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岩木山と津軽路を訪ねてのPhotographはこちらからどうぞ・・・!!
















Enjoy《ゆーぽぴあ・遊歩記》


   第34回遊歩
≪紅葉の岩木山と津軽路を訪ねて≫








  遊歩日:   2006年10月7日(土)・8日(日)・9日(月・体育の日) 2泊3日
  遊歩先:   岩木山(1624,7m)・弘前公園(弘前城・ねぷた村・津軽三味線実演見学) リンゴ園
  温 泉:   百沢温泉(あすなろ荘)

 メンバー:   金川 勝夫、金川 和美他7名
  天 候:   7日 雨・8日 雨・9日 晴れ

 10月6日(金)

 <行 程>

 浜松町バスターミナル(22:00発)―夜行高速バス→弘前バスターミナル

 ≪遊歩記≫

 今回の岩木山の遊歩に際し一番気になる天気を心配していたのだが、この時期の何と低気圧が停滞をしており、その影響でどうも東北に向かうほど降雨になるのが濃厚で、岩木山の登山が大いに心配になるところだ。そんな心配を胸に参加者9名が浜松町の南口に勢揃いをしバスターミナルへ向かう。バスターミナルに着くと連休だけに高速バスを利用する方が多くそれぞれ旅路に思いを寄せ出発時間まで待機をしていた。私達8名は、3号車に乗り込み、後から申し込んだS,Tさんが一人4号車に別れてこれからの岩木山と津軽路を訪ねての遊歩に夢と期待を抱き乗車をした。

 車中は一列にそれぞれ三つの座席がありとてもゆったりとしている。背もたれには小さな枕が据え付けてあり、過去何度も高速バスを利用したが、寝るときに首が痛くなり閉口をしたものだ。初めて今回は枕があるので、首が痛くならずに済みそうだ。私は座席に着くなり、睡眠薬代わりにお酒を飲んでこれからの津軽路の旅の思いを巡らせ眠りに着いた。

 10月7日(土)

 <行 程>

 弘前バスターミナル(7:15着〜8:30発・朝食)―徒歩→ねぶたの館→弘前城→ねぶた村(津軽三味線観賞・ジョッパリ太鼓実演・ねぶた見学・各種コマの実演〜昼食〜)―バス→弘前駅―バス→百沢温泉・あすなろ荘前下車→ あすなろ荘 宿泊 (-.-)Zzz

 ≪遊歩記≫

 今回は枕のお陰なのか、寝苦しくもなくわりと睡眠も取れ目覚めたらバスは弘前市内を走っており、高速バスは順調に弘前バスターミナルに到着をした。私達はそんな高速バスに別れを告げ朝食を採るために弘前駅へと向かう。弘前駅にて各自、思い思いの朝食を採る。私は食堂にて大枚700円を出し、「ニシン蕎麦」なるものを食べたが、正直、元来蕎麦は余り好きでなくあいにくとメニューには蕎麦だけなので仕方なく蕎麦を食べたのだが、この蕎麦は、フチャ、フチャと柔らかく腰が無くその為おいしくなくガッカリをした。  (^^;)

 朝食を済ませた私達は、ザックをコインロッカーに預けこれから津軽観光へと向かうこととした。あいにく雨はそんなには強く降ってはいないが小雨が間断なく降っている。マア、今日は雨に降られても観光であるから、本命の明日の岩木山の登山に際し降らなければ上々と雨に濡れた静かな弘前の街を歩いて行く。

 それではこの弘前市について、その概略を述べてみよう。

 “街の中の広大な敷地にそびえる弘前城天守をはじめ、寺院や武家屋敷、商家が軒を連ねる伝統的建造物群など、弘前は長い歴史を感じさせる街だ。
藩政時代、津軽十万石の城下町として栄えた弘前市。築城と同時に弘前城を守るため、城の南西には長勝寺(ちょうしょうじ)、南東は五重塔、北西に誓願寺と、お城を囲むように寺院などが建てられた。”

