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    Circle≪ゆ〜ぽぴあ≫・遊歩記

   第254回遊歩
忘年遊歩2017・城ヶ島で磯の香りと自然を楽しみ温泉に入り海鮮料理で忘年会だ










  遊歩日:   2017年12月10日(日曜日)
  遊歩先:    城ヶ島一周(白秋記念館・安房崎・県立城ヶ島講演・馬の背洞門・城ヶ島灯          台)
  温 泉:   城ヶ島温泉  城ヶ島京急ホテル
  天 候:   晴れ
  参加者:   総参加者 10名  男性 7名  女性 3名

 《行 程》

 京急品川駅{07:25発・京急本線特急・京急久里浜行}⇒○横浜(07:47)⇒■三崎口駅(08:35着・08:40発2番バス停城ヶ島行)=バス約、40分⇒白秋碑バス停⇒白秋詩碑⇒白秋記念館⇒水つ垂れ⇒安房崎⇒県立城ヶ島公園⇒展望台⇒馬の背洞門⇒城ヶ島灯台⇒城ヶ島京急ホテル(温泉入浴11時40分〜12時30分・忘年宴会12時40分〜14時20分)⇒城ヶ島バス停⇒三崎口⇒品川方面へ (^_^)

 ≪遊歩記≫

 今年の忘年遊歩は、大海原の東京湾をを一望出来る三浦半島の突端にある城ヶ島の見所を見学し、京急城ヶ島ホテルで温泉に入り鮪づくしの料理を食べ忘年会を開催することとした。おそらくCircle《ゆ〜ぽぴあ》では、海辺での忘年会は初めてでは無いだろうか。参加者10名が、それぞれの交通Rootから京急三崎口に集結して、城ヶ島行きのバスに乗車し白秋記念碑バス停で下車した。バス停から少し離れたトイレのある場所にて、参加者恒例の声出しをしてから、以前Circle《ゆ〜ぽぴあ》で、この城ヶ島遊歩を実施したRooNav担当のK,Mさんを先頭に和美、そして私達8名がその後に従い先ずは北原白秋が詩を作った「像ヶ島の雨」の歌碑が建っている白い砂浜の景勝地に行く。「雨は降る降るる城ヶ島の磯に・・・!!!」の歌碑が鉄平石に刻まれた歌碑が、遠く白い富士が澄んだ空に見え、磯辺に白い飛沫を上げたさざ波のlocationとマッチして、塩数に堪え建っている。ここで我ら一堂、記念写真を撮り、白秋記念館へ行くがあいにくと開館時間では約、30分もあるのでここはあっさりとパス。

 そして今来た道を戻り車道を進む。大海原を見ながら水つ垂れと言う磯辺を過ぎ安房崎の小さな灯台を見て、県立城ヶ島公園を経て、展望台で一休みする。改めて弯曲した水平線を見ると地球は丸いことに気がつく。そして一休みしてから岩が侵食されて出来たという馬の背洞門の大きくぽっかりと空いた洞門へ行く。誠に自然の威力は偉大なるものだと感嘆する。何せ京急ホテルの忘年宴会のThymeがあるため、余りゆっくり出来ず先を急ぐこととした。

 そして本日の城ヶ島のMainである大勢の人で賑わっている白亜の灯台へ着いた。勿論、現在では、灯台は使用されておらず専ら城ヶ島の観光スポットとしての役割を果たしている。そんな城ヶ島灯台を見てから道を少し迷い「ジャジャジャーーン」、本日のお目当て「京急城ヶ島ホテル」へ11時40分、ほぼ予定通りの時刻に到着した。一端、大広間の宴会場にとおされそこにザック等の荷物を置き先ずは温泉とばかりその浴室へ向かう。内風呂に手足を伸ばし、湯ったりと温泉に浸かる。そして身体が温まった頃、内風呂に隣接している露天風呂へ行く。私はてっきり沸かし湯だと思っていたら、浜のK,Kさんが、温泉の成分等を読み上げてくれたので何と温泉が湧いているのだと認識を新たに下。そんな温泉に入り、大広間に行きこれから忘年宴会の開始だ。宴会に先立ち乾杯の儀をK,Tさんの温度で執り行う。そして冷えたビールで喉を潤す。 イヤー、このビールの美味しいこと。結構、歩いきまた、一浴したためスッカリと喉が渇いていたのでその喉ごしのうまさよ。・・・!!!

