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忘年遊歩2012(善福寺公園&井の頭恩賜公園)のPhotographはこちら

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   Circle≪ゆ〜ぽぴあ≫・遊歩記

            第205回遊歩
  "忘年遊歩2012・「ぶらり東京Walk」"
 武蔵野の面影を残す二つの公園を巡り
忘年会で多いに盛り上がろう・・・!!!










  遊歩日:  2012年12月2日(第1日曜日)
  遊歩先:  善福寺公園・井の頭公園・井の頭自然文化園 他
        忘年懇親会会場=Restaurant「天狗」吉祥寺店
  参加者:  16名
  天 候:  晴

 《行 程》

 ●荻窪駅東改札口外=善福寺川に沿って遊歩⇒善福寺公園(園内散策)⇒井の頭恩賜公園(井の頭自然文か分園&井の頭弁財天等園内散策)⇒井の頭自然文化園(動物園&北村西望彫刻館等園内散策)⇒忘年宴会・Restaurant「天狗吉祥寺店」⇒カラオケ館吉祥寺南店⇒吉祥寺駅 解散


 ≪遊歩記≫

 今年の「忘年遊歩2012」は、「ぶらり東京Walk」と言うことで、私の住まい三鷹の近辺にある善福寺公園と井の頭恩賜公園を散策し、吉祥寺駅前にあるRestaurant「天狗」で、忘年宴会をして、更にカラオケを楽しもうという、言わば誰にでも参加できる「忘年遊歩2012」である。

 参加者16名が、中央線荻窪駅東口に集合し、恒例の声出しをする。今回は武蔵野夫人K,Kさんのご主人K,Mさんの初参加を得て、久しぶりに大勢の参加者で賑わいを見せている。お天気も実に温かな遊歩日和となり、これも一重に皆さんの人望の賜であろうか。そんな我らご一行は、荻窪南商店街を抜け、善福寺川に沿った遊歩道を第1の目的地「善福寺公園」を目指し歩を進めた。多くの車が行き交う環八の歩道橋を渡り、更に静かな善福寺川に沿った遊歩道をお互い談笑しながら和気藹々で温かな陽射しを浴び歩いて行く。この善福寺川は、これから行く善福寺公園の池が水源で、余り水量も無く都心へ流れこんでいる。荻窪近辺の川沿いは、ただ住宅地を流れているということで、余り風情が無いが、ここから川下の中流の杉並区成田西から成田東にかけて善福寺川緑地があり、ここは緑も多く特に桜の古木が、川に迫り出し見事なviewpointとなっている。

 善福寺川にかかる橋を何度か目にし、更に歩を進め善福寺川の水面を見ると大きな真鯉が悠々と泳いでいおり、また、鴨がのんびりと水草を啄んでいる。そんな実に心がいやされる光景だ。そして荻窪駅からstartして、約、50分、ようやく善福寺公園南に達した。 こちらの善福寺南後縁は、locationも余り良くないので、サッサと通過し、道路を挟んだ善福寺北公園に行く。こちらの池は広く何とボートの貸し出しをしている。そんな池を回り込み陽当たりの良い場所にベンチが設置してあり、ここで休息団欒のひと時を採ることとした。早速、皆さんにワインをお配りをして、乾杯をする。更に北区のS,Mさんの持参した銘酒も飲み皆さんのお顔がほんのりと赤く染まり、ご機嫌で心和むひと時だ。しかし、後の日程のことを考えると余りここでゆっくりともしておられず、皆さんに腰を上げて貰うこととした。そして、静かな住宅街を30分も歩き、吉祥寺駅前を通過し、第2の目的地「井の頭恩賜公園」に到達した。

 この井の頭公園の池は、先ほどの善福寺公園の池よりも遙かに広く、4月のお花見時は、桜の古木が池に迫り出し、それは見事な長めで、毎年お花見客で大賑わいをしている。ところでこの池のボートに恋人同士で乗船するとその恋は何故か破断するという誠に悲しい言い伝えが有り、それが証拠に過去、私も何度となくCoupleでこのボートに乗船したのだが、見事にその恋は稔らなかったのだ。ゲゲゲノゲ  「ホンマカイナ。」  (^^;)
何で恋人同士の恋愛が破断になるかというとこの池のそばにある「井の頭弁財天」の弁天様が、そんなアツアツの恋人同士にjealousyの炎を燃やして、破断にさせてしまうとか。。・・・!!! 「ベンチャン。ソリャ、アンマリデッセ。」 (;_;)