 そんな雨に濡れた弘前の街を20分ほど歩き「ねぶたの館」に到着をし、先ずはねぶた祭に実際に使用したねぶたや神輿などの見学をする。それにしてもこのねぶたの館の見学に際しては、何と無料で見られるのが実に嬉しいもので、こんなところにも青森の方達の優しさがかいま見られる。

 国の重要無形民俗&カ化財に指定されている弘前ねぶた祭(8月1日〜7日)の由来は、「坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際に始めた」というおとぎ話や、「夏の睡魔を追い払うねむり流し(精霊流し)が始まり」という説や、「津軽藩祖為信が京都で豊臣秀吉に大灯籠を見せたのが始まり」などと、様々な説があります。
 ねぶたの形は扇方が主流となっており、正面の絵は鏡絵といい三国志・水滸伝・等の勇壮な絵が描かれ、後面は見送り絵といい対象的な愁いを含んだ美人画が描かれています。
 前灯籠を先頭にして、ねぷたの引き綱に連なった子供達を中心に老若男女が笛や太鼓、鉦の哀調を帯びた囃子に合わせ「ヤーヤドー」と掛け声をはりあげて城下町弘前を練り歩きます。

 そんなねぷたが数体とねぶた祭の様子が人形で再現された物が展示され、それと大きなジョッパリ太鼓が展示されこのジョッパリ太鼓だけが、ねぶた祭にこの館から引き出されこのジョッパリ太鼓の上に打ち手が数人乗って、長い棒で豪快に天まで響けとばかりに「ドーーーン、ドーーーン、ドーーーン」と打ち鳴らし練り歩く様は、それは豪快そのものだろう。

 そんなねぷたの館を見学をし、今度は弘前城がある弘前公園へと向かった。
城の外郭のお堀にかかる橋を渡り、威風堂々たる厚い扉がつけられた大手門をくぐり城内にはいる。周囲の木々は桜一色で、特に年輪を重ねたシダレザクラが多く目立ちこれなら春にはさぞかし桜花爛漫、それは見事な眺めであろう。そのその桜の木々の間から弘前城が幾星霜歴史の変遷を重ね風格有る佇まいを見せている。弘前城の観覧券を購入しているとボランティアガイドの方が説明をし案内をしてくれるとのことで、個人的に見学をするよりは、遙かに良く分かるのでその有りがたい申し出に一同感謝をする。

 津軽 彦左衛門(ボランティアガイド)

 「皆さん、ようこそこの津軽にいらっしゃいました。それではこれからこの弘前城を中心として約、1時間説明と案内をさせていただきます。」 

「それでは先ずこの弘前公園(史跡指定面積約49,2ha)について説明をしましょう。」

 「弘前城は、津軽統一を成し遂げた津軽為信によって考案され慶長8年(1603)に計画され、二代藩主信枚が慶長15年(1610)に着手し、翌16年に完成しました。以後弘前城は、津軽氏の居城として廃藩に至るまでの260年間、津軽藩政の中心地でした。
明治28年(1895)に、弘前公園として開放され、昭和27年(1952)には、史跡に指定されています。」
 「明治末期ごろから市民による桜の寄贈が盛んになり、現在は、ソメイヨシノやシダレザクラ、八重桜など約2,600本余りの桜が春になると園内を埋め尽くします。
園内では、春の「弘前さくらまつり」、秋は「弘前城菊と紅葉まつり」、冬にじま「弘前城雪燈篭まつり」と四季の祭りが行われます。
 城門・隅櫓橋北門、南内門、東内門、追手門、東門の五つの城門、丑寅櫓、辰巳櫓、未申櫓の三つの隅櫓が現存し、いずれも重要文化財に指定されています。
 春には、静かな水面を眺めながら、延々と続く-棟方志功画伯が「御滝桜」
と命名したシダレザクラ美があります。このほかに本丸のダケモミや西の郭のイチョウなど貴重な数多くの古木・名木が植えられています。」

