Enjoy《ゆーぽぴあ・遊歩案内》 ≪ふれあいコンサート クラシック鑑賞の集い≫ |
鑑賞日: 2007年2月24日(土) 鑑賞先: かつしかシンフォニーヒルズモーツアルトホール 参加者: 総参加者 16名 金川 勝夫 他15名 ≪感想≫ 今日は吹く風がとても冷たく暖冬に慣れた身体には、寒さが応える日であるが、演奏会場のホールに入ってしまえばそんな寒さも気にならないであろう。この「ふれあいコンサート」は、去年は大田区のホールで1月14日に開催されたが、今年は2月24日(土)にかつしかシンフォニーヒルズモーツアルトホールにて開催された。コンサートの鑑賞に参加をされたのは、《ゆーぽぴあ》関係で11名。私の知人で5名の方が参加をした。一同青砥駅の改札口外にて勢揃いをし、会場の「かつしかシンフォニーヒルズモーツアルトホール」へと向かった。 一同、会場に入り各、個別に別れ座席に着き開演をまつ。今年は去年よりは観客がやや少ないようである。こうして一年に一度、オーケストラによる演奏を聴くのは実に楽しみだ。去年の一部は、日本の古典芸能「雅楽」の演奏と舞を鑑賞したが、今年はモンゴルの楽器、馬頭琴による演奏で、馬頭琴とは、どんな楽器なのだろうかと興味津々で開演を皆さん待っているようだ。 やがて開園時間となり、モンゴルのチ・ボラグ氏による馬頭琴の演奏が始まった。この馬頭琴は、弦が馬のしっぽで出来ており、大きさはチェロぐらいであろうか。この弦を同じく馬のしっぽで出来ているユミで奏でるもので実に哀愁のある音色だ。5曲ほど演奏をし、第一部が終了した。 第二部は東京都交響楽団の演奏で、ニューヨークフィルの開演の際のテーマにもなっているラデスキー行進曲を会場の各、入り口から演奏をしながら奏者が入場をしてきた。会場の観客は大喜びで拍手で音楽に合わせパチパチーパチパチーパチパチと奏者と一体になってこれからクラシック音楽の演奏のPrologueだ。 そんな数々の名曲と格調あるテノールの歌曲を約、1時間聴き大いに満足をした後は、今度は青砥駅前にある「たちばな」という活魚料理のお店で、美味しい新鮮な刺身料理を食べ且つ、生ビールを飲んで味覚を大いに満足させご満悦にて帰宅をした。また、来年も「ふれあいコンサート」が楽しみだ。・・・!!! 第一部 〜モンゴルの風に吹かれて〜 ● モンゴル民間伝承曲/チ・ボラグ編曲「ケレルン河」 ● 伝統曲/チ・ポラグ編曲「四季」 ● チ・ボラグ作曲「スーホの白い馬」 ● チ・ボラグ作曲「9つの太陽」 ● 瀧廉太郎作曲「荒城の月」 ● チ・ボラグ作曲「万馬のとどろき」 第二部 〜イタリアオペラの序曲とアリア ● ロッシーニ作曲 歌劇「ウイリアム・テル」より序曲 ● プッチーニ作曲 歌劇「トスカ」より“星は光りぬ" ● マスカーニ作曲 歌劇「カヴァレリア・ルステイカーナ」より間奏曲 ● プッチーニ作曲 歌劇「トウーランドット」より“誰も寝てはならぬ" ● プッチーニ作曲 歌劇「マノン・レスコー」より間奏曲 ● ヴェルディ作曲 歌劇「アイーダ」より凱旋行進曲 ≪演奏局の内容紹介≫ ケレルン河(モンゴル民間伝承曲/チ・ボラグ編曲) モンゴル国東部を流れるケレルン河は、同国を代表する河川のひとつ。 この河のほとりで育った人間の、故郷をなつかしむ歌を馬頭琴で演奏 する。なお、ケレルン河は、モンゴルの古事記とも言われる「元朝秘史」 にも登場する。歴史的にも有名な河の一つ。 四季(伝統曲) 内モンゴルには1940年代まで地方宮廷が存在した。そこで歌われてい た、宮殿廷曲のひとつ。内モンゴル自治区成立後も長年にわたって活 躍した大歌手、ハージャブなどが、そのメロディを伝えた。冒頭部には伝 統的な合唱である「チョーリン・ドー」の手法も取り入れられている。 スーホの白い馬(チ・ボラグ作曲) 日本でも良く知られた、内モンゴル・チャハル地方の民話をイメージして 作曲された 白い仔馬を育てるスーホ少年の喜び、競馬競技で一位になったときの興奮と得意な気持ち、馬を取り上げられた時の悔しさ、恋しさが、この一曲に込められている。1988年作曲. 9つの太陽(チ・ボラグ作曲) モンゴルに古くから伝わる民話を元にした創作曲です。 「昔々、9つの国があり、9人の王様が居りました。何時も争いが絶えなく、長い間戦争が続いていました。」現在でも世界の各地で紛争が絶えません。お互いの民族を尊重しなければいけない。一方的な、独善的なことを押し付けてはいけない…と。民族同士の融和と平和を願った曲です。 万馬のとどろき(チ・ボラグ作曲) 馬頭琴の伝統的技法に新しい高度で華麗な技法を織り交ぜられたチ・ボラグ氏の意欲的作品。1979年、中国国家コンクールの演奏部門第一位、作曲部門第二位を受賞-この曲にはチ・ボラグ氏の「民族は自分達の伝統を大切にしなければいけない。