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Enjoy《ゆーぽぴあ・遊歩記》

        第66回遊歩
「母さん、僕のあの帽子、どうしたでしょうね…」このフレーズでおなじみの出湯と新緑の山&鉄道公園を訪ねて











「帽子の詩」

西條 八十



母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?

ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、 
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。

母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
僕はあのときずいぶんくやしかった、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。

母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、
紺の脚絆に手甲をした。
そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。
けれど、とうとう駄目だった、
なにしろ深い谷で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの。

母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?
そのとき傍らに咲いていた車百合の花は
もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、
秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。

母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、
昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y.S という頭文字を




遊歩日:   2008年5月24日(土)〜25日(日) 1泊2日
遊歩先:   鼻曲山(標高 1654m 山域 群馬県) 碓氷峠鉄道公園文化村
温 泉:   霧積温泉「金湯館」 027-395-3851
  参加者:   総参加者 14名 男性 8名 女性 6名
  天 候:   5月24日 晴れ  25日 雨後曇り


  5月24日(土)

  《行 程》
●上野{08:39発・JR高崎線(快速アーバン)【高崎】}⇒高崎{10:14着 10:21発・JR信越本線(普通)【横川】}⇒横川(10:54着)⇒碓氷峠鉄道公園文化村(見学及び散策)=
金湯館送迎バス⇒霧積温泉「金湯館」 宿泊 (-.-)Zzz

  ≪遊歩記≫

 上野駅6番線ホームにて、《ゆーぽぴあ》の天の守護神Yuporadorosuから思わぬ幸運のPresentを頂き快速アーバン号に乗り込み早速これからの鼻曲山&霧積温泉の遊歩の無事を願い缶ビールで乾杯をし、暫しお互い談笑しながらこれからの旅路に思いを馳せる。そんなひと時もあっという間に過ぎ電車はやがて乗換駅である高崎駅に到着をした。私はこの高崎駅には一体何度訪れただろうか。数え上げればきりがないほどだ。ソリャア、そうだろう。この高崎駅は私が生まれた故郷だからね。 ウヒヒヒ  (^_^)

 この高崎駅で今度は信越線に乗り換え横川駅に10時54分に到着をし駅前にて、恒例の自己紹介を行う。今回はyahooのEnjoy《ゆーぽぴあ》のMailing listの紹介文を見て参加をしたT,Tさんが初参加をしており、後のyuupolerはおなじみの方々で、総勢14名のyuupolerが円陣を組みそれぞれ自己紹介を終えイザ、出発だ。先ずは碓氷峠鉄道公園文化村へ行くこととする。

 この碓氷峠鉄道公園文化村は、 JR信越線横川駅に隣接している鉄道公園。今は廃止されてしまった碓氷峠越えの「横川−軽井沢」を偲ぶ施設で、イロイロな車両が展示されており、設備は盛りだくさん。特急電車や電気機関車の運転シュミレーションや、旧線路を走る観光列車、わざわざ新たに線路を作ったトロッコ列車、ミニSLなどなど。ホンモノの電気機関車を運転できるアトラクションまであり、コドモもオトナ(一部マニア)も楽しめる施設だ。

 yuupoler一同、ゲートの事務所にて、荷物を預け身軽になり園内を散策することとした。先ずは昔活躍をした様々な型式の電車が展示されており、身近に見るその電車の迫力に圧倒されそうだ。私達がそんな電車を見ていたら、今年84才になると言う元、ポッポ屋(鉄道員)の方がVolunteer Guideとして、昔を懐古するが如くそんな展示されている車輌を一つ、一つ、順次電車の部品を優しく触りながらボソボソとした口調で説明をしてくれた。
きっと彼にとっては、我が子の如く現役を追えたこれら電車達が愛おしいのであろう。

 私がご幼少の頃は、この碓氷峠は、故郷である高崎から軽い沢まで行くのにトンネルの数を数えながら何度となく訪れた懐かしい思い出のある鉄路だ。それこそ昔は汽車ポッポで、窓を開けたままそのままトンネルに入るとたちまち煤煙が窓から車内に入り込み慌てて窓を閉めたっけ。この横川駅と軽い沢駅の間に「熊ノ平」というそれこそ小さな駅があり、土砂崩れのためにその復旧作業に当たっていた作業員が生き埋めになり貴い命を無くした犠牲者の霊を慰めるためその一隅に確か母子像が安置されてあったはずである。

 この碓氷峠では明治以降だけでも多くの事故が起きている。1891年から1893年の線路の建設に当たっては、完成を急いだ事などから500名以上もの殉職者が生じている。また、1950年には熊ノ平駅で数回にわたる土砂崩れが起きて50名が亡くなった。勾配が極めて急なことから列車脱線事故もしばしばあり、例えば1963年10月16日にトンネル内で貨車が、1975年10月28日には電気機関車が脱線している。特に1975年の事故では機関車4両が10m下の県道斜面まで転落し、乗員3名が重傷を負った。