 そんな説明を受けてからいよいよ弘前城の中へ入る。先ず驚いたのは、土足のまま見学できることだ。この弘前城は現代的にいうと3階になっており、各階には津軽氏が使用した刀剣や鎧、生活用品などが展示されている。そんな資料をボランティアガイドの方が熱心に説明をしてくれる。少し津軽弁でユーモアたっぷりと郷土の宝物を誇らしげに語る様は、素朴な東北の特長が出ており実に好感が持てる方だ。そんな各種資料を見学した後は、公園内を歩きながら細々と丁寧に説明をしてくれた。

 そんなガイドの方の説明をかいつまんでここに載せておこう。

  本 丸

 面積約 14,200mの本丸は、四方に石垣が築かれ、藩政時代には御殿や能舞台が建てられていました。現在は、ソメイヨシノやシダレザクラをはじめ、数多くの桜が植えられ、ここから望む岩木山(標高1,625m)は、まさに絶景です。

  弘前城天守

 二代藩主信枚により慶長16年(1611)に五層の天守が築城されましたが、寛永4年(1627)に落雷により焼失しました。現在の天守は、文化7年(1810)に蝦夷地警備の功績を認められた九代藩主寧親(やすちか)が、隅櫓の改築を理由に天守再建に着工し、翌8年に完成したもの
です。江戸時代に再建された天守としては、東北地方に現存する唯一のもので、重要文化財に指定されています。
 現在は弘前城史料館として、藩政時代の史資料を展示しています。

  北の郭(くるわ)

 面積約9,300uの北の郭は、西方から北方にかけて高さ約6mあまりの崖に面しています。北東隅には、二の丸に現存する三棟の櫓と同規模の三層の子の櫓がありました。発掘調査により、子の櫓のほか、館神、籾蔵などの跡が確認され、本丸に次ぐ重要な郭であることが明らかになりました。

 籾藏跡(もみぐらあと)

 寛文12年(1672)に四代藩主の信政の生母である久祥院の屋形が建てられ、廃藩の頃には、籾蔵が建ち並んでいました。現在は、その礎石列を表示しています。

  館神跡(たてがみあと)

 太閤秀吉の木像をご神体として安置した場所で、ごく限られた人だけが出入りできる場所でした。現在は鳥居の礎石、本殿の柱などを表示しています。

  子の櫓跡(ねのやぐらあと)

 武具などを保管していた三層の櫓の跡で、展望デッキからはその芯柱の礎石など、発掘されたままの状態を見ることができます。明治39年(1906)花火のため焼失してしまいました。

  武徳殿(ぶとくでん)休憩所

 明治44年(1911)に演武場として竣工し、その後休憩所として保存修理したもので、物
産の販売や、喫茶コーナーのほか、北の郭で発見された出土品も展示しています。

  緑の相談所

 弘前城植物園(有料)
専門の相談員が花と緑に関する相談に応じているほか、約 1,000冊の植物に関する図書をご覧になれます。また、季節によって様々な講習会や展示会、園芸教室などを開催しています。園内には、23ゾーン、1,500種、124,000本の樹木、草本が植えられています。世界各地の高山植物を集めたロックガーデン、季節の移り変わりを感じ取れる花ごよみの径など、四季を通じて草花が楽しめます。

 そんな懇切丁寧なるボランティアガイドの津軽 彦左衛門さんの説明を聞き終わり、緑成す弘前公園を後にし、ねぷた村へと向かった。ねぷた村で入場券を購入し館内に入ると先ずはねぷた囃子の太鼓の実演をしており、私達にも係りの方と一緒にその太鼓を「ドーーン、ドーン、ドーーン、ドドドーーン、ドーン、ドーン」と調子を取って叩かせてくれた。

 ただ太鼓を聞いているだけでなく実際に私達観光客にも太鼓を叩かせてくれたので、実感が増し嬉しい持てなしに感激をする。それから少し時間をおいて、いよいよ津軽三味線の実演が始まった。「ジャンジャン、ジャジャーーシャンジャジャン」お二人の津軽三味線の奏者による白熱の津軽三味線の演技に聞き惚れさすがは津軽、地元の方の津軽三味線の演奏には実に迫力満点で、大いに満足をした。

