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≪Circle《ゆ〜ぽぴあ》・結成15留年祝賀記念遊歩のPhotographはこちらからどうぞ≫









Circle≪ゆ〜ぽぴあ≫・遊歩記

   第273回遊歩
  〜結成15周年祝賀会遊歩 
熱海の温泉に入りご馳走を食べ15周年の来し方を振り返りみんなで話そう


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  遊歩日:     2019年5月16日(木)〜17日(金) 1泊2日
  遊歩先:    熱海市街・十国峠・初島
  宿泊先:   ホテル大野屋 
  参加者:   14名(男性 7名 女性 7名)
  天 候:   二日間とも快晴

  《行 程》

 
5月16日(木)

◎東京{10:07JR東海道本線・熱海行・10番線発}⇒○横浜(10:34)⇒○小田原(11:27)⇒▲熱海(11:57・12:18発)=バス⇒◎十国峠(昼食休憩)
十国峠=バス⇒熱海駅=送迎バス⇒ホテル大野屋 宿泊 (-.-)Zzz

 
5月17日(金)

 ホテル大野屋(10:00発)=徒歩5分⇒熱海港(10:30発)〜フェリー30分〜初島(島内散策後昼食Thyme)
初島〜フェリー〜熱海港=バス⇒熱海駅 解散

  ≪遊歩記

   [はじめに]

 Circle《ゆ〜ぽぴあ》の来し方を振り返れば、2004年5月9日(日)に遊歩先として、「野川公園&浅間山・サントリー武蔵野工場見学」参加者33名で、第1回目の遊歩がstartしたのだった。以来、毎月一度、時に二度と山行遊歩、庭園遊歩等々と実施してきた。そして一日かか5年が経過し、結成5留年記念遊歩の祝賀会を「中野サンプラザ」で、yuupoler29名が、普段の山行Styleでは無くきちんと盛装して、Attractionとして、yuupolerのギター、、ウクレレ、アコーディオン等々の演奏が行われた。そんな演奏を聴きながら、生ビールのジョッキ片手に中華料理を食べながら、和やかな雰囲気の中、その時々の遊歩の想い出に談笑し多いに花を咲かせ盛大に開催されたのだった。そしてその後も毎月一度のペースで、東北方面(八甲田山、岩木山等)、関西方面(熊野古道、伊吹山、琵琶湖等)と足を伸ばし、Bigな宿泊遊歩を実施してきた。遊歩の様々な想い出をyuupolerの胸に刻み山行遊歩、温泉、庭園遊歩とじっして来た。そしてに時を重ね2014年5月に結成10周年記念遊歩の祝賀会は「青梅のかんぽの宿」で、yuupoler19名が参加して、10年と言う年月の早さを痛感し、その都度の遊歩先に思いを巡らせたのだった。

 そして遊歩のCourse形態もyuupolerが年を重ねてきたのに従い山行遊歩が、少なくなりそれに変わり、「ぶらり東京Walk」、庭園、温泉遊歩が、増えて来たのだった。そして2014年5月結成10周年記念祝賀会から、あっと言う間に5年が経ち、こうして今回2019年5月16日に「熱海ホテル大野屋」にて、結成15周年記念遊歩の祝賀会が、yuupoler14名の参加を得て、盛大に開催される運びとなった。

  [5月17日(木)]

 yuupoler参加者14名が、熱海駅前で集結し、今日の観光スポット「十国峠」にバスに乗車し、熱海市内を過ぎ、山裾を徐々に勾配を増しながら、curveを何度か繰り返し、五月晴れの下、バスはエンジン音を上げながら、それぞれの旅情を胸に秘め、深緑の山路を走って行く。やがてバスは、十国峠ケーブルカーの発着バス停に到着した。以前私はこの十国峠に2回ほど来ているが、ケーブルカー駅であるビルの中にRestaurantが有り、そこで生ビールを飲みながら、桜エビ丼を食べたのだが、これが実に美味しく今回もその桜エビ丼を食べようと楽しみにして来てみればそのRestaurantは、3年前に廃業したとのことだ。やはり、これも時の流れであろうか。桜エビ丼の夢も空しくかき消され、ビル1階にあるdrive-inで、お蕎麦、うどん等の食事を取ることとした。残念なことには、drive-inであるから、アルコール類は置いておらず、お茶を飲みながら蕎麦を食べるという、ビール好きの私にとっては、何とも締まりのない昼食Thymeだ。そして一同、昼食を食べ終わりビルの最上部にある、、cable car発着地点へ行く。員来たときもこのcable carに乗って、展望台へ行ったのだと和美が言うのだが、全くその記憶が曖昧模糊としており、その時の記憶が全く無いのだ。きっとその時は、曇ってガスがかかっていたため、景色も見えなかったので、印象に無いのであろう。幸にも今日は、五月晴れの晴天なので、好展望が期待できそうだ。・・・!!!