夏季は豪雨で国道18号が崩落することも多く、1979年8月12日には雷雨のため長さ15m、幅2.5mにわたって崩落して通行止めとなり、1992年8月29日には長さ150m、幅6mにわたって道路北側の土砂が崩れた上に地盤が緩み、復旧に2ヶ月を要している。この他、1969年には山火事で国道18号の3kmの区間が通行止めとなった事もある。

 私達を案内をしてくれている元、ポッポ屋のVolunteer Guideの方は、何とこの熊ノ平の惨事の際に自ら救出作業に当たったということだ。兎に角その惨劇は今でも鮮明に覚えているとのことで、その彼の顔が思わず渋面を作る。きっとその当時のことが脳裏をかすめたのであろうか。
 この横川駅と軽い沢駅を結信越線の碓氷峠も今は長野新幹線が出来たため廃止となり、その輸送手段はバスになっている。これも時代の流れとは言え急勾配を白い蒸気を吐きながら喘ぎ喘ぎながら登って行くアプト式のSLの蒸気機関車の雄姿が懐かしく思い出される。

 そんな懐かしい車輌の数々を見学し、SLのD51(デゴイチ)の前で全員記念写真を撮り、予約をしてあったこれもまた、名物である横川の「峠の釜飯」を売店で受け取り、平成17年より曾て碓氷峠を走っていた軌道の一部を利用し、所要時間15分間の二輌編制で走るトロッコ電車に乗り込み車中では器も昔のままの素焼で出来ている「峠の釜飯」を食べることとした。ウーン、この「峠の釜飯」を食べたのは実に何十年ぶりであろうか。薫風を身体に受け食べるこの「峠の釜飯」まるでテレの旅番組のレポーター気分で、「ウーーン、美味い」と頬が緩む瞬間である。

 そんな「峠の釜飯」を食べ終わると丁度時間も宜しく終点の「峠の駅」に到着をした。これから約、40分、やや坂になった道を眼鏡橋まで旧碓氷峠の軌道をハイキング道路として改良したコースを歩いて行く。途中何カ所かのトンネルを抜け、左に碓氷湖を眺め新緑が眼に映える薄曇り空の下、昔を今に語る旅情を深く感じさせる碓氷峠路を我ら一行、談笑しながらのんびりと歩を進める。「ホーホケキョ、ケキョケキョケケケ」とウグイスが私達を歓迎するが如く美声で出迎えてくれた。

 やがて我らご一行様、コースの終点である眼鏡橋に到着をした。、そうするとGoodTiming、霧積温泉の金湯館の荷台の送迎バスが私達を出迎えてくれそれに乗り込む。マア、それにしても狭いウネウネとした山道を右に左にカーブを繰り返しながら緑のシャワーの中を走り進んで行く。まるでタイムスリップをして未知の世界へ行くようである。何と私の隣の席に座っているO,Sさんはこの揺れにもめげることなくコックリ、コックリと車の中で舟をこいでいるではないか。何て器用な人なんだろうね。ウーンさすがは大物だ。  (^_^)v

 そんな大揺れの山道を40分も走っただろうか。ジャーーン、やっと到着をしました。霧積温泉「金湯館」だ。車道から少し階段状の道を降りると瀬音と共にゆっくりと回る水車が目に映り、日本秘湯を守る会の佇まいに相応しい光景に思わずニンマリと頬が緩み早くもタオルを頭に乗せて入る温泉の姿が脳裏をかすめる。

 この霧積温泉は、

 群馬県安中市松井田町(旧国上野国)にある温泉。
鉄道:信越本線横川駅よりタクシーで約25分。
車:上信越自動車道松井田妙義ICより約35分。

  泉質
 カルシウム・硫酸塩泉
 源泉温度39℃
 無色透明の源泉

  温泉街
 霧積川の上流に金湯館と霧積館の2軒の旅館が存在する。
当地は、西条八十の「帽子」という詩の舞台である。また、この詩をモチーフにした森村誠一の小説『人間の証明』の舞台でもある。

  歴史
 発見は江戸時代末期である。犬が発見したとされ、古くは犬の湯と呼ばれた。
明治21年より温泉地としての開発が行われた。避暑地として栄え、西条八十以外にも幸田露伴、与謝野晶子らが訪れた。
その後の山津波により温泉地は壊滅し、2軒の旅館が残るのみとなった。