 館内には実際のねぷたに灯がともり色彩豊かに武者絵や美人画が描かれており、本番のねぶた祭はこのねぷたが何体も引き回されそれは夜空にこのねぶたの絵が浮き出てさぞかし綺麗であろう。来年は東北の三大祭に訪れようと心に決めた。

 そんなねぷたを見て今度は「コマ回し」の実演を見学する。色々なコマを軽快に操り見せてくれる。実際に視障者の方にもそのコマを触らせてコマを回らせてくれたのでO,Kさん、S,Mさんはそのコマを触れ実に嬉しそうであった。そんなコマ回しの曲芸を見てから食堂にて昼食タイムとなり、それぞれお好みのものを注文をし食べる。私は勿論、生ビールをグビグビと飲みながら確かショウガ焼き肉定食だったかな。食べたのだがこれが実に豚肉も柔らかくおいしかった。

 そんな昼食を採り、食堂の外に出ると何と大粒の雨が激しく降っているではないか。一瞬の明日の岩木山の登山のことが気になってきた。スーパーマーケットにて明日の非常食のためにリンゴを買い求め、更にメンバーを見ると酒豪揃いなので、旅館で、お酒を注文すると破格な飲み代になるため津軽の地酒二升を買い求めバスにて弘前の駅へと向かった。

 弘前の駅でコインロッカーに預けたザックを取り出し、バス停に向かう。ほどなくバスが来て座席に着きウトウトとしていたら百沢温泉前に到着をし、少し歩き今日のお宿「あすなろ荘」に突いた。 ホッ、ヤレヤレ  (^_^)

 部屋に着くなり先ずは一献と買い求めた津軽の地酒「弘前物語」の栓を抜き私達第1班のメンバー4人だけで乾杯をする。少し辛口でおいしい地酒だ。お互いに話をしながらチビチビと飲んでいたら、何と少し底に酒が有るだけで一升瓶の酒をほとんど4人で飲んでしまったではないか。それからタオルを肩にかけほろ酔い気分で、風呂場に行きザブーンと温泉にはいる。温泉はやや茶褐色で、熱いお湯の好きな私にとって丁度良い温度でそれが源泉掛け流しと来ているから、温泉好きの私にとってはもう、満足度100パーセントである。浴室の一隅の壁には、雪化粧をした雄大なる岩木山がドーンと描かれていた。明日にはこの岩木山へ登るのだと思うと自然に気力が充実して、「やってやろう」という闘志が湧いてきた。お酒で身体の中から温め、温泉で身体の外から温め、コリャア、実に気持ちがよいや。まさに至福の時だ。

 温泉に入りさっぱりしたところで、夕食タイムとなり私達だけの宴会場にて、会食が出来るのが何とも嬉しい心配りだ。それに聞いてみたらカラオケも無料で使用できるとのことで、それならとカラオケをお願いすることとした。山海のご馳走を生ビールを飲みながら箸をつけお互いに談笑しみんなお風呂に入りサッパリとして、おいしい物を食べいい顔になってご機嫌だ。そして一段落をしたところで、カラオケタイムとなり皆さんの十八番の歌が始まった。Enjoy《ゆーぽぴあ》では多分一拍泊まりでのカラオケタイムは初めてではないだろうか。

 皆さんの熱唱が大いに座を盛り上げ宴はまさに佳境に入り、皆、幸せ一杯のひと時であろう。そんな楽しい宴も丁度お時間となりまして、お開きとなり、今度は部屋にてまた、買い求めた津軽の地酒を飲みながらの談笑タイムとなった。そんなに飲めない私は、途中から退座をし、O,kさんと共にお風呂に行く。温泉に浸かりご機嫌になったO,Kさんが尺八の「津軽山唄」の演奏を明日の岩木山の山頂で吹くのだと猛特訓をしたそうで、そんな「津軽山唄」の民踊を朗朗と歌った。そんな元気いっぱいの今日のO,Kさんに明日の試練が訪れようとは、知っているのは神ばかりであろうか。  (^^;)  (-_-;)
 お温泉に入り部屋に戻り、窓を開けてみたら雨音も強くしきりに雨が降っているではないか。「天の神よ。どうぞ、一晩でこの雨が止んでください。」と位夜空に向かって念じて、酔いも手伝ってかすぐさま眠りに着いた。