 しかし、そんな期待も空しく展望台に来てみれば、晴天には違いないが、モヤがかかってしまいお目当ての富士山は影に隠れて全く見えない。それでも小鳥がさえずり、近くの山々が、新緑に映え、薫風が肌に実に心地良い。そんな気持の良い雰囲気を壊してしまいそうな韓国人か。はたまた中国人か。ガヤガヤと大声で話しており、最近は日本のどこの観光地に行ってもこの外国人が、大勢押し寄せ大声で話しているから、mannerの悪さに辟易とする。

 そして一時展望を楽しみ、再びcable carに乗車して、バス停に戻り、約、20分位待っただろうか。熱海駅から乗車した時の運転手が運転するバスに乗車して、一路、熱海駅へ向かった。

 熱海駅前から、伊藤園観光のresort循環バスに乗車し、今日のお宿「熱海ホテル大野屋」に到着した。以前はこの「熱海ホテル大野屋」は、一つの企業として、経営をして来たのであるが、年々宿泊するお客も減少し、独立した経営困難となり、伊藤園観光の傘下に入って経営を続けているのであった。今回結成15周年記念遊歩の祝賀会を計画する段階で、yuupolerの懐具合も考慮して、出来るだけ費用をかけずに実施するのに試行錯誤を経て、この伊藤園観光の宿泊プランを利用したのだった。記念遊歩祝賀会の理想を言えば一部屋を貸し切り、我々yuupolerだけで、祝賀会を開催したかったが、参加費用を考慮すると「はかない夢に過ぎないけれど・・・!!!」と聞いたような歌の文句ではないが、伊藤園観光のViking型式のプランとなったのだった。夕食はViking型式であるから、大広間で他の個客と一緒に夕食をすることとなり、記念遊歩祝賀会などと当然、悠長なことも出来ない。しかし、それではただ単なる宿泊遊歩となってしまい記念遊歩祝賀会の意味を成さないので、それならばとホテルに着き入浴するつかの間30分位の時間を記念遊歩祝賀会に当てたのだった。14名が一部屋に集まり、浜のK,Kさんの乾杯の儀式で、ミニミニ遊歩記年祝賀会が開催された。そしてCircle《ゆ〜ぽぴあ》の発起人、世話人である私が、Circle《ゆ〜ぽぴあ》の15年間の来し方を振り返り、実施された遊歩の経過を述べ、そしてこの15年間で特に印象に残っている遊歩先を各自、上げてそれを話して貰うこととした。私は2005年10月8日(土))〜11日(火)の3泊4日を掛けて実施された「熊野古道遊歩」が、特に思い出深く印象に残っているのだった。何故ならば行動中、皆さんとはぐれてしまい一人、トボトボと雨が降る中、不安を胸に抱え歩いていたのだった。この話をすると長くなるので割愛するが、熊野古道を歴史の面影を辿り歩いたのが、今でも忘れられない。そして各、yuupolerの印象に残る遊歩先が、披露された。そんなつかの間の「結成15留年記念遊歩祝賀会」で、あったが、私の三本締め儀式で、お開きとなり、一同タオルを肩に温泉場へ行くこととした。

