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《ゆーぽぴあ・遊歩記》


《≪第23回遊歩 花と緑と温泉の
南海の孤島八丈島を訪ねて≫》



 遊歩日:   2006年3月18日(土)〜19日(日)・20日(月)・21日(火) 3泊3日
 遊歩先:   八丈島(伊豆七島)
 参加者:   10名
 天 候:   19日(日) 曇り 20日(月) 晴れ後曇り 21日(火) 晴れ


 03/18(土)

<行程>

 JR浜松町北口(21:00)―徒歩→竹芝客船ターミナル(10:30発)〜東海汽船〜

 ≪遊歩記≫


           春の宵
            灯りを後に
               船の旅



           早春の
            八丈孤島
               船揺られ

 浜松町の駅で八丈島遊歩の参加者、yuupoler10人が勢揃いをして、いよいよ今日から三日間の「南海の孤島八丈島・花と緑と温泉の島」の船旅が始まるのだ。まだ私は伊豆七島では、大島に行っただけで、他の島には訪れたことが無くそれだけにこの八丈島には特に予てより訪れてみたいと思っていたのだが、今日こうして実現したので、もう、心は八丈島にとんでいる。竹芝桟橋にて、乗船手続きを済ませ、船酔いをしないために先ずはアルコールで先に身体を酔わせてしまおうと缶ビールを飲みながら約、1時間ばかり乗船まで待つこととした。

 やがて乗船時間となり、ワクワクしながら客船さるびあ丸(4,965トン)に向かう。近づくと闇夜に客船の灯りが輝き船全体が、まるでライトアップをしたかのように浮き出て見えるではないか。もう、その光景を見ただけで感激し心が躍り、早くも旅情をかき立てられた。一同タラップを踏んで、船内に入り特2等の寝台の部屋に行き荷物を置いて、先ずは甲板に向かい出船の様子を見ることとした。さるびあ丸は暗い海を静かに出港し、大都会の夜景がそれは実に綺麗に浮き出ており、特にライトアップをされた東京タワーとレインボーブリッジ(橋長798m)の夜空に光り輝く光景は実に素晴らしい眺めでもう、皆さん、歓声を上げて見とれている。

 そしてその灯りと光りの織りなす夜景を見ながら軽くワインでこれからの旅の安全を願い一同乾杯をする。確かに飛行機で八丈島に行くのは40分と時間もかからないし便利でよいのだが、一方10時間もかかる船の旅はこうした感動があるので情緒たっぷりでまた、良いものだ。しかし、何しろ甲板なので風が強く吹き付けてくるため寒いので場所を変えて船内のロビーに行きそこで暫くお酒を飲みながら談笑をする。やがて消灯の時間になったので2段ベッドになっている部屋に戻り、船の揺れが眠気を誘いアルコールも手伝って何時しか微睡みに入る。

 03/19(日)

<行程>

 八丈島底土港(9:30着)―Rent-a-car→B&Bレストラン(10:30朝食
)―Rent-a-car→ビジターセンター&植物園見学(11:40)―Rent-a-car→八丈島物産展(12:30)―Rent-a-car→八丈島民俗資料館(13:15)―地熱発電所(14:40)→Rent-a-car→「見晴らしの湯」(15:30〜16:30)―Rent-a-car→民宿・自由ヶ丘(17:00宿泊) (-.-)Zzz

≪遊歩記≫

           船酔いの
             つらさ乗り越え
                  春の島  


 船室の二段ベッド上段で、 ゆらゆら揺られながら気持ちよく微睡んでいると船内が明るくなり、船が三宅島(参考文献参照)に近づいたことをアナウンスをしている。それで私は起き出してその様子を見に行くこととした。何と乗客の大半が三宅島で下船をするではないか。三宅島は雄山の噴火のため2000年9月2日から全島民が東京に避難をしていたが、2005年2月1日から避難解除となり一部の冬眠が帰島をして生活をしている。島民なのか観光客なのかは分からないが、まだ亜硫酸ガスを噴出している島によくもまあ、大勢の人が訪れるものだと感心させられる。外は真っ暗で何も見えず大粒の雨が降っており、冷たい風が吹き付けてくるので船内に入ることとした。

