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≪六義園&からおけ春光 KaraokePartyのPhotographはこちらからどうぞ≫









  Circle≪ゆ〜ぽぴあ≫・遊歩記
 第263回遊歩

〜Summer KaraokeParty〜 (^o^)


 涼風が吹く六義園を散策し暑気払いで
みんなで歌って多いに盛り上がりましょう









  遊歩日:     2018年8月21日(火曜日)
  遊歩先:    六義園&「からおけ春光」
  天 候:    晴れ
  参加者:    10名
    写真提供:     浜のK,Kさん

  《行 程》
◎ JR駒込駅西口改札口外=徒歩5分⇒六義園(40分散策)⇒「からおけ春光」(12時00分〜16時45分)⇒駒込駅東口   解散   (^_^)

  ≪遊歩記≫

 2018年度の遊歩計画を立てる際に8月は暑いから、遊歩を取り止めにしようと思いましたが、暑い才にも冷房の効いた室内であれば暑いのも気にならないと思い、KaraokePartyを計画したのだった。そのKaraokePartyの場所であるが、いつも私の住む三鷹で開催していたのだが、皆さんの交通の利便性を考慮し、駒込にある「からおけ春光」を利用することとした。この「からおけ春光」は、同行援護Serviceの事業所を運営しているW,Sさんが、Blinderの憩いの場として、低料金で、運営しているKaraoke Roomである。

 駒込と言えば、柳沢吉保の別邸としての「六義園」が、有名な庭園なので、午前中にその「六義園」を散策してから「からおけ春光」へ行くこととした。今回の参加者は総勢10名で有るが、そのうち2名は直接「からおけ春光」へ行くとのこと。それで六義園を散策するのは、8名である。その8名が駒込駅西口に集結し、「六義園」へ歩を進めた。何しろ今夏は7月から、猛暑、酷暑の日が続きもう、暑さにはウンザリするほどで、報道によると熱中症で、亡くなる方が、全国でその数を増している。しかし8月23日の処暑の二日前だけに21日ともなると一時の暑さも少しは和らいではいるが、やはり、歩いていると暑く感じる。

 「六義園」の正門を入り、受付窓口で、入園の手続きをすると、係員から、Eventとして、園内を周遊する際にそのコースにクイズSpotが有り、その場所で、クイズに解答し、約、10箇所のクイズSpotを春回するとそのご褒美として、景品を頂けるとの説明を受ける。私達は想定外のEventにただ園内を漫然と散策するよりは、面白く且つ、実益もあるので、喜んでそのクイズSpotをquestionnaireようし片手に歩を進めた。園内は暑いためか、観光客もまばらで、お陰で園内をゆっくりと散策することが出来た。その園内ではなかでも一段と目を引いたのが金髪の外人の若い女性二人連れだった。彼女たちも日本庭園には興味を引かれるようで、アンケート用紙を片手に持ち熱心にその順路を回っている。

 それではこの「六義園」について記述しておこう。

「六義園」

 分類 都立庭園・特別名勝
所在地 東京都文京区本駒込六丁目
 面積 87,809.41m2
運営者 東京都公園協会
 告示 1938年10月13日開園
  概要と沿革

 六義園は、徳川五代将軍・徳川綱吉の側用人・柳沢吉保が、自らの下屋敷として造営した大名庭園である。1695年(元禄8年)に加賀藩の旧下屋敷跡地を綱吉から拝領した柳沢は、約2万7千坪の平坦な土地に土を盛って丘を築き、千川上水を引いて池を掘り、7年の歳月をかけて起伏のある景観をもつ回遊式築山泉水庭園を現出させた。
「六義園」の名称は、紀貫之が『古今和歌集』の序文に書いた「六義」(むくさ)という和歌の六つの基調を表す語に由来する。六義園は自らも和歌に造詣が深かった柳沢が、この「六義」を『古今和歌集』にある和歌が詠うままに庭園として再現しようとしたもので、紀州の和歌浦を中心とした美しい歌枕の風景を写して、庭園を造ろうと思い立った。その設計は柳沢本人によるものと伝えられている。
1702年(元禄15年)に庭園と下屋敷が一通り完成すると、以後将軍綱吉のお成りが頻繁に行われるようになる。その回数は記録されているものだけでも実に58回もあり、吉保の寵臣ぶりもさることながら、この庭園自体が当時にあっても天下一品のものと評価されていたことが窺える