 小春日和の温かな陽気溢れる陽射しを身体に受け、何だか眠くなってきそうだ。そんな良き雰囲気の中、我らご一行は、池を半周し、池のそばにある「井の頭自然文化分園」へ行く。分園には魚類や両生類を飼育する「水生物館」がある。そんな園内を簡単に見てから、今度は「井の頭弁財天」へ行き「ベンチャン。どうぞ、恋人同士、その愛が稔るように温かく見守ってヤ。ついでに私の健康もお願いシマッセ。」と参拝をした。そんな弁天様に別れを告げ、緑成す井の頭公園の園内を歩き車道を渡り「井の頭自然文化園」へ行き、園内散策をする。
 この「井の頭自然文化園」の人気者は、何と言ってもゾウのハナコで、今年65才になり、昭和28年から今日に到るまで、井の頭自然文化園で、多くの皆さんに可愛がられ「ハナコの会」という同好会が有るほどだ。それから彫刻家の北村西望のアトリエが有り、彼のdynamicな長崎平和の像が安置され、更に多くの作品が展示されている。そんな園内を見物して、皆さん結構、お疲れになった頃、第3の目的地、Restaurant「天狗」へ行き、いよいよ忘年懇親会の開催となった。しかしながら、その忘年会場であるが、私がこの会場を予約した際、禁煙席の固執と言う条件だったのだが、行ってみると固執でなく一般客と同席で、そのことを店員に聞いてみたら、何でも禁煙席は、一般席のコーナーにしかないとの、誠に分けの分からない手違いを生じてしまい皆さんには、誠に申し訳ないことであったが、皆さん、そのことに気分良くご納得を頂き、2012年遊歩のPerfect All参加の北区のS,Mさんによる乾杯の音頭で、忘年懇親会が開始された。

 そして飲むほどに食べるほどに宴も酣となり、浜のK,Kさんから2012年13回遊歩実施一覧表が読み上げられ、私の手締めで忘年遊歩2012がお開きとなった。それから二次会で、有志11名が吉祥寺駅前にあるカラオケ館へ行く。ここでは皆さん、それぞれ持ち歌で熱唱し、時間延長をするほどに多いに盛り上がった。こうして師走の一日、みんなで至福のひと時を過ごしたのであった。 (^_^)。 (^^)

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〜〜《オシマイ》〜〜


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《参考文献》

「善福寺公園」


 善福寺池を中心に、遊具・遊歩道が整備され、市民の憩いの場となっている。また、善福寺池は善福寺川の水源にもなっている他、東京都水道局杉並浄水所の水源になっている(23区内で、井戸が水道の元になっているのはここだけ)。北と南に2つの池がある。池を中心に、憩いの場として整備され、公園としては1961年6月16日に開園。井の頭池(井の頭恩賜公園)・三宝寺池(石神井公園)と並び武蔵野三大湧水池として知られている。2006年4月1日 - 2011年3月31日まで、指定管理者制度により財団法人東京都公園協会が管理する。
 なお、中流の杉並区成田西から成田東にかけて善福寺川緑地があるが、全く別の公園である。
善福寺池は、古来より武蔵野台地からの湧水池として知られていた。まだ農村だった江戸時代には、貴重な水源であった。また池は遅野井池とも呼ばれ付近一帯の上井草村は別名遅野井村とも言われた。善福寺の名の由来は、池のほとりにあった寺の名前に由来しているが、江戸時代に廃寺となっている。また、ややこしいが近辺に「善福寺」という名の寺が現在あるものの、これは福寿庵という元々違う名前だった寺で、後年地名をとって改名した物であり、池の名前の由来にはなっていない。湧水量も多く、近辺には武蔵野の雑木林を思わせる木々も多くあり、野鳥や草花も豊富で、都内でも数少ない自然豊かな公園である。


 
「井の頭恩賜公園」


 それではこの「井の頭恩賜公園」について詳述しておこう。
1917年(大正6年)5月1日開園。三宝寺池(石神井公園)・善福寺池と並び、武蔵野三大湧水池として知られる井の頭池を中心とした公園である。東京都西部公園緑地事務所が管理している。日本さくら名所100選に選定されている。武蔵野市の南東から三鷹市の北東にかけて広がる公園である。総面積は約380,000m2である。井の頭公園はその中心に井の頭池を擁している。井の頭池は北西−南東方向に延びる細長い形の池であり、北西端は二つに分かれ、南東端からは井の頭池を源とする神田川が流出している。神田川の流れの一部も井の頭公園に含まれている。また、井の頭池の西側には御殿山の雑木林があり、吉祥寺通りを挟んで東京都建設局井の頭自然文化園が位置している。雑木林の南側には玉川上水が東南方向に流れ、そのさらに南には「西園」が位置している。この西園には、400mトラックと三鷹の森ジブリ美術館がある。玉川上水の下流側の脇には小さな広場のある「東園」がある。
行政区分から見ると、井の頭公園の井の頭池、神田川、井の頭公園駅、西・東園がいずれも三鷹市に属し、井の頭自然文化園と雑木林の御殿山は武蔵野市に属している。井の頭池の北側はすぐに武蔵野市になる。