 10月8日(日)

 <行 程>

 あすなろ荘(8:40発)→岩木神社(9:10)→神苑桜林(9:40)→姥石(11:00)→焼止まり避難小屋(12:10〜12:35・昼食休憩)→坊主ころがし上(13:30)→錫杖清水(14:00)→鳳鳴避難小屋(14:30)→岩木山山頂(15:20〜15:30)→鳳鳴避難小屋(16:15)→岩木山八合目―バス停留所(17:20〜17:35)→車道途中(18:20)―マイクロバス→あすなろ荘(18:50) 宿泊
  (^_^)   (-.-)Zzz

 ≪遊歩記≫

 私はいつも朝は起床時間が5時頃なので、その習慣があるために早くも4時40分頃には、覚醒し5時過ぎにO,Kさんと共に朝風呂へ行くこととした。早朝の温泉は実に気持ちが良く硬くなっている身体が柔らかくほぐれ身体全体に気力が漲ってくる。心配された雨はそんなには強く降っておらず後、3時間ぐらい経てばひょっとしたら止んでくれるのではないかという期待をしながらゆっくりと風呂に浸かりサッパリして部屋に戻る。

 その気になる雨であるが、誠に残念ながら小降りながらも雨は間断なく降っている。やがて朝食の時間、7時30分になったので、食堂へ行き朝食を済ませしっかりと雨具やロングスパッツを着け雨対策を万全にしサブザックを背負いあすなろ荘の玄関にTopのNavigatorの和美以下、第1班、第2班と2班編制で一同勢揃いをし、いよいよこれから岩木山の登山開始である。  (^o^)

 それでは岩木山に登る前にこの岩木山の概略をここに記しておこう。

   岩木山(1624,7m)

 岩木山は青森県弘前市および西津軽郡鰺ヶ沢町に位置する成層火山。標高1625m。円錐形の山容から津軽富士とも呼ばれる。津軽平野の何処からでも見ることができる独立峰で青森県の最高峰。山頂部は、岩木山・鳥海山・厳鬼山(岩鬼山)の3つの峰で形成されている。
 火山であり比較的新しい山のため、高山帯の前に針葉樹林帯が見られず、ダケカンバがそのまま矮化していく特異な光景が見られる。特産種であるミチノクコザクラ(ハクサンコザクラに近縁で花がより大型である)と、本州では数少ないエゾノツガザクラの分布で高山植物ファンに知られている。鳳鳴避難小屋から百沢コースに少し下ると種蒔苗代と呼ばれる小さな池があり、湖畔にはミチノクコザクラが多い。

 山岳信仰の山であり、山頂には岩木山神社奥宮がある。岩木山神社で毎年7月に行なわる例大祭「お山参詣」は津軽地方最大の農作祈願祭で、多くの人々が深夜に山頂登拝し御来光を拝むもので、国指定重要無形民俗文化財に指定されている。参詣時に唱える言葉は、修験系のものであるが、出羽三山や早池峰山などのように修験者が前面に出ることはなく、岩木山の頂上が見られる地域の住民の、ほとんどが参加していたお山参詣の習俗は特異的といえよう。なお、山頂の岩木山神社奥宮では夏季になると職員が常駐し、お守りなどの他登頂記念の手拭いを購入することが出来る。 岩木山から遠かった五所川原市市浦地区には、関東で見られる富士講の様に岩木山に見立てた近隣の三角錐型の小さな山(霞山 標高152m)に参詣する習俗があった。市浦地区の霞山には岩木山神社があり、別名脇本岩木山と呼ばれている。
 民間会社が作った観光道路が頂上付近まで通り、更に鳥海山までロープウェーが通されているため、お山参詣以外の麓から登る登山客は少ない。鰺ヶ沢、赤倉、百沢、嶽などの登山道があり、どの登山道も古くからお山参詣に使用された。百沢コースは、岩木山神社を経るため、お山参詣では一番利用が多い。

