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≪披露山公園と逗子海岸遊歩記のPhotographはこちらからどうぞ≫












Enjoy《ゆーぽぴあ・遊歩記》

         第48回遊歩
 ≪真白き富士の根の舞台
 湘南の友情の詩、誕生の海を見る≫








  遊歩日:   2007年7月1日(第1日曜日)
  遊歩先:   逗子海岸・披露山公園・浪子不動
 総参加者:   14名
         Blind  8名  Supporter 6名
         男性   8名  女性    6名
  食道楽:   日本料理「新道亭」 
  天 候:   曇りのち晴れ

 <行程>

 1時間02分 890円 58.7km
新宿{9:45 [1番線] 湘南新宿ライン(G)(逗子行)→JR逗子(10:47)―徒歩15分→逗子海岸→披露山公園→浪子不動―10分→逗子海岸→新道亭(小宴会)→逗子駅→東京

 ≪遊歩記≫

 今回は久しぶりのSeaside Walkだ。湘南の海、逗子海岸を歩き93mの丘、披露山公園で昼食を採り、新道亭という日本料理のお店で小宴会を催すという一日のんびりと歩く遊歩だ。それだけに参加者もWalking yuupolerで、登山と違い最初からのんびりとしたpace配分で行動している。

 JR逗子駅で参加者全員が集合し、強い陽射しが照り付けHawaiian songが流れる逗子の商店街を歩き逗子海岸へと向かった。途中、おじさん達は、Thyme slipをし、すっかり湘南Boyになった気分で、若き日の若大将、加山雄三や、青大将、田中邦衛の話をしながら青春時代の夢を懐かしく追いかけその話に余念がないようだ。その海岸に近づくと遠く潮騒が聞こえ、潮の香りも仄かに漂い海辺が近いことを感じながら、更に歩を進めやがて逗子海岸へと到着をした。

 今度は潮騒も海岸縁だけに「ザーンブ、ザザザッ、ドブーン、ザーンブ、ザザザッ、ドブーン」と白い波を見せてゆったりと満ち引きをしており、遠く水平線も見えその雄大な眺めに思わず「アー海だ・・・!!!」と歓声を上げる。皆さんも山と違った開放的な風景に心和ませ見入っている。この逗子海岸も今日は、余り人もおらず静かであるが、来週からは海水浴もOpenとなり、大勢の人が押しかけきっと賑わうことだろう。砂浜はゴミ一つ落ちて無く円を描いて遠くまで続いており、その右後方にはこれから行く披露山公園の緑成す丘が見えている。

 そんな白い砂浜をトコトコとU,Yさんが海縁へ向かって歩いて行く。きっと心は湘南Boyになっているのだろうか。そんな姿をこちらからデジカメでパチリと写す。きっと久しぶりに歩く砂浜の感触が気持がよいのだろう。いつも山の方へ足が向くが、山も良いがこうしてたまには、海岸を歩くのも良いものだと改めて思った。そしてニコニコしながらU,Yさんが戻ってきたので、一同、腰を上げ披露山後縁へと向かった。

海岸線の道路を歩き、間もなく 有料駐車場の後方から披露山公園へと向かうのだが、その道が細く最初から階段が続き、それが終わると今度は滑りやすい土路になっており、何しろ今回はWalkingと言うことで、山歩きには不慣れな女性が3人も参加をしており、そんな彼女達は一歩、一歩怖々と足を出し登って行く。そんな細い路の右手は長い塀になっており、後で分かったことだがこの塀の中は、石原慎太郎の別荘地だとか。やがて歩きにくい箇所も通過をし、立ち休憩をした後、また、山頂目指し歩いて行く。きっと昨日雨が降ったので、それだけに土が濡れておりとても滑りやすくなっているのだろう。そんな3人の彼女たちも悪戦苦闘をしながら私達と共にやっと山頂の駐車場へ到達した。  (-_-;)  (^^;)

 ここからは綺麗に舗装をされた道路を歩き山頂の見晴台へと行くことが出来た。途中の鳥の広場では、丁度、孔雀が羽を広げて私達を歓迎してくれた。その広場にはVolunteer Guideの高齢の男性が、私達のためにこの披露山公園についてLectureをしてくれた。何でも鎌倉時代、源頼朝が挙兵をするときに一同がここに集結し、それぞれの武将がここで披露をしたのだとか。それでここを披露山と銘々をしたとのことであった。そんな古事由来があるとは全く考えてもいなかったが、その土地の歴史を調べてから遊歩に出かけると更に興味深いものがあるかも知れないが、私のような凡人にはとても面倒で出来ないことだ。