 船内のロビーの椅子で腰掛けていると和美が青ざめた顔で船室から出て来て、兎に角船酔いで気持ちが悪くたまらず吐いてしまい胃の内容物をすっかり吐き出して、胃の中が空っぽになってしまったと頭を抱えている。今回和美は乗船の前に船酔い止めの薬を飲んだのだが、長い乗船時間のために薬の効果もなく船酔いになってしまったとのこと。それで寝ていると余計に辛いから腰掛けているようにと二人で暫くロビーで腰掛けていた。確かに三宅島までは船の揺れはそんなでもなかったのだが、三宅島を過ぎた辺りから外洋に出た性でもあるのか、船の揺れが一段と大きくなり腰掛けていても身体が下方へ吸い込まれてゆくようで、正直、余り気持ちの良いものではない。

 そんな艱難辛苦の後にようやく長い船旅も終わりに近づき鉛色の空に八丈島が見えてきた。やがて船内に八丈島下船のアナウンスがあり、一同ザックを背中にして、下船口に向かう。しかし、八丈島で下船する乗客は数えるぐらいで竹芝桟橋で乗船したときには、結構乗客がいたのだが、ほとんどが途中の三宅島で下船をしてしまい八丈島には私達10人の他には、他の乗客は10人もいるであろうか。それだけこの八丈島は遠方にあるということなのかちょっぴり淋しいものがある。そんな想いでタラップを踏み降り八丈島にその第一歩を印した。yuupolerに聞いてみると皆さん、結構船酔いで気持ちが悪かったと話しており、改めて10時間という船旅の長いことを感じながら桟橋を歩き客船ターミナルに向かった。

 客船ターミナルに着き、レンタカーの手続きをする。今回島内を巡るのにレンタカーを利用して、移動をすることとした。幸にも参加yuupolerのうち運転できる方が4人もいるのでこれは大助かりだ。予定としては今日、19日は、八丈富士登山をすることになっていたのだが、風が強く余り天気が良くないので、八丈富士登山は、明日にして今日は島内観光をすることとした。

 先ずは朝食を採るために「レストラン B&B」に行き、そこで私は「トビウオのフライ定食」を注文し生ビールを飲みながら食べたのだが、これがトビウオのフライがカラット揚げてあり実にうまかった。レストランの方に八丈島の人口を聞くと現在8000人程度だそうである。レストランも白い洋風な建物でとてもエキゾチックで、庭にはフェニックスやソテツが植えてあり、この佇まいだけでもう、南の島に来た実感を得た。そして一同朝食を採り満腹になったので、これから島内観光へと足を薦めた。

 観光の一番目は、八丈島ビジターセンターと植物園に行く。ビジターセンターでは、八丈島の誕生や歴史などを模型や図解をしている。(参考文献参照)そして植物園には、南の島特有のフェニックスやソテツ等の植物が広い庭に植えてあり、温室の熱帯植物園には、パパイヤ、マンゴー、ハイビスカス、各種のラン等々が植栽してあった。それら南国の植物を見てから次に八丈島物産展が丁度運良く開催されていたので、その物産展の会場へ行くこととした。

 八丈島物産展には、島内の人達が広場に模擬店を開きそこでシマアジ寿司、揚げ物、クサヤ、おかゆご飯等々の珍味を皆さんに無料で提供している。私達はそんな模擬店の梯子をしてその珍味を食べたのだが、これが実に素朴でおいしくこれで昼食代わりにもなったのでとても満足な気分になった。八丈島の人達と八丈島の歴史やクサヤなどの会話を交わしたりして、物産展会場を後にして、次は八丈島資料館へと向かった。