 雨の中車道歩きを30分位するとやがて岩木山の守り神、岩木神社の前に着いた。石段を昇り荘厳なる拝殿にしっかりとお賽銭を上げ今日の岩木山登山の無事を祈願し、気持ちを新たにして、左折をして太い標柱を過ぎ、杉林の中を緩やかに登って行くと、神苑桜林に出た。それにしても先からオートバイの騒音が「ブルーン、ブルルーーン、ブルーン、ブルルーーン」と辺りの静寂を打ち破るようにけたたましくうなりを発しているのには、少々幻滅をしてしまった。やがて百沢スキー場の所で最初の一本立てて休憩をする。

 各自、息を整え水の補給やタバコを吸ったりして休憩を済ませまた、歩きスキー場を過ぎるといよいよ登山道だ。すぐに鼻こぐり、七曲と称される九十九折りに出くわすが、そんなに長くは続かない。展望の無い樹林帯を皆、一列になり黙々と登って行く。雨は出発したときよりは雨脚も強くなり、登るにつれて大降りになってきたようだ。ここら当たりに来ると足並みが先頭の第1班と後方の第2班の間が開いてきてしまった。結構斜度もきつくここは気合いを入れて一踏ん張りをするところだ。

 一同、雨の中をノロノロと登って行くと姥石に出た。やがて視界は開け、ブロック造の焼止まり避難小屋に到着をした。既に先客が昼食を採っており、10名ぐらいの方々がツアー登山らしくこれから下山をするそうだ。私達もここで昼食をすることとした。あすなろ荘のお弁当のおむすびが空きっ腹だったので実においしくたちまち大きなおむすびを二つも食べてしまった。満腹となり、気力、体力が漲って闘志満々になってきた。何しろじっとしていると寒いので昼食を済ませ早々に出発をすることとした。

 避難小屋から外へ出ると私達をまるで山頂へ登らせまいとするように雨が一団と強く降ってきた。少し歩いて行くとこの登山コースでの一番の難所「坊主ころがし」の大沢に入る。幸に沢の水はそんなに多くはなく沢を左右にへつったり、時に沢の真ん中を登ったりしながら悪戦苦闘一歩、一歩岩場を登って行く。私は一昨年の北海道の斜里岳以来の沢登りなので、気持ちも高揚し実に面白く久しぶりの沢登りの醍醐味を味わった。

 S,MさんとO,Kさんのお二人は、やはり、相当難渋しているようで、サポーターの的確なる指示の元、必死に登っている。「苦あれば楽ある」ここは一番、男の意地で頑張って貰わなくてはどうしょうもない所なのでどうにか登り切って欲しいものだ。そんな沢登りもようやく終わりとなり、その苦労のご褒美だろうか。「錫杖清水」という水場に出た。「ゴク、ゴク、ゴク、ウウーーン、生き返るようだ。」この清水が冷たく実にうまい。そんな清水を飲み登り切ると種蒔苗代で、初夏にはミチノクコザクラのピンクの色が目に鮮やかに展開する所だが、この時期には残念ながら草原だけである。吹く風は冷たく突然バラ、バラ、バラと音がして雨が何と霰に変わって降ってきたではないか。もう少し気温が下がれば完全に雪になるのであろう。そんな悪条件の中を背をかが歩いて行く。

 見るとO,Kさんはかなり疲れたようで足取りもおぼつかずに和美にサポートをされながらヨタヨタと歩を進めている。「もうすぐ避難小屋があるから頑張って。」とO,Kさんに叱咤激励をし登って行く。やがて鳳鳴避難小屋が見えてきたので、お互いホットし安心をし避難小屋へ向かった。鳳鳴避難小屋の所は、岩木山八合目の道と合流する分岐点だ。この避難小屋にて小休止をし、これからいよいよ岩木山山頂へと向かうこととした。

