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   山行日:  2004年7月11日(日)
   山行先:  御前山の麓
   Grade :  のんびりGT
   山 域:  奥多摩
   標 高:  ?
  参加人数:  総数 38名  視障者 13名  会晴眼者 18名
                 会友 7名
         
   参加費:  2,300円
   天 候:  曇りのち雷雨の豪雨
   担当者:  Chief担当者 金川 勝夫
          Sub担当者 金川 和美 田村 猛 町山 肇 岡野 得三 
               松本 克彦 後藤 広美 日馬 徹夫
  歩程時間:  2時間30分

 行 程
 新宿→奥多摩駅―バス→境橋→御前山登山口→体験の森館→御前山登山口→境橋―奥多摩昔道→奥多摩駅

 コースタイム:  
 境橋―20分→御前山登山口―20分→体験の森館―15分→御前山登山口―15分→境橋―1時間・奥多摩昔道→奥多摩駅

 感 想
 10日(土)の天気予報によると11日には、午後から雨になる模様で、マア、山行実施にはそんなに影響が無いものと楽観をしておりました。この楽観が当日はとんだ目に遭うのですが・・・!!

 11日の当日は、朝から天気も良く10日まで猛暑が続いており、11日にはどことなく涼風が吹き、それまでこの御前山登山は猛暑の中の登山を覚悟していたのですが、この涼風に少しは、登山も楽だろうと集合場所の新宿に向かう。

 各、乗車駅からそれぞれ会員が乗り、奥多摩駅で下車し、9時30分の奥多摩湖行きのバスに乗り、境橋で下車して、出発前のセレモニーを一通り行い、御前山Only班、八合目コース隊、七合目コース隊の順にいざ出発というときに「ゴロ、ゴロ、ゴロ」となにやら賑やかな空からドラムの音が聞こえる。天の神様が私達の出発するところを見て、これからの猛暑の中の登山を頑張るようにと私達の意識を鼓舞するかの如くはでに鳴らして送ってくれるではありませんか。「マア、マア、そんなにハデに送ってくれなくても良いよ。」と我ら一行は、先ずは登山口まで歩を進める。15分も歩いただろうか。雷と共に「ポツポツ」と雨が降ってきて、その雨粒が次第に大きくなってきたので、皆、雨具をつけて更に歩を進めるが、もう雷雨はものすごい音と共にそれこそバケツの水をぶちまけたような雨が降ってき、見る間に雨具をつけていてもシャツからズボンまでビッショリとなってしまった。

 私達先発の御前山Only班は、登山口から少し入った所で待機をしていたのだが、雨の勢いは増すばかりで、木立の中にいても雨はすさまじい勢いでたたきつけて降ってくる。これではもう、登山どころではない。それで私の判断で幸いにも登山道から少ししか来ていないので、復路の林道を登った所に「体験の森の館」があるので、そこに皆さんを誘導する。雨はもう容赦なくたたきつけるように降っている。林道の路傍が、もう小川のように水が激しく流れて行く。私も結構山歴があるが、こんなものすごい雷雨にあったのは初めてである。

 そんな猛雨の中を体験の森の館まで行って、管理人にマイクロバスを出して欲しいと頼むが、他の客が山の方へ既に出かけているので、それを迎えに行っているためにマイクロバスはないとのことで、それでは休憩を濡れた着衣ままでも建物の中で上がって休めるかと聞くと、快く承諾をしてくれた。それで加賀谷さんが待っている体験の森の館から、少し下った所にある大きな車庫に向かう。既に皆さん、全員到着をしていて、待機をしている。もう、雨が大粒の雹と共に車庫の屋根をたたきつけて降っている。その白い雹が白く光って、流れて行く様は、綺麗なものである。全くこの時期にこんな天の演出に会うとは思いもよらない光景に一同が驚く。