 この八丈島史料館は、丁度昔の校舎という感じの建物で、そこに八丈島の歴史、古文献、島民の生活用具が各、ジャンル別に配置してあり、それらを興味深く見学をする。そしてそれらの資料を見てから今度は、地熱発電所に向かった。この地熱発電所は、西山(八丈富士)と相対している東山(三原山)の近くにあり、東京電力がいわゆる火山の300°の地熱を利用し発電をしているのだそうで、島内の500世帯の電力をまかなっているということで、改めてその地熱の威力大きなことを知った。


             海原に
               光る春陽
                 延々と


 今日の観光の予定は全て終了したので、これから「見晴らしの湯」に行き、大海原を身ながら露天風呂には入りゆっくりと汗を流すこととした。この「見晴らしの湯」は高台にあり、その露天風呂からは大海原の水平線が遙かかなたに見えその風景たるやまさに野手満点である。そんな気分最高の温泉に入った後、今日の宿「民宿自由ヶ丘」にみんなさっぱりとした笑顔になり向かうこととした。

 この「民宿・自由ヶ丘」は、二階建ての建物で玄関には八丈太鼓が置いてあり、早速M、Kさんがその太鼓を手で叩いて戯けている。各、3部屋にザックを置いてからほろ酔いビタイムとなり、ビール、ワイン、お酒等々を夕食前の食前酒とばかり飲み始める。温泉に入ったし、旅心は満喫したし、アルコールが五臓六腑を駆けめぐりまさに至福のひと時だ。そんなほろ酔いタイムを過ごしているとやがて夕食となったので階下の大広間に行き他のお客さんと共に夕食タイムとなる。

 H、Kさんの乾杯の音頭により、夕食の楽しいひと時が始まった。この夕食がまた、実に豪華だ。シマアジ寿司がどーんとお皿に並んでおり、天麩羅、揚げ物、焼き魚、アシタバ等々の料理がお膳に所狭しとばかり置いてあり、もうこれはたまらないご馳走である。それに何と大ドックリの八丈焼酎がサービスに日本も置いてあるではないか。yuupoler10人もう、みんなご満悦でそれらの料理を箸を付けながら談笑する。そして何時も思うのだが本当に健康であればこそこんな楽しみが出来るので、改めてこの健康に感謝をする。

 そんなご馳走づくめの夕食もやがてお開きとなり、今度は部屋に行きまた、酔いどれタイムとなり、お酒を飲みながら昔の懐かしのNHKの新諸国物語「笛吹童子」、「紅孔雀」等々のラジオドラマ、政治談義、国防問題等々の「ジジイ談議」が始まった。男性yuupolerは、同年配なので話が合うというか、みんな少年に戻りもう、話は佳境になり情熱で目が輝いている。そんな「ジジイ談議」も一頻り話をし、やがて頃合いも良い時間となったので、皆さん、各、部屋に行きお休みタイムとなった。 

 03/20(月)

<行程>

 民宿・自由ヶ丘(8:00)―Rent-a-car→防波堤見学(8:30〜9:40)―Rent-a-car→服部屋敷八丈太鼓・樫立踊り実演見学(10:00〜10:40)―Rent-a-car→八丈富士登山口(11:10)―徒歩→階段登山道(11:30)→八丈富士お鉢の箇所(12:00)→八丈富士登山口(13:10)―Rent-a-car→ふれあい牧場昼食(13:25〜14:20)―Rent-a-car→丸十水産(15:20クサヤ製造販売所)―Rent-a-car→八丈島お土産処(15:50)―Rent-a-car→見晴らしの湯(16:00〜16:50)―Rent-a-car→民宿・自由ヶ丘(17:10宿泊) (-.-)Zzz