 今度は私がO,Kさんのサポートを和美に代わり山頂目指して登ることとした。第一、第二おみ坂の岩場の山頂直下のかなりの斜度で大岩が連続する急登をO,Kさんを励まし一歩、一歩登って行くのだが、完全に疲れてしまったO,Kさんは、もう、足が上がらず四つんばいになりながらそれでも懸命に登って行く。そんな姿を見た和美が「山頂へ行くのにはまだ時間がかかるし、今度はこの急登の道を下山をしなければならないのでどうしようか。・・・」と私に話すので、「イヤ、後わずかだから登ろう。」とChiefである和美に応える。ここまで来て断念するのは後になって悔いが残るし、ただ疲労をしているだけなので、O,Kさんのこれからの人生にとって、辛い思いをして山頂に立ったということは、どんなにその達成感と感激が支えになるかも知れないし、以前も利尻富士でRetireしているから、今度こそ山頂へ建つという男のロマンを達成して欲しいとそんな思いを心に込め更に一歩、一歩O,Kさんをリードしながら岩場を越えて行く。やがて山頂まで後わずかの分岐点を左に採り濃霧と雨の中を歩を進めてゆくと「山頂だよ。」と和美の声がするので、そんな声を聞いたO,Kさんの足取りが軽くなり、ついに岩木山山頂、1624,7mに立つことが出来た。すると
間髪を入れず「バンザイ、バンザイ、バンザイ」と山頂に立った全員が歓声の万歳三唱が上がった。この声と光景を見て私は思わず目頭がじーんと熱くなり一滴の涙を流してしまった。

 晴れていれば七里長浜、八甲田山、白神岳、岩手山、鳥海山の東北の山々の雄姿の大パノラマが見られるのだが、この濃霧と雨では誠に残念ながら見ることが出来ず早々に奥の院に参拝をして下山をすることとした。下山は再びO,Kさんのサポートを和美に交替をしてそれこそ本当に一歩、一歩、岩場を下って行く。そんな岩場の下りも乗り越えやっと鳳鳴避難小屋に到着をした。そこから今度はO,KさんのサポートをS,Tさんに交替をして、暗くなった狭い山道を八合目目指して下って行く。途中のリフト乗り場の看板には、バスの最終時刻16時15分という表示がされていたが、これには当然間に合わないので八合目でタクシーに来て貰うこととし兎に角、急いで下ることとした。

 私はその下る途中で小岩につまずき転倒をして、横に生えていた木に左胸部を強打をしてしまい打撲をしてしまった。一瞬息が詰まったが、打撲は直ぐには痛くならないので、更に歩を進めるとやがて八合目のバス停留所の建物が見えてきた。そこで大声で「オーーーイ、着いたぞ。」と後方のみんなに安心させるために伝えて、ようやく暗くなった八合目に着いた。何とその建物には誰もいないではないか。それで和美がタクシーに来て貰うためにあすなろ荘へ携電で連絡をするとこの車道は麓の方でゲートが閉まっているためにこの八合目の所までは行けないとのことだ。

 「ガーーーン」一瞬落胆で頭が真っ白くなったが、仕方がないので兎に角そのゲートまで行けばあすなろ荘のマイクロバスが迎えに来てくれると言うことなので、大急ぎで位車道を約、10K歩くこととした。幸い雨も上がり下り坂なので「岩木のおろしが吹くなら吹けよ。山から山へと我らは走る。」と大声で歌いながらs,mさんと坂を駆け下って行く。結構面白くドンドンと歩くというよりは走っているという感じで中央の白線を目印にして駆け下って行く。そんなことを約、40分ぐらいしただろうか。すると何だかボーッと全法が明るくなり何とあすなろ荘のマイクロバスが迎えに来たではないか。