 何しろ大野屋は、広すぎその温泉浴場へ行くまでが大変である。あちらこちらと屋内を迷いながら、やっと温泉浴場へ辿り着いた。ローマ風呂と銘打った、その浴場へ入るとマア、ドデカイ浴槽がドーント配置され、まるでプールでは無いかと思うほどの大浴槽だ。温泉に湯ったりと浸かって、部屋に戻りこれから夕食Viking会場へと一同向かうその夕食Viking会場に入るなり驚いてしまった。その会場の広いこと。既に多くの個客が各自trayを持ちながら、Vikingの料理をtrayに取り分けている。私達も各自でそのViking料理をtrayに盛り付け指定されたテーブル席に着き、その和風、洋風等々と各種料理をただただ口に運んでいる。会場内はお客の話し声でかなりうるさく私達、個々の会話も聞こえないほどだ。何しろ2時間、食べ放題、飲み放題であるから、各種料理をtrayに盛り付け、アルコールも生ビール、ワイン、日本酒とガンガン口にする。そして気がついてみたら最後まで残っていたのは、私達男性yuupolerだけで逢った。 (^^;)
 そんなViking料理とアルコールをたっぷり腹に入れ、満腹状態で、部屋に戻るなり爆睡Modeに突入した。

 [5月17日(金)]

 早朝5時にスッキリと目覚め同室のミキタケコンビと私3人で、朝風呂へ行くこととした。その際も浴場へ行くまで、あっちこっちと迷ってしまった。やはり、旅館はこじんまりしていた方が、何かと動きやすく新制を使わなくて良いと思いながら、浴場へ辿り着く。そしてローマ風呂の広い浴槽にドブーンと身体を浸す。「ウーーン、ダババーバンバン。いい湯だな。ここは駿河、熱海の湯・・・!!!」とうなりたく様な気持ちよさだ。あんなに各種アルコールを飲んでも二日酔もせず気分は最高潮だ。そんな朝風呂を堪能して、我ら一同、朝食Viking会場へ向かう。料理の    Menuも朝食用の料理が並んでおり、それをtrayに分けて、テーブル席に座り、何か物足りないと思い特別に瓶ビールを6本注文する。冷えたビールが実に美味しく喉を通過して行く。各種料理に箸を付け聴力を美味しく頂き、部屋に戻り小一時間出発するまで、のんびり過ごす。

 そして船酔いをする心配があるので、初島へは同行しないKさん達と別れ、10時「熱海ホテル大野屋」の従業員に見送られ一夜の宿、大野屋に別れを告げ遊歩道を歩き熱海港へ向かった。熱海港からは、大型フェリーに乗船して、約、40分の船旅を堪能する。私はフェリーの甲板へ行き潮風を肌に受けながら、駿河湾の眺望を楽しむ。昨日は十国峠の山の景色、今日はこうして海の景色と私の山伏の仮称「泰氣坊 海山」の名ではないが森羅万象、自然と共にいられるこの至福のひと時の喜びを合掌し感謝する。そしてフェリーは、約、40分の短い航海を終え初島埠頭へ到着した。私は過去、3階程この初島へは来ているのだが、その初島もすっかり様変わりして、昔の面影は全く感じられずRenewalされた観光地として発展しているようだ。

 私達一同は、Phoenix、ソテツ、大きなシダ等の南洋の植物が、生えている島の遊歩道を最高地点、初島灯台を目指し歩く。五月晴れの下、空を見上げればカモメが鳴きながら旋回しており、ザブーン、ザブーンと波の音もして、潮風が実に肌に心地よい。そんなmoodに酔いしれ歩いていたらガーンと硬い物に足が取られ転倒してしまった。痛みが瞬間走ったが、大したこともなくまた、歩き出す。そして初島最高地点に建つ「初島灯台」に着きこの灯台へ昇り最上部から紺碧の大海原、、四顧を見渡す。遙か水平線が円く描かれ、これで地球は円いことを再認識する当にdynamicな光景だ。そんな眺望を堪能し、初島埠頭目指し歩く。この遊歩記年祝賀会の計画だと初島観光を終えたら熱海市内で、昼食Thymeを採り、そしてMOA美術館へ行くことになっていたのだが、同じ昼食を採るのであればこの初島で、漁師が経営する食堂で、ゆっくりと海鮮料理を食べようということになった。そして私達より先に和美が、行き海鮮丼の美味しそうな食堂を見附て、そこで昼食Thymeを採ることとした。そこは一人で、若き男性が、キビキビと働いている食堂で、和美もこの若き男性に引かれてここの食堂を決めたのかも知れないな。 (^^) 

