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My Sankou Memo


白銀に輝く越後駒ケ岳&駒ノ湯山荘で良い湯だな







   山行日:  2013年5月3日(金)・4日(土)・5日(日) 2泊3日
   山行先:  越後駒ケ岳(山域 越後 標高 2002,7m)
   Member:  金川 勝夫 和美・鴬谷S,M
   天 候:  3日間とも快晴


  ≪行程≫  

 5月3日(金)
 三鷹駅北口(6時30分)=練馬ICから関越自動車道⇒駒の湯山荘(14時10分到着・宿泊)


 ≪My Sankou Memo≫

 今年5月GWの連休は、3回Tryして、何れも撤退となった雪の越後駒ケ岳へyuupolerの鴬谷S,Mさんと和美の3人でAttackすることとなった。
 その3回の越後駒ケ岳山行は、一度目が1997年7月19日〜21日で、越後三山(八海山→中ノ岳→越後駒ケ岳)縦走という八海山の山小屋に宿泊し、八海山から先の御月山までは、波線になっていておかめ覗きという難所で500b下って800b登るという、アップダウンがものすごくてザックの重さ、カンカン照り、体調の不調等でとにかく息が上がってしまって、今までの山行で初めてのバテバテになってしまい一歩も動けずもう、途中、おかめ覗きの底部で笹が繁茂する悪条件の斜面の所で、ビバークをしてしまった。そして三山の最後の地点、越後駒ケ岳にはゆけずに中ノ岳から十字峡へ下山をしたのであった。そして二度目は1998年7月18日〜20日に再度越後駒ケ岳へTryしようと十字峡から丹後山、大水上山、兎山を経て中ノ岳に行ったのだが、途中の兎岳当たりからバテバテになってしまい疲労困憊し、やっとこさ中ノ岳へ到着し、中ノ岳の避難小屋で一泊して、翌日越後駒ケ岳へ行く予定であったが、もうそんな元気は無くそこから十字峡へ下りてしまった。そして3度目は、2000年11月3日〜4日・5日に駒ノ湯山荘に宿泊し、越後駒ケ岳へ行ったのだが、途中積雪のためにこれまた撤退をしてしまった。どうもそんなわけで、私には越後駒ケ岳は鬼門のようで、中々登らせてくれない山だ。

 そんなことで実に今回が4度目の越後駒ケ岳へのTryとなるが、今年の冬は降雪がかなりあり、5月の越後駒ケ岳には相当な積雪が有るため、駒ノ湯山荘から山頂までピストン山行は全く無理なので、計画を下時点から山頂はあきらめ小倉山を目標地点として、駒ノ湯山荘にて、お酒、ご馳走、温泉三昧と至福のひと時を過ごそうとの贅沢なる計画だ。三鷹駅前を6時30分に和美の運転でマイカーを走らせ越後路目指し出発した。しかしながらカーナビでは3時間30分で駒ノ湯山荘へ着くとの表示をしているのだが、問題はGWだけに相当に道路が渋滞することが考えられるので、果たして何時に駒ノ湯山荘へ到着するかが、多いに悩むところで有る。

 三鷹駅北口から、関越自動車道の練馬ICまでは順調に来たのだが、関越自動車道に入り徐々に混み出してきてとうとう渋滞に巻き込まれてしまった。マア、それでも車が止まること無くゆっくりで有るが走ることが出来たので、あせらずのんびりと行くこととした。途中高坂サービスエリアで、トイレ、朝食を採るため休憩することとした。そして高崎を過ぎた当たりからそんなに渋滞にも遭わずに快適に走ることが出来た。上州路に入ると新緑に映える上州の峰々が見え、真っ青な五月晴れの下、榛名山、遠く白銀に輝く谷川岳連峰等と、実にしみじみと旅情を感じる光景だ。水上を過ぎ長い関越トンネルを抜け車は快適に静かなる越後路を走り行く。そして小出ICから関越自動車道とも別れを告げ、路傍に積雪が有る狭い道路を奥へ奥へと進みその行き止まりになっている終点、何と三鷹から8時間かかり到着しました。今日のお宿「駒ノ湯山荘」へ・・・!!!  (^o^)