≪遊歩記≫


           ウグイスや
             朝靄の中
               島走る


 早朝5時20分に起床し民宿の玄関にて、準備体操をして屋外に出る。かなりの強い風が吹いており身が引き締まる思いだ。私は今回八丈島遊歩のもう一つの目的として、早朝マラソンを計画していたのだ。先ずはゆっくりとしたペースで民宿前の広い道路を右に走って行く。何しろ島だけに坂道が多く最初から急な坂道になっており、その坂道と冷たい向かい風と闘いながら朝靄の中を走る。空気は澄んでおり実に気持ちが良く身体も走れる喜びで躍動しているようだ。「ホーホケッキョ、ケキョ、ケキョ」とウグイスが私に朝の挨拶をしている。

 走るに連れ坂道は斜度を増しそのため走る速度が鈍ってくる。スタートから丁度20分経ったので折り返して民宿に戻ることとした。40分、快適に走ることが出来た。部屋に戻り着替を済ませて広間に行くと既に皆さん、朝食を採っており、おいしそうに箸を進めている。私も温かい味噌汁に箸を付け頂く。40分も走ってきたのでその味噌汁の塩加減が実においしく身体が無意識に塩分を要求していることを感じた。しっかりと朝食をし出発の仕度をして一同レンタカーに乗り込む。


           岩礁に
            砕け散る波
               射す春陽


 先ずは服部屋敷に行き八丈太鼓と樫立踊りの見学である。服部屋敷には10時の開園時間よりかなり早く着いてしまったので、海岸縁を散歩をすることとした。途中に裏見の滝という所があり、そこには四角い浴槽の露天風呂があり、その前の岩壁から滝が流れており、時間があればこの滝を身ながら露天風呂には入ればまさに野手満点でマイナスイオンをたっぷり浴び健康増進には、すこぶる良いことであろう。そんな裏見の滝を後にして海岸に着き防波堤に上がり海岸縁を見るとまるで東映映画の最初のシーンのような白い荒波が春の陽に輝き岩礁に砕け散っているではないか。堂々たる迫力にyuupoler達は、その光景を背に記念撮影をする。海は真っ青でどこまでも果てしなく続いており、その雄大な長めは実に気持ちを大きくしてくれる。


            東風吹かば
             古さと恋し
                流人島


            浅き春
              八丈太鼓
                二人バチ


            涙拭ぎ
              故郷思い
                 盆踊

            赦免花
              咲き立つ岬
                 舟見えず


 そんな雄大なる景色を眺めた後、再び服部屋敷に戻り、八丈太鼓と樫立踊りを見ることとした。この服部屋敷は、昔江戸時代に八丈島の特産品である黄八丈の管理をするために伊豆下田から派遣された役人が服部なにがしであったとのこと、その服部氏が住まいをしていたのがこの服部屋敷で現在子孫はおらずこの屋敷だけが残っておりここで舞台を作り郷土民謡や八丈太鼓の実演を行っている。先ずは八丈太鼓の実演である。大きな太鼓を真ん中にして、二人の打つ手が両脇から軽妙なるバチさばきで迫力ある太鼓の実演が、うち手を交替しながら「ドーン、ドーン、ドドドーン」と腹に響く音で豪快に八丈島の歴史的変遷を訴えるが如く演じている。そんな八丈太鼓の実演が終了し、今度は樫立踊りの実演である。この樫立踊りは、踊り手が8人で踊りを演ずるもので、の昔八丈島に流罪として島流しにあった罪人が、望郷の思いを寄せて、流人の各故郷の民謡を元にして、14の場面を盆踊風にして、流人の故郷を思い踊ったという言い伝えのある踊りである。

 この樫立踊りの14の場面を見ていると昔の流罪を受けた流人の故郷を思う心や、無情の儚さが何だかせつせつと感じ目頭が熱くなる思いだ。春になり東風が吹くとご赦免船が来ると信じていたり、また、ご赦免花といって、彼岸花のことであるが、この花が咲くとご赦免船が遠く江戸から来るということで、そのご赦免花が咲くと岬に
立って大海原を見つめご赦免船の到着を今か、今か待っているのであるが、そんなご赦免船は来ず絶望に遠い故郷を思い涙するという悲しい光景が毎年繰り広げられたということだ。


