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≪江戸東京たてもの園のPhotographはこちらからどうぞ≫






 Circle≪ゆ〜ぽぴあ≫・遊歩記

         第244回遊歩
≪江戸東京たてもの園を散策しSLが運んでくるお料理で忘年宴会だ・!!≫










  遊歩日:   2016年12月11日(第2日曜日)
  遊歩先:    小金井公園「江戸東京たてもの園」
忘年会々場:    「いろりの里」 
  天 候:    晴れ
  参加者:    16名

 ≪行 程≫

 ◎武蔵小金井駅(09:25)=小金井歴史散歩道・徒歩40分分⇒江戸東京たてもの園(10時10分〜12時00分)=小金井公園広場にてミニ宴会(12時10分〜12時30分)⇒小金井街道江戸東京たてもの園西門(12時40分)=いろりの里送迎バス⇒いろりの里(13時00分〜15時30分・忘年宴会)=いろりの里送迎バス⇒国分寺駅(15時45分) 解散 ハイおつかれさんでした。


 ≪遊歩記≫

 参加者16名が、武蔵小金井駅改札口外に集合し、計画では小金井街道を北へ真っ直ぐ歩くことになっていたのだが、浜のK,Kさんが、以前、Groupで江戸東京たてもの園へお花見に行った際、小金井歴史散歩道を歩いたので、ただ小金井街道を車の騒音を聞きながら歩くのでは、風情が無いので、浜のK,Kさんの誘導に従いそこを歩くことにした。武蔵小金井駅北口から少し小金井街道を歩きその左側から曲がり、やがて細い砂利道となり、暫し歩く。小金井街道とほぼ閉口に静かな車道を辿る。途中、水車が回っていたという空堀で、その由来を浜のK,Kさんが、案内版を見ながら、滑らかに読み聞かせてくれた。そんな歴史ポイントを見て、更に車道を進む。

 そして程なく玉川上水の歩道に出た。この玉川上水は、江戸の水道施設として造られたものですが、分水によって沿岸の武蔵野台地の新田開発に重要な歴史的役割を果たしました。また、玉川上水に沿う五日市街道は、多摩地域と江戸・東京を結ぶ幹線道路として、地域の経済発展に大きく寄与しました。この玉川上水が、我が町三鷹へと流れ井の頭公園の脇を流れていると思うとより親近感を覚える。古来この玉川上水に沿って、桜が植栽され桜並木として、賑わいを見せたという。

 そして再度、小金井街道に出て、小金井公園の西口から「江戸東京たてもの園」に到着した。「江戸東京たてもの園」に入園する前にここで私が今日のコースの説明をし、恒例の声出しを済ませ、2班編制で、「江戸東京たてもの園」を見物することとした。園内は紅葉がまだ仕切りで、それが迚も見事な眺めである。先ず最初に高橋是清亭を見学した。

 それではこの「江戸東京たてもの園」について略述しておこう。

 「江戸東京たてもの園」

小金井公園には1954年から1991年まで、古代住居や江戸時代の農家を移築・展示する武蔵野郷土館があったが、江戸東京博物館の開館に合わせて、武蔵野郷土館を拡充する形で1993年(平成5年)3月に開園した。高い文化的価値がありながら現地保存が困難となった江戸時代から昭和初期までの30棟の建造物を移築復元し展示しており、開園20周年となる2013年(平成25年)3月に最後の1棟となるデ・ラランデ邸の移築復元が完成した。
宮崎駿監督の映画『千と千尋の神隠し』(2001年)の作画には、たてもの園の銭湯や下町の商家建築のデザインが参考にされた。この縁で2002年には園内で「千と千尋の神隠し展」と映画「千と千尋の神隠し」の屋外上映会が開催された。シンボルキャラクターの「えどまる」は宮崎のデザインである。
 園内は3つのゾーンに分けられ、西ゾーンは武蔵野の農家と山の手の住宅、センターゾーンは格式ある歴史的建造物が並び、東ゾーンは下町の町並みが再現されている。

 園内のそれぞれ建造物を見て歩き、「こだからの湯」で一風呂浴びてサッパリとした。この「こだからの湯」が江戸東京たてもの園の建造物では、一番印象に残る建物だ。私などは子供の頃、当然内風呂など有るはずも無く、銭湯へ行ったものだが、その当時の面影が残っており、懐かしい想い出、男女の銭湯を見て歩いた。そんな各、建造物を見て歩き、小金井公園の一隅のお休み処で、ミニ宴席を開く。ちくわをオツマミにして、男性は、銘酒、浦霞、山田錦、女性はwineをそれぞれ紙コップに注ぎ紅葉した木々を眺め飲む。イヤー、普段はいつも缶ビールを飲むのだが、たまには銘酒も悪くはアリマヘンナ。銘酒の冷たさが五臓六腑に染み渡り実に美味しく皆さん、笑みを浮かべ飲んでいる。