 そのVolunteer Guideの方に案内をして貰い絶景の見晴台で昼食Thymeを採ることとした。この見晴台からは東に三浦半島.西に江の島.天気の良い日は、箱根連山や富士山、伊豆半島の山々まで望める絶好のロケーションの所だ。早速、ビンビンに冷えたビールとワインで乾杯をする。陽射しがきつくとても暑かったので、すっかりと喉が渇いていたため、この冷たいビールの喉ごしがたまらなく「ウヒャア、ウンメイ、」とばかり「ゴクゴクゴク」と一気にビールを飲み干してしまった。そんなビールやお酒を飲みながら、皆さんはそれぞれに持参をしたお弁当を景色を見ながら美味しそうに食べている。

 何でもこの逗子海岸では、明治時代、逗子市の前身であった、田越村の海岸は松林の続くだけの浜。この海で明治43年(1910)に起きた悲しい出来事と友情の詩「真白き富士の根」の舞台にもなったという、ここでボートに乗った青年達が悪天候のため、遭難をしたという悲話がある。この近くに「真白き富士の根」の唄が刻まれた歌碑が奉られているとのことだ。そんな思いに耽っていたら、空で円を描いて飛んでいたトンビがいきなり急降下をしてきて美味しそうに食べていたS,Mさんのお弁当を狙いに来たではないか。Volunteer Guideによると屡々ここでトンビにあぶらげを浚われるではないが、お弁当を持って行かれるそうだ。

 そんな和やかな昼食Thymeも終わり、これからこの披露山を下山をして、新道亭の宴会場へ向かうこととした。先ほど登ってきた登山道とは違う路から下山をするが、ここも濡れていて滑りやすくなっており、またまた、3人の女性と私の後ろで良い気持になっている方が、ヨロヨロしながら慎重に降りて行く。途中でウグイスが「ホーホケキョッ、ケキョケキョケケケ」と私達に「気をつけて降りて行きなさいね。」とばかりに鳴いている。まるでここだけ見ればこれが逗子の丘とは思えないほどの深山幽谷にいるようだ。

 そして一同、やっと登山口の浪子不動に到着をし、ここで休憩を採ることとした。ここには「桜貝の唄」の歌碑があり、普段コーラスグループで、練習をしているというS,Mさんの奥様とN,Kさんが喉を競うかのように朗々と歌っている。そしてそれが終わると今度は、O,Kさんが、尺八を取り出し「真白き富士の根」の演奏が始まり、「ピロロローン」と悲しみを込めた尺八の音が流れ出すと、思わず荒れ狂う波間に漂うボートの影が瞼に浮かんできた。そんな芸能のひと時も終え、一同、歩き出しまた、逗子海岸に戻り、ここで和美が率先し裸足になり、スラックスを膝までめくり、海岸線を海に入り歩いて行く。それを見てはじめは皆さん、躊躇していたのだが、次々と海に入り、海水に足を浸しながらチャポ、チャポと歩いて行く。それが砂の感触と海水の冷たさがとても気持良く、私は本当に何十年ぶりだろうか。海岸から海辺を見ていたことは何度もあるが、こうして直接海に入り歩くことなど久しくなかったことだ。

 みんなもう、すっかりThyme slipをし、心は少年、少女になった気分で、靴を片手に持ちながらルンルンと歩いて行く。S,Mさんもとても気持が良さそうに歩いている。そんな海岸散歩も終点に到着をし、ここから逗子の街に戻り少し迷った後、今日のお楽しみ海の幸の和風料理の店「新道亭」に着き、先ずは生ビールで乾杯をして、刺身等の料理に箸をつける。とてもネタが新鮮で料理も大変美味しく満足の味だ。

 そんな宴を約、二時間楽しみ、今日はこうしてとても変化に富んだSeaside Walkも至福のひと時を皆さん、満喫し、三本締めでお開きとなった。

                        THE end  (^@-)  (^_^)