 西條 八十
 戦前の「東京行進曲」「蘇州夜曲」、戦時下では「同期の桜」「若鷲の歌」、戦後は「王将」「越後獅子の唄」など、絞って書くことも憚るほど、たくさんの流行歌。
 冒頭は聞いたことがある方も多い「ぼくの帽子」、声を出して読むと死ぬという噂もある「トミノの地獄」。流行歌のようには人々の記憶に留められていないかもしれないが、数々の抒情詩、象徴詩を残している。「カナリヤ」も彼の作品だ。

 明治25年(1892年)に、払方町で、西條八十は、資産家のぼんとして生まれた。ただ、ぼんの生活も長くは続かず、20歳にして家族を養わなければいけないという境遇となる。
 早稲田大学の仏文科の助教授となるのは大正15年(1926年)。それまでは、童謡運動に、天婦羅屋、早稲田の講師、株式投資家、いろいろなことをしている。

 別棟になっている部屋を宿の方に案内をして頂き私達14名は先ずは大広間にて暫し寛ぐ。早速、「うらがすみ」の銘酒の栓を抜き過去様々な文人画訪れたというこの秘湯金湯館の一夜の出会いを祝し乾杯をする。初参加のT,Tさんも、私達と同じ世代なのでこの頃には、大分私達共慣れたようで気さくに話をしている。彼も大分お酒は好きそうで何よりだ。そんな談笑タイムもこれからの遊歩先や朝の《ゆーぽぴあ》の守護神YuporadorosuのPresent等の話に花が咲き気がついてみたら、何ともう、一升瓶が空になっているではないか。このままだと後の酒瓶にも手が行きそうなので、ここでひとまずお開きとして、一同、お目当ての温泉へ行くこととした。

 その温泉は、最初は温めであったが、時間が経つとじんわりと身体の芯まで温まり、実に肌に優しく、効能抜群の泉質に温泉好きの私はもう、大満足だ。もう、贅沢に掛け流しの温泉が洗い場までドンドンと流れ、実に気持の良い秘湯の名に恥じぬ名湯だ。飲泉をしてみるとこれも胃腸に効き目がありそうな感じがし、何しろ参加をしているyuupolerは酒豪が集まっているだけにこれでは夕食の際に持参をしたお酒が足りるか少々心配になってきた。

 温泉に入りサッパリして、窓外を見たらやはり、天気予報が的中したと見え大粒の雨が降っているではないか。一晩この雨が降ったら明日は多分鼻曲山へ登る頃には雨も止んでいるのではないかと勝手に良い方に解釈をして、大広間に戻るとやがて夕食タイムとなり、山菜の天麩羅、ヤマメの塩焼を中心とした素朴なる山宿の料理が並び初参加のT,Tさんの乾杯の音頭で夕食宴会となった。「ゴク、ゴク、ゴク、ウーーン、ウマイ・・・!!!」甘露、甘露、湯上がりの渇いた喉に冷えたビールが、キューンとしみ通って行く。これぞ当に至福のひと時かな。

  5月25日(日)

  《行 程》
  鼻曲山登山
 金湯館(8:50)⇒角落山分岐(9:25)⇒鼻曲がり峠(10:45)⇒鼻曲山(11:00〜11:10)⇒鼻曲がり峠(11:20)角落山分岐(12:20)⇒金湯館(12:40着)=送迎バス⇒横川⇒高崎⇒上野方面

  ≪遊歩記≫

 早朝5時に目覚め早速朝風呂とばかりにタオルを肩にし浴室へ出かける。途中外を見ればナナ何と大粒の雨が音を立てて降っているではないか。後、登山の出発までは約、3時間半もあるから私達が登山を開始する頃にはきっと雨も止んでいるだろうと楽観をし誰も入っていない浴槽へ一番乗りとばかりにドボーンと温泉に浸かる。「ウーーン、実に気持がイイヤ。」温泉好きには応えられないこの朝風呂のひと時だ。

 やがて他のyuupolerも「お早うございます。」と浴槽に入ってきて、「雨はどうでしょうかね。」と話しかけてきたので「大丈夫ですよ。私達が登山をする頃には止んでいますから心配はいりませんよ。例え雨が降っていても小雨程度でしょうから雨具を着て登れば何てことはないですよ。楽勝、楽勝・・・!!!」と応えて風呂から出て朝食前に登山支度をする。

 やがて朝食タイムとなり、しっかりとご飯を二杯も食べて部屋に戻り雨具を着込みサブザックを背に玄関へ行き、外へ出てみると残念無念、雨は降っているがそんなに大粒ではなくこの分だと後、1時間もすれば雨は上がり快適なる登山が出来ること間違いないと確信を得る。そして和美に聞いてみるとナナナ何と鼻曲山へ登るのは、私と和美の二人だけとのことだ。「ウーン、折角、ここまで来て鼻曲山へ登らないのは実にもったいない話ではないか。こんな雨ぐらい直ぐに止むものを残念な話だ。」と思いながら8時50分、皆さんに見送られてイザ、鼻曲山へ出発だ。 (^_^)