 やがて雨もいくらか小降りになり、車庫から体験の森の館に移動をし、何しろ衣服がビッショリと濡れたままなので、それを着脱するのが煩わしいので木工の作業場に行きそこで一休みをして昼食タイムとなり、ゲストサポーターの4名の紹介と山の話を聞き、下山となる。その頃になると天気は回復して強い陽射しが照りつける
ようになってきた。一体あの雷雨は何だったのか。嘘のような明るい晴れた空になっているではないか。下山の歩く道々相談の結果、バスには乗らずに奥多摩昔道を歩いて奥多摩駅まで行くことにした。途中までは良かったのだが、またもである。猛烈なる雷雨がおそってきて、皆、雨具を着ていてもたちまちビッショリと全身が、またもぬれねずみになってしまった。途中のトイレの所で休んでいたのだが、雨の勢いは衰えないので、一行、猛雨の中を奥多摩駅に向かう。

 駅に着くと電車が丁度止まっており、駅のアナウンスが出来るだけこの電車に乗っ
て欲しいと駅員が放送をしている。それでもう、皆、その電車に急いで載ることとし
た。窓外を見ると以前と雨はまだ激しく降っている。

 そんなとんだ富士予備登山の山行であったが、まだ登山を開始する前の林道での雷
雨の遭遇で本当に良かったと思っている。これが登山を開始して1時間ぐらいだっ
たら、もう、雨宿りをするところもなく、寒さと不安でとんでもないアクシデントに
なったかと思うとそれこそ身の毛がよだつ。今回はとんだ雷雨に遭遇し御前山には行けなかったが、それなりに山の自然の怖さを改めて知り、良い体験をした。

 皆さん、雷雨の中本当にお疲れ様でした。






山行日   8月21日(土)〜22日(日) 1泊2日
山行先   富士山
天候    二日間とも 晴れのち曇り
参加者   総数 56名  視覚障害者 12名  晴眼者 23名
                 会友 21名(森羅 11名 会員の知人 4
                    名 老楽山岳会 4名 岳人掲載応募 
                    2名)
 行 程

8月21日: 新宿駅(線急行6:50発)→小田原駅(8:20着・8:38発)→三島駅(9:
       21着・バス9:45発)―バス→富士宮五合目コレヨリ徒歩(13:15)→八合
       目山小屋(16:30 宿泊)
8月22日: 八合目山小屋(4:00発)→浅間神社(6:30)→剣ヶ峰(7:10)―おはち巡り
       →浅間神社(8:10・9:10)→富士宮五合目(12:22着・15:20発)―バス→
       三島→小田原→新宿

 感 想

 2004年今年の『Summer六つ星祭』は、「みんなで登ろう富士山へ」というキャ
ッチフレーズの元、初めての方は勿論、何度も登った方も、日本一の富士山に挑戦し
ようという計画で早くから担当者一同が、その実施準備に奔走した。7月11日の富
士予備登山の「御前山」では、登山口に到るまで猛烈なる雷雨に遭い登山が中止とな
った。8月の本番実施に当たっては、何卒お天気に恵まれ高度障害もなく全員が山頂
を目指して登れるように念じて止まなかった。

 8月21日には、心配された台風15号も幸にも20日には東北の方へ去っていっ
たので、これで一安心で当日を迎えることが出来た。最初の頃は70名近くの参加者
であったが、やはり、当日直前となるとキャンセルがあり、結果、56名という参加
者であった。そのうち六つ星山の会の会員は35名という人数でキャンペーンとして
、早くから呼び掛けたにしては参加者が少なく富士山という高山なので誰しもが登れ
るということでないから、参加者も限られてくるのであろうが、担当者としては、も
う少し参加者があっても良いのではと思われた。

 三島駅で東京駅から来た班と合流し、貸し切りバスにて富士宮五合目に向かう。計
画した当初は、富士吉田コースから健脚者が登り、富士宮コースからは足弱の方、初
心者の方が登という、二つのコースを想定し、山頂で感動の対面をしようという計ら
いであったが、計画段階で頓挫し結果、富士宮コース一本となった。を私は富士登山
は過去、4回ほど登っているが、富士宮コースは初めてなのでそのコースの様子が掴
めないが、吉田口コースよりも登りが楽だとのことで、富士登山が初めての方も安心
して登れるのでこのコースが、選定された。