 そしてわずか20分足らずのミニ宴会を済ませ小金井公園西口へ向かう。ここから「いろりの里」の送迎バスに乗車し、本日の忘年宴会場「いろりの里」へ向かった。

 「いろりの里」

 当店は武蔵野の面影を残す玉川上水遊歩道こだいらグリーンロードの傍らにございます。緑したたる3000坪の敷地の中に、錦鯉の群れ泳ぐ日本庭園に面して茶室や音楽堂などが点在し、いにしえの日本情緒たっぷりの庭園レストランでございます。園内には「汽車でお料理を運ぶ懐石しゃぶしゃぶ・すきやき/いろりの里」と「王朝のしつらいの京風懐石料理/四季亭」の2店がございます。

 13時30分の忘年宴会開始までは、時間があるので、待合室にて、時間を有効に使うためCircle《ゆ〜ぽぴあ》」2016遊歩実施一覧表を浜のK,Kさんに1月から逐次読み上げて貰う。各、遊歩実施日、遊歩先の想い出を参加した皆さんに語って貰った。今年は9月の石老山遊歩が、雨天中止になっただけで、11回の遊歩を実施した。

 そんな今年の遊歩先に思いを寄せていたら「ハイ、丁度時間となりました。」とばかり、綺麗なお姉様に先導され宴会会場へわれら16名それぞれ判別で、テーブルの前に座った。そして例年であれば遊歩参加が一番多い北区S,Mさんであるが、今年は家族の不幸が重なり、遊歩参加がわずか3回で会った。その彼に花を持たせ乾杯の儀式を厳かに執り行って貰った。

 イヤー、部屋が暖かいのと喉が渇いていたためこの生ビールの喉ごしが抜群で、皆さん、本当にこれ以上の笑顔はないとばかりにこにこしながらジョッキを傾け各、yuupoler同士で乾杯とばかりカッチとジョッキを併せている。お料理も実に美味しく珍しいお料理がテーブルに並んでいる。それを生ビールを飲みながら、箸を付ける。そんなお料理が一段落すると部屋の電話が鳴り、「これからMainの牛しゃぶがSlに乗って部屋の外まで行きますから受けとってくださいネ。」と中居さんから連絡がある。「来ました、来ました。汽車ポッポに乗って牛シャ部お料理が・・・!!!」何と大きな和牛が4枚それぞれのお皿に載り、到着したでは内科。私などPoorな生活をしている物だからまるで和牛など普段お目にかかったことが無いので、そそそれが4枚もあるので、狂喜乱舞、早速その和牛を鍋に入れシャブシャブして、口に入れる。ウーーーン、もう、言葉が出ません。本当にホッペガ落ちそうな美味です。  (^_^)

 そんな牛シャブを食べながら、おもむろに銘酒、住吉を男性諸氏にお配りをする。「待っていました」とばかり北区のS,Mさんが、ニコニコしながらその銘酒、住吉に口を付ける。「本当に何時もながらこの住吉派ウマイデンナ」と口調も何時しか関西弁となって、ご機嫌だ。そんな銘酒、住吉を飲んで、彼の十八番、「人生劇場の歌が飛び出す。私も負けては成らぬとばかり、同級生の帰宅T,Aさんと「明月赤木山」の歌を熱唱する。忘年宴会は佳境に入り、第2班の参加者により、近況報告が飛び出す。するとそこへデザートが運ばれてきたので近況報告は中断し、そのデザートを食べる。そうしたら何とその後に渋いお茶も出て来たではないか。このいろりの里は、お料理も翌サービスも満点で、すっかり一同ご機嫌となった。引き続き第1版の近況報告をして頂こうと思ったら、何と15時20分になっていたので、N,Yさんのリードにより「今日の日はさようなら」の歌を全員で歌い、大鳥として私が三本締めの儀式を執り行って、楽しかった忘年会もお開きとなった。

「ポポポン、ポポポン、ポポポンポン」  「ポポポン、ポポポン、ポポポンポン」  「ポポポン、ポポポン、ポポポンポン」


 そしてすっかりご機嫌となり我ら16名送迎バスに乗車し、一路、国分寺駅へ向かった。
 来年も皆さんと健康でまた楽しい遊歩を続けたい者だと心に誓いCircle《ゆ〜ぽぴあ》の御い世話人として、この一年、遊歩実施11回をやり遂げた達成感で、満足し帰途に着いたのであった。

  (^o^)   \(^O^)/