲取山山頂(16:25)⇒雲取山荘(17:00) 宿泊
 (-.-)Zzz

 ≪My Sankou Memo≫

 この2月の連休に5名で、雪の雲取さんへAttackすることとした。この時期に雲取山へ登るのは2006年にMemberは違うが、やはり、5名で登りは同じコース、下山は富田新道を下ったことがある。その際私は、富田新道を下った時に凍り付いた登山道の路肩にストックが滑り、そのため、斜面を約、5mばかり滑落してしまったという苦い体験があるが、今回はその様なことが無いようにと念じ山支度を整え出発することとした。しかし、この思いも空しく思わぬHappeningが待っていたのであった。 (^^;)

 今年はいつもの暖冬と違い、寒さが厳しくそのため、雲取山にもかなりの積雪があると期待し、雪の雲取山を歩ける喜びで、足取りも軽く鴨沢集落を後にした。天気は上々で、立春を過ぎた陽春の陽射しが、ポカポカと実に気持ちが良く穏やかなる山行日和だ。淡々と小袖乗越を過ぎた当たりから、登山道には凍結した箇所が多くなり、ここでアイゼンを着けて登ることとした。アイゼンを着け少し歩く度に、アイゼンの紐をきつく結んでいるためであろうか。どうも右アキレス腱が痛くなってしまいそのため、やむなく右足だけアイゼンを外し歩くこととした。全く私は当に弱点の象徴として引用されるアキレス腱で、このアキレス腱には、悩まされぱっなしだ。左アキレス腱断裂をした方は、完全に治癒したのだが、何と去年の2月末頃から、左アキレス腱を手術をしたため短縮しており、それを庇って歩くためであろうか。今度は右アキレス腱が痛くなり、慢性化してしまい治癒と痛みの反復が続いている状態だ。最近は特に寒いせいか右アキレス腱が痛く家を出てくるときにテーピングをしてきたのだが、その効果も空しくついに痛みが出て来てしまった。

 凍結した斜面の登山道をザックザックと音を立て軽快に登って行く。やはり、片足だけでもアイゼンを着けているとそんな凍結した箇所も気にせずに登って行くことが出来多いに助かる。やがて鴨沢を出発してから1時間20分経っており、丁度雪交じりの登山道も広くなっているので、ここで昼食Thymeを採ることとした。私は登山道の路肩にやや傾斜になった箇所に木が生えていたので、その木にザックから物を取りだし、ザックを開いたままその木に寄りかけ置き、そこから離れたところで昼食を食べようとしていたら、鴬谷のS,Mさんが「アーー」と大声を出すではないか。私は一瞬、何が起こったのか呆然としていたら鴬谷のS,Mさんが「アッ、ザックが転がって行く。」と大声を出し教えてくれた。それで慌てて和美とわたし、それに鴬谷のS,Mさんとで、「オーイ、ザックヤ、ドコサイクダ。マッテクンロ。」とそのザックを追いかけ急斜面を約、20mぐらい降りてザックとザックから飛び出た物を回収した。

 風も吹いてないのにザックが転げ落ちるなんて、全く飛んだHappeningで、幸にもそんなに斜度が無く斜面を降りることが出来たから良かった物のこれが斜度がきつく降りていけなかったら、ザックの中にはお財布、保険証、プレクストークポケットと私の大事な物が、まとめてショルダーバックに入れそれがザックに入っていたので、それが無にきすることになり顔面蒼白、悲嘆の思で会ったろう。しかし、全て全部ザックの中身を回収したと思ったのだが、後で雲取山荘で良くザックの中身を調べたらオーバーズボンと酒のオツマミにと買ってきた美味しい漬け物を入れたタッパーが未回収だった。マア、私自身が以前の雲取山の時のように滑落しなかったので、由としようと自分に言い聞かせあきらめた。

 そんなHappeningの昼食Thymeを終えまた、雪の斜面を七ッ石山目指し歩を進める。ここら辺りになると登もきつくしっかりと大地を踏みしめ歩いて行く。やがて七ッ石小屋との分岐点手前で、水分補給のため休息Thymeを採る。冷たい水を飲んだので、気分がスッキリとした。活力が漲り更に歩を進め歩いて行くと分岐点に到達した。直登すると七ッ石山山頂へ行くのだが、私達は七ッ石山を巻き、樹間から陽射しが温かく照り付ける雪の登山道を歩いて行く。その途中から南アルプスの屹立した白銀に輝く北岳、甲斐駒ケ岳の堂々たる雄姿を見せている。ここで和美が、デジカメでパチリと撮り進み行くとやっと雲取山への石尾根である七ッ石山からのブナ坂の分岐点に到着した。