            春寒の
             八丈富士に
                友と立つ


 そんな太鼓と踊りの実演を見た後、いよいよ今回の第1の目的である「八丈富士」の登山をするために一同レンタカーで登山口に向かう。何と車で八丈富士の8合目ぐらい行くことが出来、その登山口からゆっくりで1時間もあれば八丈富士のお鉢の所に行くことが出来るのだ。登山口から少し歩いて行くと階段状になっており、その階段を皆さん、登って行く。私は皆さんより少し早くその階段を軽快に登って行き、程なくお鉢の所に着いてしまった。そこで皆さんを待っていても兎に角強風が吹き付けてくるので、また、下って行き皆さんの来るのを待つこととした。

 やがて皆さんと合流し、全員お鉢の所に着いたので、これからお鉢巡りをするために狭い登山道を山頂目指し歩を進める。それにしてもかなりの強風が吹き付け寒さが身に応える。それでも一同、そんな寒さと強風にもめげずに歩を進めたが、どうにも強風と寒さには勝てず途中で引き返すことにした。下りはあっという間に登山口に着き、今度は八丈富士の山麓にある牧場に行くこととした。

 その牧場の展望台で簡単な昼食を採り、一部の方が牧場の所まで歩いて行き牛さんとご対面をしたときに、M、Kさんが牛サンを挑発したらしく「モーー、モーーー」と大きな声を出してM、Kさんを牛さんが牽制したそうである。そんな牧場見物を後にして、今度は街に行き、クサヤの製造所、丸十水産に行きお土産にクサヤを買い求めた。このクサヤの発祥地は伊豆七島の新島だそうで八丈島でもクサヤの製造をするため新島からその製造技術を学びモロアジ、トビウオ等の魚をすっかりと内臓を取り出し塩水だけに漬けてくさやを造るのだそうである。あの独特の臭いは、長年に亘る付け汁が酵素をハッする臭みだそうで現在は余り臭い物は好まれないので、その臭さを抑えているとのことである。

 それから八丈島の物産やお土産を販売しているお土産処に行く。このお土産処は、大きな古い建物を利用し、ちゃんと部屋には畳が引いてあり勿論、靴は脱いでその部屋に上がり各種のお土産品を見て買い求めるという誠に由緒正しいお土産処である。
ここでお土産を買い求め「ふれあいの湯」の共同温泉場に行き一日の疲れを癒し、「民宿・自由ヶ丘」に戻った。

 そして直に夕食となり、S、Tさんの乾杯の音頭で盛大に会食タイムとなった。二日間に亘り八丈島の観光と八丈富士登山も全て終え明日はご赦免船で江戸に返ることになっているので、その旅情も手伝って大いに盛り上がり様々なご馳走を食べながらビールや焼酎を飲みみんなご機嫌で談笑をしている。それにしても二日間とも豪華な食事でこれは大いに大満足だ。

 そんな豪華な会食も終えてお開きとなり、また、定番の部屋での酔いどれタイムとなって、前日同様に「ジジイ談議」に花が咲く。今日は特に防衛論争が焦点となり、結果、結論は専守防衛論に落ち着いた。そんな「ジジイ談議」もネタが尽き各自、部屋に戻り睡眠をとることにした。


 03/21(火)

<行程>

 民宿・自由ヶ丘(8:20)―Rent-a-car→フリージャー栽培園(8:40)―Rent-a-car→底土港(9:00着・10:10発)〜東海汽船〜竹芝桟橋(20:30着)→浜松町