 この駒ノ湯山荘へ以前来たときには、玄関に入るなりシーズ犬の可愛いワンちゃんが、スリッパを口にくわえて「いらっしゃい。まマセマセスリッパをどうぞ・・・!!!」と尾っぽをはち切れそうに降りながら出迎えてくれたのだった。そのワンチャンのことを宿の方に聞いてみたら3年前に亡くなったとのことで、愛嬌者のワンチャンだっただけにしばらくはとても淋しく辛かったと話をしてくれた。そして炉端が一角に据え付けてある部屋に入るなり、我ら三人、先ずはビール、それから一升瓶に手が伸びて、すっかり良い気持になったところで、タオルを肩にかけ温泉場へ向かう。そしてお目当ての34度の温い温泉にそれこそ湯ったりと浸かった。普通は温泉で温まるというのが、普通の表現ですが、さすがは34度だけに温泉で身体が冷えてきてしまい鴬谷のS,Mさんが、風呂から上がり、他の風呂場に行き「ここよりは少し温かい温泉場があったよ。」と言うので、そちらに行ったのだが、多少温かいという程度で、お負けに湯量が極めて少ないために座っておられずお互いに仰向けになってその温泉に入っていたので有った。鴬谷のS,Mさんがお湯と書かれてある蛇口を捻ってみたのだが、出てくるのは水ばかりで、一向にお湯が出てこず仕方が無いので、男2人、誠に奇妙なる姿で、お互いジッと仰向けになって、その冷たい温泉に堪えて入っていたので有った。そのことを風呂から出て、和美に話したら、そのお湯の蛇口を捻り、暫く待っていないと最初は水だけで、お湯がでてこないが、やがて熱湯がでてくるとのことで有った。 (^^;)
 「教訓その一、何事もあせってはいけません。待てば海路の日和あり。」ナンチャッテネ。

 そんな温い温泉に入り、部屋で寛いでいたら、やがて夕食Thymeとなったので、お食事処へ行くと結構、お客さんが停まっており、お互い談笑しながらご馳走に箸を付けていた。そのご馳走で有るが、山宿だけに山菜の天麩羅、ヤマメ等々と材を吟味し作ったと思われる数多くのお料理が、テーブルに所狭しと並んでいる。なかでも馬肉のヤッケは、実に珍しくこの駒ノ湯山荘の言わば目玉料理とのことだ。それらの料理を生ビールを飲みながら舌鼓を打ち箸を進めた。まだ昼間に飲んだお酒が十分に身体に残っていて、そこに生ビールが入ったものだからもう、たまりません。すっかりとヨカ気持になり、部屋に着くなり、明日は早朝、4時に起床し、本番の越後駒ケ岳山行なので、体力温存のためにバタンキューと爆睡モードで、床に入るなり寝てしまった。

 5月4日(土)

 駒の湯山荘(5:20出発)⇒小倉山手前のpeak(11:10)⇒駒の湯山荘(14:10着)


 ≪My Sankou Memo≫

 早朝、4時に起床し、洗面を済ませ山支度をビッシと決めバッシと頬を叩き、活を入れて我ら3人、駒ノ湯山荘の玄関前でオーッとばかりお互いに挨拶を交わす。「イザ行かん。越後駒ケ岳のpeak、小倉山へ」と意気揚々と和美を先頭に次いで私、lastに鴬谷のS,Mさんの順で、静寂な早朝の霊気にガッツガッツガッツと靴音高く舗装された道路を歩き行く。丁度駒ノ湯山荘の裏手に当たるみちゆき沢を流れる佐梨川の吊り橋を渡り、少し行くと路傍に高く積雪の有る舗装された道路は、高く積もった雪に閉ざされてみちゆき沢の雪の斜面と代わり早くも銀世界へ突入した。そこでしっかりとアイゼンを着け雪の斜面をまだ起きてから間もないので、身体が重く少々息を切らせ登って行く。見上げれば雲一つ無い五月晴れで、吹く風がとてもヒンヤリとして、実に気持ちの良い当に登山日和だ。