 ここからは登山道も広くなり、南面だけに雪も溶けドロドロとした道で、余り雪山の風情は無く何だか眠くなりそうになり淡々と進んで行く。そして奥多摩小屋を過ぎた当たりからは、登山道は凍結もしておらずそのため、アイゼンを外し歩く。アイゼンを外し軽快なる足取りで、小雲取山の急登へ一歩、一歩背を丸め歩いて行く。この小雲取山の登が一番斜度も有りきつい登だ。そんな小雲取山のきつい登もclearし、更に深い積雪の登山道をいよいよ雲取山山頂目指し登る。途中、振り返ると3人のMemberが、かなり遅れているので、立ち休憩をしながら彼らを待つ。見るとかなりK,Yさんがくたびれているようだ。

 そんな彼らを待って、再び行動開始、雲取山避難小屋を過ぎ、「ヤッホー、着いたぞ」4時25分雲取山山頂だ。見上げれば空が真っ赤に輝き落日に燃えて誠に幻想鳴る風景だ。暫し詩人の心境となっていたが、サア、もう一息で、今夜のお宿、雲取山荘だとばかり、凍結した斜面を慎重に樹林帯を下り行く。そして10時30分に鴨沢登山口を出発して、6時間30分、5時Just、雲取山荘へ到着した。山荘に入り小屋の係りの方に聞いてみたら、今日の宿泊者は130名だそうで、結構なる賑やかさだ。部屋は8畳ぐらいの個室でコタツが備えられている。早速大枚500円を支払い缶ビールを買い求め一同、「ハイ、おつかれさんでした。」とばかり乾杯をする。更に銘酒を飲んでいたら、程なく夕食Thymeとなり、食堂へ行く。大勢の宿泊者が、みんなニコニコしながら談笑し美味しそうに食事をしている。

 山小屋の食事も昔と違いかなり美味しくなっており、それらに箸を付け夕食を終え部屋に戻るなり、持ち寄ったお酒類を飲み干す。すると食堂で同席となった神奈川県藤沢から来たという42才の男性が乱入してきた。最も私が「良かったら銘酒もあるので、一人では話し相手もいないで
しょうから、遊びに来ませんか。」と社交辞令で話をしたのであった。真坂本当に来るとは思わなかったが、そこはそれ愛想良く迎え適当に話をした。何しろハイテンションの男性ですっかり私達は疲れてしまった。そんな男性が部屋から去って行ったので、積み上げてあったふとんを敷きそれぞれコタツに足を入れ爆睡モードに突入した。 (-.-)Zzz


 2月12日(日)

 《行 程》

 雲取山荘(07:00)⇒大ダワ(07:10)⇒イモノケドッケ(08:15)⇒白岩山(08:30)⇒前白岩山(09:10)前白岩山の肩(9:23)⇒お清平(10:05)⇒霧藻ヶ峰(10:30)⇒三峰神社(12:30入浴休憩15:45発)⇒西武秩父駅(17:00着・17:25発)=レッドアロー号⇒池袋

≪My Sankou Memo≫

 朝食を済ませ小屋の係りの方に別れを告げ、外を出ると丁度、日の出の時刻で、真っ赤な太陽が 「はい、オハヨウさん。」とばかり顔を出していた。早朝だけに雪の登山道はしっかりと凍結しており、そこをザックザックと音を立てながら三峰神社まで歩を進め行く。往路の南面と違い袋は北面となっているため雪も解けずかなりの積雪量で、雪山気分満点だ。どうしても私と和美の足取りが速くその為途中、彼ら3人を待ち軽快なる足取りで進み行く。左斜面が切れ落ちた箇所をトラバースし、白岩山山頂に着きそこに配置されてあった温度計を見たらマイナス9度であった。どうりで汗で濡れたもみあげの頭髪が、ツララになっており、すっかりと凍り付いていた。アップダウンを繰り返し10時5分に平地であるお清平に着き、ここで休憩をし、更に歩を進める。

 そして秩父宮ご夫妻のレリーフが、岩に彫ってある霧藻ヶ峰に着き、ここで小休止を採る。遠望すると岩峰の両が未産が白銀に輝いていた。この霧藻ヶ峰からは、登山道も広くハイキングコースで、なんなく下山することが出来た。それでも途中、アイゼンを外して歩いていたために登山道が所々凍結しており、その箇所を避けながら歩くので、結構、慎重になって歩く。そして長かった下山の終点である、三峰神社の拝殿で二礼、二拍手、一拝をし、「早くアキレス腱が治りますよう。」と祈願し三峰神社の脇にある三峰温泉に行き、茶褐色のヌルヌルとした肌に心地よい温泉に足腰を伸ばし一浴をする。