 出発式を終えそれぞれの班別に富士登山開始となる。一番心配されたお天気も曇り
空でかえって日が射さないだけに暑くなく汗もかかないので、登山には快適である。
しかし、さすがは富士山。金剛杖を突いた俄登山者が大勢登っている。やはり、一生
に一度は富士山へ登ろうという念願からこうして来ているのであろう。本当にまだ歩
くのもおぼつかないような幼児からかなりの高齢の方と様々な登山者が一路、山頂を
目指し登って行く。

 この富士宮コースは、登るコースと下山コースが同じなので、それだけにすれ違う
たびにお互いに待ったり待たせたりとそれで時間がかかってしまう。登山道は吉田口
コースと違い砂礫混じりのコースで結構踏ん張りが効かないので、足が疲れて苦労す
る。それでも一時間30分で元祖七合目小屋に到着し、ここで七合目泊の方達と分か
れ私達八合目泊の参加者は更に歩を進める。

 何しろ登山者が大勢で先に行く登山者の後ろについて登るので、登る速度は、ゆっ
くりとなるために疲れは感じられず何ということ無しに八合目の小屋に4時には突い
てしまった。宿泊する部屋もほぼ私達六つ星山の会の会員同士が一箇所に寝られるよ
うな手配をしてくれ、一つのふとんに二人で寝るというスペースでそんなに窮屈でも
なく寝られるのはありがたいことだ。夕食のカレーライスを食べるともう、すること
もなく禁酒なので一杯飲むわけにも行かずみんな間が持てない様子で蚕棚のような狭
いところで、何をすること無しにゴロゴロとしている。オリンピックの野球中継を聞
くうちに眠気を催しウトウトとしたが、9時30分頃から目が覚めてしまい寝返りを
したりしなかなか寝付かれず、おまけに隣で寝ているGさんの豪快ないびきも気にな
り眠れなかった。

 22日は朝、3時起床で、身支度を調え朝食の弁当をしっかりと食べいざ、山頂を
目指し登山開始となる。しかし、さすがは富士山、風も冷たく寒さが身に応える。オ
ーバーヤッケをしっかり身につけ、フードをかぶり小屋の外に飛び出す。外はまだ暗
く身体もシャッキリと目覚めていないので登るのに息が上がり少し苦しい登りが続く
。そんな登りが30分も続いただろうか。雲海の間から日の出となり、金色に輝いた
太陽が顔を見せ陽気が満ち々一遍に眠気も覚めそんな太陽の神々しさに見とれてしま
う。

 何しろ登山者が大勢なので、登山ペースはゆっくりだから疲れることもなく快適に
歩を進めることが出来た。お天気も時たま日が射したりして、雨も降らず幸運のうち
に登山が出来本当に何よりである。無線連絡で7合目小屋の方達も3時には出発し山
頂を全員目指しているとのこと。これまた、「みんなで富士山へ登ろう。」というキ
ャッチフレーズに違えず喜ばしいことである。山頂に近づくに連れ大きな溶岩がゴロ
ゴロと路傍に目立ち改めて富士山の火山ということを認識する。

 階段状の岩場を登ると白い鳥居が見えやがてほどなく浅間神社に到着した。ペース
は思ったより早くこれならおはち巡りも余裕を持って出来そうである。とにかく人、
人で賑やかな神社の前で休憩を取り、剣ヶ峰だけの方、おはち巡りの方とそれぞれ分
かれて行動をすることとした。剣ヶ峰に着くとその標識の前で記念写真を撮ろうとす
る列が並びここも混雑をしている。私達はそこから離れた所で記念写真を撮り、おは
ち巡りと歩を進めた。途中では風が強く吹き寒さが身に応える。吉田口コースの浅間
神社に着くと富士宮コースよりも表コースだけに混雑をしており、富士山は7月、8
月のたった2ヶ月のシーズンなのでその混雑も仕方のないことであろうか。

 おはち巡りを終え富士宮コースの浅間神社前に到着し、ここで全員が合流し、それ
ぞれトイレに行くが、このトイレが少なくその順番を待つ長蛇の列で何時になったら
用を足せるのか甚だ心許ない限りである。もう少しトイレの数を増やすとか何らかの
配慮が欲しいものである。そんなやっとトイレに行った方々も集まり9時に下山開始
となる。

