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《≪第18回遊歩 青梅丘陵と青梅市内遊歩紀行



 遊歩日:  2005年11月26日(土)〜27日(日) 1泊2日
 遊歩先:  青梅丘陵(雷電山他)青梅市内散策(青梅鉄道公園・梅岩寺他)
 宿泊地:  青梅かんぽの宿 
 参加者:  26日 15名 27日 14名 
 天 候:  二日間とも小春日和の晴天

 <行程>

 11月26日(土)

 新宿{8:08発<10番線>中央線青梅特快(青梅行)}→立川(8:35)→青梅{9:07着・9:32発青梅線(奥多摩行)}→軍畑(9:46着・10:00発)→登山口(10:30)→雷電山(11:30)→鉄塔下(12:00〜12:40)→梅岩寺(14:40)→青梅駅前バス停(15:07)→郷土博物館バス停(15:17)→青梅かんぽの宿
 宿泊 (-.-)Zzz

 ≪遊歩記≫

 今回は晩秋の一日、青梅丘陵を歩きかんぽの宿に泊まり、青梅鉄道公園と青梅市内にある古刹を訪ねての遊歩である。参加社一行15名は、軍畑駅で自己紹介をし、先ずは登山口を目指し車道を雑談をしながら歩いて行く。今日は本当に風もない穏やかな小春日和でハイキングにはうってつけの日和である。やがて30分も歩くと登山口に到達をする。ここから青梅までの丘陵歩きが始まるのだ。

 登山道はいきなりの急登で皆さん、一歩、一歩確実に登って行く。登山道は丸太で階段状になっているのでその点は歩きやすく大いに助かるところだ。しかし、そんな整備された箇所も最初の所だけで今度は小石混じりの急登となり足を踏ん張っての体力を要する登りで、Tさんはもう、サポーターの指示の通り懸命に歩いている。それでも前回の金時山よりはかなり楽だと見えてまだまだ余裕綽々である。

 この青梅丘陵は、標高は500m足らずの山であるが、アップダウンの連続で上り下りが激しくなかなか侮れない山だ。そんなアップダウンを幾つが過ぎやがて「雷電山」の山頂に着いた。ここで小休止をし更にアップダウンの登山道を歩を進め開けた見晴らしの良い高い鉄塔の立っている草地に出た。ここには既に何組もの家族連れのグループが、両親と共に可愛い子供達が無心にお弁当を食べている。私達可愛いおじさん、おばさんもここで昼食をすることとした。

 皆さん、それぞれ持ち寄ったお弁当を実においしそうに食べている。私は新宿駅の弁当屋で購入した「多摩て箱」という二段重ねになったお弁当を食べる。これが山菜を中心にしたオカズが味も良く実にうまい。澄んだ空気の下で食べるお弁当の味は又、格別な物で体力を消耗した後だけに食欲は旺盛でもう、すっかり満腹になり満足の至福の時だ。それにしても後、4日ばかりで11月も終わるというのに何て暖かな日であろうか。満腹になり少し昼寝でもして行きたいようなそんな気分で、実に風もなく陽射しが柔らかく時より枯葉が舞い落ち丁度晩秋から初冬への移行期の一服の絵になりそうな光景である。

 一同、昼食を済ませ意気揚々と歩を進めと言いたいところだが、何せ休んで満腹になったので、足取りが重くそれだけに急登が実に辛くノロノロと歩を進めて行く。この晩秋の山歩きは、落ち葉の絨毯をザックザックと音を立てながら歩いて行くこの感触が又、実に気持ちがよもので、改めて自然界の四季の恵みと変遷に驚く。アップダウンも終わりとなり、やがて山道は広く歩きやすくなり、歴史の面影を伝える山城の城跡を経て落ち葉を踏みながら軽快に歩いて行く。やがて道は広い林道となり公園の見晴台で小休止をし、急坂を下りシダレザクラで有名な梅岩寺に出てそこから青梅駅に向かいそこでOさんと再会を誓い別れ私達はバスに乗り、今日のお宿「青梅かんぽの宿」に行く。

 この青梅かんほの宿は、今年民営化のの法案が成立した郵政省が経営する簡易保険の保養所で、多摩川が流れる傍に建っており、都心から近いのでいつも宿泊者で満員の所である。部屋に着き早速軽くお酒でのどを湿しタオルを肩に7階にある展望風呂に行く。この風呂は従来沸かし湯だったのであるが、去年21°の温泉を掘り当てそれを加温してある天然温泉の浴槽と従来の沸かし湯の浴槽の二つがあり、何と言ってもやはり、温泉の方は肌がすべすべして実に気持ちが良くこれ又、自然の恵みに感謝をする。温泉でさっぱりした後はやはりこれでしょう。冷たい缶ビールをグビグビと飲む。「イヤー、うんめえい・・・!!!」もう言うこと無しだ。