 そんな一浴をした後、レストランでお決まりのビールを飲み昼食はナメコうどんを食べホッとする。そして西武秩父駅行き、3時45分のバスの発車時刻まで時間があるので、お土産屋で缶酎ハイと味噌おでんを買い求めそれをバス停の休憩所で飲みながらバスを待つこととした。それからバスで西武秩父駅に着き名店街で秩父の地酒「秩父錦」と焼き鳥を買い求めレッドアロー号の車中で、焼き鳥をオツマミに銘酒秩父錦を飲み二日間に亘った雲取山の回想に思いを馳せる。


「ポポポン、ポポポン、ポポポンポン」
「ポポポン、ポポポン、ポポポンポン」
ldsjl
〜〜「オシマイ」〜〜



≪参考文献≫

 雲取山

 雲取山は、奥多摩と奥秩父の二つの山域の境界に位置し、東京都の最高峰・最西端である。山頂には一等三角点がある。奥多摩山域の中では比較的人里から奥深くにある山である。妙法が岳、白岩山とともに三峰山の三山の一つである。日本百名山の一つに選ばれている。
1901年(明治34年)、東京府東京市(現在の東京都)は、水源地保全のため、多摩川を囲む山地4万8千ha余りを山梨県から購入 大正末から昭和6年(1931年)にかけて、ススキの原だった雲取山周辺の稜線に、落葉松の苗木を植林した。現在は東京都側と山梨県側の山林が、東京都水道局の水源林(東京都水源林)となっている。雲取山は1泊で登山する者が多いが、ルートによっては日帰りも可能。鴨沢からの日帰り登山は、早朝に登りはじめないと下山時には日が落ちて危険なので注意。
2011年2月現在の交通機関を使った最短コースは鴨沢ルートである。登りだけで言えば三峯神社ルートも同じ時間である。

 三峰神社

 所在地 埼玉県秩父市三峰298-1
 主祭神 伊弉諾尊
     伊弉册尊
 社格等 県社・別表神社
  創建 景行天皇の御代

 三峯神社(みつみねじんじゃ)は、埼玉県秩父市三峰にある神社である。秩父神社、宝登山神社と並ぶ秩父三社の一つ。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。宮司は中山高嶺。
伊弉諾尊・伊弉册尊の二神を主祭神とし、造化三神と天照大神を配祀する。拝殿の手前には珍しい三ツ鳥居がある。
山奥の聖域であり、通常の神社とは趣が異なる。

  歴史

 社伝によれば、景行天皇の時代、日本武尊の東征の際、碓氷峠に向かう途中に現在の三峯神社のある山に登り、伊弉諾尊・伊弉册尊の国造りを偲んで創建したという。景行天皇の東国巡行の際に、天皇は社地を囲む白岩山・妙法山・雲取山の三山を賞でて「三峯宮」の社号を授けたと伝える[1]。伊豆国に流罪になった役小角が三峰山で修業をし、空海が観音像を安置したと縁起には伝えられる。
三峰の地名と熊野の地名の類似より、三峰の開山に熊野修験が深くかかわっていることがうかがえる。熊野には「大雲取・小雲取」があり、三峰山では中心の山を雲取山と呼んでいる。
中世以降、日光系の修験道場となって、関東各地の武将の崇敬を受けた。しかし、正平7年(1352年)、足利氏を討つために挙兵し敗れた新田義興・義宗らが当山に身を潜めたことより、足利氏により社領が奪われ、衰退した。
文亀年間(1501年 - 1504年)に修験者の月観道満により堂舍が再興され、以降、聖護院派天台修験の関東総本山とされ、隆盛した。本堂を「観音院高雲寺」と称し、三峯大権現と呼ばれた。
江戸時代には、秩父の山中に棲息する狼を、猪などから農作物を守る眷族・神使とし、「お犬さま」として崇めるようになった。さらに、この狼が盗戝や災難から守る神と解釈されるようになり、当社から狼の護符を受けること(御眷属信仰)が流行った。修験者たちが当社の神得を説いて回り、当社に参詣するための講(三峯講)が関東・東北等を中心として信州など各地に組織された。
明治の神仏分離により寺院を廃して「三峯神社」に改称した。明治16年(1883年)に県社に列した。
当社への登拝路上に、昭和14年(1939年)に三峰ロープウェイが、昭和41年(1966年)に三峰観光道路が開通した。しかし、三峰ロープウェイは施設老朽化から平成19年(2007年)12月1日に廃止となった。現在は西武観光バスの急行バスが西武秩父駅から三峰口駅を経由し、山頂駐車場まで平日3往復、土休日5往復、運行されている。また、そのバスも通る三峰観光道路はアクセス道が「一方通行の狭小トンネル」で有名な駒ヶ滝トンネルを通るためアクセスにやや難がある。
平成16年(2004年)に社殿を修復した。