 本格的な雪山登山は、2012年2月11日(土)〜12日(日)の雲取山以来であろうか。最近は越年山行の正月に雪山へ行かないので、登山靴を通しての久しぶりの雪の感触だ。これから小倉山まで約、標高差1000mのきつい登が待っているのだ。雪の斜面も程なく土道となり、アイゼンを着けていたのでは、歩きにくいので、アイゼンを外して歩を進める。この小倉山コースは、明神尾根の枝尾根を登るコースで、小倉山で明神尾根コースと合流する。登山道の路傍には、ショウジョバカマ、イワウチワ、カタクリの大群落が連続しており、豪雪に耐えやっと迎えた春の喜びを表現するかの如く花びらの色も実に鮮やかで、可憐なる花々が「本当に良く来たわね。頑張って登ってね。」と優しく迎えてくれた。

 そんな登山道もまた、途切れてしまい雪の急斜面となり、ピッケルを雪面に突き立て、一歩、一歩登って行く。その途中の斜面はかなりの勾配が有り、ここを登るのかと思うと内心恐怖で、身体が硬くなる。しかし、前を歩いて行く和美はそんな急勾配の斜面も気にする様子は亡く登山靴を雪面に蹴り込ませながらしっかりと登って行く。そんな和美に負けてはならぬと意を強くし、遅れてなるものかと雪の急斜面を登って行く。暫くそんな雪の斜面を登っていったのだが、鴬谷のS,Mさんが、「あそこに登山道が見えているよ。」と右前方を指を指して誘導する。その登山道を良く見ると結構下の方から続いており、何も無理して急勾配が続く雪の斜面を登ることは無かったのだ。和美に言わせると雪面に足跡があったので、それを頼りに雪の斜面を登ってしまったとのことだ。

 暫くは石がゴロゴロとしていたり、木の根が張った実に歩きにくい樹林帯の登山道を登って行く。これなら雪面の方が歩きやすいと思うくらいの登山道が続く。それでも路傍にはショウジョバカマ、イワウチワ、カタクリが咲き乱れ「頑張るのよ。」と私達に声援をしてくれた。そんな可愛い花々に見送られて、ただひたすらに上へ、上へと歩を進める。やがて森林限界を過ぎそんな土道も何時しかまた、雪の斜面となり、それが徐々に急勾配となって来た。その斜面を見下ろすと一気にガーンとかなり下方まで伸びて行ってるではないか。思わず背中に冷や汗がジワッと染み出て来た。お負けにアイゼンを着けずにこの雪の急斜面にとつにゅうしてしまったので、もう、緊張のしっぱなしである。更に歩を進めて行くと勾配が増しついには斜面と言うよりは、雪壁という様に代わり斜度も30度はあるだろうか。もう雪壁をよじ登って行くという幹事で、前方の和美が蹴り込ませた足跡へ私の靴を蹴り込ませ登って行くのだが、その足跡も雪がかなり溶け出しているために踏ん張りが効かずにズルッと滑ってしまう。「もう、四つん這いになって登って来て。」と前方の和美から大声がかかる。私はピッケルをしっかりとズッブと差し込み四つん這い状態で、登って行く。過去幾度となく雪山へTryしたが、こんな雪壁登りは初めてで、その緊張で口がカラからに渇く。

 また、その雪壁が実に長く続く。後ろを振り返ると鴬谷のS,Mさんが、かなり遅れている。どうも雪壁の脇に立っていた木の所でアイゼンを着けて、登ってくるようだ。滑落をしなければ良いがと案じながらも、私は人ごとで無く当に雪壁との格闘が続く。超緊張のスリルの連続だ。和美との距離はかなり離れてしまい、もう、マイペースで足を和美が先に着けた足跡へしっかりと踏み固めるようにして、蹴り込ませ上へ上へとそれこそ一歩、一歩歩く。すると先に登っていた和美から「オーイ、もう少しで平らなところへ着くよ。・・・!!!」と声がかかる。
「ヤレ、嬉しや。」とばかり勇気が湧いてきて、身体も何時しか軽くなり、雪壁の斜度も少なくなり、やっと平らな見晴らしの良い所に到着した。「フー、ヤレヤレホットシタ。」  (^_^)

