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第28回遊歩
≪浅草から水上バスで浜離宮と
東京湾ナイトクルーズの遊歩≫








 遊歩日:  06年7月2日(日)
 遊歩先:  浅草から水上バスで浜離宮と東京湾ナイトクルーズ
 天 候:  小雨後曇り
 参加者:  13名

<行程>

 新宿{12:54 <8番線>中央線快速(東京行)}→神田(13:05[乗換位置は後]乗換待ち4分神田{13:09 東京メトロ銀座線(浅草行)}→浅草(13:19・5番出口)→吾妻橋水上バス乗り場―水上バス・35分→浜離宮(園内散策)―徒歩・20分→竹芝桟橋・東京湾ナイトクルージング(19:15〜21:00)→竹芝桟橋→浜松町 解散

≪遊歩記≫

 今回の遊歩は、隅田川の船下り、浜離宮、そして東京湾ナイトクルーズと私にとっていずれも初めてのコースで、特に隅田川の船下りには興味津々で隅田川をどのようにして船で下って行くのかが大いに楽しみの一つである。乗船場の吾妻橋に来ると既に大勢の観光客が乗船を待っているではないか。しかし、こんなに観光客がいるのでは船に乗れないと思ったら、何と定員、650人乗りだそうで、私が描いていたイメージと大きくかけ離れているので驚いてしまった。私は精々70〜80人乗りぐらいの小型の船で船下りをするものと思っていたのだが、やはり、実際に体験しないと分からないものだと改めて知った。景気よく銅鑼が鳴りいよいよ35分間の隅田川船下りの開始である。

 上の階の見晴らしの良い所は、既に観光客で満員のため私達は階下の余り見晴らしの良くない所に席を取り、早速生ビールで喉を潤す。それにしても今日は何と蒸し暑い日だろうか。雨が時より強く降ってきて川面が雨で藻やっており景色が見えにくいので、私は座席を離れ展望の効く舳先の窓から隅田川の風景をじっくりと眺めることにした。隅田川は以前はかなり汚染されていたが、今は環境整備の一貫として、汚水などの処理をしているためか水も綺麗で水量が意外に多いのには驚いた。

 可愛いガイドさんが、「右をご覧ください。・・・!!! 左をご覧ください。・・・!!」と水上バスから見える風景を盛んに説明をしているのだが、私は聴いている傍から頭には残らず忘れていってしまう。何でも吾妻橋、駒形橋、厩橋、蔵前橋、両国橋、新大橋、清洲橋、墨田川大橋、永代橋、中央大橋、勝鬨橋と11の橋の下を通過して浜離宮へ向かうのだそうで、遠く江戸時代から形を変え歴史的変遷をなし各、11の橋それぞれに趣と風情を見せ、そして隅田川シーサイドには、高層のビル群が建っており、改めて変貌した都会的風景を見ることが出来た。

 橋の最終点、勝鬨橋は今は開閉をしなくなったが、何でも開閉をするためには、その装置の修理と点検に10億円はかかってしまうそうである。やがてそんな30分の短い船旅も浜離宮に到着をしてyuupoler一同、下船をした。都会にこんな緑が多く静寂なる所が在るのは実に嬉しいものだ。それではこの東京都浜離宮恩賜庭園について少し話をしよう。

 浜離宮恩賜庭園は、東京都中央区にある都立公園である。もとは甲州藩の下屋敷の庭園であったが、宮内省管理の離宮を経て、東京都に下され都立公園として1946年(昭和21年)4月1日開園。公園の広さは、250,165.81m概要東京湾に面し、汐入の庭の典型といわれる。園内には、海水を引き入れた潮入の池など多数の池があり、また松やケヤキ、花畑などが整備され、憩いの場となっている。また江戸時代、徳川家宣が改修したときに植えられたと伝わる園内の三百年の松は東京都内最大の黒松である。桜の木も多く、春はライトアップされ、夜間まで開園する。種類も多く、見頃も比較的長い。オフィス街が近いため、訪れる人も多い。
 歴史
 江戸幕府が開かれて暫くは将軍家の鷹狩の場であったが、1654年(承応3年)に甲府藩主の松平綱重がこの地を拝領し、埋め立てて別邸を立てた。その後は甲府藩の下屋敷として使用された。このため甲府浜屋敷、海手屋敷と呼ばれるようになった。綱重の子である徳川家宣が6代将軍になると、将軍家の別邸とされ浜御殿と改称して大幅な改修が行われ、茶園、火薬所、庭園が整備された。
 幕末、外国人接待所として石造洋館である延遼館(幕府海軍伝習屯所)が建設された。
延遼館は、明治維新後も鹿鳴館が完成するまでは迎賓館として使用された。明治維新後、宮内省の管轄となり名前も浜離宮と改められた。明治天皇も度々訪れ、1879年(明治12年)には、当時のドイツ皇太子や前アメリカ大統領であったユリシーズ・S・グラントが日本を訪問した際、ここで明治天皇との謁見が行われた。延遼館は、1889年に取り壊される。
1945年11月3日(昭和20年)に東京都に下賜され、1952年(昭和27年)、旧浜離宮庭園として特別史跡・特別名勝に指定される。2000年に入り、旧汐留貨物ターミナルが再開発され汐留の高層ビル群が林立し、景観は著しく変わってしまった。しかし「都市的風景」として評価する向きもある。