 井の頭公園の近隣は、井の頭池から北500m弱にはJR中央線吉祥寺駅が位置している。この吉祥寺駅には井の頭公園に向かう公園口(南口)が設けられており、吉祥寺駅から井の頭池にかけての道路に面して若者向けの商店が並んでいる。南東の神田川沿いには、並走する京王井の頭線の井の頭公園駅がある。井の頭公園駅から井の頭池までは至近であり、その間では小さな広場や小道を散策することができる。
 井の頭池は豊かな湧水を誇っている。園内武蔵野市側の御殿山遺跡からは縄文時代の竪穴式住居遺跡も出土することから、井の頭池は古くから人間の生活に不可欠な水源となってきたことが窺える。

 井の頭池西端の島に現存する井の頭弁財天(別当寺は天台宗大盛寺)は、その起源が、平安時代中期に六孫王経基が伝教大師作の弁財天女像を安置するためこの地に建てたお堂であるとされる。弁財天の縁起には、その後源平合戦の頃、源頼朝が東国平定を祈願し、その大願成就ののちに改築されたことが伝えられている。その後、鎌倉時代末期の元弘の乱の際に、新田義貞と北条泰家との対戦の兵火で弁財天が焼失した。数百年の間放置された後、江戸幕府三代将軍徳川家光により弁財天が再建された。
 井の頭という名称は一説には家光によって名づけられたものと伝えられ、自ら小刀で弁財天の傍らのこぶしの木にその名を刻んだとも伝えられる。現在、その場所にはその伝承を記した石碑が建てられている。
井の頭という名称の由来についてはそれ以外にも、「えんかしら、この水の美しさ」と家光が驚嘆したことがその後に転じて「いのかしら」になった、とする説もある。
 なお御殿山の地名は、家光が鷹狩りに訪れた際の休息のため、井の頭池を見渡す場所に御殿を造営したことに由来する。この一帯の武蔵野は、三鷹という地名にも残るように、徳川歴代将軍が鷹狩りを楽しんだ鷹場であった。
江戸時代の特に江戸市民にとっては、弁財天は信仰の地であるとともに、行楽地でもあった。これは、江戸時代の初頭に神田川が改修されて江戸に神田上水が引かれたため、江戸市民にとって井の頭池が水がめとなったことと関連している。弁財天境内や向かいの石段、石段を登りきった周辺などに、その当時の商人や歌舞伎役者が寄進した石灯籠、宇賀神像などが残る。なお、かつては石造りの鳥居も存在した。この鳥居は1767年(明和4年)に寄進されたものである。しかし、この鳥居は明治初年の神仏分離令の際に撤去され、鳥居の柱石は後に井の頭池と神田上水の間の水門に転用された。その水門は現在使用されていないものの、池の東端付近に今も残る。弁財天への参道は、現在も史跡として整備されており、「黒門」と呼ばれる黒い鳥居もある。

」 
「井の頭弁財天」


  井の頭弁財天

 井の頭弁財天堂は、平安時代の天慶年間(938年−947年)源経基が創建したものと伝えられ、その後源頼朝が1197年(建久8年)に再建し、別当となる坊舎が立てられたと伝えられる。1333年(元弘3年)新田義貞が鎌倉を攻めた際に焼失し衰退していたが、江戸時代に入り3代将軍徳川家光によってようやく再興されたという。1923年(大正12年)の関東大震災で被害を受け、現在の堂舎は昭和初期に再建されたものである。なお、本尊の弁財天は最澄の作と伝えられている。





 
「井の頭自然文化園」






 東京都武蔵野市(分園は三鷹市)にある都立の動物園。井の頭公園の一角にある。開園は1942年5月17日。東京都建設局が所管していたが、指定管理者制度の導入に伴って、恩賜上野動物園、多摩動物公園、葛西臨海水族園とともに、2006年4月1日からは公益財団法人東京動物園協会に運営が引き継がれた。
 目玉となる大型動物はアジアゾウの「はな子」で、その他にはニホンカモシカやアライグマなど可愛らしい動物が飼育されている。樹木が多く、地元の住民の憩いの場となっている。「モルモットコーナー」や「ヤギ舎」、「リスの小径」のように動物と触れ合ったり、間近で観察したりできる施設が多い。2006年からは環境省に協力し、飼育下個体群の危険分散等を目的として、絶滅危惧IA類に分類されているツシマヤマネコの分散飼育に取り組んでいる(体調不良で公開を中止していたが、2008年2月22日から再開)。

 武蔵野市御殿山にある本園と、三鷹市井の頭にある分園に分かれている。本園では、おもには哺乳類と鳥類が飼育されており、井の頭池に囲まれた分園では水鳥が飼育されている。また、本園には、「熱帯鳥温室」や、文化施設である「資料館」では、特設展示や講演会などが開催されている。分園には魚類や両生類を飼育する「水生物館」がある。
 本園の一角には「彫刻園」が設置され、長崎平和祈念像の作者として有名な彫刻家北村西望の作品が展示されている。平和記念像は彫刻園のアトリエで製作されたもので、その原型を鑑賞できる。




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