 途中で高度障害なのか。ばったりと倒れている方もあり、登る者、下る者、登山道
は人の切れ目もなく賑やかな富士の夏山風景が続いている。先発隊の一部はショート
カットをして、ブルトーざーの道を下山路にとって下って行くがここは進入禁止なの
だがその点は心配ないのであろうか。

 私は12時22分に一番早く5合目に到着し、昼食のラーメンを食べ、ビールで喉
を潤し仲間と談笑をするうちに全員が無事で下山をし、下山式を行いこの「みんなで
登ろう富士山へ」の『Summer六つ星祭』も無事に終了することが出来た。

 この富士登山を計画し実施するまでには、紆余曲折、担当者のリタイヤ等もあり、
富士登山の実施が懸念されたが、こうして富士登山の成功を目の前にして、山頂での
皆さんの笑顔を見ると本当に担当者の一人として、今までの苦労が実りこうして富士
登山が出来たことに安堵の胸をなで下ろす心境である。誰一人自己もなく山頂へ登れ
たことに富士の神様、この花咲くや姫に感謝する次第です。





 山行日  2004年9月12日(日)
 山行先  三頭山(奥多摩)
 天 候  晴れ
 同行者  5名
山行形態  下見山行

《行 程》
 武蔵五日市(8:50着・9:00発)―バス→都民の森(10:25着)
―これより2コースに分かれて徒歩→
[登山コース]
1. 体験の森・鞘口峠コース 歩程時間 1時間05分
   体験の森―15分→鞘口峠―50分→三頭山
2. 大滝・沢コース 歩程時間 1時間10分
   都民の森―20分→大滝―60分→三頭山
[下山コース]  歩程時間 2時間35分
★ 2コース共通
  三頭山―15分→大沢山―70分→槙寄山―10分→西原峠―60分→数馬(忘年  会の会場予約・17:27発)―バス→武蔵五日市(18:26着・18:48)→拝島(19:08・19:  14直通運転)→立川(19:26着)

[感想]
 今日は12月12日(日)に実施される『忘年納山・六つ星祭』の下見山行として、参加者5名で実施した。都民の森でバスを降り登山のための身支度を調えてから、それぞれ2コースに別れて行動を起こす。

 私はMさん親子と一緒に鞘口峠から、三頭山山頂を目指すことにした。一方Gさんと和美は大滝コースから三頭山山頂を目指し、山頂で合流することとした。もう大分前にこの都民の森から三頭山を登ったが、その時にはまだ都民の森が出来たばかりで現在のような整備がされていなかった。今はすっかりと各、コースも整い、施設も充実をしている。しかし、自然を破壊して、このような人工的な施設を作り、お仕着せに都民の森として提供されるのは、真の自然との交わりとなるのであろうか。それよりも山は自然のままにしておいて貰った方が、真の自然と対話が出来て癒されるのではないだろうか。

 Mさん達は、さすが親子だけに息もピッタリと合っていて、結構ハイペースで登って行く。登山道は良く整備されておりあっという間に鞘口峠に到着した。ここで休憩をしてから、ブナの道を山頂目指し歩を進める。結構急登で行きも乱れてくる。途中では家族連れのハイカーも歩いており、幼児も懸命に小さな足で頑張って歩いている。今からこうして鍛えておけばかなり登山には強くなるのではないだろうか。

 蒸し暑いので汗をビッショリとかき、やがて三頭山の東峰に到着した。木組みで作られた見晴台には数十名のハイカーが休憩をしている。しかし、見晴台といってもその見晴らしは悪く景色も余り良くないので、早々にここを後にし、中央峰に向かう。20分も歩き中央峰の階段を上って山頂に達すると何と、ぐっとタイミング、和美とG三が一方の登山道から山頂へ丁度到着をしたところである。全く双方が同じ時間に山頂に着いたことになる。

 ここで昼食タイムとなり、冷えた缶ビールを飲みながら、いなり寿司を頬ばる。喉が渇いていたので冷えたビールがとてもうまい。山頂には定番の中高年ハイカーが思い思いに休憩を取っている。