 目標地点の小倉山が眼前に屹立しており、もう、気力、体力共にGive upで、小倉山へはまだ優に50分はかかるであろう。それから更に2時間位歩き越後駒ケ岳山頂へ達するのだから、とても山容が大きくそれだけに感嘆には登らせてくれない越後駒は、奥深い山だ。ここで登山は終了とし、山荘で作って貰ったオニギリを口にする。もう、超緊張したので、唾液のでも悪く、やっとのことで大きなオニギリを頬張る。そして記念写真をデジカメで撮っていると下から4名の中高年Partyが、登って来たではないか。各人がかなり大きなザックを背負っており、かなり疲れているようだ。何でもこれから越後駒ケ岳の避難小屋を目指し行くとのことであるが、ここから避難小屋までは、2時間はたっぷりとかかるであろう。装備を見るとアイゼンも着けて無くお負けにピッケルも持っていないので、和美が「大丈夫かしら。」と杞憂の心配をする。

 余りゆっくり模しておられないので、早々にこの地点を引き上げ、アイゼンをしっかりと着けて、これから今来た道を下山開始である。この下山が正直、登より目線が高くなるため怖いのである。最初は前を向いて下りていたのだが、雪壁になるとそれが怖くクライムダウン(後ろ向き下降)で、下りることにした。そんな雪壁を下って行き、少し勾配が緩くなった斜面で、前方を歩いていた和美が滑落をしてしまった。見るとあっという間に滑って行く。そうですね。7mは滑落したのでは無いでしょうか。幸にも穴が空いており、そこで停まったとのことで、先ずは一安心だ。そんな斜面を少し進んで行くと今度は鴬谷のS,Mさんが滑落をした。こちらの方はそんなに滑らず直ぐに体勢を立て直したので良かった良かった。。 (..;)

 雪の斜面もかなり勾配が緩くなり、ここから尻シェードで、滑り降りる。今までの緊張から解放されてのルンルン気分で、和美が先に滑り、その後から私が滑り降りる。 そんな雪の斜面もやがて土道になり、イワウチワ、ショウジョウバカマ、カタクリ達の
可憐なる花に「お帰りなさい。」と優しく迎えられ無事に下山が出来、2時10分に駒の湯山荘に無事帰還した。

 部屋に入るなり冷たいビールで、先ずは無事帰還を祝し、乾杯をする。鴬谷のS,Mさんが、愛妻のお土産にするのだと山菜の、フキノトウを取ってくると出かけていったので、和美と私は、湯浴みタオルを身体に巻いて、混浴の露天風呂に入る。以前来たときには、確か2時間位は言っていた記憶がある。ここの露天風呂のlocationが抜群で、丁度、沢の斜面に建っており、沢の下には佐梨川が流れその反対側の沢筋の絶壁には、残雪が白く覆い、緑と合間って誠に絶景である。浴槽には何でも和歌山から来たというご夫婦が仲良く入っていた。私達も40分は温い温泉に入っていたのだが、和美が冷えてきたと言うので、熱い浴槽で温まり部屋に戻った。鴬谷のS,Mさんもフキノトウをたくさん取り、温泉に湯ったりと浸かりサッパリとした顔で部屋に戻ってきた。

 そうこうしているうちに夕食Thymeとなったので、食事処へ行く。昨日のmenuとは少し違っており、今日は鮎の塩焼が、そんなに塩辛くなくとても美味しく頭から尾っぽまで全部食べてしまった。そしてアルコールは、赤ワインを注文しこの赤ワインがとても美味しくご馳走に箸を付け今日登った雪壁を思い出し、お互い満面笑みを浮かべ健康である喜びを讃美し当に至福のひと時を覆いに満喫した  (^_^)   (^o^)。