≪遊歩記≫

 今朝も早朝マラソンをするため早く起床し、民宿の玄関を出る。昨日は民宿の前の道を右へ走ったので、今日はひだりへ走ることとした。こちらの方が坂はいくらか緩やかであるが、それでも走るに連れてその坂道の勾配が次第にきつくなってきた。今朝もウグイスが「ホーホケッキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ」と私にお早うと挨拶をしている。「ウーン、可愛い奴。」そして走ってから30分が経ったので、民宿に戻ることにした。帰りは下り坂になっているので加速度がつき実に気持ちよく走ることが出来た。今朝は1時間ばかり走り民宿に着き朝食を済ませ帰り支度をする。

 今日で楽しかった八丈島の旅も様々な想い出を胸にいよいよお別れである。「民宿・自由ヶ丘」のご家族に挨拶をし、一同車でフリージャー園に向かう。このフリージャー園は、21日の今日からフリージャー祭りで、フリージャーのつみ取りも無料で出来るのだがあいにくと10時からだそうだが、私達はご赦免船の乗船時間があるので、残念ながらつみ取りが出来ないためにフリージャーをお土産に買って行くこととした。そして、それから底土港に向かいレンタカーを返しに行き一同乗船時間までそれぞれの想いで待つこととした。やがて乗船時間となりいよいよ八丈島ともお別れだ。乗船をする際にフリージャーの花束をお土産に船員さんから貰い帰りは質素に一番船底の部屋に行きこれからここで東京まで10時間を過ごすことにした。


             フリージャーを
                 貰い船出の
                   銅鑼が鳴る


 「蛍の光」の曲が流れ、銅鑼が鳴りさるびあ丸は、八丈島を後に出航である。早速輪になって船酔いをしないうちに酒で酔ってしまおうとほろ酔いタイムとなり、これからの遊歩先などを話ながら談笑する。帰りは船の揺れもそんな出なく皆さんも落ち着いて乗船しているようだ。乗船してどのくらい経ったときであろうか。WBCで日本チームが優勝したという朗報が舞い込み乗客一同から拍手と歓声が上がる。


              春彼岸
                三宅の島に
                   立つ煙


 私は結構お酒の酔いが回り眠っていたのだが、他のyuupolerが途中の三宅島では、昼間だけにはっきりと噴煙が上がっているのが見えたとか。また、かなり硫黄臭かったとのことだ。私は一寝入りをしたので和美と共に甲板に行き海原を見るが青い海が延々とどこまでも続いており、サルビア丸は波飛沫を上げて快適に竹芝桟橋を目指し進んでゆく。和美は往きとは大違いで船の揺れもそんなにしないためか船酔いもせずにいられるとのことでホッと安心して船旅を楽しんでいる。

 薄暮になり夕食タイムとなったので、レストランに行き「牛丼定食」を生ビールを飲みながら頂いたが、空腹だったのでとてもおいしく頂いた。夕食を採り一段落をしていると船内アナウンスがあり間もなく竹芝桟橋に到着をするとのことである。私達はザックを背負い下船口に向かいタラップを降りてまた、都会の喧噪が渦巻く中に舞い戻ってきた。三日間静寂そのものの八丈島にいただけにそのGapは大きいが反面便利な都会生活に慣れきった者には、安心な面もあり喜びもある。


              早春の
                島の旅終え
                   また都会


              春風が
                都会の匂い
                   運び来ぬ


 こうして18日の夜からの3泊3日の八丈島の船旅遊歩が、色々な想い出を心に刻み無事に終わることとなった。この八丈島の船旅は、実に変化に富んだ楽しい遊歩であった。また、何時の日か訪れてみたいそんな気がする旅情たっぷりの八丈島遊歩の想い出を土産に浜松町の駅で別れユーポラーは、それぞれの家路に向かった。

                               オシマイ  (^_^)




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           【参考文献】

八丈島(はちじょうじま)

八丈島(はちじょうじま)とは、太平洋上の伊豆諸島の島の一つ。東京都八丈支庁八丈町
に属する。面積は69.48km。隣の八丈小島と区別するため、八丈大島と呼ばれることもあ
る。