 広い園内の玉砂利ををザックザックと鳴らし先ずは小雨模様なので、屋根のある休息所へと向かう。ここで定番の御神酒を出しお弁当と共にゆっくりと味わう。海に近いせいか吹く風も心地よくさっきまでの蒸し暑さもなく銘酒が五臓六腑に染み渡り実に気持ちがよいものだ。弁当を食べていたらこの浜離宮を住み家としているのであろうか。「吾輩は猫である」とばかり、同じようなネコチャンが二匹やってきた。「おーい、何を食べてるんだい。ここへ来たら俺様に何かくれなくては駄目だよ。」とばかり私の前から離れないので「わかりやした。これでも食べてください。」とかまぼこを差し出す。「ウーン、よしよし」とおいしそうにかまぼこを食べている。それにしてもこんな浜離宮を住み家としているとは実に優雅なネコチャンではないか。

 そして、私達は満腹となったので広い園内を散策をすることとした。歩いて行くと大きな松の木が見えるではないか。江戸時代、徳川家宣が改修したときに植えられたと伝わる園内の三百年の松は東京都内最大の黒松だそうであるが、その風格たるや実に見事な枝振りで江戸時代から風雪に耐え威風堂々と立っている様は神木と言っても良いであろう。それから海水を引き入れた潮入の池へと向かう。海の魚がピンピンと跳ねている様は浜離宮ならではの池の風情であろうか。そんな池を後にすると落ち着いた茶室が在りそこで一同、お手前の作法に従い一服頂くことにした。正座をしてお茶を頂くことは心が落ち着き実に良いもので、久しぶりにお抹茶を頂いた。

 お抹茶を頂いてから、今度は運河になっている河辺を見ながら腰を下ろし、この日のために特訓に特訓を重ねたというOさんの尺八とMさんのオカリナの演奏会が始まった。童謡の数々がお二人によって演奏され私達も共に歌を歌い吹く風がとても気持ちよく心和むひと時である。若いときは山頂を目指しガムシャラに歩いていたが、こうしてゆっくりと歩く趣味も良いものだと改めて思った。

 そして5時の閉園時間に近くなったので、今日の最後の目的地竹芝桟橋へと向かうこととした。この竹芝桟橋は3月に八丈島へ行ったとき以来の再度の訪れで、また、船旅にでも出かけるような気分である。Kさん達ご夫婦もお出でになりこれで参加者、13名が勢揃いをし、いよいよサルビア号に乗船をする。ゆかたを着てくると1000円引きなので、浴衣姿の女性が多いので、そんな初々しい若い女性の浴衣姿がどうしても目につき目尻が下がってしまう。船尾の甲板に席を取り、先ずは生ビールで乾杯だ。やがて銅鑼の音が鳴り出港時間となり、東京湾シーサイドクルーズの始まりだ。  (^_^)

 暗くなるにつれて夜景が一際はっきりと見えビルの高層群の灯りや羽田空港の灯り等々が実に幻想的に見える。私は生ビールのピッチも進みやがて浴衣ダンサーズのショータイムとなったので、ダンサーズと共に若者達とおじさんも負けてはなるかと踊り出す。こうして熱気溢れる踊りが続き久しぶりに若き日に踊ったツイストやロカビリーの様が思い出されたそんな東京湾納涼クルーズであった。 (^^)