 5月5日(日)



 駒の湯山荘(朝食後出発8:40)⇒小出IC=関越自動車道⇒練馬IC⇒三鷹駅北口(14:30着)


≪My Sankou Memo≫

 早朝一浴し、朝食を済ませ、何しろGWの一番渋滞する日なので、少しでも早く出発するため8時40分に駒ノ湯山荘に別れを告げ出発した。途中、小出の道の駅で、お土産等の買い物を済ませ、小出ICから関越自動車道に入る。道路は全く込んでおらず快適に走ることが出来た。途中、高坂サービスエリアで休憩をして、渋滞にも遭わずに練馬ICから三鷹駅北口に14時30分に到着した。

 鴬谷のS,Mさんと今度は日和峠から越後駒ケ岳へTryしようとお互い話合い、可憐なる高山植物群、雪壁のスリル満点の登り、駒ノ湯山荘の温い温泉、美味しいご馳走等々と思いで満載で、3日間の楽しかった山旅が修了したのであった。


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        〜〜≪参考文献≫〜〜


 越後駒ケ岳

 越後駒ヶ岳(えちごこまがたけ)は、新潟県南魚沼市と魚沼市にまたがる標高2,003mの山。魚沼駒ヶ岳(うおぬまこまがたけ)とも呼ばれる。日本百名山の一つ。
山頂は南魚沼市側に位置する。八海山、中ノ岳とともに越後三山(魚沼三山)の一つに数えられる。
標高はそれほど高くないが、東側(水無川側)と北側(佐梨川側)は標高200-300mの山麓まで一気に落ち込んだ天然の大障壁をなしており、迫力ある山容を示している。冬季には豪雪に見舞われ、盛夏でも雪渓が残る。佐梨川金山沢奥壁などの巨大なスラブ壁があり登攀の対象となっている。

登山[

ルート
枝折峠〜小倉山〜越後駒ヶ岳
駒ノ湯〜小倉山〜越後駒ヶ岳
中ノ岳、八海山とつないで越後三山を縦走することもできる。八海山には八海山ロープウェーがある。

   越後三山

 越後三山(えちごさんざん)は、新潟県魚沼市および南魚沼市にそびえる八海山(1778m)・越後駒ヶ岳(2003m、魚沼駒ヶ岳とも呼ぶ)・中ノ岳(2085m)の総称。三山全域が越後三山只見国定公園に指定されている。魚沼三山とも呼ばれる。
日本アルプス等の山岳に比べて標高はさほどではないが、変化のあるコース、迫力ある岩稜帯などが連続し、クライマーに人気がある。越後駒ヶ岳〜中ノ岳〜八海山をめぐる三山縦走コースもあるが、かなりの難路であり、中ノ岳と八海山の間には、大きく落ち込んだオカメノゾキの難所がある。縦走には最低でも1泊2日の行程を要し、途中に山小屋等もないため、避難小屋の利用が必要となる。またこの地域周辺の変わりやすい天候にも注意が必要で、三山縦走にあたっては十分な経験と準備が必要である。



駒の湯温泉『山荘駒の湯』

   越後駒ケ岳登山口の秘湯『山荘駒の湯』
「駒の湯温泉『山荘駒の湯』」(新潟県北魚沼郡湯之谷村)は、大

湯でバスを降り約4キロの道を歩いて、ようやくたどり着く。
越後駒ケ岳の小倉尾根登山口のすぐ脇にある秘湯で、「日本秘湯
を守る会」の旅館である。

川底から汲み上げた源泉は夏でも冷たいと感じるほどの冷泉だが、
長時間入った後に、上がり湯の熱い湯に少し入ってから上ると、い
つまでも体の芯から温まっていることが実感できる。
源泉の冷たい浴槽には2時間くらい平気で入ってる人が多いとい
う。
  『山荘駒の湯』は、郷愁を呼ぶランプの宿ということで、都会か
ら癒しを求めてのお客と駒ケ岳に登る熟年登山家が利用する人気の
宿である。


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