地理八丈島は、東京の南方海上287キロメートルに位置し、面積69.52平方キロメートル、
周囲58.91キロメートルのひょうたん型をした島である。

地形的には富士火山帯に属する火山島。八丈富士(正式名・西山 854.3m)と東山(通称
・三原山 700.9m)から成り立っている。

八丈島の気候は、黒潮暖流の影響を受け、海洋性気候となっている。年平均気温は18℃程
度となっており、高温多湿。年間を通して風が強く、雨が多いのが特徴。シンガポールと
似ている。 また、「常春の島」とも言われている

また、横間道路付近から見る三原山は、ハワイのダイヤモンドヘッドとよく似ていると指
摘される。

歴史

考古学的には縄文時代から人が住んでいて、中国大陸がルーツとされる石製装身具類
(「の」の字型ペンダント他)が出土している。律令制度においては東海道駿河国(のち
に駿河国から伊豆国が分立。以後、伊豆国)に属する。室町時代には鎌倉に設置された室
町幕府の出仕機関である鎌倉公方を補佐する関東管領の上杉憲顕が代官を派遣している。
平安時代に大島へ流罪となった源為朝が渡来し、八丈小島で自害した伝説が残っているが、
八丈島の公式な流人第一号は、慶長5年関が原の戦いに西軍石田三成方に属した宇喜多秀家
である。秀家の子孫は、秀家の正室であった豪姫の実家である加賀藩前田氏の援助を受け
ながら数家に分かれて存続し、明治維新後の1869年に至ってようやく赦免された(実際に
は「徳川の臣に下る」ことを条件とした赦免が用意されていたが、五大老まで務めた秀家
がこれに甘んじることはなかった)。赦免と同時に直系の者は島を離れて板橋宿の加賀藩
下屋敷跡に土地を与えられて移住したが、浮田姓に改名して島に残った分家の一部が現在
も秀家の墓を守っている。

交通[

空路

エアーニッポンがボーイング737-400型機を運行中。愛称はアイランドドルフィン(機
体側面にイルカが描かれているのが特徴で、初めて搭乗する人は遠くから見た際に、よく
ポケモンジェットと勘違いする)。八丈島路線のために購入された機体であったが2005年
9月末で八丈島線の就航を終了した。2005年10月からは、1日4便のうち、初便・最終便をエ
アバスA320型機、2・3便をボーイング737-500型機で運航し、八丈島からの第2便・折り返
しである羽田からの第3便が伊豆大島を経由するようになった。これにより八丈島からの第
3便の出発時間が1時間以上遅れることになったが、島民にとっては長年の悲願であったヘ
リコミューター以外の大島路線の開設と、下記の条件付ながらも航空運賃の大幅な引き下
げが実現した。※2005年10月〜2006年3月までの搭乗者が前年度実績の10%を上回らなけれ
ば、東京羽田-八丈島直行便に関しては2006年4月から運賃値下げを撤回し2005年9月以前の
運賃に戻す。伊豆大島経由便は航空運賃引き下げ額が継続される予定である。

海路

東海汽船が客船さるびあ丸(4,965トン)を、伊豆七島海運(東海汽船の子会社)が貨
物船を定期運行している。主に底土港へ着岸するが、時化で使用できない時は八重根港へ
着岸する事もある。※竹芝桟橋と小笠原諸島・父島間にTSL・テクノスーパーライナーが就
航した際には、現在竹芝〜父島航路で使用されているおがさわら丸を竹芝〜八丈島航路向
けに転用する計画がある。しかし、小笠原航路へのTSL・テクノスーパーライナー導入計画
そのものが2005年に、折からの燃料費高騰等にを理由に暗礁に乗り上げてしまった。更に、
これを受けて東京都が代替策として小笠原での空港建設の検討を進めており、おがさわら
丸の八丈島航路転用計画は実質、目途が立たない状態になっている。