 甲斐国・甲府藩主であった柳沢家は、吉保子息の吉里期の享保9年(1724年)に大和郡山に転封となるが、六義園は柳沢家の下屋敷として幕末まで使用された。時代が下るにつれ徐々に荒れはしたものの、江戸を襲った度々の火災で類焼することもなく明治を迎えた。
明治の初年には三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎が六義園を購入、維新後荒れたままになっていた庭園に整備が施され、このとき周囲が今日見る赤煉瓦の塀で囲まれた。その後は関東大震災による被害もほとんど受けず、1938年(昭和13年)には東京市に寄贈され、以後一般公開されるようになった(有料)。東京大空襲の被害を受けることもなく、造園時の面影を残したまま今日に生き延びた六義園は、1953年(昭和28年)に特別名勝に指定されている。

  見所

 六義園は躑躅の花が特に有名で、地元では「駒込と言えばツツジの花の咲く街」と謳われるような象徴的な存在となっている。また庭園入口近くにある枝垂桜も、3月末に枝いっぱいの薄紅色の花を咲かせる名木として有名で、この枝垂桜の最盛期と紅葉の最盛期にはライトアップもされる。芝生の整備も行き届いており、都内を代表する日本庭園として名高く、海外からの観光客も多い。


 そんな歴史的変遷を経た由緒ある「六義園」を我ら一同、クイズSpotの順番に従い浜のK,Kさんを先頭に歩いて行く。そしてそのクイズSpotに来ると浜のK,Kさんが、張りのある声で、軽妙にその立て看板を読み上げ、4択形式になっているクイズを読み上げてくれた。そんなクイズSpotを10箇所を巡回する。園内は行く夏を惜しむが如く、蝉の声が聞こえ緑が多いせいか、涼風が吹き汗ばんだ身体には実に心地よくホッとする。そんなクイズSpotの仲の一つを紹介しよう。「六義園」で、最も高い場所がある。その高台へ行くのは、階段を何段昇って行くのでしょうか。@38段、A128段、B79段と立て看板に書いてある。それで私達は実際にその高台へ行くためその階段を昇って確かめた。果たして皆さんは、何段だと思いますか。正解は79段でした。そんな高台に昇ると丘と言う感じで、眼下に見える池や松がとてもContrast良く配置されており、当に庭園美とも言えるlocation抜群の光景だ。きっと江戸時代柳沢吉保もこの高台に昇り色々と思案したのであろうか。

 そんなクイズSpotを約、40分かけて巡回し、正門の受付窓口にて、そのそのクイズアンケートを係員に提示すると更にそこから抽選となり、トランプ、ボールペン、クリアファイル、さる記念館の入場券等々と景品を手にする。そして六義園を後にして、本日のMain EventKaraokePartyの会場へ行くため、駒込駅の
駅西口から東口に回り何と、予定通り12時Justに「からおけ春光」に到着した。

 その「からおけ春光」に入ると既に来訪していたK,Tさんが、マイク片手に歌っていた。そし参加者一同が勢揃いしたところで、自己紹介し、この「からおけ春光」の経営者であるW,Sさんが、私達を歓迎するため既に待期しており、そのW,Sさんが、歓迎の挨拶をする。そして30分の昼食Thymeを経て、いよいよKaraokePartyの開催となった。先ず最初は、発声練習の意味を兼ねての「上を向いて歩こう」の坂本九の歌を全員で歌う。そしてこれより五十音順にて8人、一人、一人が、それぞれ持ち歌6曲を熱唱した。イヤー、それぞれその選曲もVarietyに跳んでおり、その各自の一曲一曲づつを皆さん私語も無く聞き入っている。そして個人の歌が終了すると全員が拍手をして、その歌声に称讃する。実にマナーを心得ており、これぞKaraokePartyの神髄だと思った。

 そんなKaraokePartyも参加者の持ち歌も全部消化し、まだ終了まで時間が多少あったので、二、三の参加者が歌を披露する。アルコールに極めて弱い私はこの頃になるとすっかり酩酊してしまいもう、半分夢心地であった。そんなEnjoy KaraokePartyもやがてお開きとなり、「からおけ春光」の社長、接待係の女性二人に見送られ一堂駒込駅へ向かったのだった。

       〜〜「オシマイ」〜〜

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  「付記」

  「からおけ春光」

 渡辺昭一社長が、北区駒込で「同行援護Service事業所・春光」を経営している傍ら平成29年6月25日から、宮澤ビル1階にて、視覚障がい者に安価で、カラオケを楽しんで貰おうと経営しているカラオケルームです。

  営業日:  年末年始・臨時休業を除く毎日
 営業時間:  午前10時30分より午後4時45分
         *最終入店時間は午後4時15分
  入場料:  1名様 500円 *介助者(健常者)1名様は無料
        ワンドリンク(アルコール類含む)・お茶菓子付きで歌い放題です。
飲み物料金:   アルコール類 300円・ソフトドリンク類 100円
 住所 東京都北区中里2-9-6 宮澤ビル1階
 п@ 03-6903-7380
 ※  JR駒込駅東口徒歩2分
 代表取締役  渡辺昭一