 昼食を取り冷えたビールでよい気持になったので、下山をすることとした。階段状の登山道をかなりしたまで降りて行くが、道は都民の森と言うだけに良く整備されており私達には歩きよくドンドント下って行く。途中ではログハウスの三頭山避難小屋を見て、更に樹林の間を一行5人は歩を進める。そして展望のない槙寄山に着き、ここで休憩を取って、更に急下降をして西原峠に着いた。ここの眺めは展望も良く奥多摩の峰峰が墨絵の如く霞見える。ここからの下りも全く快適に歩くことが出来数馬の村に到着をし、忘年会場の下見に私と和美が三軒ばかり回ってきて、バス停でお互い相談をした結果、忘年会を催すとなるとこのコースでは、かなり時間がかかり無理であろうとのことで、大滝コースから上り、鞘口峠に降りて、都民の森から数馬までバスで来るという計画に変更をした。しかし、武蔵五日市の西東京バス営業所でバスの時刻表を聞くと、12月には都民の森までのバスが通っていないと言うことで、このコースは全面的に考え直さなければならなくなった。
電車に乗りながら相談をした結果、中央線の上野原からバスに乗り郷原で下車し、ここから槙寄山に向かいこの槙寄山で、納山式を行った後に忘年会は数馬の三頭山山荘で催すこととした。本当に役目とは言いながらプランを実行することは大変なことである。
それから帰途、オツカレサン会を吉祥寺で私達とGさんとで会食をし、それぞれ家路についた。


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 コース      山遊G2・丹沢
 山行先      栗ノ木洞(908.3m)
 山行日      9月26日(日)
 累積標高差    +977m、−929m
 歩程時間     約6時間(休憩を含まない)

山の紹介     

新松田からバスに乗ると山里らしい風情。寄(やどろぎ)から茶畑の中を鍋割山
の方角に向かって登ります。丹沢らしく鹿柵あり崩れた個所あり沢ありの変化に
富んだコースです。最後だけ大倉のバス停まで1時間以上の林道歩きになります
が、舗装道路ではありません。ここは休憩をとらずに一気に歩いてしまいます。
牛の匂いや鳴き声が聞こえたらじきに車道、ここから10分ほどで大倉のバス停で
す。

 行程  

 小田急線・新宿駅7:31発 急行箱根湯本行(5番線)→新松田駅着8:51 新松田(バス)9:05 → 寄(やどろぎ)9:30自己紹介等9:45出発 →(140分)→ くぬぎ山(昼食)→(30分)→ 栗ノ木洞→(40分)→ 後沢乗越 →(60分)→ 二俣 →(90分)→ 大倉(バス)→(10分)→ 小田急線・渋沢駅 解散。

≪感想≫

 丹沢の山の中では、マイナーの山と言えるだろう。見晴らしもあまり良くなく下りが急下降となっており、下りで難渋している会員もいた。


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 [山行先]  鬼怒沼(2010m)
[グレード]  山楽G3
[日  程]  2004年11月6日(土)〜7日(日) 1泊2日
[天  候]  二日間とも曇りのち晴れ
[歩程時間   6日 2時間   7日 7時間]
 [参加者]  視障者 4名、晴眼者 12名 会友 1名(計17名)
[コース]    

11月6日(土)
 浅草駅(8:00発・特急鬼怒103号)→鬼怒川温泉駅( 9:59着・10:15発)―栗山村々営バス→女夫渕温泉(12:20着・12:40発)→鬼怒川河原(13:00着〜13:30発)→加仁湯温泉(14:45)→日光沢温泉(15:00着) 宿泊

11月7日(日)
 日光沢温泉(6:50発)→丸沼分岐(7:20)→オロオソロシの滝展望台(7:53)→鬼怒沼(11:40)→丸沼分岐(12:50)→日光沢温泉(13:05)→女夫渕温泉バス停(14:55・15:35)―バス→鬼怒川温泉駅(17:40着・17:47発)→浅草駅(20:03着)

≪感想≫

  当初、山行案内では、交通手段として、マイクロバスを利用することにしていたが、参加者が少なかったために急遽、電車を利用することにした。鬼怒川温泉駅から栗山村村営のバスに乗車し途中、竜王峡で渋滞に遭遇しながら一路バスは鬼怒川の谿谷沿いを金糸、銀糸の丁度良い紅葉の中を進んで行く。そんなバスも途中休憩タイムを取りやっと終点の女夫渕温泉に到着をした。