 参加者二人から金一封のご寄付を頂いた関係も有り、大盤振る舞いとなり、瓶ビールをドーント12本、サザエの刺身、そしてお目当ての海鮮丼をそれぞれ注文する。この海鮮丼の実に美味いこと。またサザエの刺身もコリコリとしていて、もうたまらない絶品、舌がとろけホッペが、落ちそうだ。そうな美味に一同大満足だ。・・・!!!
 こうして5月16日〜17日と「Circle《ゆ〜ぽぴあ》結成15周年記念祝賀遊歩」も盛大に開催され、改めて健康である喜び、そして当に遊び歩く仲間《ゆーぽぴあ》のyuupolerと言う仲間達と語り合える喜び、この至福のひと時を神に感謝し、出来たらCircle《ゆ〜ぽぴあ》結成20周年記念祝賀遊歩も実施したいと願うが、後、5年後、以外と開催できたりしてね。オジイチャン&オバアチャンのyuupolerが一同に会して、記念祝賀遊歩を開催するのもこれまた一興鴨知れませんね。

 その20周年記念祝賀遊歩をこれからのLife Workとし、これからは一年、一年が体力勝負となります。体調管理をしっかりとして日々邁進しましょう。

〜〜≪オシマイ≫〜〜


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遊歩先の紹介」


「十国峠」


大自然の360°パノラマ絶景!
山頂からは富士山のすばらしい眺め


その昔、十の国(伊豆、相模、駿河、遠江、甲斐、安房、上総、下総、武蔵、信濃と五島<大島・新島・神津島・三宅島・利島>)が見えたことからその名がついたといわれる十国峠。日金山の頂上からは、北に富士山、西に駿河湾、東に相模湾の景色が広がります。昔から絵筆をもって、この展望を画こうと試みた人達も多かったようですが、この広さと美しさに歯が立たなかったと伝えられています。
山頂へはケーブルカーが往復。姫の沢公園から約1時間半、自然を満喫しながらのトレッキングで訪れることもできます。春にはツツジが満開になり、 夏にはここちよい涼風がそよぎ、秋には波うつススキの穂がなびき、 冬には暖かい高原の日差しが歓迎してくれます。


「初島」


 初島(はつしま)は、静岡県熱海市に属する島。伊豆半島東方沖の相模灘に浮かび、静岡県の最東端でもある。古い文献などでは波島(はしま)、端島(はしま)、波津幾島(はつきしま)との表記もある。
熱海市本土から南東に約10 kmの位置にあり、人口193人、114世帯[1]である。住民のほとんどは島の北部に位置する宮の前地区に居住している。
 初島の海岸。島の周囲はこのようなゴロタ浜である。初島は、火山島が活動を終え、浸食されて海中に没し、その後に隆起してできた島と考えられている。最高地点が33.5 m(三角点)と平坦で、これは波によって削られた海底の平坦面が隆起したことによる。島内には数段の隆起段丘があり。1923年の関東地震では1.8-2 m隆起し[4]、これが最新の隆起となる。
 歴史
 島内から縄文時代の遺跡が発見されており、古くから人の居住があったと考えられている。鎌倉時代にも源実朝が「箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ」と詠んでおり(金槐和歌集)、風光明媚で知られていたことが伺える。
明らかな記録では南北朝時代の観応2年(1351年)に18戸の家があった。古くから島の産業は漁業と農業で、現存する記録では天明2年(1782年)に江戸の魚市場に魚を売った記録帳がある。江戸時代から島内の戸数は41戸前後で天保元年(1830年)に41戸との記録があり、この戸数が現在まで続いている。島内の耕作地や生活用水が限られることから次男以下は島を出て、男子がいない場合は婿を取り、41戸と一定の人口を維持するという慣習があった。島内に由来がある家系ではこの慣習が受け継がれてきたが、近年[いつ?]では長男以外のものが後継ぎになる例もある。島の生活は共同体であり、耕作地や漁獲は等分に分けられていたという(下記の与謝野晶子の紀行文参照)。江戸時代中期以降は熱海が温泉場として発展したが、初島は長らく沖の小島として旧来の姿を守っていたと考えられている。幕末の混乱期には一時期伊庭八郎が匿われたとの資料がある。明治に入り1881年(明治14年)に熱海までの県道が通じ、温泉場として発展するとともに、初島にも徐々に開明の波が及び1886年(明治19年)10月には熱海尋常小学校初島分教場が開校している。


         3泊4日