 マイクロバスは私達の所で止まり、「 助かった。」地獄で仏とばかりにその温かいマイクロバスに乗り込み旅館の方に事情を聞いてみると、連絡を受けてからガードの管理をしている方に連絡をして、その管理者にガードまで来て貰いガードを開けて貰ったとのこと。「本当にお騒がせしました。」と旅館の運転手さんに御礼を何度もして一同ホッとする。途中車の灯りに引き寄せられたのか。野ウサギが何と後ろ足で立った姿勢で私達の車を見ているではないか。「みんな、車が早く来て乗ることが出来て良かったね。・・・!!!」ときっとウサチャンが見送ってくれたのだろう。「ウサチャン、有り難うね。」

 やがてあすなろ荘には7時前に着き急いで風呂に入りサッパリをして7時30分に旅館の方の行為により夕食を食べることが出来た。さすがは今日はカラオケというわけには行かないし、私達のために係りの方が接待として遅くまで残っているので、夕食も早めに切り上げ一同部屋に戻り色々とお酒を飲みながら反省をし、頃合いを見てO,Kさんと共に風呂に行きゆっくりと温泉にはいる。

 とんだアクシデントが合ったが、こんな苦労をして登った岩木山、ただバスで八合目まで行って山頂へ行くよりは、遙かに印象深く人生の想い出の一頁として何時までも心に深く残ることであろう。

 10月9日(月・体育の日)

 <行 程>

 あすなろ荘(8:40発)―マイクロバス→リンゴ園(りんご狩り・11:30発)―バス→弘前駅→日本海庄屋(昼食・打ち上げ会)(12:55発)→弘前バスターミナル―バス→盛岡(15:10着・15:40発)―東北新幹線→東京(18:08着) (^_^) 

 ≪遊歩記≫

 昨日は本当に実に変化のある岩木山の登山であった。O,Kさんと朝風呂に行き外を見ると旭が光り輝いているではないか。後、一日づれていたらこの晴れた天気の下で岩木山の登山が出来たのだが、何事もうまく行かないのがこれ人生、マア、昨日は昨日で、全員が雨の岩木山へ立つことが出来たし、八合目からそんなに歩くこともなくマイクロバスに乗れることが出来、風呂も入れたし、夕食もメニュー通りに食べることが出来たので、これも全てよしとして、登山で疲労をした足腰を温泉に浸かりゆっくりと伸ばしその思井を新たにした。

 そして朝食を済ませあすなろ荘のマイクロバスにて、リンゴ園に向かう。りんご園にて一人、400円を支払いリンゴ食べ放題のリンゴ狩りをするのだが、あの大きなリンゴを早々は食べられるものではない。それでも後から効くとA,Sさんは何と3個も食べたとか。さもあろう。・・・ (^^;)  津軽富士、千秋(せんしゅう)等のリンゴを食べてみると甘酸っぱい味が口の中に広がり新鮮さを感じた。空を見ればくっきりと秋空に岩木山が裾を拡げて見えるではないか。「ウーーン、あの岩木山に登ったのか。」と改めて感激が蘇ってきた。そんなりんご園で岩木山(津軽富士)を背にして、この日のためにと特訓をしたO,Kさんの尺八の演奏をお願いをし「津軽富士津軽山唄」の曲が「ヒョローーーロ、ヒョローーーロ、ヒョローーーロ」と音が朗朗と流れその音色に聴き惚れる。O,Kさんもきっと昨日の登山をことが脳裏に去来し、感激一入で吹いているのであろう。

 そんなりんご園でゆっくりしてから、弘前駅に向かい途中の「日本海庄屋」にて昼食と打ち上げ会となり、一同生ビールで乾杯をし日本海の新鮮な魚に舌鼓を打った。そして昼食を済ませて、バスターミナルから盛岡に向かい新幹線に乗車をした。

 今回は一日目は、津軽の観光、二日目は変化満点の岩木山登山と実に中身の濃い遊歩であった。今回の岩木山登山のことを反省をし教訓として、楽しい遊歩をいつまでも元気で続けたいものである。