 しかし、考えてみたら夫婦で山歩きをするのは、実に久しぶりで、和美を先頭に雨も何のその、ザック、ザック、ザックと靴音を立て木々が雨に濡れ緑がいっそう鮮やかなる林道を快適なる歩調で歩いて行く。

 それではこの鼻曲山について少し述べてみよう。

 この鼻曲山(標高 1654mは、碓氷火山系の一主峰で西へ浅間山、北へ浅間隠山、南へ碓氷峠とそれぞれ連なる。山頂部は東の「大天狗」、西の「小天狗」と2峰に分かれる。山名の由来は「大天狗」が鼻の様に見えるため。山頂からの眺望は良く、西方、目の前に見える浅間山をはじめ、上信の山々を一望できる。南東麓に霧積温泉「きりづみ館」と「金湯館」、南西麓に小瀬温泉があり、それぞれ登山道の基点となっている。

 10分ばかり林道を歩きやがて左の斜面から登山道に入りいよいよ鼻曲山の登山開始となる。雨は間断なく降っているが、全く気にならず新緑の樹林の中身体も躍動をし二人の歩調も合いドンドンと登って行く。新緑に赤紫の三葉ツツジが一段と鮮やかに映えそれが実に綺麗だ。私も見てとばかりにヤマツツジもその赤い色を強調し小さな花びらを一杯に開いて咲き誇っている。雨と緑とこの山野草、このContrast、これぞ当に自然が織りなす神秘なる光景だ。

 快適なる登山道をドンドンと登り角落山を過ぎ、やがて登山道は土砂崩れのために寸断され山の急斜面に新たなる登山道が出来ておりその急登を上り詰め今度はその斜面を急下降しまた、従来の整備された登山道に出て、暫く行くと急登となりそれを上り詰めると鼻曲がり峠に出た。ここら辺りは白花エンレイソウが群生しておりその白い花が緑に映えて実に綺麗な御花畑だ。雨はもうすっかりと止んでおり、熱いので雨具を脱ぎサッパリとして歩を進める。

 更に歩を進めて行くと和美がカメノ木ノ花が咲いていると指をさす。「カメノ木ノ花だって」と私は奇妙なる名前の花に眼を近づけてみると小さな白い花が小枝の間から咲いているではないか。始めて聞いたこのカメノ木ノ花を覚えておこう。それにしてもこんな自然美を彼らは見ないとは実にもったいない話ではないか。温泉にばかり入っていたのでは身体がふやけてしまいかえって湯疲れをしてしまうのに残念な話だ。

 そんなことを考えて登っていたらもう、鼻曲山の山頂へ着いてしまった。時に11時00分、金湯館から2時間10分で来てしまった。やはり、二人だけだと随分早く登れるものだと和美と二人で頷き合う。それにしても今回はデジカメは持ってきたのであるが、肝心なるメモリチップを入れて来なかったので、この鼻曲山の写真が撮れないのは実に残念なる話だ。
それから水分補給をし、復路を戻ることとした。

 平坦なる登山道を歩いていたら何とT,Tさんが一人で登ってきたではないか。聞けば他のyuupolerと途中まで来たのだが、他の方はそこから引き返したとのことで、そしてそれから一人で山頂を目指し登ってきたとのことだ。やはり、雨が止んだもので、ジッとしていられず歩きたくなったのであろう。マア、少しは鼻曲山の空気を吸っただけでも良かったのかも知れない。

 そしてT,Tさんと別れグングンと山道を駆け下って行く。ここら辺りまで来るとダメージを受けている左アキレス腱が、少々悲鳴を上げてきたが、「ナンジャイ。我慢をセンカイ」とアキレス腱に鞭を打ちスタコラサッサと駆け下る。途中の路傍に舞鶴草が「アラ、シッカリね。」と激励をしてくれた。

 そしてそんな静寂なる鼻曲山の登山も無事終了し、皆さんが待っている金湯館へ12時40分に到着をした。早速温泉に入りサッパリしたところで旅館の方が作ってくれたオニギリを缶ビールを飲みながら頬張る。胡麻をまぶした大きなオニギリが空き腹には実に美味しい味だ。
昼食を食べ一息つき、3時頃に金湯館の送迎バスで横川駅まで送ってもらい暫し電車を待ちやがてそれに乗り込み一路東京へ向かった。

 こうして14名での鼻曲山&霧積温泉の遊歩は無事に色々な思い出を残し終了したのであった。  (^_^) 

                                Theend








SLの前で参加者が写っています





碓氷峠眼鏡橋