八丈島の温泉

温泉施設も多く入浴料も安いため、温泉目的で訪れる旅行客も多い。

ふれあいの湯、やすらぎの湯、裏見ヶ滝温泉、ブルーポート・スパ・ザ・BOON
みはらしの湯、洞輪沢温泉

特産品

くさや、芋焼酎、明日葉、黄八丈、フェニックス・ロベレニー(通称:ロベ)
フリージア

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三宅島(みやけじま)

三宅島(みやけじま)は北緯:34度7.4分 東経:139度31.3分(三宅島測候所)に位置する
面積55.50km2の伊豆諸島の島の一つ。住人の人口は約3000人。(2005年8月30日時点の住民
基本台帳を基準とする)。行政区画は島全体が東京都三宅支庁三宅村に属する。雄山(お
やま)を中心とする火山が、しばしば、激しく噴火をする火山島である。

島名の由来はいくつかある。事代主命(ことしろぬしのみこと)が三宅島にきて、付近の
島々を治めたという伝説から宮家島といった説、8世紀に多治比真人三宅麿が流されたこと
から三宅島とした説、火山が噴火することから御焼島に由来する説などがある。

江戸時代は流刑地で、絵島生島事件の役者生島新五郎などの墓がある。

噴火

噴火活動が盛んで、明治時代以降だけでも5回を数える。雄山の山頂噴火のほか、山腹や海
底でも割れ目噴火が起こりやすい。また、溶岩がやわらかいため溶岩流も起こりやすい。
1983年の大噴火では、溶岩流が阿古地区の集落の約7割を焼失させた。

2000年に雄山が大噴火を起こし、噴煙・噴石による被害のほか、亜硫酸ガスをはじめとす
る大量の有毒ガスが発生したため、全島民が東京都本土へ避難した。この噴火によって雄
山火口が大きく崩落し、山の形状が変化している。噴火後の数年間火山活動が続き、2000
年9月2日から全島避難中だったが、2005年2月1日15時(JST)に避難指示が4年5ヶ月振りに解
除された。しかし火山ガスはいまだ発生しており、島民全員に脱硫マスクの携帯義務が付
され、島の45パーセントは立ち入り禁止となっている。

また、島民は4年5ヶ月の間に生活基盤が東京都本土に移っているものも多かったが、2005
年7月現在で約2000名が帰島している。

同年5月1日から観光客の受け入れが再開されたが、観光客についても原則として防毒マス
クの携帯が義務付けられる。 2006年3月、今上天皇、美智子皇后が島民を慰労するために
行幸啓。

自然

2000年の噴火によって島を形作る雄山の火口は大きく崩れ落ち、地図の書き換えが必要な
ほどであった。島の約45パーセントは火山ガスに汚染されており、島民の立ち入り禁止区
域となっている。またガスや噴火による泥流が海中も汚染しており、環境が激変している。
一方、汚染されなかった海域では人間の活動が無かったことから、イセエビなどが豊富に
棲む良い環境になっている。

産業

避難生活が始まる前は漁業(くさやが有名)・農業(明日葉が有名)のほか、豊かな自然
を生かした観光業が盛んであった。200種以上の野鳥がおり「バードアイランド」と呼ばれ
ており、バードウォッチングの愛好者が良く訪れていた。ツグミ科のアカコッコは固有種
で、「アカコッコ館」があり、島の象徴になっている。

またスキューバダイビングが楽しめる場所でもあり、首都圏から多くのダイバーが訪れる。
島内には海水浴場が「大久保浜」「釜ノ尻」「錆ヶ浜」「三池浜」などがあるが、玄武岩
質の黒い砂で、急に深くなっている。「長太郎池」は天然の閉鎖性磯場で、ハゼやタカノ
ハダイからウツボ、ガンガゼ、ヤドカリ、ヒトデなどさまざまな海洋生物が容易に観察す
ることができることから、家族連れなどにも人気がある。