 すっかりご機嫌になり談笑をしていたら昼食の時間になったので2階のレストランに行き、豪華なお料理を前にして、又、ビールでの乾杯でご馳走に箸を付ける。もう、一同、笑顔、笑顔で談笑し会食も盛況で佳境となる。そんな至福の一時を楽しく過ごした後、今度は部屋に帰りみんな少女と少年に還っての歌声タイムとなり、もう大声で山の歌、歌謡曲、民謡と
歌いまさにEnjoy《ゆーぽぴあ》の神髄のシーンである。そんな楽しい一時を過ごした後、私は最近早寝早起きを実行しているので、すっかりと眠くなり部屋に帰りバタンキューと爆睡してしまった。

 〈行程〉

 11月27日(日)

 青梅かんぽの宿(9:45)→郷土博物館バス停(10:04)→青梅駅(10:15)→青梅鉄道後縁→住吉神社→宗建寺→鮎美橋→柳渕橋→金剛寺→旧稲葉家→梅岩寺→そば屋(昼食)→JR青梅駅 解散

 ≪遊歩記

 早朝5時、ガバッと床から起き洗面を済ませランニングスタイルとなり、ランニングシューズに履き替えランニング後、すぐに風呂に入れるように予めゆかたとタオルを7かいの浴場に持って行きエレベーターで1階に降り玄関に向かい外に出ようとしたら何とドアーが開かないではないか。きっとまだ早いので自動ドアが起動していないのだ。それでどこか外に出られる所はないかと探してみるが見つけることが出来なかったので、ロビーの所に行きそこの広い窓を開け一寸した柵を乗り越え屋外に出た。玄関前で入念にウォーミングアップをした後5時50分ランニングのスタート開始である。

 この早朝ランニングは、今日27日の日程が青梅市内の散策で、時間的にも余裕があるためそれで自宅を出るときから予定にしていた行動だ。先ずは青梅かんぽの宿の前の道を右に行きすぐに国道441号に出るので、この国道を御嶽駅方面に向かい走って行くことにした。外はまだ暗く冷たい外気が頬を刺すが、気分は最高で足取りも軽快に広い国道を我一人走って行く。そういえば来年の2月の第3日曜日には、青梅マラソンの30kにエントリーをしていたのだった。

 とにかく誰も歩いていない道を独占し走っているこの快感は、実に最高で自然に走るスピードが上がってくる。青梅市街を走るに連れ段々と人家も少なくなり、国道の両側は木々が立ち並びそれだけに走る環境は最高で快調に走ることが出来る。そんな国道を30分も走っただろうか。隧道を通り抜け更に走って行くと左側に鳥居が見えてきたのでそこを通り抜け急坂を走り丘の上に建つ神社で参拝をし、スタートから丁度、45分経っているのでここから折り返し戻ることとした。

 7時近くなると旭が射し、その金色に輝く日輪はまさに神々しく神秘的で、走りながら太陽の気を身体に浴び健康で走れる喜びで思わず「有り難う。」と言葉が出る。足の疲れも感じず快調に走って行くのだが、どこまで行っても青梅かんぽの宿に行く曲がり角が出てこないではないか。スタートしたときはまだ暗かったからしっかりとその曲がり角を覚えておいたのにも拘わらずその曲がり角に到達しないのだ。どうも見覚えのない風景なので丁度、民家の前で道を掃除をしていたおばさんにかんぽの宿を聞いてみるとそのおばさんは、怪訝な顔をし「かんぽの宿はそうだね。3kぐらい手前だよ。」と話すではないか。ガーン、何と3kも通り過ぎてきてしまったのだ。時間は7時40分になっており、今頃皆さん、きっと心配をしているだろうと走る速度を速めどうにか8時20分にかんぽの宿に到着をした。何と2時間20分も走ってしまった。兎に角急いで浴場に行き汗を流しバイキングの朝食を済ませホッとした。フーー (^^;)

 青梅市内の散策の最初は、「青梅鉄道公園」で、公園へ行く途中の坂道には、寒桜が咲いており、紅葉と桜の花と何だか得をした気分だ。鉄道公園内にはいると大きな蒸気機関車のD51が置いてあり、その運転席へと上がって見ると意外と狭いのに驚く。石炭を載せておく所があり、そこから石炭を釜に入れて蒸気により汽車を走らせていたのだ。私の子供の頃はこの蒸気機関車が鉄道の主流で汽車の窓を開けると煤煙が飛び込んできて目に入り往生したものである。展示された物とはいえ本物の蒸気機関車
の運転席に乗ることが出来、子供の頃の汽車を見てワクワクした気持ちが蘇りすっかり気分は少年に還り、他の展示された汽車にそれぞれ乗り思いを熱くした。

 公園の下の方へ行くと何と新幹線が運転席から一両が展示されており、早速運転席に座り気分は、運転手になったつもりでレバー操作をする。運転は意外と単純に出来ており、一つのレバーを操作するだけでスピードの調整が出来るのである。yuupolerもすっかり少年と少女の気分で、その極めつけがミニ電車で私とSさん、Aさんとで乗り狭い敷地の所を2周し、すっかりおじさん達は、少年時代にタイムスリップをして大いに楽しんだ。