しかし、同時に新しいもの に立ち向かうことを恐れてはいけない.」という願いも込められている。何万頭もの馬が草原を疾走する姿を巧みに描きながら、前進して行くモンゴル民族の姿を表現した力強い傑作である。 序曲とアリア・間奏曲 序曲(オーヴァーチュア)は、オペラやバレエなどの開幕前に演奏され、内容を予知させ導入的な役割を果たす管弦楽曲。電気の消灯や開演ベルのなかった時代に、開演前の序曲の演奏が合図となり観客に着席を促したとも言われている。「ウィリアム・テル」序曲のようにオペラ全体を紡徘とさせるような名序曲は、単独で演奏されることもあり、またf9世紀後半にはオペラから独立した「演奏会用序曲」も作曲されるようになる。 アリアはオペラや宗教曲の中で歌われる、器楽伴奏付の旋律的な独唱曲。通常、話すようなレチタティーヴォに続いて歌われ、前者よりメロディツクで叙情的に歌い上げるものをいう。本日演奏するテノールのアリアは、いずれの曲も主人公の心情を巧みに表した名曲で、オペラの中でも名場面とされる。 間奏曲は、インテルメッツォとも言われ、序曲が演奏されるのが開幕前なのに対して、幕間に演奏される管弦楽曲。数ある間奏曲の中でもおそらく最も有名なものが、この「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲で、単独で演奏されることも多い。 歌劇「ウイリアム・テル」より序曲(ロッシーニ作曲) ロッシーニは19世紀前半のイタリアを代表する作曲家で、「セヴィリアの 理髪師」をはじめ38曲ものオペラを残しているが、この「ウィリアム・テル」 はその最後のオペラである“ロッシーニ自身で名付けたのではないが、 チェロの独奏で始まる「夜明け」、オーケストラで風と雨を描写した「嵐」、 イングリッシュ・ホルンの独奏で始まる「静けさ」、トランペットの威勢のい いファンファーレに導かれて奏される「スイス軍隊の行進曲」という4つ の接続曲の形になっている。 歌劇「トスカ」より“星は光りぬ"(プッチーニ作曲) 19世紀後半には、ロッシーニ、ヴェルディに続くイタリアオペラの巨匠、プッ チーニが「ボエーム」「蝶々夫人」など数々の名オペラを生み出した。この「トスカ」もその逸品のひとつで、中でもこのアリアは有名。第3幕、聖アンジェッロ城の歩膜は、午前4時。政治犯の友人の逃亡を助けた罪で処刑されようというカヴァラドッシの、処刑場へ向かう重い心中を描写するチェロのアンサンブルに始まる/事から出て冷たく澄み切った星空 のもと、指輪と引き換えに最後に手紙を書くことを許された彼が、トスカヘの想いをつづる。クラリネットの哀感漂う旋律に続き、「これほど命が惜しいと思ったことはなかった…」と歌いあげ、最後は泣き伏してしまう。 歌劇『カヴァレリアルステイカーナ」より間奏曲(マスカ-二作曲) イタリアの港町に生まれたマスカーニが、25歳のときに楽譜出版社のオペラ作曲コンクールに応募し、第1位を獲得したオペラで、題名の「カヴァレリア・ルスティカーナ」は「田舎の騎士道」という意味。間奏曲はオーケストラだけで演奏され、そのとりわけ美しい旋律で多くの人々から愛されている名曲である。 歌劇「トゥーランドット」より“誰も寝てはならぬ"(プッチーニ作曲) オペラは中国を舞台とし、美しいが氷のような心を持つといわれるトゥーランドット姫は、3つの謎を解いた者の花嫁になるが、謎が解けないときは生命がない、と布告する。見事3つの謎を解いたカラフは、今度は自分の命を懸け「私の名を夜明けまでに言い当てて下さい」と問い返す。そして彼の名がわかるまで「今夜は誰も寝てはならぬ」という姫の命令を告げて歩く使者の声を耳にしながら、カラフが愛と勝利を情熱的に歌いあげるのがこのアリアである, 歌劇「マノン・レスコ-」より間奏曲(プッチーニ作曲) マスネも「マノン」としてオペラ化している高名な小説「マノン・レスコー」を題材にしたプッチーニの青年期の作品で、彼のオペラ作家としての地位を固めた出世作といえる。マノンとデ・グリューの恋物語は幾度となく仲を引き裂かれ、悲劇に終わる。第2幕と第3幕間のこの間奏曲はデ・グリューの愛の旋律に始まりやがてクライマックスを迎えるが、暗いわび しさが全編にただよう。 「アイーダ」より凱旋行進曲(ヴェルディ作曲) 劇「アイーダ」は、スエズ運河開通記念のためにエジプト国王からヴェルディが依頼を受け作曲した、エジプトを舞台にしたオペラ。この行進曲は、第2幕でラダメス率いるエジプト軍が、敵国工チオピアを下して帰国し、国王や群集が迎える中凱旋する場面の曲。ファンファーレには長い管を持ついわゆる「アイーダ・トランペット」が使われ、力強いマーチには、民衆の歓呼の中を勇壮に行進する様子が描かれる。 |