 トイレを済ませ17名一同は、鬼怒川にかかる専用車両通交の橋を渡り、やがて車道から離れ細い登山道を鬼怒川の河原まで降りて行く。そこで自己紹介、2班編制の各、班員を紹介した後、昼食をする。お天気は小春日和で、吹く風はさわやかで気持ちよく当に絶好の山行日よりの一日だ。

 この鬼怒川沿いを歩くコースは、平坦で道幅も広く何しろ、八丁ノ湯、加仁湯、日光沢温泉、手白沢温泉とかけ流しの奥鬼怒四湯を結んでいる道だけに気楽に秘湯を楽しむ観光客が結構歩いており、それだけに賑やかである。私達は途中1回休憩を取りやがて今日の宿泊地、日光沢温泉に到着をした。その旅館は建物が古くいかにも湯治場の宿という風情で落ち着いた雰囲気である。

 皆は廊下を隔てた障子の四部屋に別れ、早速お目当ての温泉にはいる。お湯は熱く白濁をしており、露天風呂も広々としていて、時たま野猿が「キー、キー」と泣いていて落ち葉が風に舞い実に野手満点の雰囲気である。そんな温泉に入った後、ビールや焼酎で渇いた喉を潤し、そして食事処で箱膳に盛りつけられたご馳走を食べ、明日の登山に備え眠りに着いた。

 朝、6時に朝食を済ませ一同意気揚々で朝靄の中を鬼怒沼目指し歩いて行く。そんな一行も丸沼分岐の当たりから、段々1班と2班の間が離れて進んで行くようになってきた。登山道は結構斜度もあり、倒木や大岩を跨いだりしながら歩を進めて行く。ここらは紅葉は既に終わりで木々も葉が落ちてそれだけに晩秋の空が高く見える。

 そんな急登を暫し歩くとやがて、離れた各、班も遠く白い一丈の筋となり見える「オロオソロシの滝」の展望台で合流し一同一本立ててそれぞれ水分や軽食などを補給し、更に鬼怒沼目指し歩を進める。足並みの揃っている1班はドンドンと軽快に歩いて行く。それに引き替え2班は益々遅れてしまい1班との差が広がるばかりである。登山道は岩や倒木が増え更に傾斜が増して歩きにくくなってきた。ここら当たりから「タイムアウト」のライトが私の脳裏に点滅をしてきて不安が心をよぎる。

 それでもどうにか後、鬼怒沼まで少しの時間の所まで、2班は到達してきたが、何と先発の1班が鬼怒沼を駆け足で見て下山をしてきた。ここで相談の結果、2班の二、三の方の鬼怒沼までの登山をあきらめて貰い一方、体力に自信のある方だけが、急いで鬼怒沼まで行くこととし、私もその一向に加わり、日本で一番高いところにある鬼怒沼湿原の別天地の風景白い一直線に伸びる木道、ブルーに輝く小さな鬼怒沼、遠く尾瀬の名峰、燧岳、日光白根山をそそくさと見てまた、急いで2班の皆に追いつけとばかりに下山をする。そして2班の方々と合流し、どうにか日光沢温泉に無事に全員到着した。ここで殆どの方が歩いて女夫渕温泉まで行き、Yさんと他、4名は八丁ノ湯の送迎バスにて女夫渕温泉に向かいどうにか鬼怒川温泉行きのバスに間に合いそれぞれの思いを心に刻みバスに乗り一路、帰途に着いた。

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 山行先   官ノ倉山(344m)
 山行日   2004年11月21日(日)
 天 候   晴れ 
[参加者]  視障者 10名 晴眼者 17名(計 27名)
[コース]  東武池袋駅→東武竹沢駅―これより徒歩→天王沼→官ノ倉山→石尊山→北       向不動→長福寺→晴雲酒造→小川町駅
 [歩程]  3時間30分