「いつもビールを飲んだときの感想はオナジデヤンスネ。」   (^_^)

 今回の料理は、鮪づくしの料理で、鮪の刺身、鮪の鉄板焼き、鮪のソボロ、鮪と煮物、鮪の茶碗蒸し、鮪のの混ぜご飯等々とテーブルは鮪のオンパレードだ。・・・!! (^o^)  (^^)
そんな鮪の料理に箸を付けイヨイヨUnder Table technicで、銘酒、八海山、浦霞、山田錦、高清水等々の4合瓶が、今や遅しとその出番を待ちかねている。そんな銘酒の瓶を優しく撫でて、皆さんにお回しする。皆さんも美酒にスッカリと満足して、長後機嫌だ。飲むほどに食べるほどに忘年宴会は、佳境に達したところで、今年一年に実施した遊歩を浜のK,Kさんが読み上げる。遊歩を実施手から今年が一番回数が少なく何と10回であったが、その一つ一つの遊歩には思い出深いものがある。・・・!!!

 そして帰途は城ヶ島から渡し舟に乗り、三崎港に行くので、渡し舟の時間があるため、私の三本締めの手締の儀により、宴も酣であるが、お開きとすることとした。

 「ポポポン、ポポポン、ポポポンポン」
 「ポポポン、ポポポン、ポポポンポン」
 「ポポポン、ポポポン、ポポポンポン」


 そして城ヶ島のバスターミナルに行ってみると「今日は渡し舟は終了しました。」と攣れない告知がしてあった。それで結局また、バスに乗車し三崎口まで行くこととした。そのバスの発車時間まで少々間があったので、皆さんそれぞれ買い物を済ませ我ら一同、ほろ酔い気分でバスに乗車した。

「サラバヨサラバまた来る日まで」とばかりに城ヶ島に別れを告げたのだった。 (^o^)


 〜〜≪オシマイ≫〜〜

 パチパチパチパチパチパチ
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《遊歩先の紹介》




「城ヶ島」

  神奈川県三浦市に属する。港の自然の防波堤をなしている。東西約2km,南北500m,標高約30mの台地状の小島だが,東京湾口に位置することから,江戸期以来海防上重視されてきた。東端の安房(あわ)崎には1648年(慶安1)烽火台(のろしだい)が設けられ,1808年(文化5)には砲台が設置された。西端の長津呂崎には城ヶ島灯台があるが,ここも灯明台の跡地で,1870年(明治3)から洋式灯台に変わった。風光明媚な三浦半島の情景を凝縮したような景観で知られる、鎌倉時代以来の景勝地である。漁業、軍事、交通、文学に深く関わってきた多面的な歴史を持っており、大正時代に北原白秋の『城ヶ島の雨』(後述)が評判を呼ぶと、ロマンの島として全国に名を知られるようになった。大正末期から終戦までは東京湾要塞の一部として砲台が存在したが、戦後に「城ヶ島公園」として開放された。現在は磯釣、磯遊びに適する行楽地として知られる他、三崎と共に海を囲み、遠洋漁業基地三崎漁港の一角を成す。三崎との距離が約500mと近いため、歴史的にも三浦三崎の一部と言える存在である。かつては三崎仲崎岸壁より出ていた渡し舟が唯一の渡島手段であったが、1960年に城ヶ島大橋が開通すると三崎との一体化は一層進行した。

 島名の由来

 古代〜中世までは「尉が島」「尉ヶ嶋」等と称され、「城ヶ島」と呼ばれるようになったのは中世以降とされる。「城ヶ島」となった由来・時期は諸説あり、尉(律令制度の役職)という者が住んでいたので尉ヶ嶋と呼ばれていたが、源頼朝が「城ヶ島」に改めた。戦国時代に房総の里見義弘がこの島に砦を築いた頃に「城ヶ島」と呼ぶようになった。源頼家が遊覧した際、「尉」を「城」に改めた(『俳諧三崎志』)
などがある。このうち里見義弘にちなむとする説は明治時代の観光パンフレット「相州三浦半嶋案内」でも紹介されており、かつては多くの人が島名の由来を知っていたと思われるが、現在では地元でも知る人が少なくなった。