 鉄道公園を後に2番目は、高い階段を登った所にある拝殿天井の雲竜図で知られる
「住吉神社」に行く。社殿も立派で歴史の重みを感じさせる佇まいで、鈴を鳴らししお賽銭を上げっかりと参拝をする。そして、昔の映画の看板が所々に掲げてある青梅市内を歩き3番目の「宗建寺」に行く。っここは庭園が立派でおおきな槇の木があり庭の中心を成している。その「宗建寺」を参拝し、歩を進めて行くと多摩川の近くにとてもしゃれたその名もズバリの「Tea Room」という喫茶店が在りそこでコーヒーとケーキを頼んでのしばしの休息タイムとなる。コーヒーもおいしかったが、そこで働いているWaitressの方が真っ白なエプロンを着けてとても愛想も良く綺麗な人で鼻の下がグーーンと伸びてしまった。  (-_-;)

 そんな綺麗なWaitressとお別れをし、多摩川沿いを歩き多摩川にかかる鮎美橋を渡り対岸に行く。この鮎美橋は歩行者専用の橋でとてもロマンチックな橋である。ここら辺りは釜の縁公園という所で、多摩川の岸辺は桜並木となっており、その桜の葉が紅葉して多摩川のせせらぎ、白い鮎美橋と共にLocationは実に素晴らしく一服の絵画を見るようだ。今度はこれも歩行者専用の白い柳渕橋を渡り返し、ふと左側を見るとかんぽの宿が見えるではないか。そんな多摩川を後にし国道411号線を横切り天
ヶ瀬通りをめざす。少し迷った後に「金剛寺」に着いた。

 この寺には、有名な将門誓いの梅と立派なシダレザクラがある。清水の湧く境内はゆったりとした雰囲気で平将門伝説のある金剛寺のウメは、秋になっても青い実が落ちず、青梅という地名の由来となった。そんな由緒のある「金剛寺」を後にして、今度は旧稲葉家に行く。この稲葉家のことはパンフレットから引用してみよう。


青梅宿と稲葉店

 青梅の歴史は古く,多摩川に沿う古道を中心に集落が開け,三田氏によ
る社殿造営が伝えられる住吉神社や後北条氏の保護の下に盛えた金剛寺や
他の寺院など,中世からさかえていたことがうかがえます。

 青梅宿の成立は,江戸時代に入り幕府の天領として八王子代官所の支配
の下で,森下に陣屋が置かれた後のことで,新たに現在の位置に街道が開
かれて町並が作られていったようです。

 徳川氏による江戸築城をはじめ武家屋敷・町屋などの窟設によって,周
辺地域で生産される木材,石灰,織物の集散地として問屋や仲買商の店が
並び,青梅もしだいに賑わいを見せ,甲州褒街道としての青梅街道の発展
によって宿場町の機能をそなえるようになったと考えられます。

 この稲葉家は,屋号を『稲葉店』と称し,俗に「元締」と呼ばれた材木
問屋として活躍,いつの頃からか,「青梅縞」の仲買い問屋となり,最盛期
には江戸に支店を構えていたほどであり,明治後期まで続いた青梅でも有
数の豪商でありました。

 街道に面して屋敷地が続く町屋駁は,いずれも間口が狭く奥行が深い短
冊形で,町屋(町家とも書く)の外観は街路側の正面の意匠をこらした独
特なものであります。

 土蔵造りの店舗(店蔵)は,間口いっぱいに土間をもつ前土間形式であ
り,防火戸の収納部となる袖壁を左右にもつ間口5間半,奥行4間4尺5
寸の1階部分と,土戸で守られた窓を持つ,梁間4間の豪壮な登梁様式の
2階部分からなっています。梁や柱には,奥多摩の日原から運ばれたシオ
ジ材が多く用いられている点や,その規模からも青梅宿最大級の店蔵と申
せましょう。建設年代を確定するものはありませんが,江戸末期や明治期
の土蔵造りが棟高を高くする和小屋様式であることや他の登梁様式の店
蔵の例などからもこの稲葉家は,18世紀後半の建設と考えられます。

 町並を形成する門・棟割長屋をはじめ土蔵を含めたこの町屋敷全体とし
て近世の青梅宿での町人生活を知るうえで重要な資料といえます。
 昭和55年4月,当主稲葉松三郎氏はこの貴重な文化財を青梅市に寄贈
されたのでありますが,昭和56年3月,東京都有形民俗文化財の指定を受
け,同年11月応急の整備工事の後,一般に公開されたのであります。

 そんな歴史有る稲葉家を見学し最後のシダレザクラで有名な「梅岩寺」に行く。エドヒガンに性質のよく似たシダレザクラはほとんどが一重の花でその高い古木は枝を地面すれすれまでに伸びており、桜の満開の時期はさぞ見事であろう。このシダレザクラの前で記念写真を撮り、お腹も空いたことでもあるしそば屋にて昼食を取り青梅の駅で解散をした。

 青梅は奥多摩の山に行く途中の通過点で、今回のように青梅市街をゆっくりと歩くことはなかった。ゆっくりと青梅市街を歩いてみて名所古刹も多く改めてその良さを痛感した。それと「青梅かんぽの宿」も都心から近いこともあり何かと利用しやすくまた、是非、泊に来たいものである。

                                         オシマイ