       “展望の良い里山歩き”
 「山はいつ来ても良いねー。」「やっぱり来て良かったよ。」などという声が交わされると担当者にとっては、実に嬉しいものです。・・・!!今日は朝から申し分のない好天気に恵まれました。
 東武竹沢の駅を午前9時45分に出発。里山の紅葉の風景を楽しみながら車道歩き、途中、畑で農家の方が、南米、アンデス地方の原産である見た目は、丁度、サツマイモに似ているヤーコンという野菜を収穫中の所にさしかかる。誰かさんが「おいしそうですねー。」と言う。すると農家の人が「どうぞ、一本づつ持っていきなよ」と嬉しいことを言う。思わぬ収穫です。それからまた、少し歩くと今度は道端でクレソンという野草を発見。早速、二、三の人がそれを取り近くに流れている小川で水洗いをする。「今日は本当にさい先が良いナー。」と思った
人もいるのではないかな。
 やがて一行は天王沼に到着、ここで一本目の休憩、10分休んで出発、ここから急傾斜の登山道、グレード山遊G2に相応しいコースとなる。みんなゆっくり慎重に歩く、2本目の休憩は官ノ倉山の山頂。10時20分、腰を下ろして休んでいるとOさんがいない。Tさんがいないなどとやけに騒がしくなった。早速、無線の担当者の方が活躍、間もなく全員集合、後から遅れて来た方にその分けを聞いてみると、何と官ノ倉山の山頂の手前の分岐を真っ直ぐに進んでしまったとのことでした。ヤレヤレ、ホッ、昼食にはまだ早いので隣の石尊山まで歩く。12時少し前に石尊山に到着。山頂は360°の好展望でここで昼食となる。するとOさんが先ほど頂いたヤーコンをみんなに少しづつ振る舞ってくれた。味は丁度、大根を噛んだときのようで、大根よりもサクサクとした噛みごたえである。Oさん、有り難う。ご馳走様・・・!!
 昼食を終え12時30分下山開始となる。山頂からいきなり悪路の急下降となり皆、慎重に足を運んで行く。そんな急下降も全員無事通過をし、歩きやすい尾根道に出た。やがて里山の林道となり、斜面の高所に狭い階段が刻まれてそこに「北向不動」が祭られてあるが、高所なので皆さん、パスをし里山の紅葉を楽しみながら林道を進んで行く。 やがて名前も縁起の良い長福寺に到り、ここで休憩をし参拝を済ませお目当ての晴雲酒造に
向かう。この晴雲酒造で3種類の酒を軽妙なる女店員の説明で、それぞれ試飲をしきき酒となる。「ウーン、これは少し辛口だ。」、「これは甘口でさっぱりしている。」などと皆、話をしながら嬉しそうに飲んでいる。皆さん、それぞれにお酒のお土産をザックに詰め小川町駅に向かいここで午後3時、解散となる。

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 山行先   『忘年納山・六つ星祭』2004in槙寄山(1531m) 
 山行日   2004年12月12日(日)
[天候]   曇り時々晴
[参加者]  視障者 14名 晴眼者 25名(会友 6名(計45名)
[コース]  上野原―バス→郷原→槙寄山→西原峠→数馬→武蔵五日市
 [歩程]  3時間40分

[感 想]

 上野原からバスに乗り郷原で下車し、寺院の境内にて参加者45名、出発のセレモニーを祭ということなので、いつもより念入りに行い、今年は男性群が班長となり、第1恵美須神班、第2毘沙門天神班、第3大黒神班、第4布袋神班とお目出度い七福神の神々の名前を引用し山頂目指し出発をした。

 山頂では、厳粛なる納山六つ星祭を執り行い新たなる2005年の希望を胸に下山を開始する。麓の数馬で納山六つ星祭の参加者と別れ忘年宴会組は、三頭山荘に行き展望風呂で汗を流し猪鍋を食べながらビールを飲み歌を歌いまた、町山長平君の司会により「クイズの王様」で頭を捻り、正解の方々には、ステキな賞品が用意をされており、皆さんその恩恵を受け和やかのうちに宴会もお開きとなり、一同数馬のバス停から武蔵五日市に行き、各方面へそれぞれ帰途に着いた。 (^_^)
 

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