頚部から肩背部及び上肢にかけての痛みや痺れ感を伴う症状を表すものとして三つの疾患があげられる。 (A) 頸椎症性神経根症 以下頸椎症性神経根症を単に神経根症と略す。 赤髄から分岐した頸神経のうち、第5、第8頸神経の全部及び第1胸神経の前枝は、椎間孔を出で腕神経叢を構成し上肢に分布する。これらの頸神経は前根と後根に分かれて赤髄から分岐して、再び椎間孔内に合流して一本の神経根となり、椎間孔を出る。これらの部位部位における頸神経の障害が神経根症である。 本症の成因は必ずしも一応ではなく、また、発症起序についても、今日尚不明な点が少なくない。ここでは本疾患の病体に関して報告された2,3の学説を簡単に説明しておく。 1. 神経根炎 神経根周辺部の骨棘やヘルニヤが原因になって発症した神経根炎による。 2. 神経根の機械的圧迫 椎体の後内側方に形成された骨棘や椎間板後方突出によるしんけいこんの 圧迫。 3. 神経根周囲の炎症や循環障害 骨棘周辺の骨周囲炎、神経根周囲組織の炎症や静脈の鬱滞などが原因にな って発症。 4. 椎間板ヘルニヤ 椎間板ヘルニヤによる直接的な機械的圧迫、変成椎間板の酸性物質による 生化学的な刺激が原因。 5. 神経根周囲組織の線維化 神経根の周囲には外套と呼ばれる組織がある、これが椎間孔の縁に接し、 更に加齢な外傷によって、肥厚、癒着などの線維化を起こし、神経根症を発生 させる。 (B) 胸郭出口症候群 腕神経叢は鎖骨下動脈と共に前・中斜角筋と第1肋骨(或いは頸肋)によって囲まれた裂隙(斜角筋三角)に入り、ついで肋骨・鎖骨間隙(肋鎖間隙)を通り、更に鎖骨の下方で肋骨と鎖骨下筋や小胸筋の間を通過する。本疾患は上記の神経血管側が斜角筋三角から小胸筋を通過するまでの間に、これらの組織によって圧迫されて起こる障害で、組織の異常形成、肥厚、筋スパズムなどが原因とされている。 本症の罹患年齢は神経根症よりも若く、一般には10歳代後半から30代前後の女性に好発する傾向が認められる。自覚症状は、上肢の痺れ感、疼痛、倦怠感、脱力感などが多く、また、冷感、腫脹、皮膚の蒼白、チアノーゼなども訴えることもある。神経根症が頸椎の運動によって症状の増悪を見るのに対し、胸郭出口症候群では屡々上肢挙上位で愁訴の増悪が起こる。 (C) 頸肩腕症候群 頸肩腕症候群も上記の二疾患と同様、頚、肩、上肢などに痛みや痺れ感を訴えるが、本症は自覚症状のみで多角的な所見を欠き、従って「頸肩腕症候群」という。診断名は、病体不詳で原因疾患を明らかにしえないときに呼称される仮の疾患名である。この疾患はキーパンチャー、電話交換手、その他上肢を長時間に亘って酷使する作業者、特に女性に好発する傾向が認められ、肩甲部や上肢にかけての諸筋に過労やスパズムが生じたためと推測されているが、一方、頸椎疾患、腕神経腕神経叢疾患、末梢神経疾患などの初期症状や軽症例とするものもある。 自覚症状としては、上肢の痛みや痺れ感を主訴とするが多くの場合頚、肩の痛みやこり感、上肢の知覚障害、倦怠感、冷感など症状が合併する。他覚的所見は陰性であるが、疼痛部位に一致して屡々筋緊張や圧痛が認められる。 外傷を除いた大部分が、肩関節の周囲の筋や、肩関節包、滑液包などの軟部組織の変成疾患である。そこで以下のような疾患を説明します。 上腕二頭筋長頭腱炎、腱板炎、五十肩、石灰沈着性腱板炎これらの疾患は同様な症状を呈しやすく、鑑別も困難な事が少ないことから、肩関節周囲炎という診断名で包括されることが多い。 A 腱板炎 肩関節の深部は、上腕骨頭と肩甲関節窩が柔らかな関節包によってくるまれるように結合し構成されているが、更にその関節包を外側から覆う形で四つの筋肉が密着してこの関節を補強している。これら四つの筋肉とは、肩甲下筋、棘上筋、棘下筋、小円筋で、共に上腕骨の大結節や小結節に腱となって付着して骨との上部を帽子状にくるみ、しかも肩関節の回旋動作に大きく関与していることから、回旋筋腱板(ローテーターカフ)と呼ばれている。 腱板炎とはこの回旋筋腱板(以下腱板と略す。)の障害をいうが、その原因の大部分は腱の変成を基盤とするもので、特に棘上筋腱は、物理的にも行動的にも最も障害を受けやすいことから、腱板炎というと一般に棘上筋腱の病変を示している。 《棘上筋腱のストレス要員》 (1) 棘上筋は第二肩関節と呼ばれる機能的肩関節の一、構成対をなしており、上 肢の挙上に際して、大結節と肩峰や繊維骨制の硬い烏口靱帯の間に挟まれて、 常時圧迫や摩擦が加えられている。 (2) 棘上筋は外転筋としての働きの他に、位置的に抗重力筋としても作用してお り、安静が極めていられにくい筋肉である。 (3) 大結節付着部付近の棘上筋腱は、その行動上{クリニカルゾーン}(危険地 帯)とも呼ばれ、上腕骨と棘上筋からくる血管の吻合部となっているため局 所的乏血が極めて生じやすい。 このようにいくつものストレス要因が存在することから加齢に伴って変成に陥りやすく、断裂も起こりやすいと考えることが出来る。腱板炎の本態はこのように種々のストレスと腱の変成を基盤として生じた炎症性反応といえるが、この部位を発症起点とした疾患は本疾患の他にも、肩峰下滑液包炎、石灰沈着性腱板炎、腱板(不全)断裂などがあげることが出来、様々な病体を示す障害の多発部位である。 本症の罹患年齢は、五十肩と同様に40代から60代といえるが、若年者にも多く見られる。肩関節痛を訴える患者の中では極めて頻度の高い疾患である。本症の主症状は、肩部の痛みと運動制限であるが、この運動制限は痛みに伴うもので、五十肩で見られるような硬縮制の運動制限ではないことを特徴とする。 つまり(1) 自動運動では肩の動きが悪くても、介助してやると可動域が大きく広がる場合、(2) 上肢を長軸方向に牽引しながら挙上させると痛み無く挙上が可能となる場合、(3) 治療によって目に見えて運動制限が解除されていくような場合、などは疼痛性の運動制限が高いと言える。 B 石灰沈着性腱板炎 本症は棘上筋腱に生じた石灰塩(カルシューム塩)が、肩関節の周辺にある滑液包内に破れ出て、その結晶の刺激によって生じた、激痛を伴う滑液包炎である。 この石灰塩の発生は、腱板の{クリニカルゾーン}(危険地帯ーー筋と骨からの血管吻合部)において、腱繊維の硝子様変性の循環障害が起こりやすい為である。この石灰沈着という他の腱板疾患では見られない特異的な現象が、本疾患のみ発生するという原因については、十分明らかにはされていない。 しかし、本疾患の発症状況を見ると、(1) 右肩に生じやすい、(2) 性別の差があり、女性に発症しやすい、(3) 40代を境に発症が急に増加する、などの特徴があり、他の変性疾患とは明らかに異なる退行性変成以外の何らかの因子の介在が想像される。 発症は40才代以降より増加し、女性に多く、右肩に発症しやすい傾向がある。症状は一夜のうちに生じる激痛で、腱疾患の中でも最も激烈な痛みを呈する。局所に腫脹・浮腫・熱感・圧痛などを伴い、疼痛性の運動制限を生じる。発症が急性で夜間に特に多いことなど、特異的な臨床像を呈するため鑑別に困ることは余り無いが、これらの症状のX線所見によって石灰沈着像が認められれば診断が成される。通常は1週間前後で緩解し、X線所見もそれに伴って徐々に薄くなり、やがて自然に消失して行く。 C 上腕二頭筋長頭腱炎 上腕二頭筋は、長頭と短頭の二つの起始を持っている。短頭が肩胛骨の烏口突起尖端に始まって真っ直ぐに下行しているのに対し、長頭は肩胛骨の関節上結節に起始を持ち、上腕骨頭上を通ってその後やく90度方向を変え、結節間溝を抜けて短頭と合指筋腹を成している。この走行からも分かるように、長頭は骨頭上において極端に方向を変えていることから、この部には物理的なストレスの集積が極めて強く、加齢などによる筋繊維の変成があれば、かなり容易に断裂が生じて腱炎を起こしやすいことが知られている。また、肩の動きによって長頭腱と横靱帯との間に、狭窄性腱鞘炎と同様な摩滅性の炎症性起序が働いていることも想像される。 長頭腱の炎症には、スポーツや仕事などの過激な運動による摩滅性のものと、加齢に伴う変成性の起序によって発症する場合があることから、本疾患は各年齢層に見られている。症状は主に上肢の回転挙上時や肘関節の運動時(重い物を持ち上げるとき、コルク栓を抜くような動作時)に生じる肩の痛みであるが、時に肩から二頭筋に沿って上腕・前弯にまで痛みが放散することもある。肩の運動制限は無いことも多く、あっても軽度なことが本疾患の特徴である。 D 五十肩 五十肩というのは、一般に五十歳代に良く見られる肩の痛みと運動制限を主訴とする症状に対して名付けられた、極めて臨床的な症候名であるその様な病名であることから、炎症部位も症例により一定しているとは言えず、病理学的な基準は定められていないため、他の周囲炎と混同されている点も多い。 そこで臨床所見から表1で示す1〜5の条件を満たすものにのみ五十肩と判断し、肩関節周囲炎の中の一疾患として位置づけてみた。 (表1 五十肩の定義) (1) 40〜50代に発症する。 (2) 明らかな誘引無く、徐々に発症する。 (3) 主に肩の痛みと運動制限を愁訴とする。 (4) 比較的良好な経過を示す。 (5) 同様な症状を呈するものの中から類似疾患を除外する。 主な類似疾患 烏口突起炎、上腕二頭筋長頭筋炎、肩峰下滑液包炎、腱 板炎、石灰沈着性腱板炎、等の肩関節周囲炎 本症をこのように解釈した場合、他の肩関節周囲炎の多くがそうであるように、関節周囲の軟部組織の退行変性に基づくものであるが、他の周囲炎が限局性疾患であるのに対し、五十肩は、筋・腱・靱帯・関節包・滑液包等を巻き込んだ広範囲な障害を持つ、40歳〜60歳代に見られる疾患として、位置づけることが出来る。 項目の判定基準の病体 (1) 「40〜60歳代に発症する」いう病体について 実際は、五十肩と同様な肩関節制動症は、10歳代でも見ることが出来るが、この基準は従来から鑑定として病名から設定された条件である。しかし、事実として五十肩は大部分がこの年代に集中しており、その理由として、(1)若年者では加齢性変成が無いかあるいは少ないため、障害は限局性にとどまり、広範囲な癒着に発展することはまれで、腱板炎や滑液包炎といった限局性の炎症にとどまることが多い。 (2)高齢者では逆に変成の程度が強くなりすぎているため、反応性の炎症を起こす能力が乏しいなど、丁度50歳代前後という年代が広範囲な障害に発展しやすい状態にあることが指摘できる。 (2) 「明らかな誘引無く徐々に発症する。」という病体について 本症は加齢制の変成を基盤として徐々に進行する障害であることから、明らかな外因が指摘されることはない。但し、定説とはなっていないが、内的誘引として、(1)自律神経の緊張を伴う疾患や内分泌異常(糖尿病、肺結核、腎炎、胃潰瘍など)、(2)頸椎の変形、(3)自律神経反射異常(肩手症候群など)、(4)患者の性格傾向で(情緒不安定で依存心が強い)などを指摘する臨床家もいる。 (3) 「主に肩の痛みと運動制限を愁訴とする。」という病体について 本症の主症状が肩の痛みと運動制限であることは、諸家の一致するところであるが、運動制限の基準については意見が分かれている。つまり運動制限の原因が癒着により生じた硬縮性の制限である場合についてのみ五十肩と判断するか、あるいは癒着の伴わない疼痛性の制限のある場合も含めて広く五十肩と定義するかである。この項では後者の立場を取り、その時期から次のように区分する。 (1) 疼痛性筋系萎縮期 ({フリージングタイプ})痛みに伴う筋のスパズムによって生じた運動制限の時期で、関節包や滑液包の癒着がほとんど生じていない時期。 (2) 筋性硬縮期({フローズンタイプ}) 病状の進行した状態で、滑液包や腱などの癒着が生じて最終的に癒着性関節包炎の状態に到った時期。 (4) 「比較的良好な経過を示す」という病体について 本症は骨・軟骨の変成性変化による関節炎ではなく、その関節周囲に存在する軟部組織の炎症・癒着が本態であることが予後を良くしていると考えられる。 (5) 「同様な症状を呈するものの中から類似疾患を除外する」という条件につ いて 本症は肩関節周囲炎の中で、障害部位を臨床上から特定することの出来ない一群(症候群)として捕らえることが出来る。病院ないし本態が明らかで、独立疾患として別の病名をつけ得るものは当然除外される。 《臨床診断》 発症は50歳代前後に集中し、性差はそれほど無いが、筋肉労働者よりホワイトカラーや主婦などの軽作業に従事しているものに多く発症する傾向がある。 主な痛みは肩の痛みと運動制限である。痛みが軽ければ鈍重感程度のものもあるが、夜間の激痛を伴い不眠に陥る場合も少なくない。痛みの部位も三角筋部位に比較的限局するものから、場合によっては手指にまで痛みが波及することも多く、その訴えは様々である。運動制限はあらゆる方向に見られやすく、結帯、結髪、雑巾がけなどの日常作業は障害を受けやすい。この制限の起序は痛みによって生じている場合と、筋や関節包などの広範な癒着によって生じている場合とに分けられ、一般に前者から後者に移行していく。 本症の典型例では、当初疼痛が先行し、その後徐々に運動制限が加わりながら激痛期を経過し、疼痛が緩解する頃には凍結肩の状態を呈する五十肩が完成する。治癒までの期間も症例によって異なるが、凍結肩には到らず数ヶ月で緩解することもあれば、発症後半年以上経過してから激痛が生じて凍結肩にいたり、緩解するまでに1〜2年を要するものまである。しかも凍結肩に到ったものでは、可動域の完全な回復は望めないことが多い。 E その他の肩関節周囲炎 ここでは名前のみを列記しておく 1. 肩峰下滑液包炎 2. 烏口突起炎 |